第3話 デパートと物産展
デパートでよく行われている、日本各地の物産展。
その中で、もっとも人気のあるのが「北海道物産展」だそうだ。
今回、デパートめぐりに強制参加させられたように見えたシュウだが、彼はもともとデパートなどを見て回ることは、それほど苦痛ではない。
散歩の道草しかり、シュウはまわりが思うほど融通がきかないわけではない。
とは言え、さすがに婦人服には大して興味はなく、どちらかと言えばキッチンやリビングの細々した物、あとは少し意外だが、宝飾や時計などにも興味がある。とはいえ、女性のいわゆる光り物に対する憧れではなく、計算され完成された美しさが、料理にも通じるように思えるからだ。
×市にあるデパートは昔からの老舗で、幾度かリフォームは繰り返されているものの、往年の面影を色濃く残したきらびやかな世界観は残されている。
ただ、昔と違うのは、以前はどこのデパートもそうだったように、最上階に大食堂があり、ハレの日に着飾って少し贅沢な食事をしていたものだが、今はそこに各国の料理店が軒を並べ、それだけでなく他の階にもそれぞれ趣向を凝らしたカフェが入っている。買い物に疲れたときは、わざわざ最上階まで足を運ぶことなく休憩が出来るようになっている。客にとってはありがたい限りだろう。
プレゼント選びで訪れた時も、婦人服売り場で帰ってこない由利香にあきれた夏樹が、
「この階、和のスイーツカフェが入ってますよ。由利香さんなかなか来そうにないから、入って待ってましょうよ」
などという始末。
本当のところ、本人は和のスイーツなる物を研究したかったのだろうが、椿に却下されてしぶしぶあきらめると言う場面もあった。ただし、後日却下を悪いと思ったのだろう椿に誘われて、念願は叶ったようだったが。
そして同じ日、全国を持ち回りで回っている「北海道物産展」が、なんとこのデパートで催されていた。由利香がそれを見逃すはずがない。
父の日のプレゼントを無事に選び終わったところで、宣言が入る。
「ねえ、今日はね、北海道物産展が開催されてるのよ。もちろん行くわよね?」
「へえ、北海道っすか。ずっと前に美味いものめぐりで行きましたよね。なっつかしい~」
そうなのだ、冬里と夏樹は日本全国美味いものめぐりと称して、あちこちの名産を探す旅に出ている。
「日帰りだったよねえ」
しかも、その時は日帰りで!
懐かしそうに言う冬里のセリフを聞いた椿がかなり驚いている。
「ええ? そうでしたっけ? でも、北海道日帰りって……」
「なんだよ」
「贅沢というか、もったいないというか」
「まあ、この2人だからいいんじゃない?」
「どこがいいんすか」
由利香の言い草に、夏樹はちょっとむすっとしている。
「だって、あんたたちなんて北海道ごとき、何度も行ったことあるんでしょ」
「え? いいえ、俺はあのときが初めてでしたよ」
「あら、そうなの?」
「はい。冬里は札幌にやたらと詳しかったんで何度か来たんだなあって思いましたけど」
「わあ、さすが冬里ねえ」
由利香が振ると、冬里はいつものごとく、首をかしげたりなんかしている。
「さあ~、行ったことなんてあったかなあ」
「ふん! もう良いわよ。……でも鞍馬くんも何度か行ったことあるんでしょ、北海道」
埓があかないと思った由利香は、攻撃の矛先をシュウに向けた。
だが。
「いいえ、私は一度も行ったことはありませんよ」
「「ええ?!」」
この回答には、由利香だけでなくなんと夏樹までが驚いて声を上げている。
「シ、シュウさん! ほんとっすか! ええ? なんでえ~」
両手を頬に当てて、夏樹がムンクの叫びのように言う。
「本当だわ、鞍馬くんともあろう者が、なんで?」
「……」
「なんでって言われてもねえ、当時は北海道なんてそうそう行けるところじゃなかったよねえ、シュウ? なんせ幕末だもん、歩きの旅なら何ヶ月、北前船に乗るのだって一苦労……」
