第2話 椿がファーザー、由利香がマザー?
日本では、5月の第2日曜は母の日、6月の第3日曜は父の日だ。
いや、日本だけじゃなく、世界各地に同じような日は設定されていて、色んな催しが行われる。
俺たちに、いわゆる肉親ってやつはいない。だから、いつもは百年人が、自分をこの世に送り出してくれた両親に感謝したり、プレゼントを贈ったりするのを微笑ましく眺めてたんだけど。
「うう~、ねえ、もうすぐ父の日よお」
今日も由利香さんがリビングのソファを偉そうに陣取って、訳のわからない呪文を唱え始める。
なんかさ、父の日のプレゼントがどうしても思いつかないんだって。
「そんなの、本人に聞けばいいじゃないっすか。遠慮っすか? 由利香さんらしくない」
と言うと。
ブン!
と、クッションが飛んできて、あやうく顔に命中するところだった。
「うわっ危ないっす! せっかくミルクティ入れたのに!」
俺はクッションをよけつつ華麗にターンして、両手に持ったマグカップをリビングのテーブルにこれまた華麗に置いた。
「だって夏樹が失礼な発言をするからよ。あら、飲み物持ってたんなら先に言ってくれなくちゃ。ありがと、美味しそう~」
「どういたしまして」
美味しそう、の言葉と笑顔に、つい嬉しくなってお辞儀を返しちまったけど、さっきの疑問はまだ解消していない。
だから俺は、質問の矛先を、隣に座る椿に向ける。
「で? なんで由利香さんは本人に聞かないんだよ椿」
「え? 俺に振るな。まあでも、聞いてもなんでもいいって言うんだって」
へえ~、そういうことか。
でもさ、俺だったらなんでもいいって言われたら、嬉しくって張り切ってプレゼント選ぶけどなあ。
ま、人それぞれってことかな。
とここで俺の回想は終わり―――
猫舌の由利香がそろそろとミルクティを口に運んでいる。
「……、美味し~い、また腕を上げたわね夏樹……、そうなのよ、お父さんったら、毎年うるさいくらい言ってるのに、ぜーんぜん聞く耳持たずなんだから」
「え? ホントっすか?! どのあたりが?!」
「だーかーらー、何がいいか聞いても……」
「……ミルクティっすよ」
「え?」
どうやら2人の間で言葉の行き違いがあったようだ。
「今日のミルクティのどのあたりがいつもと違うか聞きたいんす」
「あ、そっち。……私はプレゼントのことを言ったのよ」
2人ともきょとんとしつつ相手の言葉を聞いていたが、夏樹はやはり料理命だ。あ、このときはミルクティ命になるか。
「なあんだ、けど、でも、やっぱり今日のミルクティが先っす」
「ええっ?! じゃあ感想を言ったら夏樹がプレゼントきっちりピッタリ決めてくれるのね」
由利香の出した交換条件に、最初はひるむ夏樹だったが、そこはやはり夏樹。
「え? えーと、……はい! 決めてやろうじゃないっすか! けど、由利香さんの感想次第っすよ」
「なによ私の感想次第って……」
「そのまんまの意味っすよ。で? どこがどういう風に腕が上がってますか」
大いに期待を込めたキラキラお目々で聞いてくる夏樹に、由利香は真剣に考え込む。
「……」
「……、……」
「……、……、……」
腕を組んでうつむいて考え込む由利香の前に、お預けを言い渡されたお利口犬がいまかいまかと「よし」を待っている。
「腕が上がったわ!」
「へ?」
「すごいじゃない、夏樹。前のより美味しいってことは、腕が上がった証拠よ、喜びなさい」
「ええ?! そんなのちっとも、どこが、に、なってなーい」
「それしか言いようがないんだもん、私に期待する方が間違いよ」
「ええー、じゃあ俺も決めるのやーめた」
「なんですって!」
まあこのあとは、追いかけようとする由利香と逃げる夏樹の間に入って仲裁する椿、と言うお決まりの構図が展開されるのだった。
その日の夜。
灯りが少し落とされた2階リビングのソファで、夏樹がクッションを抱いて物思いにふけっている。
「眠れないのかな?」
先ほどからそんな様子を見ていたシュウが、テーブルにマグカップをコトリと置いた。
中身はホットミルクのようだ。
「眠れない夜にホットミルクね、相変わらず過保護~」
「あ、ありがとうございます。でも、眠れないんじゃなくて」
そう言いながらもホットミルクをひとくち飲んで「……うわ……美味いっす」と感嘆の声を上げたあと、またクッションにもたれるようにして夏樹が言葉を紡ぐ。
