第三十二話「地下墓地の底」-7
思い返せば、彼が屋敷を訪れた頃と、時期が一致する――勿論、おぼろげな記憶ではあったが。
「それで、お前は死霊術を志したのか? 奥さんを、生き返らせるために?」
「最初は、そんな考えはなかった。ただ話したい、彼女の霊魂ともう一度、言葉を交わしたい、それだけだった」
リトラの得意とするのは、悪霊術式。
その本質は、死者との対話にある。こんがらがってしまった悪霊の魂を解く方法は、圧倒的な力でねじ伏せるか、根気強く語り合うかしかない。
どうして彼がその技術を磨いたのか――答え合わせが、できたような気がした。
「だが、学ぶうちに思ったよ。この術ならば、彼女の魂を現世に呼べるのではないかと。もう一度、彼女と生きられるのではないかと」
「……傲慢だ。人の生き死には、死霊術でどうこうなるものじゃない」
「しかし、君の父上はその不可能を叶えてみせた」
死者蘇生の法。
死霊術の、ある一つの到達点。
恐らく、親父は死霊術師として極まっていたが故に、行き着くべき終着点として、そこに至ってしまった――。
そして、たまたま、そこには死者の面影を追い続ける男がいた。これはただ、それだけの不幸だったのかもしれない。
不意に、僕は思う。もし、彼が邸宅を焼かず、家族を殺さず、真っ向から自らの願いを伝えてきていたら、今と同じように否定できただろうか?
答えは恐らく、否だ。どうにか彼の望みを叶えられないかと奔走し、もしかすると、親父やダグラスとも対立していた可能性すらある。
そうしたら、ここまで問題は拗れなかったんじゃないか――今更ながらに、そう思う。
「なあ、リトラ。お前は――」
後悔は枯れ果て、疑問は蒸発した。
だから、僕がここでかけようとした言葉は、本当に、本当に交感的なやりとりの一端で。
言い換えるなら、そう、単なる気の迷いで――。
「――駄目、ジェイ、早く撃ちなさい!」
鋭く、リタの声が弾ける。
それと同時に、僕の中で萎んでいた感情が、再び膨らんでいくのがわかった。一体、何をしているのだろうか。
こういう話で気を引くのなんて、こいつの常套手段じゃないか……!
「っ、撃て、魔弾使い……!」
促されるまま僕はリッチに命じ、弾丸が放たれる。リタも、その後に続くようにして羽の撃ち出した。
弾速は、僕の方が僅かに速い。加速した断頭は、そのまま、リトラの頭に突き刺さる――。
「ありがとう、坊ちゃん。君が甘くて助かった」
――直前で、何かが僕らの間に割り込んでくる。
それは、人型の物体だった。否、人型ではない――本当に、人だったのだ。
立ちはだかったのは、死体だった。服装からして、恐らく、この大陵墓の管理と警備を任されていた衛兵のものだろう。
その口元は、微かに動いている。屍者特有の、空気を震わす呻きではない。
死霊術によって操られた、意味を持つ言葉を紡ぐための詠唱にほかならない――。
「――悪霊術式、『王の再誕』」
小さく呟く声が、致命的に空気を揺らした。不吉な気配が、辺りに満ち満ちていく。
そんな中、リタが駆け出すのが見えた。鋼の翼を構え、その速度は、『愛奴雷躯』すらも超えるのではないかというほどの最高速。
しかし、それでも、間に合わない――。
「――リタっ!」
叫ぶ、と同時に、空間が爆ぜた。
そうとしか形容しようがない。周囲から集まった無数の霊魂が、小さな太陽の如き熱源を作り出し、放たれた熱波が、リタの体を打ち据える。
そんな魂の暴風の中にあって、リトラだけは平然としていた。彼だけは入眠時の凪の中にいるかのような穏やかさで、こちらを睨みつけている。
「……【昏い街】【壁の街】【病の街】。私は呪われた街を渡り歩き、魂を集めた」
彼の一挙動に、呼応するように霊魂たちが輝く。まるで、呼吸をする時に胸が膨らむような自然さで、霊たちが脈動する。
「【昏い街】は言わずもがな、【壁の街】では、呪いの魔物たちに殺された者の魂を。【病の街】では、病死した者たちの魂を――そして、ここでは、大陸の礎を築いた者たちの魂を」
聞きながら、僕は戦慄した。
【昏い街】では死霊術師が何百年と研鑽を積んできた。
【壁の街】では十二年周期で、呪いが千人単位で人を殺す。【病の街】はもっと短いサイクルだ。
加えて――脳裏に、【病の街】の景色が過ぎる。操れる霊魂が一つもないほどに漂白された大気。そして、それはここ、大陵墓も同じだ。
あいつは、町に漂う魂を根こそぎにしていた。
ならばあいつは一体――どれだけの魂を貯蔵している?
「妻の蘇りに必要な霊魂が一万。それをより分けて、さらにもう一万。お前たちを仕留めるために使っても、問題あるまい――!」
揺れる魂の輝きに照らされつつ、リタが立ち上がる。
その目つきは厳しい。まるで、ここからの戦いが一筋縄ではいかないのを、表しているかのように。
「……本当に無茶苦茶ね、死霊術師って!」
羽剣を構えながら言い放つ彼女の隣に並ぶ。僕も死霊術師のはしくれだ、目の前に現れようとしているこいつが、どんな存在なのかは知っている。
一万の死霊の集合体。
骸の王が、ゆっくりと、その頭を持ち上げる。僕たちを、殺し尽くすために――。