答えないシュウに変わって、冬里がすらすらと言い出すものだから、由利香が慌てて止めに入る。
「ストップ! ストーップ! わかった、了解したわ。……でも、そうか、鞍馬くんは日本はその時以来なのね」
「はい」
由利香はそれですんだが、ここに納得していないのが約1名。
「シュウさん! すんません! 俺、シュウさんが北海道行ったことがないなんて知らずに、ずいぶんはしゃいじまってた」
「いいよ、それに北海道だけでなく、日本は行ったことがないところの方が多いくらいだから」
シュウの言葉にまたハッとする夏樹。
「うわあ、そうだったんですかあ。じゃあ、じゃあ、次回から美味いものめぐりはシュウさんが参加して下さい。その間の店は俺に任せて」
「いや、それは……」
夏樹の勢いに負けてしまいそうになるシュウに、助け船が入る。
「俺は嫌だなあ。レトロ『はるぶすと』の日は、鞍馬さんのナポリタンとかプリンアラモードとか懐かしのフルーツパフェとか、すんごく楽しみなんだ~。鞍馬さんなしでレトロは考えられない。お前は邪魔だから、とっとと美味いものめぐりに行ってこい!」
「うわ、ひどい」
「ホントのことだもーん」
容赦ない椿の言葉に、ガックリとうなだれる夏樹だが、彼がうなだれた理由は別のところにもあったようだ。
「プリンアラモード……」
「は?」
「プリンアラモードってなんだよ、そんなメニュー聞いたことないぞ!」
ガバッと顔を上げ、胸ぐらを掴む勢いで夏樹が聞いてくる。
「はあ、何かと思えばそっちかよ」
そこでため息交じりの言葉を発した椿のあとで、シュウが困ったように言う。
「少し前にお客様からリクエストを頂いて、作ってみたんだよ。言っていなかったかな」
「聞いてません!」
さすがにシュウの胸ぐらを掴むわけには行かないので、ずいっと迫る夏樹に苦笑しながら、帰ったらすぐに教えると約束して何とかその場は収まった。
「もう、北海道物産展の話がえらいことになっちゃったわね。じゃあ気を取り直して、行くわよみんな!」
由利香の鶴の一声で、彼らは物産展を堪能すべく会場へと向かうのだった。
さて時は過ぎ、各々がいくつかの戦利品を手に、エレベーターを降りていたのだが。
「あ、そうだ。ねえ、『はるぶすと』の2階リビングで使ってるサラダボウルがものすごく使いやすいから、同じようなの見たいなって思ってたの」
ちょうど食器などが並べられた売り場が見えたとき、由利香が唐突に言い出した。
「このタイミングで? さっきあれだけ寄り道してて思い出さなかったの?」
「えっへへ、ごめーん椿。だってさっきはお洋服しか目にとまらなかったんだもん」
文句を言いながらも、椿は由利香には大層甘い。
「仕方ないなあ。……じゃあちょっと見ていきますんで、皆さんはこの階にあるカフェとかで休憩してて……、ってなんだよ夏樹」
そこまで言ったとき、椿は夏樹がやたらと嬉しそうにしているのに気づいた。
「さっすが由利香さん! あのすんなり手になじむサラダボウルっすよね。あれは実は俺が見つけてきたんです。えーと、あのメーカーあるかな……、あ、きっとこっちっすよ」
夏樹はそんな風に言いながら、2人を売り場の奥の方へ連れて行こうとする。椿は、シュウと冬里の方に振り向きざま「どこかで休憩してて下さい」と小さく言うと、慌ててあとを追っていった。
残されたシュウと冬里はブツブツ文句を……、この2人が言うわけないか。
冬里は食器には興味がなかったようで、肩をすくめたあと、ぐるりとあたりを見ていたが、ふとその視線がある所で止まる。
シュウも同じようにまわりを見回して、売り場の一角に、目を引くように美しく整えられたテーブルコーディネイトを見つけると、そろそろカトラリーの新調もした方が良いかなと考えながらそちらへ向かう。そうして一回りしてくると、冬里が興味深そうに陳列してある商品を眺めているのが目に入った。