「由利香さんがあんなに悩むなんて、珍しいことだなって。それほど父親や母親って言うのは特別なのかなあって思ったんすよ。俺たちには、親どころか血を分けた誰かって言う存在がないし」
「なにかな、夏樹。由利香たちがうらやましいのかな?」
冬里が人差し指を立てながら言う。
「あ、そう言うんじゃなくて、……うーん、でもちょびーっとはあるかなあ」
顔を天井に向けつつ言った夏樹だったが、すぐに前に向き直る。
「けど、自分ではどうにもならないことで悩んだり、ましてや他人をうらやむのは、愚の骨頂、すよね」
「うーん、よくわかってるじゃない」
そう言いながら冬里が、クルクルと指を回し出す。
「僕たちはさあ、ただ現れて、ただ消えて行くって言う存在。けれどそこに意味がない訳じゃない」
「はい」
「今の百年人って、ことのほか血のつながりを強調するけど、昔は養子縁組なんて普通にあった事だし、それで家名の存続がなされてたんだよね。今よりずっと考え方がしなやかでしたたかだったって事かな。それにさ、現代って親ガチャとか毒親とか、血はつながってても、なんだかいたたまれない事も多いよね」
「そうっすね、それを考えると、親を大切に思える椿や由利香さんは、ものすごく恵まれてるって事っすよね」
夏樹が言うと、冬里はわかってるじゃなーいと言うように頷く。
「ん。でさ、何が言いたいかって言うと、大事なのはたとえ血のつながりがあってもなくても、根っこの部分ではお互いを尊重しあって、尊敬しているのが本来の姿だってこと。時代の流れでどうにも出来ない事もあっただろうけど、根底に確固とした思いがあったなら、それはそれで皆が幸せなんじゃない? むしろ現代の方が他で恵まれてる分、根っこが腐ってるかもね~」
「うわ、怖いっす」
「水をやり過ぎるとすぐに根が腐るみたいにね。あ、話がそれちゃったかな」
夏樹はブルッと身体を震わせる。
すると今まで2人の話を聞いていたシュウが話に加わった。
「私たちはいつでも、今いる場所で、いちばん心を砕きたい、もしくはいちばん心を砕いてくれる存在を、親や兄弟だと思えばいいんじゃないかな」
「……あ」
「でもさ、シュウ。それをすると、人たらしのシュウなんて店に来てくれるお客様全部になっちゃうんじゃない? 無限に親兄弟が増えて困っちゃうねえ」
「あ! ホントっす。でも、それを言うなら、俺だって店に来て下さるお客様はぜーんぶ親兄弟くらい大事っすよ」
「わあ、夏樹も無限大」
2人のやり取りに苦笑するシュウ。
「お客様はそれは大切だけど。……それ以上にもっと気になる、もしくは縁が深いような感覚がする人たちの事を言ったのだけど」
すると夏樹は、しばし宙を睨んで考えていたかと思うと、ポンと手を打った。
「ああ! 椿や由利香さん!」
そして1人で納得したようにうんうん頷いている。
「さしずめ椿がファーザーで、由利香さんがマザーってとこかなあ」
「あはは、いいねえ。椿お父さん~、由利香お母さん~ってね」
「姉弟、とかで良いのでは」
いっきに親に飛んでしまう夏樹の発想に、シュウが少し心配して声をかけたが。
「いや、お姉さま~とかはいつでも言ってるじゃないっすか。今の流れで行くと、やっぱ両親って感じっすよ」
「……」
そんな夏樹を面白そうに見やる冬里に、これはまたおかしな方向に行かなければ良いがと、苦笑を隠せないシュウだった。
シュウの心配が現実になったのは、それからしばらく経ってから。
今日は由利香が女子会のため、椿は1人お留守番だ。昼間のうちに日ごろ出来ない部屋の掃除やなんかを終えた椿は、夕飯の相談をすべく『はるぶすと』へとやってきた。
2階リビングに入ってきた椿に、夏樹が恒例の片手ハイタッチをしたあと、何故か、ものすごく嬉しそうに言った。
「よう、よく来たな親父。まあゆっくりして行ってくれ」
「親父……?」
つぶやく椿にはおかまいなく、夏樹は勝手に盛り上がる。
「う~一度言ってみたかったんだよなあ、親父! お父さんやパパやダディもいいけど、やっぱり日本なら、親父、だよなあ」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた椿だったが、夏樹の様子を見てすぐに立ち直る。
「よし、とうとう頭が沸いたか夏樹。誰が親父だって」
「ええーだってさ、だってさ」
「俺より何百年も年取った奴に、親父呼ばわりされたくない」
