さようなら
翌日。
身支度を整えた後、これからどうするかを考える。
あとどれくらいの時間が残されているのかわからないけど、歩けるうちに死に場所は見つけておかないといけない。末端から結晶化していくから足の機能が奪われるのは早い。歩けなく前に色々始末しておかないと……。
今後の予定を脳内で組み立てているとドアをノックする音が。
コンコンコンっ
急いでいるのか慌てているのがわかる速さのノックオンに誰が来たのか想像出来た。
ジェフが対応し中に入ってもらうと予想通りの人物。
「リズ……!」
フロイド・グリーンフィールド。
私の夫で宮廷魔術師長を父に持つバーセル侯爵家の嫡男。
(肩書だけでも不釣り合いなのは明白……)
アデルハイト殿下の護衛魔術師として選ばれた魔術師のエリート。次期宮廷魔術師と名高い名家の嫡男が私なんかの同期で同僚などどんな奇跡だ。
「おはようございます。フロイド様」
この朝の挨拶も今日で終わりとなる。明日には王都を離れ、姿を消すのだ。
フロイド様にソファに駆けるように促し、ジェフにお茶を用意してもらう。その間フロイド様は落ち着きなく何か言いたげに私を見てくるが私は知らないふりをしてお茶を待つ。その時間が……とてつもなく長く感じた。
目の前に置かれた香り高い紅茶に手を付け一口飲む。この動作も平民だった頃よりも洗練されていると自負している。貴方のおかげで、ここまで美しくお茶を飲む事も出来るようになったのですよ。
フロイド様はお茶に手を付けず握りこぶしを作ったまま黙って俯いている。
「昨日の事ですが……」
ビクッと体を揺らして俯いていた顔が私の顔に向けられる。怯えと悲しみ怒りを複雑に混ぜ合わせた顔を向けたフロイド様は言葉の先を待っている。そんな顔をさせたい訳ではないけど、私が望む未来には彼を悲しみに追いやる頃になると思うと胸が締め付けられる。
それでも包み隠さず彼に伝えるしかない。下手に隠しても良くない。例えそれが自己満足であったとしても。
昨日の陛下への願いに関して包み隠さずフロイド様に伝える。余命がそう長くない事。国の利益の為にもフロイド様には貴族としての義務を全うすべきだという事。私では……子を望めない事。
「……」
「……」
沈黙。
嫌な空気が流れる。
だけどここで嫌だとか、納得できないと言われても受け入れることは出来ない。だって、一人の人間であったとしても、彼は貴族で私は平民。しかも死が近い。
「嫌だ……っ君と、別れたくないっ」
「フロイド様……」
涙を貯め、嫌がるフロイド様はどこか迷子になった幼子を彷彿させる。
それでも心を鬼にして彼を付き放たなければならない。
「フロイド様。私は……」
「嫌だっ。絶対に、認めない……っ! り、離縁など……!」
王命で既に王族三名の承認も整った正式な決断を認めないと言ったところで覆るはずがない。駄々っ子のように首を振り拒否するフロイド様を私は困った顔をして慰める。
「あなたを、愛している」
「っ!」
「好き。愛してる。でも、今生ではこれが精一杯」
初めて会った時。陰ながら見守ってくれた事。護衛魔術師に私を指名してくれた事。それがどれだけ奇跡で私の心の支えになってくれたか……!