「何か面白いものがございましたか?」
少しおどけて近づくと、冬里はさも今気が付いたように答えた。
「うん? ああ、ねえ、ようやく日本でもこういうことをするようになったんだね」
指さす先を見ると、○○大学と書かれたプレートの下に、どこかの企業とコラボレーションされた商品が並んでいる。日本全国の大学が、企業と共同研究・開発をして商品化されたものらしい。
「ああ、ずいぶん前に、無理だと言われていた魚の養殖に成功した大学があったね。そこから企業が目をつけて共同研究が盛んになったのかもしれないね」
「今は色んな分野に裾野を広げてるんだねえ」
見ると、食品、化粧品、美容のサプリメントなどその種類は豊富だ。
さすがにデパートだけあって女性をターゲットにしているものが多い。身体の中から美しく、身体の外ももちろん美しく。
物珍しさも手伝って、ぽつぽつと説明を聞いていくマダムやお嬢様も見受けられる。
ただ、さすがに冬里は冬里だ。
「さて、僕はこれ以上美しくなりようがないので、ここは見るだけでいいかな」
と冗談めかして言うので、隣で「それはよろしいことですね」と苦笑していると、鞄の中でかすかに携帯が震える。
「どうやら燃料切れを起こしたようだよ」
メールを確認したシュウが、また苦笑して画面を冬里に見せた。
「(すみません。由利香が糖分不足のため、奥のカフェでお待ちしてます)by椿」
彼らが待っているという落ち着いた雰囲気のカフェに入って行くと、「お連れ様はあちらです」と、奥まった席に案内される。
「ねえ、見て! アフタヌーンティがあるのよ。予約なしでも大丈夫だって言うから、頼んでおいてあげたわよ」
時間的に、今はやりのアフタヌーンティが頼めるようだ。
メニューを開く間もなく、由利香が宣言した。
「僕たちの意見は聞く気なしってね」
「だってよく考えたら、物産展のイートイン行きそびれたじゃない。きっと身体が甘い物を要求してるはずよ」
「はいはい」
今さら言い返しても無駄だと思ったのか、冬里は適当に返事をする。
2人の会話にまたまた苦笑する約1名。
そのシュウが、アフタヌーンティのメニューを冬里にも見えるように広げる。スイーツやセイボリーは実物が来てから評価するとして、驚いたのは、ドリンクメニューの間に紅茶の種類がいくつも書かれた別メニューが挟まっていたことだ。
「紅茶の種類がかなり多いね。ここのカフェは紅茶に力を入れているのかな」
シュウが意外そうに言うと、水とおしぼりを運んできた給仕が教えてくれる。
「もうすぐ英国展が開催されますので、ひとあし先に、フォートナム&メイソン、トワイニング、ハロッズの3大英国紅茶をお召し上がり頂けるようになっています」
「へえ」
冬里が珍しく感心したように言う。
すると、それを聞き逃すはずがない由利香。
「そうなの? ああ、しまったわあ、さっき普通のアールグレイ頼んじゃった~」
「メニューをよく見もせずに頼んだんでしょ、ご愁傷様。……じゃあ僕は、フォートナム&メイソンの……」
冬里が事もなげに言うのに、くやしそうに唇をかみしめる由利香。
すると、ふ、と微笑んだシュウが由利香に言う。
「それでしたら、私がアールグレイを頂きますので、由利香さんはお好きなものを頼んでください」
由利香の目がキラキラになったのは、言うまでもない。
「え、いいの! さすがは鞍馬くん! 冬里も見習いなさい」
ふふん、と肩をすくめる冬里の横で、夏樹が目をウルウルさせてうらやましがっている。夏樹にしては珍しく、メニューを見ずにオーダーしたのだろうか。
いや、きっと由利香に急かされてじっくり見られなかったのだろう。
しょうがないと言うように、シュウが給仕に聞いてみた。
「紅茶は何度かおかわり出来るのですか?」
「はい、3大紅茶に合わせて、3つお選び頂けます」
「だそうだよ、夏樹」
「あ、はい!」
