第三十話「大陵墓」-1
【大陵墓】には、予定通り四半刻程度で到着することができた。
御者を務めていたマキナの腕がよかったから――というのもあるだろうが、雑然とした【夕暮れの街】を颯爽と駆けていく様は、ほんの少しだけ、鉛のように重みを増した僕の心を落ち着けてくれた。
けれど、一方でそれは、ついに僕に覚悟を決めるための猶予が尽きてしまったということも指している。
「馬車で行けるのは、この辺りまでですね」
マキナが車内の僕に向けて、そう、声をかけてくる。
「ああ、大丈夫。ここまで来られれば、後はもう、すぐだからさ」
僕はそう、返事をしながら馬車を降りた。地面に足を付けると同時に、泥濘が微かに靴底を滑らせる。
【大陵墓】。
先述の通り、この大陸でも最大規模の墓地であるここは、【凪の村】くらいなら一つ丸々入ってしまうほどの、広大な敷地面積を誇っている。
ボウルを伏せたような半球系で、石造りの埋葬棟と、その周囲を覆う周辺墓地。さらにその外周を丈夫な柵が覆っている。
大戦期の英雄や貴族、著名な魔術師等は埋葬棟、そうでない者は周辺墓地にそれぞれ葬られており、いつ訪れても、展墓する人々の姿を見ることができたはずだ。
しかし、今となっては、全く人の気配がしない。
どころか、霊視をしてみても、浮遊霊の一つすら見当たらない。【病の街】に始めて降り立った時のことを思い出した。
僕は、懐から杖を引き抜くと、いつでも扱えるように軽く握り直した。この場所でも、霊魂がリトラの支配下にあるようであり、霊符は使い所が限られそうだ。
頼みの綱は、二人の使用人が残した杖。ひとまずは、これで凌ぐ必要がありそうだ、なんてことを考えつつ。
「ジェイ様」馬上から、マキナが見下ろしていた。
「私は、ここで帰りを待つことにする。この馬車には、隠匿の結界が――」
「いや、可能な限りすぐに離れてくれ」
僕はそう言いつつ、周囲の様子を窺う。
辺りには、怪しい気配は感じられない。少なくとも、僕の知覚できる範囲では。
しかしそれは、イコールで安全を保証してくれるものではないということを、理解していた。
「もしかすると、僕への人質にするため、連中が襲ってくるかもしれない。安全な所まで、逃げていてくれないか」
「……ジェイ様、お言葉ですが、私には結界術式が――」
「それはわかってるし、信頼してる。だけど、向こうには【愛奴】がいる」
【愛奴】の強さは、底が知れない。
戦いが順調に行った場合で、勝率は多めに見積もっても一割に届くかどうかだろう。
可能な限りの対策は打ったが、これ以上の不確定要素があれば、僕は間違いなく敗北する。
「……わかりました。三時間ほど間を開けて、また、迎えに参じる」
無言で頷く。三時間、決着には十分な時間だろう。
僕かリトラか、どちらかが死ぬには、十分すぎる時間だろう。
嘶きを一つ挟んで、遠ざかっていく蹄の音を見送った僕は、いよいよ、陵墓の入り口にある門に歩み寄っていった。
錠は下ろされていない。扉を軽く押せば、まるで迎え入れられるようにして、敷地の中へ侵入することができそうだった。
ふと、門柱の脇に佇む、警備用の小屋に目をやった。年季を感じさせる木造の壁は、これまた大戦期以前に建てられたものだ。
しかし、そこにも人の気配は感じられなかった。覗き込んでみても、案の定もぬけの殻だ。
普段であれば、ここには衛兵――それも、死霊術の心得がある者が詰めているはずだ。幾度か、スペクター家に研修に来ているのを見たことがある。
消されたか、寝返ったか。どちらにせよ、予想はしていたものの、頼みにはできないようだ。
「……」
気にはなるが、確認している余裕はない。ここはひとまず、先を急ぐことにした。
門を潜れば、その先には背の低い墓石が立ち並んでいた。
手入れの行き届いた庭園を思わせるが、それだけではない、どこか枯死したような気配を感じさせる、墓地独特の雰囲気。
周辺墓地には、人影のようなものは見えなかった。仮に何者かが潜んでいたとしても、見通しの良いこの場所で、隠れ切ることはできないだろう。
となれば、連中が待っているのは、中央にある埋葬棟――自然、推測するまでもなくそうなるだろう。
表皮を刺す、嫌な空気を感じながら、僕はさらに歩を進める。親父の付き添いで来たときは、あの建物に足を踏み入れたことがなかった。
だから、内部がどうなっているのかは伝聞でしか知らない。一方で、親父とリトラは実際に術を行使するために、何度か中に入っている。
やはりと言うべきか、地の利は向こうにあるようだった。
けれど、それもわかりきったこと。僕派無感動に、雑草が頭を覗かせる石畳を踏みつけていけば、すぐに無骨な入り口が顔を出した。
スペクターの邸宅よりも二周りは大きい入り口の扉は、こちらも錠が下ろされていないようだった。
「……誘われてる、まあ、そりゃそうか」
ここまでくれば、どうあれもう、先に進むほかない。毒を食らわば、という奴だ。
不意打ちの可能性も頭の端に残しつつ、杖を構えながら、僕は扉を押し開く。