第三十二話「地下墓地の底」-1
「言っとくけど、あいつには負けたとは思ってないから」
【大陵墓】埋葬棟。つい先程まで生死をかけた激戦が行われていたここで、僕の腕に治癒魔術をかけながら、リタは不機嫌そうに、そう言い放った。
「お互いにコンディションが五分なら、あんな奴、歯牙にすらかけないわ。そもそも、私はね……」
「あー……リタ、そろそろいいか?」
無限に続くのではないかと思えるような、彼女の釈明を聞き続けるのもそろそろ限界だった。
「すまん、聞いてやりたいのは山々なんだけど、傷に響きそうで……」
「この私が」ずいっと、顔を寄せてから。
「こんなに丁寧に治癒魔術をかけてあげてるのに、響くわけないでしょうが!」
ああ、もう、どうにでもなれ。
僕はひとまず、理性的な対応をすることを放棄した。というか、あらゆる対応を放棄することにした。
忘れてた、忘れてた。そもそもリタというのは、こういう奴だった。プライドは高いくせに、変なところで子供っぽいのだ。
なんだか、それも久しぶりな気がする。ここ数日は、消耗した彼女しか見ていなかったから、かえって新鮮な気持ちだ。
「……なによ、じっと見つめて。何か言いたいことでもあるの?」
「いんや、なんでもないさ。腕、そろそろ動かしてもいいか?」
「駄目よ。あんた、普通の医療術師だったら、ふた月以上は通院しなきゃいけないような大怪我なのよ?」
「でも、【赤翼】様にかかれば、この通り、ってこと――」
ぐいっ、と。
僕の右腕を抱えていたリタが、思い切り腕を持ち上げた。途端、目の前がチカチカするほどの激痛が走る。
「あいたたたたたたたたた! おい待て、僕は怪我人だぞ! んでもって依頼人!」
「うるさいわね、だから大人しくしてなさいって言ってるでしょ?」
「だからってこりゃないだろ! あーもう、なんだって僕は柄にもなく、こんなに体を張っちまったんだろうな……」
と、そこで、リタの視線が地面に落ちる。何かを考え込むように、右へ左へ。そうして、意を決したように、こちらを向いた。
「……柄にもなくは、ないでしょ」
「……ん?」意外な反応に、思わず戸惑ってしまう。
「あんたは、いつだって後先考えずに突っ込んでいくじゃない。【凪の村】でも、【壁の街】でも――【病の街】でも、そうだった」
あー、と。適当な返事で濁そうとしたが、それは許されない雰囲気だった。
【凪の村】では、死霊術師として当然の責務を果たそうとしただけだ。【壁の街】や【病の街】でも、僕が能動的に動いたわけじゃない。
やらなきゃいけなかったから。やらなきゃ、こちらがやられるから。それだけのシンプルな理由だったのだが。
なんと返すべきか、逡巡する僕をよそに、リタはバツが悪そうに目を逸らした。
「……私よりずっと弱いと思ってたあんたは、私よりもずっと真っ直ぐで、ずっと勇敢で、だから私も少しだけ、ほんの少しだけ、焦っちゃって――」
「……買い被りだ。勇敢ってのは言い換えれば向こう見ずってことだし、僕ほどのひねくれ者はそういないぜ」
むず痒い。彼女からそんな言葉をかけられるとは、思ってもみなかった。
【凪の村】の事件を解決した頃は、彼女に認められたいと思ってもいた。見返してやりたいとも思っていた。
しかし、その後に待ち受けていた戦いで、僕は自分の弱さを知った。原初の竜騎士や筆頭医療術師、そして、最強の万能屋とは明確に、違うステージに立っているのだと、理解してしまった。
「そんなこと、ないわよ」
卑屈に沈みそうになった僕を、覗き込むように。リタは僕の顔を覗き込んだ。そういえば、まじまじと彼女の顔を、間近で見る機会はそんなに無かったような気がする。
その瞳に縫い止められた僕に、彼女は僅かに微笑んだ。
「だって、あなたは、あいつにも勝ってみせたじゃない。自分が思うほど、弱くはないわ」
僕らの視線は、自然、辺りに散らばる干からびた肉片に向けられた。
エリゴール。愛の輩を騙る、恐るべき戦闘屋。
「……こんなの偶然だ。それに、ラティーンの助言が無かったら、確実に負けてた」
褒められたところで、勝利の実感はなかった。
言ってしまえば、全て、ラティーンに道筋を用意してもらったようなもので、たまたま偶然が味方してくれただけのことで、その上で、最後はリタに力を借りなければならなかった。
だから、こんなものはノーカウント、無効試合だと、そう思っていたのだが――。
「――いや、こういうのはもう、終わりにした方がいいのかもな」
弱者でいることは、楽なことだ。
あらゆる不利益を弱さのせいにできる。
あらゆる不条理を弱さのせいにできる。
弱いから仕方ないと、自分を省みずに生きることができる。
けれど、それは足を止める行為だ。これ以上進まないと、自分で線を引いてしまう行為だ。
僕は、ふと、自分の左手に目を落とす。握り締めたダグラスの杖、腰に帯びた、メアリーの杖。
それに、すぐ近くの壁沿いに控えさせた魔弾の射手と大剣使い。加えて、懐の霊符を使えば『生者の葬列』だって使える。
今の僕には、戦う力がある。
いつまでも、痛みを感じぬように蹲ってはいられない。きっと、その一歩が、自分の価値を、自分の勝ちを認めることなのだろう。
「……強くなってみせるさ、もっとな」