お茶会 その頃
時は少し前に溯る。
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フロイドは〝北の塔〟にてアデルハイトの勉強を見ていたが今日はいつもと違い落ち着きがない。そわそわと扉の方を何度も見る。
チラ。
チラ、チラ。
チラ、チラ、チラチラチラチラチラチラチラチラチラ……
『ええい! 落ち着かぬか! さっきから何度も何度もチラチラチラチラと! リズなら上手くやりおるわ!』
「しかし……! 茶会など狐と狸が化かし合い互いの足を引っ張る事に全力を挙げる暇な連中の集まりですよ!? そんな所に純真で無垢な穢れを知らないリズが奴らの毒がにかかりでもしたら……! あぁ、考えただけでも悍ましい! やはり何度考えてもリズが行くべき場所じゃない! 連れ帰ってきます!」
『だから落ち着かぬかこのリズ馬鹿めが!』
こんなやり取りをすでに20回近く行われていた為アデルハイトは勉強にあまり集中出来ずにいた。普段のフロイドは冷たい目付きではあるもののアデルハイトを蔑んだような事は一切なく、勉強もよく見てくれる頼れる護衛だ。
しかし、リズが絡むと途端に冷静さが失われる。まだ護衛任務に就いたばかりの頃はそうでもなかったのにここ最近ではフロイドのリズに対する態度がデロ甘だ。何かにつけて愛していると伝え、たまにリズがそれに返すと更に甘さが増し抱擁を行うのだ。その原因が父親とまだ見ぬ母親だというからアデルハイトは複雑な思いで静観していた。
アデルハイトは生まれてすぐにこの〝北の塔〟に幽閉されたが故に人との関わりが極端に少ない。世話をしてくれていた執事と護衛騎士は必要最低限の会話しか行われず執事にいたっては言葉の節々に侮辱を含んでいた。言葉の意味は分からずとも自分が嫌われ者である事は二人の態度から察していたが何故自分が嫌われているのかは判らなかった。判ったのはしばらくたってからだがここでは割愛しよう。
兎に角、アデルハイトにとって人との接触は執事と護衛騎士以外では父親と父親の側近である怖い顔の男くらいなものだった。自我が確立してほぼ初めて接触するのが護衛魔術師のフロイドとリズの二人である。
(二人は夫婦……けど夫婦って何? フロイドのいう愛って?)
ここのところアデルハイトはモヤモヤしていた。夫婦というもの、愛と呼ばれる感情、そして。
「なーに騒いでるんだい、フロイド?」
この兄という人間、リオネルに対して。
取り乱すフロイドと止めようとするゼーレの前に現れた兄にアデルハイトは思わず身構える。フロイドとリズはもう怖い存在でなくなったが、まだ会って間もないリオネルには警戒してしまう。
そんな弟の態度に気を悪くする事なくリオネルは笑顔を見せる。アデルハイトからすればその笑顔が余計に警戒を強めてしまう一因なのだが本人は気付いているのかいないのか。
「それはそうとフロイド、お前実は甲斐性なしだったのか?」
「は? どういう意味です」
フロイドの周囲の温度が下がった。仕える主に対してとる態度じゃない。そんなフロイドに気分を害する事なくリオネルは笑顔のままだ。
「リズはお前の妻となったんだぞ? そんな彼女にドレスの一つや二つ、贈ったことは?」
「!!!」
「それどころか……なんだあの『ミンスター卿』とは。間違いではないが仮にも妻となった者になんて呼び方させてるだ。まさかと思うが夫婦となれたことで舞い上がって名前呼びなど気にも留めていなかったのではあるまいな?」
「……」
「図星か。呆れた……。それで夫婦など笑わせる」
心底呆れた! という顔のリオネルははぁと大きなため息をついてゼーレに遅れて挨拶をする。ゼーレは気にしないがリオネルは慇懃な態度を崩さない。自分の立場やこの先の国の行く末を案じる王族として間違いは許されない事を、彼は良く理解していた。
再びフロイドに向き直り、今度はニヤっとフロイドだけでなくリズも嫌がるいやぁな笑顔を浮かべた。
「いやぁ~、それにしてもフロイドも人が悪いよね?」
「……な、なにが、でしょう?」
この笑みを浮かべるリオネルは本当に意地が悪いということはすでにわかっている。学院時代からこの笑顔のあとどれだけ面倒な仕事を押し付けられたことか……! フロイドは身構え、リオネルの言葉の続きを待った。
「リズってば本当に可愛いよね? 着飾って髪を整えただけだけど見違えたよ! 君が普段から女神だの天使だの言ってた意味がようやく分かった。随分整った顔立ちだよね。化粧する前でも思わず見入ってしまったくらいだ」
「!! なっ!?」
「バーセル侯爵夫人に化粧をしてもらったんだけどね、またここでも見入ってしまった。いや、アレは魅せられたというのが正しい。あれだけの器量良し、早々いないだろうし……」
「!!!」
フフッと微笑むリオネルにフロイドは頭に血が上るのを感じた。何故なら、リオネルは一度でも女性に対して本当の意味で微笑んだことがなかったからだ。
「殿下!!」
「あぁ、それとその後手鏡を渡したらね。それもまた可愛かったよ。鏡に写っているのが自分だと思わなかったみたいで後ろを振り返るのさ。でも勿論後ろには誰もいないのでまた鏡を見る。で、また後ろを見て……。首を傾げる姿、デリックも珍しく笑っていたなぁ」
「!!!」
デリックとはリオネルの侍従で3歳年上の伯爵家の次男、デリック・ヒュー・ラヴクラフト。リズの前では随分気安い態度ではあったがフロイドの知るデリックはリオネルを守護する鉄壁のSP。彼がいるなら自分のような側近など必要ないだろうと何度も思ったしそう進言した。聞き入れてはもらえなかったが。
そんなデリックは人当たりがいい(表向きは)リオネルとは違い、人睨みだけでも周囲の人間を遠ざける能力でも装備しているかのように近寄りがたい雰囲気を出す人間で有名だ。フロイドとて『氷の貴公子』などという恥ずかしい二つ名を持っているがデリックはさらにその上をいく『人間ブリザード』と呼ばれている。目が合えばその場で凍り付く様に動けなくなるという噂もあるくらい、彼は他人に容赦がない。
そんな彼の顔立ちは悪くない。むしろ見た目はリオネルやフロイドにも引けをとらないほどの美青年だ。伯爵家の次男と言えどリオネルの侍従を務める程の人間。婚約者がいても可笑しくはないのに先の理由で女性とは縁遠く、現在も婚約者はいない。つまりは独身。恋人もいない。
(あのデリック様が、リズに微笑んだだと!!?)
