絶望
今通り抜けてきた林の獣道の中に、もとの場所に戻れる出入り口のような物があるかもしれないと思いつき、振り返り、両手を両側の木々に当てながら今来た道を振り返って歩いてみる。
雑草の類の育ち過ぎたものと、それの枯れた物の間に、杉や桜などの覚えのある木肌が混ざっている。
奥の方に樹齢千年は超えていそうな楠の大木が見え、細く別れた獣道がそちらに枝分かれしているのが見える。そこまで獣道は続いているが、雑草の枯れ枝が多く、前にこれ以上進めないようだ。
雑草を踏み折りながら進もうとしたが、道具なしにはこれ以上は進めなさそうだ。
進むのを諦めた途端、どうにも堪え切れないほどの孤独感が溢れ出し、心の奥底で既に戻る道はないと理解したかのように、どうやって生きていくのかという絶望感も共にやってきた。
草むしりなどしたこともない両手は、草を千切ろうと力を込めた事によって肌が痛み始め、枝を踏みつけていた両足は跳ね返りに傷められ、足首に軽い痛覚を覚える。
藪を飛ぶ虫が目に入り、両腕には蜘蛛の巣が付着して、もうこれ以上は無理だと心が深く落ち込む。
そうやって段々と強くなる絶望感にいたたまれなくなり、林から逃げ出すかのように歩みを進める。
正面に富士山が見え、坂の下の方には川面に反射する日差しがちらちらと光っている。
「まずは水の確保だ」
川まで安全に降りていく通り道を目で探しながら、稜線になっている坂道をゆっくりと降りていく。
川まで数メートルを残す辺りで、不意に足を取られ、転びかけてしまった。
何事かと振り返ったところ、葛か山芋かの蔓が通せんぼしているのが目に入った。転ばなかっただけでも良かったと胸をなでおろし、再び川に向かう。
「ここはどこだろう?」
目の前が富士山方面で丘の下に川があるなら目黒と渋谷川だろうか、富士見台なら神田川、二子玉川かもしれないが、川が細すぎる。
そんなことを考えているうちに、川がいつの間にか足元まで来ていた。
石が転がる河原と、きれいな水。水源から遠くないのか、水は気温は高いのに冷たくて、川底には苔もあまり見当たらない。
喉の乾きを癒やしたいが、子供の頃に両親に聞いた生水は飲むなという言葉が思い浮かぶ。
地下水の湧き水は飲んでもよいということを思い出し、川の上流側を見ると、小さな支流が今来た丘の途中から流れ出ているのが見えた。
「あれは湧き水だから問題ないだろう」
きれいに洗った手で水を汲み口に運ぶ。
プラスチックの匂いが一切しない、喉を潤わす綺麗な水は、売り物だとしたら相当値の張りそうな味だ。
水が手に入ると、途端に今度は腹が減ってくる。
食べ物などどこにもない、いや、どこかで手に入れればよいのか。
川の中には魚は見当たらず、周りの木には実など成っていない。タンポポでもあれば根でもかじれるのに、どこにでもいるタンポポでさえ一切見当たらない。
降りてくるときの通り道が目に入り、足にかかった蔓を思い出す。
そうだ、葛も山芋も食べ物だ。根っこを掘れば食べれるだろう。そう思い、穴を掘るのに丁度良い石を物色する。
角の立った石と丸い石を手にし、岩の上で打ち付けて、石がくさび形の斧状に割れたものを持って、蔓の根元を掘り下げる。
しばらく掘って、根っこの太い部分が拳2つほどの大きさが見えてきた。運良く山芋だったようだ。これなら生でも食べられる。
周りに水をまいて根っこを引っ張ると、腕くらいの大きさの根っこが土から引き出された。
川できれいに洗って石でヤスリがけのようにこすると、山芋のぬめりと白い身が見え始めた。
醤油もなければ、塩もないけれど、歯ごたえは軽く、ぬめぬめした食感と、結構な満腹感。
あとは、どこで寝るのかを決めないと。
まもなく日が暮れような空の塩梅に急かされ、寝床の確保を急ぐ。丘の斜面に沿って歩きながら、どこかに丁度良い洞穴でもないものかと歩いてみるが、何も見当たらない。
歩き回っていると、頭上に水滴が落ちた感じがしたので手で頭を掻いて見るが、手に付いたのはドロ汚れと蜘蛛の巣だった。
「風呂に入りたい。」
風呂といえば温泉、温泉といえば箱根だ。
富士山に向かって進めば温泉は必ずある筈だという確信に、行き先を決定し歩き始める。
もし現在地が目黒か五反田のあたりなら、川に沿っていけば品川だ。川下が南を向いているなら、とりあえず海を目指して、右岸の次の丘の切れ目まで進んでみようと決めて、川沿いの砂利道を進む。前方に海が近付き、右岸の丘が途切れる直前から、海沿いの砂の地面を避けて、丘の中腹を富士山に向かって歩く。
途中で山芋をもう数本採取し、ひたすら歩き続ける。
富士山がよく見える丘の西側に来ると、遠くに多摩川の豊かな流れが見えてきた。
途中の小高い丘を避けて通る道筋を決め、一路富士山へ、多分この丘が旗の台で、次の丘は山王かなと、東京の地理を思い浮かべる。
そういえば山王の丘を富士山を見ながら少し進めば池上だ、池上にも温泉があったはずだ
山王の丘を超える林は深い森になっており、結構な暗さだ。
しばらくの間見えていない富士山を探して森の切れ目へと進むと、林の切れ目から空が見えてくる。
目の前に切り立った崖と呼べそうな程には險しい下り坂があり、視界がいきなり広くなる。転げ落ちたら大怪我をしそうな斜面だ。
地面に岩が露出している迫目の下り坂を選び、西へと進むと、あちこちに小さな池が見え始めた。一つずつ池の水温を確認しながら道を進む。
あたりが暗くなり、足元もおぼつかなくなった頃、人肌の水温の池をみつけた。
近くの竹林から葉の多い竹を数本折ってきて、水に浮かぶ落ち葉を池の外に掻き出し、竹で水深を測ってみると、座れば胸のあたりまで浸かれそうだ。
竹を3本地面に挿してテントのように立て掛け、服を脱いでそれに載せ、温泉へと入って行くと、疲労感が押し寄せてくる。本格的に雨が振り始めるが、ぬるい温泉に入っていると、体温も奪われない。
体は温かく頭は冷やされる心地よさに、まぶたが閉じていく。
なんとか大きめの石を足元から引きずり出し浅い所に置くと、ちょうどよい枕になった。
頭が水に浸からない安心感を得た瞬間、心地よい眠りが訪れた。
雨は止まることなく、振り続けていた。