リンの記憶
そろそろ夏になるので、また海に行くことにした。
去年とった干した海藻はとっくに使いおわっており、塩もまたたくさん作って来たい。
今回はどこか岩場になっているところで海苔とか天草、ひじきにワカメや昆布も探してみたい。
それから砂浜で傾斜があまりないところを選んで、できれば塩田も作ってみたい。
前回は大森のほうに進んだところは砂丘があって、海岸沿いは結構傾斜があったので、今回は多摩川に沿って羽田の方まで行くことにした。多摩川沿いにもし増水すると水没するようなあたりで米とかが取れたらラッキーである。
そういえば、川と言えば、砂金取りを思い出す。金ならば普通に焚き火の熱でも溶けてくれるんじゃないのかな?金ならば金属として加工が全然しやすいのじゃないかなと思った。金で作った包丁なんか使えば料理とかはしやすくなるのじゃないのかな?
と言うことで行きに寄り道をして砂金取りだ。お盆を持って水の底の砂から金属を分離する、何回か昔テレビで見た砂金取りの真似事をしてみた。
結論から言えば、砂金は結構取れた。30分ぐらいだったのに、スプーンで1杯分位の砂金が集まってきた。ものすごい量である。とりあえずコップにそれを入れて、来るときに通った雨が降っても流されない位高いところに、目印をつけて動かないように刺しておいた。
多摩川に沿って数時間海のほうに行くと、多摩川から流されてきた土砂が海に突き出た。多分羽田空港の手前あたりだと思う。土地が目についた。両側が海で遠くまで傾斜がなく平らで、育っている植物を見ると、あまり大きな木などは見当たらない。
多分海が大潮になると、ここも波を被るのではないのかなと思う。
ということで、塩田を作るために、両側の海の間のあたりで海の水を引き込むことができる位の高低差しかない場所を選んで、穴を掘って海側にその土を持っていき、堤防のような形に盛っていき、水を入れたら池になるような形をとりあえず作り上げた。
あと3日もすれば満月なので、今も満潮は結構波が高く、大潮に近い波の高さなので、潮が一番高くなった時間に海側の堤防に切れ目を作って、海から水が流れ込むようにして流れが止まった瞬間を見て切り口を埋め直した。これを5日間もやれば、海の水を5回以上中に入れて海水をどんどん濃くすることができる。
満潮の時間を除いて、他の時間は周りの探索だ。ここに来るまで歩いて2時間ぐらい使ったので、帰りはまっすぐ帰る道を見つけてみようと思う。そうすれば明日からは、1時間で片道を歩き終えることができるだろう。
塩田を作るときに出てきた雑草とか葦とかは、全て外側にまとめておいてある。後ほど海の水を引き込んでからは、その雑草を塩田の中洲の回りに立てて置いて、水分を吸わせて中洲で干してを繰り返せば、海水の蒸発が早くなるだろうと思った。2日かけて、塩田を掘り終わってから海水を入れるときには、集めてある草は全部カラカラに乾いていた
海苔は結構取れたが、昆布とワカメが思ったよりも取れなかった。大潮の日に干潮になった頃合いに沖に向かって入っていき、結構遠くまで行けた日にはわかめと昆布が少々取れたが、それ以外の日は普段海の底になっているところにしかわかめや昆布は生えないみたいだ。
今回は塩田と海の間の水につからない場所に炉を作り、そこで火を焚いた。火に掛かっている鍋の中には前回のように海水を入れて、とってきた貝とこかカニとかをじゃんじゃん茹でて行った。満潮の時に塩田の中に紛れ込んだ魚もいたので、魚はそのまま焼いて食べた。 リンがものすごくおいしいと喜んでいた。
今年からは畑をやっているので、貝殻をたくさん拾って帰ることにした。毎晩本拠地に戻るときに拾えるだけの貝殻を一生懸命拾い、なるべくたくさん運んで持ち帰った。
貝殻は川で洗ってから畑の真ん中で一生懸命石で叩いて壊して、それほど細かく粉にならないまま弾けとんだものもあったけれども、とにかくなるべく砕いて畑に蒔いていった。貝殻は石灰か何かになるので、農作物の発育に役に立つというのをどこかで見た記憶がある。
次に毎日鳥小屋と池の周りの掃除をして集めた糞を崖の東斜面に投げ捨てて集める仕事を始めてからも結構な月日が経っている。なので、今日は集めて捨てる場所を1度整理して、周りにあまり飛び散らないように囲いを作り、上から落とせば中に溜まるように形を整えた。そしてその場所を私とリンの2人がトイレに使うことで取り決めして、ちゃんとトイレの形に作り上げた。
