第三十二話「地下墓地の底」-3
地下墓地は、多層構造になっていると聞いたことがある。
上層、地下一階や二階には、労働階級の人々や、商人。或いは、兵士や役人が眠っている。
下層には権力者が多い。貴族や将官、王族も直系の血筋でなければ、こちらに埋葬されることもあるらしい。
そして――最下層。そこに何があるのかは、僕も知らない。一族でも、それを知っていたのは親父とダグラスだけだろう。
「最下層に埋葬されているのは、大戦期の英雄たちよ」
――そんなトップシークレットを、リタは何てこともないように口にした。
「直剣一本で千人を斬った化物、全身に魔術を刻み込んで、一人で戦略兵器になった傑物。そして、戦争終結の一因にもなった、星を堕とす魔術師――」
「おいおい、なんだそりゃ。お伽噺にしか聞こえないぜ」
「実際、ほとんどそうでしょうね。【冒涜戦争】以前の資料は、ほとんどが逸失してしまっているの。だから話は盛られて広まっているものが大半だし、そもそも、表に出ていないものも沢山あるわ」
「……でも、お前はそれを知っている。そうだな?」
「ええ、私、【赤翼】だもの」
どんな怪物よりも、どんな手練よりも、巷間に広く、そして強く名前の伝わる、最強の万能屋。
なるほど、これまでの話を加味すれば、リタは先代からその辺りも聞いているのだろう。ならば、その話の信憑性は、かなり高いと言える。
「そんなもんが眠ってる所で、あいつは一体、何をしようってんだよ……!」
多くの死体、霊魂が埋葬されているこの場所で、僕らを迎え撃とうとするのはまだわかる。
しかし、その最奥まで引っ込んだというのは、何か理由があるのではないか。少なくとも僕は、そう思うが……。
「……っと、待て待て、変な口癖が感染っちまった……」
「なに、一人でブツブツ言ってんのよ。もう、相手が待ち構えているんだから、真っ向から打ち砕くしかないでしょ」
バシン、と。小さい掌が、僕の背を強く叩く。力加減が苦手な彼女だ、思わず階段から転げ落ちそうになってしまうのを、どうにか踏み留まる。
言われるまでもない。もう、ここまで来て臆していても仕方がないのだ。
「……とはいえ、備えておいて損は無いわね。あんた、あのクソ神父について、何か知ってることはないの?」
「知ってること、って」
「ほら、死霊術の腕とか、戦い方とか。スペクターの一門なら、何かしら情報があるんじゃないの?」
例えば、エミリーは【骸使い】。
リッチを操ることを得意とする死霊術師だった。
親父とダグラスは得意不得意がハッキリと分かれておらず、あらゆる死霊術に広く通じていた。特に親父は、どの分野でも一門で敵う者はいなかった――。
――たった、一分野を除いて。
「ああ、知ってるよ。リトラのことなら、よく、な」
僕は記憶を辿る。かつて、共に研鑽を積んでいた、屋敷での日々を思い返しながら、ぽつり。
「……リトラは、『悪霊術式』の名手だ」
「悪霊術式……聞くからに、物騒な名前ね」
「まあ、そう悪いもんでもない。悪霊に転じてしまった霊魂の浄化や鎮魂、本来でなければ、契約を結んでくれないような霊をコントロールするのが、悪霊術式の本領だ」
その声質故に、ある意味、どの死霊術師にとっても必須の技術だと言える。
荒ぶる悪霊は、魔物と違って武器や魔術で鎮圧することができない。故に、死霊術師の腕が未熟であれば、惨事を招くことも珍しくないのだ。
「そう聞くと、悪霊術式の名手であったリトラは、かなり善良な技術の使い手に聞こえるけど?」
「……本来なら、な。あいつは、悪霊術式を曲解したんだ」
「曲解……?」リタの眉に皺が寄る。
僕の脳裏に過ったのは、【病の街】で彼が纏っていた、悪霊の鎧だ。
あれは、悪霊の力を身に纏うことで、触れた存在を容赦なく呪うような、そんな代物だった。現世に遺した強い恨み、それを拘束することでさらに増幅させ、凄まじい熱量に変えて使役する。
「それが、リトラの悪霊術式。死者蘇生の法云々を抜きにしても、ぶっちぎりの外法で間違いないぜ」
「なるほど、外道ね。なら私も、遠慮なくぶっ飛ばせるわ」
ぶっ飛ばす。そう、話が簡単ならいいのだが。
あれだけの魂を手中に収めたリトラは、恐らく、死霊術師として規格外の力を持っている。
そんな彼に、果たして僕らは叶うのだろうか――。
――と、そこまで考えたところで。
「……っ!」
悪寒。背中を、ゾワゾワと這うような感覚があった。
階段の終点。つまりそこは、この地下墓地の行き止まり。
そこから不吉な気配が――漂ってきている。
「いるわね、間違いなく」
リタが、僅かに身を屈める。元々小柄な彼女だったが、それよりもさらに低く、低く。
まるで、獲物を捕らえた肉食獣のよう――つまり、彼女もまた、臨戦態勢に入っている。
「……ああ、もう、ここまで来たんだ。降りてみようぜ」
僕は意を決して、地下墓地の最下層に足を踏み入れた。
最下層の一部屋は、地下とは思えぬような広大な空間となっていた。小規模な村なら、ひとつ収まってしまいそうなほどの広さの中、ぽつんと、中央に据え置かれた祭壇が、明らかな異物感を放っている。
その祭壇の前に細い影がひとつ、立っていた。豪奢な刺繍を施したスータン、血色の悪い、青白い肌。感情を削ぎ落としたような怜悧な瞳に、何度射竦められたことか。
死霊術師、リトラ・カンバール。
故郷を焼き、【病の街】を襲い、正道の死霊術に背を向けて、彼は、そこに立っていた。