「あら? そうだったんだ。だったら私は最初はアールグレイでいいわ。あ、アールグレイが、いいわ」
3つ選べると聞いた由利香はもとより、夏樹も「だったら俺も、二杯目から好きなのを選びます!」と嬉しそうに言った。
「まったく、ここでも過保護なんだから……」
冬里のつぶやきは、きっちりシュウの耳に届いていた。
久しぶりに飲む、フォートナム&メイソンのアフタヌーンブレンドはやはり安定の美味しさだ。とは言え、店の紅茶をケチっているわけではない。店では3人で吟味した国産の茶葉を使っているだけだ。地産地消が彼らの信条なので。
3段のケーキスタンドに乗ってやってきたアフタヌーンティーも、どれもオリジナリティにあふれている。それを目をキラキラさせながら見ていた由利香が、ふと怪訝な顔になって言う。
「素敵ねえ……。あ、でも、本来のアフタヌーンティーって、前に夏樹が作ってくれたみたいなのを言うのよね?」
「そだね、伝統的にはね。下段からサンドイッチなどのいわゆるセイボリー。中段にスコーン。上段にはケーキなどのスイーツが一般的だね」
冬里の説明に、由利香はふむふむと頷いていたが、
「でも、ここのアフタヌーンティーは凄く凝ってるわ。セイボリーもスイーツもすごーく可愛い~」
「うん、最近はやりの進化形アフタヌーンティーって感じ?」
すると2人の会話を聞いていた夏樹がすかさず割って入る。
「前回のは、俺の研究不足だったみたいっす。ああ~変則アフタヌーンティー、リベンジしたい~」
どうやら由利香と冬里のたわいない会話から、夏樹の料理心に火がついてしまったようだ。
「シチュエーションが遊び心満載の割に、挑戦者の夏樹にしてはおとなしめのアフタヌーンティースタンドだったもんね」
「うう、どうしても伝統ってのが先に来てしまって。志水さんにお出しするって言うんで、余計に格式張ってしまったんす」
頭を抱えるように言う夏樹に、由利香が楽しそうに提案する。
「じゃあ今度は、私が変則アフタヌーンティーをオーダーして差しあげるわ。前は秋から冬だったけど、今回は初夏……、あ、もうすぐ七夕じゃない。七夕にちなんだアフタヌーンティーなんて言うのも、素敵」
「ほんとっすか? でも、志水さんやあやねちゃんに食べてもらいたかった」
「もちろん、志水さんもあやねちゃんも、ついでに弦二郎さんもお誘いするわよ」
魅力的な提案に、夏樹の目がキランと光ったと同時に……。
「じゃあ、俺たちも参加させてくれよ」
「うぬ、良いことを言うではないか、ヤオヨロズ」
「あ! また良からぬ事を企んでるな、ヤオヨロズ。俺も呼べ!」
「ずるいです姉上、スサ。僕も進化形アフタヌーンティー、食べたいです」
ぶわん、
と、空間がゆがんだかと思うと、ヤオヨロズの声がして、そのあとに三神がやってきて、またそのあとに、やんややんやと神さま方が押し寄せる。
「アフーターテーとな? どんなものかの」「いや、アフーターヌオンじゃよ」「午後のテーとかいうのですかいな」「ずるいでっせ自分らだけ」
いやはや、またこれは大変な事になりそうです。
「ええ?! なによこれ、またあ? なんなのよもう!」
由利香の叫びもどこ吹く風の中、ひとり夏樹は嬉しそうにガッツポーズを繰り出し、瞳の中に炎を燃やしはじめるのだった。
シュウはいつものように微笑みつつ騒ぎを見ていたが、ふと、ケーキスタンドとは別の皿で提供されているスコーンに目をとめて思いにふけっている。
「どうかしたの? クラマ」
その様子を見ていた《つくよみ》が、少し心配そうに声をかける。
「いえ、……リベンジがあるなら、スコーンは焼かせてもらおうかなと思っただけで」
シュウの焼くスコーン。
その魅力的な申し出に、《つくよみ》は笑顔で返事を返そうとしたのだが。
なんだろう。
シュウの中にわずかながら哀愁のようなものを感じて、声をかけそびれてしまうのだった。