第三十話「大陵墓」-4
「……【愛奴】、ここはお前に任せたよ」
リトラは、そうとだけ声をかけると、そのまま背を向けた。彼の足が向かうは、地下墓地の入り口。
その先に何があるのかは、今の僕にはわからない……けれど。
「もう、殺しても構わない。この陵墓からは逃げられんだろうからな、対話も拒否して、魂に聞いてしまったほうが早そうだ」
言葉からは、温度が抜け落ちていた。
話がしたいだとか、もう、そんな風に繕うのは止めたのだろう。それは僕にとっても好都合だった。これ以上、時間を稼ぐことに意味は無かったからだ。
先程の強襲で、【愛奴】を引き摺り出せた――それだけで、もう十分だ。
「なあ、なあ、なあ。ジェイ・スペクターよ。それにしても、流石に無謀じゃないかね?」
リトラを見送ってから、出し抜けに【愛奴】が語りかけてくる。
「お前は知っているだろう。お前は見ていただろう。なら、お前はわかっているだろう。お前の護衛をしていた、【赤翼】でさえ、俺には敵わなかった。お前のような非戦闘員が、一人で戦うのは無茶だと、少なくとも俺は、そう思うね」
それは、誰が見ても明らかな事実だった。
戦闘、その一点においては、負傷していたとはいえ、リタを凌駕してみせたこいつに、僕では一分の勝機すらもないだろう。
下手をすれば、いや、オッズ通りに進行しても、勝負は一手目で決まる。それが、厳然たる現実というやつだ。
しかし、それでも。
「だからって、大人しくお前にやられろっていうのかよ?」
僕はわざとらしく、肩を竦めつつ。「そんなのはごめんだね、僕を生かしてくれた親父にも、示しがつかない」
「親父に示し、か。ふん、ジェイ・スペクターよ。お前は、そんなつまらない理由のために、俺と立ち会おうというのか?」
僕はそこで、思わず口角を上げてしまった。
僕の戦う理由が、つまらない。それだけは、絶対にこいつが口にしてはならない言葉だったからだ。
「何言ってるんだよ、愛愛うるさい変態ヤローがさ。そういう意味では、僕は、僕を生かしてくれた親父の家族愛に報いるために、お前と戦おうってんだぜ?」
それは、こいつの土俵であるはずだ。
愛なき刃で、【愛奴】が倒せぬというのなら。今の僕には、振るう刃に愛を乗せる用意がある。
その言葉に、少しの間だけ、彼は目を丸くしていた。意外な返しに驚いたのか、それとも、突拍子もないことを言った僕に呆れたのか。
どうあれ、その答えは、薄暗い建物を満たす呵々大笑によって行われた。
「……くく、くくくくっ。はーっはっはっはっはっは! ジェイ、ジェイ、ジェイ・スペクター!」
ギラリと、彼の瞳が鋭くなる。顎を引き、帽子の鍔越しにこちらを睨むその視線は、間違いなく、獲物を狙うものであった。
「お前もここにきて、愛の輩になったというわけか。いいな、いいぞ、良すぎる! 牙なき草食獣が挑んでくる理由は、自棄でも復讐でもなく、生存のためであるべきだからな!」
「牙なき……? おいおい、お前、もう一つ間違えてるぜ」
僕はそこで、構えた霊符を、まるで紙吹雪のように頭上から落とす。ハラハラと舞う紙切れたちは、やがて、青白い炎に変わっていく。
「契約履行、死霊術『臨死の眼光』」
小さく呟けば、炎たちは幾つもの球形を成し、僕の周囲を漂った。
魂の輝きを、そのままに宿した炎球を目にして、【愛奴】の顔が僅かに強張る。
それを見逃さず、僕は、追い打ちとばかりに、言ってやることにした。
「僕が何の算段もなく、ここに来たと思うか? お前はもう少し、自分の心配をした方がいいと、少なくとも僕は、そう思うね」
合わせるように、二体のリッチが僕に侍る。彼らと、浮かべたこの無数の人魂。これが、今の僕が用意できる全てだ。
そして、か細い勝機の糸を辿るために、必要なものでもある。
「ふむ、ふむ、ふむと。つまりだ、お前は、この俺の前に戦士として立ちはだかるわけだな? 蹂躙される弱者ではなく、戦う相手だと」
「何度も言わせるなよ、やる気なら、とっととかかってこいよ、【愛奴】」
「ああ、そうだな。お前が戦士であるというのなら、俺も戦士として答えるべきだ」
ぐっ、と。黒い影が身を屈める。
最短、最速、そして、最大限の力を発揮するための、まるで獣のような前傾姿勢。
それは、僕に対する敬意なのだと一目でわかった。命を懸けて戦う相手に対する、こいつなりの敬意。
ならば、こちらもそれに報いなければなるまい。
「……戦闘屋、【愛奴】のエリゴール。さあ、行くぞ!」
「スペクター家当主、ジェイ・スペクター! どこからでも来い!」
そうして、戦いの火蓋は切って落とされる。
あまりにも無謀で、あまりにもかけ離れたこの戦いの始まりに――不思議と、僕の心は穏やかなのであった。