第二十八話「突破口」-2
まったく、返すも返すも、僕は間違えてばかりで、リタの方が正しいことばかりだ。
自嘲を込めた態度に気付かれたのか、オレリアは静かに、最後のグラスに水を注ぐ。
「でも、それそのものが問題だね――みっつめ、どうやってリトラとやらに打ち勝つのか」
三つ、水の満たされたグラスが並ぶ。
その内のどれも、未だに飲み干す糸口が見えない。口をつけることすら、満足にできていないような状況だ。
前途は多難、いや、今更それで臆しているわけにもいかないだろう。とにかく、残された時間は僅か、少しでも、手を尽くさなくては。
そのためならば、と僕は、あの【病の街】で手に入れた、二本の杖に視線を落とす。
一本は、【骸使い】から奪った、リッチを操る術式が刻まれた杖。こちらは今の僕の主戦力だが、リッチたちでは【愛奴】に勝つことはできなかった。
むしろ、本命はもう一本。こちらには刻まれているはずなのだ。あの忠臣が使った、捨て身の生霊術式が――。
――そんな風に考えた、その時だった。
不意に、ジリリリと音が鳴り響く。【イットウ】に置かれた魔信機が鳴動したのだ。
水差しを置いたオレリアが、ゆったりとした足取りで受話器を手に取る。
「はい、こちら食事処【イットウ】。悪いけど、出前なら――」
と、そこまで話したところで、目を丸くした彼女は、並んだグラスの前に掛ける僕に視線を向けた。
「……ジェイ、あんた宛てだよ」
どくん、と心臓が高鳴る。
まさか、リトラの手のものか。接触してくるには早すぎると思うが、そもそもが向こうから決めた刻限だ、破るも守るも、自由なのだろう。
手の震えを隠すこともできずに、僕は受話器を受け取る。耳に当てた硬質な感覚の向こう、恐る恐るで、響いてくる声に耳を澄ます――。
「――ジェイ様、ごきげんよう」
聞こえてきたのは、予想とは反して、穏やかソプラノ。少女特有の甲高さに、感情を押し殺した無機質さが同居している。
僕はその声に、聞き覚えがあった。
「……もしかして、マキナか!?」
マキナ。
【壁の街】にて出会った、原初の竜騎士の付き人。
そして、あの時の僕とリタの行先を指し示した、そんな人物の一人でもある。
「そう、流石に一昨日じゃ、久しぶりとは言えないですね」
「驚いたな、どうしたんだよ急に……というか、ラティーンは大丈夫だったのか?」
まず確認したかったのは、そこだった。シーナが薬を届けてくれる、という手はずにはなっていたが助かったかどうかは確かめられていなかったからだ。
「大丈夫。今は薬も効いて、よく眠っている」
「そうか、そりゃあよかった。僕らも体を張った甲斐があったぜ」
あんな形で死なれてしまっては、流石に寝覚めが悪すぎる。
特に、彼が倒れることになったのは、僕のせいとも言えるのだ。僕がリトラの奴につけられていなければ、あんなことにはならなかった。
安堵の息を吐いて、二、三の世間話でも挟もうかとしたところで、ふと、あることに気が付いた。
「……なあ、マキナ。なんか、周りが騒がしくないか?」
受話器の向こうから、ガタガタという振動音が聞こえてきている気がする。
ラティーンの入院している病院は静かなものだった。急患が運ばれてきた、というわけでも無さそうだが。
「私のことは気にしないでください、それよりも、聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「うん、ラティーン様を刺した、刺客のこと。ジェイ様も、戦ったと聞きました」
「……まあ、戦ったっちゃ、戦った……のか?」
戦ったというよりも、あしらわれたという表現の方が正しい気もする。
僕と【愛奴】では、そもそも戦いが成立しないくらいの実力差がある。だからあれは、恐らく相手にとっては、遊び程度にもならない。だからあれは、単なる危ういニアミス程度、という認識でもあるのだが。
「そのことで、ジェイ様にお話があります」
そのこと? 僕は首を傾げた。
まさか彼女は、あの恐ろしい戦闘屋について、何か知っているというのだろうか?
いや、この場合はマキナよりも、ラティーンの方が情報を持っていた可能性の方が高いか。どうあれ、現状を打破できる足がかりになるのなら、願ってもいない好機だ。
「本当か!? 是非とも聞かせてくれよ。実は僕も、手詰まりで困っててさ……」
そう話して、僕は懐からペンを取り出した。
どんな内容であれ、今は聞き漏らすわけにいかない。どこから突破口が見つかるかわからないのだから、どんな些事をも聞き逃すまいと、僕は両耳に集中した。
しかし。
「じゃあ、あと二時間ほどになると思う。急で申し訳ないけれど、よろしくお願いします」
蛋白に言って、そのまま通信を切ろうとするマキナを、僕は慌てて引き止める。
「ちょ、ちょっと待て! なんで二時間後なんだ? 今じゃ駄目なのか……?」
「駄目、こっちにも準備というものがありますので」
「準備……? 話をするだけだろ、なら、このままでも――」
そんな僕の言葉を遮るように、無感動に、彼女は言う。
「――到着までには、まだ、あと二駅は先だから」
二駅?
まさか、と僕の動揺すらも見透かしたように、彼女は。
「それじゃあ、二時間後に駅で。遅れないで来てくれると嬉しいです」
そうとだけ残して、通信を切ったのだった。