第二十八話「突破口」-6
そこまで考えたところで、思わず自嘲的な笑いがこみ上げてきた。あれだけ依頼人と万能屋の関係だと繰り返してきたのに、結局のところ、情が湧いてしまっていたのだ。
「……そうですね、確かに、そこまでボロボロになったリタ様は、私も見たことがない」
「そうだろ? だから……」
「失礼ですが」またしても、彼女は遮るように。
「ジェイ様には、かけがえのないものはありますか?」
かけがえのないもの?
突然の突飛な質問に、僕は窮した。急に言われても、そんなことは思い付かない。
あるいは、僕の大切なものは全て、家族と共に焼け落ちてしまったとも言えるのかもしれない。今の僕が抱えているのは、一握の灰でしかないのだとも。
そこで、マキナは一口、紅茶を口に含んだ。ここから先を話すために、喉を湿らせる必要があるとでも言うように。
「『代わりのない物なんてない。この世は代替品と上位互換に溢れてる』。これもまた、受け売りの言葉です」
「……悲しい言葉だな。でも、真理めいてる。一体、誰の言葉なんだ?」
「リタ様のお師匠様。もう、オレリア様から聞いているでしょう?」
リタの師匠。
つまり、初代【赤翼】。押しも押されぬ、文句無しの英雄が放った言葉にしては、いやに弱気な響きにも思えた。
「とはいえ、皮肉なもんだ。上位互換なんていない、代わりの効かない英雄が言ったんじゃ、折角の名台詞も何だか、鼻につくよな」
「そうですか? 上位互換はともかくとしても、代わりはしっかり見つかっていると思うけど」
「……そうか、そうだったな」
二代目【赤翼】。
リタ・ランプシェード。
伝説を継ぐものにして、現代最高の万能屋であることは間違いない。彼女の実力を疑うものは誰一人いないだろう。
【赤翼】の代替わりが、恐らく十年以上明るみに出ていないのが、何よりの証左だ。
「リタ様にとって、かけがえのないものと言えば、その名前。【赤翼】は完璧で、【赤翼】は無欠で、そして何よりも、【赤翼】は最強じゃなくちゃならないんです」
「……だから、一度負けた【愛奴】を倒すために、必ず立ち上がってくる、と言いたいのか?」
「そうではありません。むしろ、リタ様がその名を懸けているのは、あなたの護衛に対して。だから、あなたの道行きがどうなるのか、最後まで見届けてくれるはず」
機械仕掛けのように。
淡白な口調でありながら、それが見た目ほどに冷めていないことは、鈍感な僕でもわかった。
それは、忖度や気遣いとは違うもの。彼女の、リタのこれまでの行いが、周囲の人々に、その名の重さに火をつけたのだ。
僕はそれを、羨ましいとすら思った。
僕も、偉大なる父から名を継いでいる。最強の死霊術師集団、スペクター家。しかし、僕はそれに見合うような活躍は、何一つとしてできていない。
「……リタが、己の名前に懸けてでも、戦いに駆けつけてくれるっていうのなら。僕は、一体どうすればいいんだろうな」
テーブルに思い切り突っ伏せる。木製の天面は、頬をつければ木の温かみが、ゆっくりと全身に染み入ってくるようだった。
どうすれば、そんな彼女に報いることができるのか。
ふと、第一医療棟での出来事を思い出した。ダグラスと再会する前、僕に向かって伸ばされていた指先。
そして、出陣の前に口にしていた、話したいこととやら。
結局、彼女の思いの正体は掴めない。今も、何一つとしてわからないままで、僕はここまで来てしまっている。
「どうするも何も」それでも、マキナは平然と。
「従うしかないんじゃないですか。自分の、かけがえのないものに。誰だって、そうして生きている」
代わりのないもの。
代替不能で、上位互換の存在しないもの。
僕に、そんなものがあるだろうか。
誰にだってあるべきものだというのなら、それは僕が欠けた人間であることの証拠であるような気がした。
オレリア、ラティーンとマキナ、エイヴァやシーナ。もしかすると、リトラや【愛奴】ですら、持っているものを、僕は、取り落としているのかもしれない――。
「――待てよ、もしかして、それって」
かけがえのないものが、誰にでもあるとするのなら。
僕の頭に、閃きのようなものが走った。それは、ほんの僅かなアイデア、今まで継ぎ目の見つからなかった扉を開くための、言われなければわからない程度の取っ掛かりかもしれない。
それでも、今の僕には得難いものだ。この袋小路を出るために必要なピースの一つである――そんな気がした。
僕は勢いよく紅茶を飲み干して、席を立つ。残されたマキナが、僕の背中を無感動に見つめている。
「……ジェイ様、座って」
「いいや、座らないね。ようやく、光明が見えたんだ。これを手繰っていけば、もしかすると――」
「まだ、ケーキが残ってますから。だから、座って」
そういうことかよ、と悪態を吐いたのは許してほしい。
それでも、僕がやるべきことは決まった。できるかどうかはさておいて、やらなければならないことは、ひとまず。
後は、事態がどこまで、予想通りに運んでくれるか。こればかりはどこまでいっても、運否天賦だ。
ひとまず今は、一口の小さい彼女が、拳二つほどの大きさのケーキを平らげるのを、待つことしかできなかった。