第三十五話「万能少女と死霊術師」-2
入ってきたのは、華奢なシルエット。真っ赤なローブと勝ち気な瞳。後方に流れる長い髪は、まるで、血のように赤く、美しい。
リタ。
リタ・ランプシェード。
僕を守り抜いてくれた、世界最強の万能屋。
彼女は入ってくるなり、僕が起きているのを見つけると、目を丸くした。いつまで寝てるつもり、なんて言っていたのに、起きていたら起きていたで驚くとは、一体どういう了見だろうか。
「あ……お、おはよう、ジェイ。その、目、覚めてたのね?」
「ああ、つい、さっきな。お前の方は――」
僕は彼女の、頭のてっぺんから爪先まで視線を這わせる。
相当な怪我を負っていたはずだが、今は一つとして、負傷が残っているようには見えなかった。
【病の街】でもそうだった。彼女が『炎』を行使した後は傷が癒えていたし、もしかすると、あの力にはそういった側面もあるのかもしれない。
「私はそこまで大きな怪我じゃなかったわね。昔から、傷が残りにくい性質なのよ」
ちらりと、僕はエイヴァを見やった。彼女は、【病の街】でもリタを診ている。何か思うところがあるのではと思ったが――。
「――違うね、診た医者の腕がよかったのさ」
そう、意味深に笑うばかりだった。
リタは、自分の中に眠る『天使』について知らない。これまでも、そして、可能であればこれからも知らない方がいい。
あれは何も生まない、純然たる破壊の力だ。それに、故郷のことについても――知らない方が、ずっと幸せだろう。
と、そこでエイヴァはため息を一つ。そのまま、部屋の出口へと歩いていく。
「さて、とだ。五月蝿いのも来たし、私はお暇するよ。ここから先、いたら邪魔だろうしね」
「じ、邪魔じゃないわよ、別に。あんた、何考えて――」
「はい、はい。どっちにしても、他の仕事もあるんだ。少年にばかり構っていられないからね」
ひらひらと手を振りながら、エイヴァは居なくなる。微妙な気まずさだけが残った空間に二人。
戦いの時は先陣を切りたがるくせに、こういう時に口火を切るのは、いつだって僕なのだ。
「……あー、なんだ。リタ。何か用事があって来たんじゃないのか?」
「何、あの白衣女はよくて、私は用がないと来ちゃいけないの?」
「そうじゃないっての、突然面倒臭いなお前!」
というか、主治医だ主治医。
医者が病院にいて何が悪いと言うのだろうか。
冗談よ、と呟いて、リタは壁沿いの椅子に腰掛けた。見舞い客用であろうそれは、背凭れもない簡素なものだったが、彼女の華奢な体を支えるのには十分だった。
彼女はしばらくの間、何を話したものかと考えているようだった。それも数分、たっぷり思考を重ねてから。
「……あんた、リトラに死者蘇生の術式を使わせたそうね」
ギクリと、胸が跳ねるのがわかった。
僕にとってそれは、あまり追求されたくない内容だった。けれど、彼女にそんな弱音は通じないだろう。
同じく、嘘も見破られる。そう理解しているからこそ、余計な抵抗はしないことにした。
「……ああ、使わせたよ。それが、どうかしたのか?」
「どうかしたのか、じゃないわよ。あんたは、一万の魂を薪にするあの術がリトラの手に渡る危険性を、よく知っていたはずでしょう?」
「あの時点じゃ、あいつはもう悪事なんて働けなかったよ。だから、最後に真摯な頼みに心打たれてみた――そんなとこか」
「嘘ね」やはり、彼女には通じない。
「仮にあんたが情に流されるとしても、相手は親の仇、家族の仇よ。その理由は、あまりにも弱すぎる」
全て、彼女の言う通りだった。
多少なりとも、彼の想いに動かされたのは本当だ。しかし、それは、ここまでの禍根を全て洗い流すに足るようなものではない。
なら、どうして僕は、あいつに術を使わせたのか?
「当ててみせましょうか? あんたは、あの術が本当に使えるものなのか、知りたかったのよ」
「……」僕は何も答えない。
その沈黙は、正答を意味していた。正鵠を射られた痛みが、ただただ肋骨の裏に広がっていく。
『現人帰し』は決して、簡単な術ではない。
死者を蘇らせるなんて奇跡を起こす、一万もの魂を操作する術だ。何かがどこか、ほんの僅かでも解れてしまえば、それがすぐに致命的な結果を生むことになるだろう。
――だから、僕は先に、術をリトラに使わせることにした。
術式が正しく機能するか、そして、失敗した時のリスクがどんなものなのか、それを測るために。