第三十二話「地下墓地の底」-4
「……古来より、人は死を恐れた」
彼は振り返らず、ぽつりと、そう口にする。
「死とは不可逆なものだ。命あるものはいずれ、終わりを迎える。あらゆるものは等しく、錆び、朽ち、枯れ落ちる定めにある」
恐らく、宛先は僕たちなのだろうが、それはどこか、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
だから――僕は、そこで一歩を踏み出した。
「……そこまでわかってて、どうしてお前は、死者蘇生の法なんて望んだんだ……?」
ゆっくりと、リトラが振り返る。
今までの超然とした雰囲気は、どこにも見られない――年齢相応に擦り切れた、疲弊しきった一人の男が、そこにいた。
「わかっていたとしても、求めるのをやめられるわけではない。知識も理解も、私を納得させることはできなかった」
「お前が一万の命を燃料に変えることで、成仏できなくなる魂も多くあるんだぞ。それも理解した上で、やってるんだよな?」
「無論だ。この罪は全て、私が負おう。この罪は全て、私が雪ごう。その覚悟をしていたからこそ、私はあの日、火を放ったのだ――」
リトラの腕が、緩慢に持ち上げられる。同時に、彼の背後にいくつもの人魂が浮かんだ。
ウィル・オ・ウィスプ。
死霊術師としては、至極初歩的な技のひとつだ。それでも、魂の扱いを得手とする彼にかかれば、ひとつひとつが、小型の爆弾に匹敵する威力を持つ。
普段の僕が相手であれば、決着には十分なだけの技だろう――しかし。
不意に、人魂たちが弾け飛んだ。射出よりも速く、まるで何かに、撃ち落とされたように。
背後にちらりと目を向ければ、翼を広げたリタが、片手を伸ばした姿勢のままで静止ししていた。
「……『鉄の翼――羽弾』。悪いけど、あんたの好きにはさせないわよ」
正確無比な射撃。しかし、それも彼の眉を動かすには至らない。
「【赤翼】、か。やはりどうあっても、貴様は私の邪魔をするんだな」
「勿論よ。だって、仕事だもの」
「仕事、ねえ」リトラの口元が嘲笑に歪む。
「まあ、そういうことにしておこう。悪いが、君たちのボーイ・ミーツ・ガールに付き合うつもりはない」
両腕に、青白い炎が灯る。
悪霊術式。歪められた魂が、リトラの頬を怪しく照らし出す。
「お前も、坊ちゃんも殺して、死者蘇生の法をいただく。悪いが、もう手心はないぞ」
「手心? 随分と余裕ね、あんた」
凍えるような悪霊の輝きにも、少女は動じない。万全のリタ・ランプシェードがどれほど頼もしい存在か、僕はよく知っている。
「あんた如きに殺されるつもりはないし、そもそも二対一よ。余裕かましてても、こう不利だと可哀想になるわね」
「ふむ、不利、か」
リトラはそこで、低く身を屈めた。まるで、地面に落ちた硬貨を拾おうとするかのような、奇妙な姿勢に、僕たちも警戒の色を強める。
彼はそのまま、掌を地面に押し当てた。
「ならば――術式詠唱略、強制契約。『贖う者の群れ』」
言葉は静かに。それと同時に、纏った悪霊の火が、石畳の床面を這っていく。それは、広大な地下墓地の空間を満たすようにして拡がり、やがては、僕らの足下まで。
「なっ、これは……!」
足裏を伝う、微かな振動。地震のそれとはまた違った体幹までは響かない揺れ。
それが鳴り止む前に、そいつらはどこからともなく姿を現した。
――白い輪郭。
それは脆く、どこか頼りなさすら感じさせる細さで、そこに立っていた。
動く骸骨――しかし、その数は一体や二体ではない。ぐるりと、無数の骨格の群れが、僕らを取り囲んでいる。
「『贖う者の群れ』……親父から聞いたことがある」
記憶を辿る。生家で受けた、死霊術師としての訓練。そこから、記憶を引用する。
「確か、簡易契約を用いて、低級の動く死体を無数に指定する技――だったと思う。多くの魂を従える必要があるから、そう簡単に使える技じゃないはずだが……」
「……まあ、一万も魂のストックがあるこいつなら、できてもおかしくはないわね」
一体一体は、そこまで強くない。リタやリッチたちならば、敵にならない程度の有象無象だ。
しかし、これだけの数がいるとなると、相応に手を焼くだろう。この地下墓地にどれだけの遺骨が眠っているのかは知らないが、百や二百では効かないはずだ。
「ふむ、これで、数の不利とやらはひっくり返せたかな」
リトラは悠々と口にしてから、再び両手に悪霊の火を灯す。
加えて、当然と言えば当然なのだが、彼は悪霊の鎧も纏っていた。【愛奴】を失えど、その脅威は全く衰えていない。むしろ、追い込まれて研ぎ澄まされた――そんな気配すら感じる。
「さあ、殺し合おう、坊ちゃん。それがお望みだったんだろう……!」
「……ああ、そうさせてもらうぜ!」