だからこそ。
私がこれ以上、貴方の傍にいる事は出来ない。
「ご理解ください。貴方を、貴方の幸せを願っているのです」
「私っ、私の幸せにはっ!! リズが必要不可欠なんだ!!」
グリーンフィールド家の呪い。
一度美しい、愛おしいと思った者を心から愛し、それ以外を愛することが出来ない血に掛けられた呪い。
彼が愛したのは恐れ多くもこの私。
本当なら、もっと美しく血も家柄も良い令嬢が選ばれるべきだった。
彼が何をきっかけに私を愛してくれたのはわからないけれど、私はそれがとても嬉しかった。
「貴方の気持ちを否定するわけではありません。私も変わらず……貴方を、貴方だけを愛しています」
「……っ」
「それでも。お別れが近い。決して逃れる事の出来ない別れが。すぐそばまでやって来ているのです」
「―――っ」
手袋を取った指先を見せる。そして、彼の手に絡ませた。とても人体の一部だとは思えない感触だろう。
「回避する事は不可能。なら、私の今の姿を。フロイド様に覚えていてもらいたい」
人が死ぬ様は幾度となく見てきた。いつか私も死ぬとしても、彼らとは違う死に様であるという事に気づいたのは『黒』の死を間近で見た時だ。
「私が他人を愛することはありません。私の最愛で唯一は、フロイド様。貴方様だけです」
嘘を言って嫌われようとするのも一つの手だろう。だけど私には時間が限られている。限られた時間の中、精いっぱい自分の気持ちに背くことなく生きていきたい。
それが私の望み。
フロイド様はボタボタと大粒の涙を流し、声を上げずに泣き続ける。静かに静かに泣き続けるフロイド様は美術品のように美しく、尊く、儚い。
魂を結び付けた事でお互いの思いが薄偽りなく流れてくる。私の本気が、伝わった。
「―――っ、き、君はっわた、私にとって、かけがえのない存在だっ」
「……」
「君と離縁してもっ離れ離れにっなったとしても……っ」
「……」
「私が生涯愛するのはっ……リズだけだっ」
「……」
子供のように涙を流しながらも、まっすぐ私の目を見ながら訴えるフロイド様に不甲斐なくもグッと来た。
決別しても、今後一生会えなくなったとしても。貴方が私の思い人で、私の初恋で、私に初めて〝愛〟を教えてくれた、大切な、愛しい人であることには変わりありません。
その日は三年ぶりの穴を埋めるかのようにして過ごした。きっとこの日は私の中で一番の思い出になる。
(ありがとうございます……)
******
翌日の早朝。
王都を旅立つ。まだ空が白くなる前、闇が多い時間帯で一人身支度を済ませていると、そっと扉が開けられた。
「……お茶を、ご用意いたしました」
「……ありがとうございます」
そうっと出て行こうと思っていたのに。有能な部下はこんな所でも有能だ。気遣いも出来るようになったし真面目に働くし人を見下すこともなくなった。立太子の日の晩餐会が嘘のような好青年に成長したジェフ。今の彼ならリオネル殿下も使うだろう。
「……今後は、リオネル殿下に師事を仰ぎなさい」
「はい。……リズ様」
「?」
スッと私のすぐ横に跪かれる。鍛え直していた際には遠慮なく彼を足蹴にしていたのでこの体勢にも見慣れたものがあるが、今日で最後。私は一平民となるのに対し、彼の偽りの出生は子爵家三男。立場が逆転する。いや、彼の身分を考えれば低いだろうけど本来の形に戻るのだ。
「貴女様のおかげで、私は生き永らえることが出来ました。この御恩は一生忘れません」
「……恩は、是非とも王太子殿下と第一王子殿下、それと国にお返し下さい。そして、私からのお願いがございます」
「何なりと」
「……ミンスター卿の事、よろしくお願いします」
「っ……御意に、ございます」
そうして静かに残りの紅茶を飲み干し、与えられていた部屋をあとにする。
煌びやかな部屋は私には到底不釣り合いで心のどこかで本来いるべき場所に立てることにほっとした。生まれた世界が違いすぎるのだ。私の居場所はここじゃないと、何度も思っていたがこれでようやくあるべき姿に戻る。
