第三十話「大陵墓」-3
死した魂と向き合うことで、浮かばれぬ者が浮かばれるように、人が息絶えたその先を不安に思わぬように、そのためにこそ、死霊術はあるのだと、そう、説いていた。
説いていた、はずだ。
「……いつからだ?」
問いかけながら、内臓が沸騰していくような感覚。手にした杖に、自然と力が籠もる。
「いつから、お前はそんな風になったんだよ。だって、ずっと昔は――」
僕は、始めて彼がスペクター家の門を叩いた時のことを思い出す。
柔和な笑みも、穏やかな視線も、もはや今の彼には残っていない。兄弟子として、研鑽を積んでいたリトラ・カンバールは、もう、どこにもいなくなってしまっている。
「――最初からだよ、坊っちゃん」
そんな僕の懐旧を、冷たい声が引き裂いた。
「私は最初から、君のお父様が目指すような、崇高な死霊術になど興味すらなかった」
彼が求めたのは、ただひたすらに、死者をこの世に蘇らせる方法。
例えそれが、擬似的なものであったとしても、どんな犠牲を払ったとしても、彼は一顧だにせず、その方法を選び取るのだろう――。
「――愛する者のために、ってやつかよ」
ここだ、と僕は勝負をかけることにした。
懐から、一冊の本を取り出す。それは、【病の街】で、僕が受け取った餞別だった。
リトラは一瞬だけ不思議そうに眉を寄せる。理解に数瞬。しかし、すぐに思い至ったのか、その表情は苦渋に歪む。
「……まさか。君は、それをどこで手に入れたんだ?」
「手に入れたもなにも、あの街の医者から譲ってもらえたんだよ。お前の抱える、病についてのこともな」
反応を伺う。僕の狙いは、これを利用して動揺を誘うことだった。
リトラの目的は、恐らく妻の復活だ。そこを突いて、僅かでも隙が生まれるのなら、それが突破口になり得ると考えたからだ。
カルテを突き付けるようにして、正面に向けながら、僕はひっそりと、杖を握り直す。
「蘇らせたい、そうだろ? お前は自分の奥さんをさ。そのために、こんな酷いことをしてきたんだ」
「……坊っちゃ――」
これまで余裕を崩さなかった、リトラの滑らかな鉄面皮に、僅かに感情の綻びが混じる。
僕が欲しかったのは、その一瞬だ。見逃さず、彼に向けて杖を伸ばす。
「――そこだ、『魔弾』ッ!」
同時、空気を裂く、音を裂く、そして、視線や光すらも裂く、最速の弾頭が飛来する。
それは、この埋葬棟の扉の外から。放ったのは、先んじて忍ばせておいた『魔弾使い』。
馬車を降りたその瞬間から、この展開は予測できていた。僕の持ち得る最強、最速の攻撃手段。
けれど、それだけで仕留められるほど甘い相手だとは思っていない。扉の向こうに伸ばしていた意識の糸を、一時的に切る。
それと同時に、次の指先へと、力を込めていく。
死角から飛び出すのは、『大剣使い』。肉厚の刃は、奴の五体を、頭蓋ごと引き裂くのに十分な威力を持つだろう。
『骸使い』エミリーから奪った、最強のリッチたちによる連続平行攻撃。これが、今の僕に出来る全力だ――。
「……なるほど、殺意の刃は磨いてきたようだな、ジェイ・スペクター」
――だからこそ。
それが通じない可能性についても、考えていた。
着弾の砂煙が晴れる。そこには倒れているリトラの姿――は、勿論なく。平然と佇む彼の傍らに、もう一人の男が立つばかりだった。
全身黒ずくめの装い。忘れもしない、艶のある革製のテンガロンハット。
「だが、俺には届かない。相変わらずの、愛なき力であるのならばな――!」
――【愛奴】、エリゴール。
僕の行く先を阻む最大の障壁は、至極当然のように、そこに立ち塞がっていた。
「……どけよ、【愛奴】。そいつは自分のエゴのために、何万の命を奪おうとする、大罪人だぜ」
「ふむ、ふむ、ふむと。ジェイ・スペクター、お前には、この男の罪を裁く資格があるというのか?」
「あるとか、ないとかじゃない。そいつを止めなきゃ、僕たち死霊術師は――」
「――間違った方向に進む、か。まあ、こいつの信念もまた、そう捨てたものではないと、少なくとも、俺はそう思うがね」
それに――と、そこで【愛奴】は爪を構える。
リタの柔肌を、ダグラスの命を切り裂いた、恐ろしい爪。それを誇示するでもなく、勿論、脅しでもなく。彼はただ、振るうために翳す。
「知っているだろう? 彼の抱える命題は、俺の信念からも、そう外れるものではない」
「……愛、ってやつか」
僕はそう呟き、懐から霊符を取り出す。
愛。
目の前に立つこいつは、それに取り憑かれた怪人。
愛を以て、愛の為に、愛を込めて殺す殺戮機械。
故に――【愛奴】。僕とはそもそも、思考の仕組みが違う、異物であり化物。