第二十五話「死、愛、紅蓮の炎」-2
リタと正面から戦っても、勝ち目が薄いというのは向こうもわかっていたのだ。
だから、連戦に継ぐ連戦で、その力を削いだ。恐らくは列車の襲撃事件、あるいはもっと前から、リタを疲弊させることにしたのだろう。
僕が頼ることができる戦力を、確実に潰えさせるために――。
「……ダグラス、しばらくお前は、ここでじっとしていろよ」
シャツの端を千切り、簡易的な包帯を作る。それで、彼の額の傷を押さえる。
ひとまず、止血だ。血さえ止まれば、ある程度の猶予時間が生まれるだろう。
「僕はリタと共に襲撃者を仕留めて、戻ってくる。それまで、死ぬんじゃないぞ」
まだ、彼には聞かなければならないことが山程ある。
いや、死んだところで魂に聞けばいいだけなのだろうが、ある種の定型句として、そう口にしただけだ。特段、深い意味はない。深い意味なんて。
彼が静かに頷いたのを確認してから、僕は先に進む。布陣はここまでと変わらない、大剣使いを前に、そして、魔弾の射手を後ろに。
過去の反省もあり、二体と一人で一列になりながら――僕は、前に進む。
気が付けば、衝突音はもう、しなくなっていた。ダグラスの血を止めていた、ほんの数分間の間に、だ。
となれば、この先では何らかの形で、既に決着しているのだろう。
僕は疑わない、疑いたくなどない。きっとリタが勝っていて、僕の心配は全て杞憂に終わるのだ。
そう信じていた――信じたかった。
「――おい、おい、おい。信じるというのは、良いことだがね。けれど、それ故に、簡単なことではない」
そして、僕はその場所へ至る。
早朝だというのに、窓の少ないこの建物は、やけに薄暗い。恐らくは、戦闘の余波で灯りが割れてしまったのが理由だろう。
「互いの間に強い繋がりが無いのであれば、そもそも信頼など生まれない。少なくとも、俺はそう思うね」
近付くにつれ、朧気だった輪郭が鮮明になっていく。
誰かが倒れていて。
誰かが、それを見下ろしている。
「利害も物理的な接続もなく、ただ、互いを想うことができる。もし、そんなことができる間柄だとするのなら」
そして、僕はそれを、目にしてしまう――。
「――俺はそれを、愛と呼ぶがどうだね? ジェイ・スペクター」
――倒れたリタの頭を踏みつける、細身の男の姿を、だ。
「何やってるんだ、お前っ!」
瞬間、脳髄が沸騰するような感覚があった。
思考も何もかもすっ飛ばして、僕は杖を振り上げる。それに呼応するようにスリングショットを構えたリッチが、魔弾の魔法陣を展開した。
それを目にしながら、微塵も動揺を見せない細身の男――間違いない、ラティーンを刺した、あの戦闘屋だった。
あの時は暗く、よく見えなかったその姿も、室内、それもこの近距離であれば、はっきりと視認できる。
まず目に入ったのは、頭に乗せた革張りのテンガロンハットだった。それに加え、ジャケットとパンツもレザー製であり、姿を明瞭に確認できる現在ですらも、黒ずくめという印象を受けた。
目元は鋭い一重で、青白く面長の顔に裂けるようにして走った薄い唇は、不気味に引き結ばれている。
歳の頃は三十代前半くらいだろうか。つい最近消えなくなったであろう、眉間の皺が目立っていた。
そんな彼は、僕を侮るようにして肩を竦める。まるで、敵だとすら思っていないかのように。
「おい、おい、おい。待てよ、ジェイ・スペクター。落ち着けよ、ジェイ・スペクター。お前んちでは、話より先に相手の頬を張れと、そう教えていたのか?」
「うるさい、黙れ。まずはその汚い足を、リタから退けろ!」
「汚い? 馬鹿を言うな、俺が一日何時間かけて靴を磨いていると思っている。革製品ってのは、手入れが全てだ。大人の嗜みなんだぜ、ジェイ・スペクターよぅ」
「人のフルネームをっ」僕は、杖に力を込める。
「連呼するんじゃねえよ! 真っ黒スス野郎が!」
怒りに任せ、僕は相手の頭部めがけて魔弾を放つ。
殺してしまうかもとか、避けられるかもしれないとか、そんなことは何も考えていない、後先考えずの一撃だ。
――しかし。
「待て、待て、待てよ。ジェイ・スペクター、俺たちにはまだ、話し合う余地があると思うがどうだね?」
おもむろに、男は額の前に拳を翳した。固く握り込み、丁度、拳闘で頭部を守るような調子で。
そして、着弾した魔弾は――彼の手の甲に弾かれるようにして、天井に突き刺さる。
「――なっ!?」
あり得ない。混凝土製の壁だって抉る弾丸だ。それを、人体の強度で弾き飛ばすなんて、そんなことはできるはずがない。
しかし、男はこともなげに、それこそ欠伸でも挟みそうな様子で、さらに続ける。
「そも、そも、そもだ。俺たちはまだ、自己紹介すらもしてないだろう。相互理解から愛は始まる、少なくとも、俺はそう思うね」
軽い調子で話しながらも、リタから足を離すことはない。つまり、明確な敵対の意思を携えたまま、彼は恭しく、正しく慇懃無礼とでも言えそうな様子で、頭を下げるのだった。
「俺は戦闘屋、【愛奴】のエリゴールだ。以後お見知り置きを、短い付き合いになりそうだがな」
まるで、他愛もない雑談であるかのように。
愛想もなく、そう、言い放ったのだった。
「【愛奴】のエリゴール……? なんだよそりゃ、知らないな。お前のことなんてよ!」
「そうか、なら、知らなくていい。むしろ、ゼロベースからお互いを知るほうが、愛ってのは育みやすいものだ」
エリゴールは表情を変えず、そう、口にする。初めて目視したときから、何も変わらない。魔弾を防ぐために腕を上げたこと以外は、何も。
「愛……? 何、気色悪いこと言ってるんだよ、お前。僕とお前は敵なんだから、愛なんてあるわけないだろうが!」
「おい、おい、おい。でかい声を出すなよ、天下のスペクター家の生き残りが、聞いて呆れるぜ」
彼は心底残念そうに溜め息を吐いた。
その間に、僕は彼の様子を伺う。両手には武器になりそうなものは持っていない。ラティーンを貫いたあの刃も、少なくともすぐに抜ける位置には無さそうだった。