挨拶は昨日のうちに済ませた。リオネル殿下はいつも通りに軽い感じだけどアデルハイト殿下は荒ぶったまま。仕方ないけど、このまま去ろう。
宮廷魔術師であるバーセル侯爵、フロイド様の父君には陛下から直接婚姻無効の知らせをするそうだ。その際夫人も今日、城に呼ばれているらしい。短い時間ではあったけど助けて貰えたというのに挨拶も無しに去るのは申し訳ない。恩ばかりで私は何も返せていないのが心苦しい。
『……行くのか』
「……はい」
ゼーレ様。
魔力供給を行っているのは現段階ではまだ私。それも死ぬ前にはアデルハイト殿下に変更しなければ、ゼーレ様は再びお隠れになってしまう。
魔力供給を行っているからこそ、今の私の状態がどれほどのものかゼーレ様にはよくお解りなのだろう。
『精霊の力を宿した『イェルサの民』にとって、成長期における魔力量の増大は人の身には過剰。……もっと早く出会えていれば、精霊召喚が廃れていなければ……と、考えるばかりだ』
「仕方ありません。これは私の運命。願わくば、今後の『黒』にはこのような事が起きませぬよう」
『ああ。ああ……そうだな』
パァッと金の光に包まれ獣型から人型へ姿を変えたゼーレ様。眉間に皺を寄せ、口は何かに耐えるように固く閉じられ、目には涙が浮かんでいる。
『我は幾度となく、見送って来た。シリルも、その子供も、その孫も……』
「……はい」
『生きている限り〝死〟は付きもの。自然の摂理だ。……だが』
「……」
ぎゅっと抱きしめられたと思うと、顔に温かいものが落ちてきた。
『何度経験しても慣れぬな! また大事な我が子が逝ってしまうのか!』
「……っ」
ハハハッと笑いながら泣くその姿に、私の涙腺も遂に、崩壊した。
「……っぅ、ぅぅ」
『よう頑張ったなリズ。我も、アデルも、オーブの奴も。皆お前に感謝しておる。……本当に、よう頑張ったな』
「……うっふっぅぅ~~っ」
『其方に感謝する。リズ。其方が生きた事は、この我が忘れぬ。忘れはせぬ。だからリズ』
「ふっ……うぅぅ~~~」
『生まれてきてくれて、ありがとう。其方に出会えた事、嬉しかったぞ! また、会いに来るといい!!』
「ぁっ~~~あぁぁっぁ……!!」
輝く太陽のような笑顔で泣くゼーレ様に抱きしめられたまま、私は年甲斐もなく声を上げて泣いてしまった。せめて一人になってからと思っていたのに……。ずるい人。あんなこと言われたら、泣かない訳ないじゃん。
死にたくない。本当は死にたくない。まだ生きたい。生きてずっと、皆の傍にいたい。役に立ちたい。死ぬのが、怖い。
逃げられないのは誰でも同じだとしても、もっと生きたいな。フロイド様の隣で殿下の戴冠式を見守りたかった。フロイド様の子を身籠って、生みたかった。子育てをして、殿下の結婚も見届けて、年をとって、孫が出来て……。そんな普通の生活を送りたかった。今でも十分幸せだったけど、人ってやっぱり欲深いね。もっと欲しいと願ってしまう。もっともっと。幸せになりたいと願ってしまう。
そんな欲深い私だったから、罰が当たったんだろうか。
推定年齢23歳は成人出来た『黒』からすれば割と早い。私を育ててくれたあの女性も、今の私よりはもっと年が上だったと思う。
時間はまだあると思っていたから慢心していたんだ。殿下の即位もこの眼で見る事が出来ると思っていたのに、もうそれも叶わない。
恐れ多くもゼーレ様の胸を借りて大泣きする私をゼーレ様は叱ることなく、まるで子供をあやすかのように頭を撫で、涙が枯れるのを待って下さった。しっかり防音と認識阻害の術をかけてくれたのでみっともない姿を他人に見せる事はせずに済んだ。何から何まで申し訳ない。
こんなに泣いたのは自我が芽生えた頃から今までで初めての事だったように思う。泣いても泣いても涙が溢れる。ゼーレ様に抱きつき心行くまで涙した私は、今度こそ城を後にした。
さようなら。
どうか、お幸せに……




