安堵と決心
このまま食べ物の問題だけ解決できれば、とりあえず死ぬことは免れる。
この微妙に小さな安心感がメンタルに与える影響は極大だ。
今まで何もなかった、いきなり何もかもが無くなってしまった、あらゆる物を失ってしまったこの世界に、自分一人の一人ぼっちなんだと思い至ると、ひどく寂しくなった。
周りがまだ真っ暗な暗闇に包まれた早春の朝方、まだ冬服を着ていただけでも幸いだと思うべきだろうか?
既に季節外れだと解っていても着ていたロングダウンの上着は、裏地が雨に濡れないように竹で作った服掛けに掛けてある。
まだ撥水機能はしっかり保たれているけれど、それでもあれは雨合羽でも傘でもない。あまりひどく水浸しになったら保温の機能に異常が出るだろう。
それに自分は魚でも亀でもない、何時までも水の中にいては、皮膚が蛙のようになってしまうだろう。これからどうするべきか。
とりあえずここらへんで雨宿りのできる住処を作るべきだろうと、そう思った。
山王の崖なら飲水もあれば、横穴をほって原始人の家のような物を作れるだろう。
食べ物は山芋以外も探してみよう。
今後のことを考えていると、地平線の付近から明るいグラデーションが薄っすらと登ってきた。
上を見上げると夜空に輝く星が見える。天の川がこんなにくっきりと見える夜空は、一生で見た中でも最もきれいな夜空だろう。
夕刻に降った雨をもたらせた雨雲はどこに行ったのだろう?
風の流れがこれほどまで身近に感じたのも、生まれて初めてのような気がする。いや、まだ本当に幼かった頃、あの頃は風が吹いただけで怖がり、母を探したものだ。
一生の間思い出したこともなかった幼い頃のことを突然思い出す。
走馬灯というものはこういう気分かと思うほどに、何故か人間として幼かった頃のことが、たくさん心に浮かんできた。
世界とは不思議なことがいっぱいで、自分の知っていることなど何もなかった頃は、それがすべて不思議で、心配で、好奇心を持ったものだ。
手に石を一つ掴んでみた。
そうだった。人類の歴史の始まりは、石を割ることからはじまり、石をきれいに割るまで数万年かかった。
国立博物館を見に行くと、最初は石の歴史ばかりではなかったか。
前にも、後ろにも、どこにも進めないのであれば、石を拾ってやろう。
まずは石で穴掘りから初めてやろう。
とりあえずの、小さな決心とともに、温泉から出るのであった。