「いや違うって、」
と、夏樹が説明しようとしたところで、リビングの入り口付近から呼ぶ声がした。
「夏樹~ちょっと手伝ってよ~」
「へ? いや、冬里、今手が離せなくて」
「なにがだ、全然暇そうじゃねえか、行ってこい!」
「ひえ~!」
椿は夏樹を追い出したあと肩をすくめると、キッチンで微笑んでいるシュウを見る。
「どうしたんですか夏樹のやつ。まさか本当に頭が湧いたんじゃ……」
そう言いながらも、ちょっと心配そうだ。
シュウは思わず笑いながら「コーヒーでよろしいですか?」と、ご丁寧にリクエストを聞きながら手でカウンターを示す。
なんとなく合点がいったらしく、「はい」とスツールに座る椿に、シュウは事の顛末を話したのだった。
「そういうことだったんですか」
「はい。親兄弟と言うたとえが良くなかったのかもしれませんね。申し訳ありません」
「いえいえ、鞍馬さんのせいじゃありませんよ。……にしても言うに事欠いて親父はないぜ、どうせなら息子よ~、とかの方がまだ納得がいく」
するとシュウは顔を伏せて笑いをこらえていたが、何とか立ち直ると言った。
「そうですね。年齢だけを鑑みればそれが妥当ですよね」
「ですよね!」
思わず力強く言う椿が、次のセリフを言おうと身を乗り出したところで夏樹が帰ってきた。
「はあ、何だったんだろ。あんなの冬里1人でも充分間に合うのに……、て……、あっ椿いつの間にシュウさんにコーヒーなんか入れてもらってるんだよ」
「知るか」
プイ、と横を向く椿に、さすがにしょんぼりする夏樹だったが、
「夏樹もコーヒーで良かったかな」
微笑みながら聞くシュウに「良いんすか!」と、嬉々としてカウンターに腰掛けた。
「じゃあ僕にもお願い」
と、いつの間に入ってきたのか、リビングの入り口で冬里が手を上げていた。
シュウと冬里は、親子? の2人に遠慮してか、カウンターではなくソファに座って各々くつろいでいる。
椿が珍しく一言も発しないので、夏樹もチラチラ彼を見るだけで、話のきっかけをつかめずにいる。夏樹にしては相当珍しい事だ。けれどやはり我慢が出来なくなったようで、遠慮がちに言葉をかけた。
「な、なあ、椿」
「何だよ」
「悪かったよ、親父なんて言って」
「もう言わないのなら、許してやる」
「……、えっとそれは」
「なんだよ、言う気満々か?」
往生際の悪い夏樹をしばらく睨んでいたが、やがて椿は、はあ、とため息を落として言った。
「20年」
「え?」
「あと20年して、もしまだお互い連絡取り合ってたら、親父と呼ばせてやる」
「!」
「20年もすれば、ものすごく悔しいが、俺はちょうどお前の父親くらいの歳だ。見た目もちょうど良い、だから……、! うわっ何するんだ!」
椿が驚いたのは、夏樹がガバッとハグしてきて、おまけに頬にKissKissして来たからだ。
「さすが椿~なんて優しいんだあ、ありがとう~、チュッチュッ」
「うわ、わかった! わかったから、やめろ! やめろおー!」
ソファでは「仲いいねえ」「そうだね」と、いちゃつく2人を気にすることなく、変わらず各々くつろぐシュウと冬里がいた。
そんな出来事があったあとも夏樹のおせっかいは続いていて、プレゼントが決まったかどうかをちょくちょく聞いている姿が見受けられた。
その日も、わざわざテレビ電話で聞いてくる夏樹にあきれたのか、由利香は「しつこい!」とのたまって浴室へと消えた。
埓があかないと思った椿は、
「今度の日曜に2人でデパートに探しに行くから、もう心配するな」
と、安心させるように言う。
けれどそれで引き下がる夏樹ではない。
「そうなのか? だったら俺も行く」
「はあ?」
「だってさ、人数が多い方がアイデアもいっぱい出て来るだろ」
「んなわけあるか! 却下だ却下!」
「ええー?」
どうしても行きたい夏樹と、邪魔されたくない椿は画面越しに攻防を続けていたのだが。
ふわり、と夏樹の後ろに影が差した。
「へえ、面白そう。じゃあ僕も連れてってよ」
そのひと言に凍り付く2人。
1人は、ギギギ……と音がするように振り返り、もう1人は画面の向こうで青くなっている。
くだんのお方は、ニーッコリと笑いながら可愛く首をかしげたりなんかして言う。
「だーめ?」
「「いえ! 是非ご一緒して下さい!」」
きれいにハモったところで、次の日曜日の予定が決まったのだった。
もちろん、シュウは強制参加ということで。