こうしてしっかりとした肥溜めのようなものがついに出来上がることになった。数日に1度肥溜めめの上に刈り込みを行った時に出た雑草を被せてあげると、臭いもあまり広がらずちょうどいい感じだ。1年ぐらい経ったら今の場所から横にずらして、次の1年分はまたそちらに貯めることにしよう。
夏になると枝豆が結構取れた。枝豆以外にも豆類は結構取れたが、意外だったのが何の豆だかわからなかったもののうちに小豆があったことと、黒豆白豆、これは多分大豆なんだろう。それから緑色の豆も手に入った。緑色は変わった味のものもあるが、ほとんど枝豆の味がする。
それからも月が満ちるか欠けるたびに海に行って、塩田に海水を追加することを数回行ったら、2月目ぐらいからは塩の粒が底にたくさん溜まり始めた。雨が降り始める前に全部かき集めて持ってくなければならない。麻袋の中で目の1番細かいものに塩を詰めて持ち帰る。水分があるからすごい重いが、1時間の道のりを2時間かけて、ゆっくりと歩いて帰ってきた。袋から水分が出てくるのを見ていると、塩から出てくる液体を集めて、豆腐を作ってみようと思いつき、平で上が凹んだ石を見つけてきて、その上に塩の入った麻袋を置き、下に鹹水が溜まるとにそれをコップにとって残しておいた。
夏の1番暑い頃になり、豆の収穫がほとんど終わった頃に石臼作りに挑戦してみた。回転させるタイプは難しいけれども、前後に動かす薬研のようなタイプの石臼ならば何とか作ることができた。なので、早速豆を引いて素焼きの土鍋でそれを混ぜながら茹でてみた。
ある程度火が通ってから鹹水を入れると、本当に固形物ができ始めたので、固形物を集めて竹のコップに入れて、その上に草履のような蓋を置いて水に沈めて石で重しをしてみた。そのコップ1杯以外のものは普通に今日の食事として食べてみた。 リンはものすごく喜んでいた。
豆腐が成功したので、その道具でいろいろな豆を塩で茹でてつぶして同じように竹に入れて重しをのせて塩漬けにして保管した。もしもこれがうまくいって、味噌と醤油に分かれてくれるならば、醤油ゲットである。
ということで、近々 の目標が出来た。今までそばはいつもそば湯かそばがきにして茹でて食べていたが、もし醤油があるならば、ちゃんとそばを切ってタレをつけて食べるそばにしてみたい。
冬の終わりに植えたネギか夏頃になるとみんなネギぼっこをつけ始めたので、種をとってからネギは全部干しておいた。すが通ってあまり美味しくないけれども、切って干して戻せば。結構薬味になる。カップ麺の中身のようなものだ。
多摩川の河川敷を歩きながら見つけた作物としては、シソと茗荷があった。それに梅ノ木も数本見つけてきたので、果樹園のほうに植えることにした。それ以外にも杏とくるみを見つけたが、くるみは何とか移植したけれど、杏は木が大きすぎて移植は無理だった。なので杏の木の近くに落ちている未生苗を持ち帰って果樹園に植えてあげた。昔は1人だったから動かすのに無理があった大きさの果樹も今は2人だから何とか持ってくることができるようになった。
果物が結構たくさん取れるようになったので、すぐに食べるもの以外に保存するために乾燥させることにした。普通に干しても腐らせてしまうので加熱ができる。乾燥室のようなものを作ることにした。中で火を使うので棲家とは別の新しい穴を掘って、たくさんのざるを作って、壁に棚をたくさん作ってざるを棚に乗せた状態で、部屋の真ん中に炭を焚べるのだ
ネギや大根の葉、ワカメに昆布以外にも、杏と桃を結構な数を拾ってきたので干してみることにした。水分が多いので難しそうであるが、杏は何とかなりそうだった。中国の杏のお菓子のようなものをイメージして、鍋で軽く煮込んだ杏をつぶして平らにしてシート状にしたものをカゴに乗せて、部屋の中に置いた桃も同じように鍋で水分を飛ばしてつぶしてシート状にして置いてみたが、桃はねばねばしすぎてうまくいかないようだった。それでも桃を煮詰めたものは結構甘くて、砂糖の代わりの味付けに使えそうな位甘かった。
数日が経ち、 みると干した杏はちゃんと保管できる食べ物になっていたが、桃はガチガチに硬くなってしまったので、食べるのが難しいかもしれない。けれども、硬くなった干した桃をつぶして粉にしたものを食べてみると、ほんのりと甘い味がするので、砂糖がわりに使うのに良いかもしれない。
