第三十一話「愛奴」-2
「……お前が、どんな小細工を弄そうとしているかは知らんし、興味も無い。しかし、俺の愛の刃を愚弄するのなら、承知しないぞ」
「なんだよ、じゃあ、愚弄しなかったら見逃してくれるのか? そりゃあ、寛大なこって」
「戯言は終わりだ、次の一合は、一味違うぞ……!」
まるで、弓が引き絞られるように、彼の足の筋肉が凝縮されていく。
次の一歩を、最速、最大にするため。放たれれば、僕の目では追いきれないだろう。
だから、僕は火の玉を彼に向けて配置し直した。もう、どんな動きすらも、見逃さぬように。
「……混魔術式、限界出力――」
ぼそり、とエリゴールが呟く。
一体何を、と、そんなことを気にしている暇すらなく。
「――駆けよ、『愛奴雷躯』!」
――【愛奴】は、稲妻と化した。
地面に跡が残るほどの踏み込み。それと同時に、視認が追いつかないほどの速度まで加速した相手の姿を、僕は捉えきることができなかった。
全ては、過ぎ去った後。走る鋭い痛みだけが、そこには残されていた。
「――なっ!」
見れば、脇腹が浅く抉られていた。傷はそこまで深くないものの、派手に血が噴き出している辺り、太い血管を傷付けたのかもしれない。
それにしても、見えなかった。
これまで見切ってきた攻撃とは訳が違う、なるほど、どうやら、本気の一撃というわけか。
思わず屈み込んだ僕を見て、【愛奴】の口元が、意地悪く緩む。
「……なるほどな、なんとなくわかったぞ、ジェイ・スペクター」
彼はゆっくりと、こちらに歩み寄ってくる。もはや、脅威など無くなったとでも言いたげに。
「先程からお前が命を繋いでいる手品の種――それは、戦闘前に展開した、その火の玉にあるのだな」
有翼人の爪が光る指先で、彼は僕の周りに浮遊する魂の一つを指した。
当然、僕は答えない――しかし、ほとんど図星であることは間違いなかった。
死霊術『臨死の眼光』。
元々は、ウィル・オ・ウィスプと同じような、下級の死霊術だ。
効果もそこまで派手なものではない。ただ、空気中を浮遊する霊と簡易契約を結び、その視界を貸してもらう、というもの。
本来であれば、人間が入ることができない狭い場所や、危険地帯の様子を伺うために使用する術だ。
僕はそれを、少しばかり特殊な使い方をすることにしたのだ。
複数の視界で、【愛奴】を観察する事で、彼の一挙手一投足を見逃さず、無数の目によってどうにか、彼の動きを予測する。
それで、ギリギリ、あの超速度の攻撃を見切れてたってわけだ。
「しかしそれも、そもそも見ることができぬほどの速度であれば、話は別、というところか」
爪に絡みついた僕の血を振るい落としながら、【愛奴】は笑う。
認めたくはないが、その通りだ。ただでさえ素早い奴の速度が、さらに上がるというのは想定外だった。
もっと目を増やせば、あるいは対抗しうるかもしれないが――。
「――それ以上目は増やせない、そうだろう?」
恐らく、動揺が顔に出てしまっていたと思う。
彼の言うことが、的を射ていたからだ。
この【大陵墓】の魂は、【病の街】と同じように、恐らく全てリトラが掌握してしまっている。
となれば、僕が展開した魂たちはどこから来たのか――考えるまでもない。【夕暮れの街】にいる間に、浮遊霊を捕まえたわけだ。
その契約を、ここにきて履行した。故にもう、新たな魂を捕まえて契約し直すことはできない。
「……それが、どうかしたのかよ。まだ、本気を出してないだけかもしれないぜ」
僕は精一杯に強がる。まだだ、まだもう少しだけ、食い下がる必要がある。
これではまだ――足りないのだから。
再び、エリゴールが身を屈めた。最速の疾駆、『愛奴雷躯』。正しく、その躯を稲妻のように迸らせる、凄まじい一撃だ。
「させるかよ、魔弾! 大剣!」
僕は溜めを作っている彼に向かって、二体のリッチをけしかけた。あの技は強烈だが、力を溜める時間が必要なのだろう。
なら、その隙は確実に突かせてもらう――と、そんな単純な思考は、当然のように読まれていて。
「――浅はかだな、ジェイ・スペクター」
再び、稲光が奔る。
まるで馬車に跳ね飛ばされたかのように、吹き飛ばされる魔弾と大剣使い。そして、それは僕も例外ではない。
今までの人生で食らったことがないような衝撃。そのまま壁に打ち付けられて、意外にも痛みは遅れてやってきた。
けれど、いつまでも転がってはいられない。僕自身の眼球は、最早どこを向いているのかも定まらないような状況だったが、従えている霊覚の目は、確かに相手の姿を捉えている。
そう、悠然とこちらに歩み寄ってくる、戦闘屋の姿を――。
「この技に隙があることなど、俺は理解している。理解しているに決まっている。自分が新しく気が付いたことは、他人にとっても斬新な視点――そう思い込むのは傲慢だと、少なくとも俺は、そう思うね」
「……っ、ああ、そうかよ……っ!」