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第三十四話「赤き翼」-5

 ――直立する、赤い影。

 それは見紛うはずもない。僕が待ちに待ちわびていた、リタ・ランプシェードの立ち姿。


 地面に転がりながらも、僕の心が僅かに跳ねる。彼女が起きたのなら、まだ、この場から離脱できる可能性が残っている。


 重い手足を引きずって立ち上がり、彼女に向かって、一歩近付いて――。


「っ、おい、リタ……!?」


 ――そして、気がつく。

 彼女の瞳に、正気の色がないことに。


「――っ!」


 僕は、この状態のリタを見たことがある。【病の街】でエリゴールに追い込まれた際に、彼女が垣間見せた暴力性。


 『炎』の担い手としての側面。

 そしてそれは、僕が最も恐れていたものの一つだ――。


「……待て、リタ!」


 声も届かぬまま、リタは翼を広げる。

 彼女の代名詞である、純白の剛翼。何度堕ちようと折れることのない、鋼の翼。


 ふわりと広がる影が、僕にかかる。万能の翼は当たり前のように、そして、いつも通りの調子で、僕の前に姿を現した。


 ――そんなこと、あり得ないというのに。


「……なんで、お前、ローブは」


 そう、彼女のローブは、先程の戦いでズタズタに破壊されてしまっている。


 魔術の行使には、術式を刻印した触媒が必要だ。死霊術師たちの杖、霊符、とにかくどんな道具でもいい。


 しかし、今の彼女にはそういったものが一つとしてない。まるで、生来備わったものであるかのように、翼は彼女の背から伸びている。


「――まさか」僕の脳裏に、閃くものがあった。


 今の彼女と同じように、触媒無しで魔術を使っていた人間を一人、知っている。


 【愛奴】エリゴール。彼は、自身の体に術式を刻んでいた。故に、体と魔術を混成させるなどという悍ましい魔術を行使していたのだが――もしかして、彼女も。


「――!」


 リタが咆哮を上げる。人間のものとも、獣のものとも違う。例えるのなら、鐘が鳴る音に近いような、澄んだ響き。


 いや、透き通りすぎている。心の根っこを直に揺らされるようなそれは、周回遅れの恐怖を呼び起こすほどだ。


 まるで、天使の叫びのような、神秘的な――。


「待てよ、『天使』って……!」


 口に出すのと同時に、リタの翼が炎に包まれる。潔癖さを感じさせるほどに汚れなかった彼女の純白は、隙間なく、咲いていく炎に覆われていく。


 鮮やかな紅蓮の翼。

 それはまるで、彼女の異名通りの――【赤翼】だった。


「――ァ」


 リタの唇が、僅かに震える。と同時に、紅蓮の天使が舞い上がる。炎の尾を引き、太陽の如き輝きを放ちながら、悪霊の王に相対する。


 錯覚だろうか、昏い魂の渦が、たじろぐが如く後退するように見えた。カンテラで暗がりを照らした時の、闇が解けていく感覚、それをずっと、大きくしたかのような。


 骸の王が、その手を伸ばす。触れるもの皆呪う、王の呪腕。面前に立つものを討ち滅ぼし、握り潰し、鏖殺する剛腕。


 その腕が――天使に触れるか否かというところで、溶け落ちた。


 汚れた指先では、その翼に触れることすら能わないというかのように、一瞬で炎に包まれたかと思えば、まるで飴細工のように、どろりとバラけていく。


 腕を失った王は、一瞬だけ戸惑うように固まった。悪霊の集合体である奴に、そんな意識はあるまいが、少なくとも僕には、そう見えた。


 その一瞬に、天使は再び吼える。天に贖う愚か者を、断罪するかのように。


 瞬間、翼から雨のように炎が降り注いだ。一滴が髄まで焼き尽くす、灼熱の雫が無限に、怨嗟の塊に襲い来る。


 ――どんな怨念も燃やし尽くす、浄化の炎が、骸の王を包み込んだ。


 そこから先は早かった、もう、目を離している間もない。炎は瞬く間に、王の巨体に燃え広がっていく。


 魂を切り離しても、岩壁に体を打ちつけても、炎は消えない。断罪の炎は、消えることがない。


 圧倒的な熱量が荼毘に付していくのを見ながら、僕の中にあった考えが、少しずつ現実味を帯びていくのを感じていた。


 ――リタのルーツは【燃える街】にある。

 今もなお、消えない炎に苛まれる街。そこで、リタは拾われたのだという。


 命の気配など一つとしてないであろう、燃え続ける街に、少女が一人倒れていることなど、あり得るのだろうか?



 むしろ、こう考えるほうが自然である――街を焼き尽くしたのは、リタ自身であると。



「……それ、は……!」


 そう、そしてその思考は、もう一つ、残酷な事実を指し示している。

 リタが炎を使うのは、これで三度目。彼女に、この力の制御はできないだろう。


 つまりそれは――この大墳墓も、【燃える街】のように焼き払ってしまう可能性があるということだ。


「……っ、させるかよ」


 僕は立ち上がり、霊符を構える。


 視界の先で、骸の王が文字通り灰燼と帰すのが見えた。まさしく「消し炭にした」というところだろう。


 そのまま、彼女はしばらく静止している。少なくとも、今すぐに動き出す気配はない。


 ――今ならば、『生者の葬列』で、彼女の魂に干渉できるかもしれない。

 そうなれば、善は急げだ。僕は足下に霊符を展開しようとして――ピタリと、その手を止めた。


 リタは現在、静止している。

 ならば、このまま背を向けて、地下墳墓の入り口まで駆け上がることが出来るのではないだろうか?


 灼熱を纏った彼女の魂に触れれば、僕自身にどんな影響を及ぼすか、分かったものではない。


 それならば、このまま逃げてしまったほうが確実なのではなかろうか。リタは後ほど、様子が落ち着いた頃に回収すれば、それで――。



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