糖質ができたので、ちょうどいいからとミントの葉っぱをたくさん拾ってきて乾燥させることにした。今度からお水を茹でて湯冷ましにして飲むときにミントを入れてお茶にして飲むことができそうだ。他にもお茶になりそうなものをいろいろ集めてみた。たんぽぽの根をいぶしたものとか麦を軽く焦がしたものとか干したよもぎとか、それから以前たべようとして果肉の全然ないみかんのようなものを結局食べずに干しておいたものがあったので、それもお茶には使えた。
よもぎと言えば薬だ。よもぎ以外に薬となるものを覚えているのが芍薬位なので、芍薬の花は夏になってから結構いろいろなところで探して集めてきた。畑の溜池には蓮がいっぱい植わっているので、花が咲くと綺麗だから、川から溜め池までの水路の両側に芍薬を植えることにした
薬になるものと言えば、生姜だろう。生姜は結構探してみている。けれども、生姜の葉っぱの形なんて全然知らないので、まだ見つかっていない。リンも辛いものになると、全然喜ばないので、それがしょうがなのかどうなのかは自分でいちど噛んでみるまでわからないのが実情だ。葛は結構面倒くさい雑草なので本拠地の物は全部抜いてある。雑草を処分するときに葛の根は残せるだけ残してあった。それ以外だとフェンネルとかコリアンダーとかそういうものが結構見つかった。
野菜と言えば白菜はまだ見つかっていないけれども、レタスのようなもの、青梗菜のようなもの、小松菜、春菊、水菜、それからニラも最近見つけて確保しである。なので、食べ物はすごく種類が豊富になってきて、そろそろ新しい食材を探そうと言う意気込みが意気消沈になってきている。でもやはり豚肉は欲しいが、豚はまだ見つかっていない。
夏の1番暑い頃になると、多摩川の河川敷でスイカとかかぼちゃ、きゅうりみたいな瓜をたくさん見つけてくることができた。でも瓜は移植なんてできないので、とりあえず場所だけ覚えておいて、しっかり育ったら確保することにした。スイカは結構狙っていたのにある日取りに行くと、何かの獣がかじった跡があったので、もしかすると周りに誰か住んでいるのかもしれないなと言うことでもうちょっと警戒をしながら探索をしてみることにした。
数日そうやって瓜の収穫と種集めを行っていると、りんが何かの気配を感じたようで、
いきなり「誰、どこ?何?」
とかと言い始めた。
なので、砂利1掴み回りに投げてと、あちこちにじゃんじゃんばらまいたら砂利に当たってガサガサと音を立てるのがいたので、そっちに行ってみたら犬がいた。
子犬だった。
大きな犬だったら噛み付いたりされたら痛そうだったので、ちょっと怖かったけど、親がいるかどうかと思ってちょっと怖かったけれども、子犬は可愛かった。
なので私が少し子犬と遊んでいると、リンもそれは一緒に遊んでいいものだと理解して子犬と遊び始めた。結局子犬は家に連れ帰ることにした。
次の日の朝起きると、リンが「ポコちゃん!」と言いながら犬を探し始めた。結局犬はベッドの近くの藁を敷いていてあるところに寝ていただけだったが、夢で何か見たのだろうか、リンはこの犬の名前を、ポコちゃんと名付けることにしたようだ。それから数日が経って、大根と豆腐の味噌汁に塩田から拾ってきたアジの一夜干しを焼いて、よし食べるぞと言う時に、リンが急に
「ポコちゃんに骨は食べたらだめだよ。前に詰まらせて大変だったでしょう」
とか言い始めた。
なぜかいきなり日本語がすごく流暢になっている。なので、怪訝に思って
「ポコちゃんていつから飼っているの?」
と聞いてみたら、
「ポコちゃんとは子供の頃から一緒だよね」
などと言い始めた。
これはもしや前世の記憶復活イベントかなと思い、いろいろ聞いてみたら、他の話は反応がなく、飼っている犬についての話だけは結構詳しく話してくれた。
それから数日間朝起きるたびにいろいろな話を聞いてみると、ほとんど夢の中の出来事を話しているような感じだったけれども、その夢の中の街並みは東京の街で、ちゃんと駅があって、商店街があって病院があって、で学校があって通ってて、どうもこれが生きている間に、見た内容を、夢が続きで見せてくれるのではなく、普通に夢の中で寝る前あった出来事が出てくるようなそういう感じで話している。
内容を聞くだけではそれが実際に住まなければ覚えていないような事で、けれどもやはり夢は夢という感じだ。でもそういう雰囲気のそういう街に住んでいて転生したんだなと言う位には感じるのだ。
話を聞いてみると、お寺があって駅があって病院があって、街のお風呂屋さんが黒いお水の温泉でと言う話を聞くと、やはり池上に住んでいたみたいだ。