フロイドの嫉妬メーターが爆上がりする。
メラァ! と燃え上がる身を焦がす炎はフロイドを一気に包み込む。正直に言えばリズと夫婦となったことに浮かれて名前呼びの事はすっかり抜けていたし、女神だ天使だと言ってもリオネルが信じていない事も、信じていないなら別にいいむしろ好都合と思っていたのも事実だ。名前呼びも、全くなかったわけではなかったし、リズ自身が本当にフロイドを愛してくれているのが分かった今、無理をしなくてもいいと思っていた。
ドレスや装飾品も、リズは今までそういったものとは縁遠かったのもあるが、一番の理由はリズを他の自分以外の人間と接点を持つことが嫌で嫌でたまらなかったからだ。
ドレスを着て着飾ったリズが美しいことくらいフロイドだってわかっている。だが、ドレスを贈るには採寸する必要がある。彼女の体に触れるのが例え同じ女性であっても、フロイドにとっては嫉妬の対象でしかない。装飾品については厳選した宝石を贈ろうと思っていたが、やはりそこでもフロイドの嫉妬センサーが発動する。
装飾品を贈るのはフロイドであるがそれを作る職人は男だ。常に自分と一緒にいる、自分のものだと主張するためにフロイドの瞳と同じ色のブルーダイヤモンドのネックレスを発注するために店の人間を呼び寄せたが、無理だった。よく考えたら他の男が作ったネックレスを四六時中身に付けるという事は、実質その男の物であるという事ではないか! とフロイド独自の嫉妬センサーが拒否をしたため、一から自分が作ろうと現在デザインの勉強や彫金などの練習中であった。むしろ、贈るのであれば石や土台になる金や銀まで自分で発掘しようかと計画中だった。
そんなわけで中々贈り物一つできなかったフロイド。はたから見れば甲斐性無しと思われても仕方ないと気づくが、どうしても他の人間の手垢がついたものを最愛の人に贈ることが出来なかった。
これがバーセル侯爵家の呪われた血なのか。リズが身に付けるものすべてに嫉妬してしまう自分が恐ろしい。抑えて我慢しなければ、リズの華奢な体を包む衣服にすらそれを作った人間を想像してしまい嫉妬の炎で身を焼かれ、狂いそうになる。
今も、真っ先にリズの麗しい姿を見るべきなのは自分であるべきなのにリオネルやその侍従であるデリックそして母親までもが先に目にした事に嫉妬した。自分が贈るべきであったのにも関わらずそれを棚に置いての事だが、それでも嫌なものは嫌だ。
愛らしく、美しく、あの黒曜石のように輝く瞳に映る人間は自分だけでいい。彼女の良さを知っているのはこの世で自分だけでいいのだと、何度思ったことか。主君であろうが何だろうが、最愛の人の美しい姿を目にしたリオネル達の目を抉って脳内からリズの記憶を消し去ってやりたいっ!!
憎悪に近い感情が魔力と合わさり溢れ出る。勿論ここは〝北の塔〟大事には至らないが家臣としてあるまじき行為なのは明白。そんなフロイドを咎めることなくリオネルは笑顔を引っ込め、少々真面目になる。
「アデルの事は私が見ておく。行ってこい。そのままで行くなよ? 今のお前だとリズの従者くらいにしか見えんからな。あ、あとリズの着替えは持ってきてるからそのまま戻って来るといい」
しっしっ! と犬猫を追い払う仕草をするリオネルだがありがたい。だがリズの着た服を抱えてここまで来たというのは許せない!
怒りの感情を押し殺し、フロイドは急ぎアデルハイトとゼーレに許可をもぎ取り王都のタウンハウスに転移するべく塔をあとにする。しっかりと正装をせねば今のリズと釣り合わないというリオネルの言葉を信じ、久々に自宅に戻っていったのであった。
「ふむ、嵐のようだな」
そうさせたのはリオネルだというのに呆れたと言わんばかりの言い草だ。残されたアデルハイトとゼーレも、唖然とするしかなかったが……。
ちらっと実兄を見上げるアデルハイト。父親と同じ金髪だが目の色は薄い。自分と父親はもっと濃い藍色だ。と言ってもほんの少し薄いというだけでしかない。なのに、リオネルは王太子となれなかった。目の色が父と同じ色というだけで『黒持ち』の自分が水面下では王太子となろうとしているのに。
アデルハイトは兄の心理が解らなかった。憎まれる筈の『黒持ち』が王太子となる事をどう思っているのか。むしろ、自分の事をどう思っているのか。聞いてみたい気はするが、躊躇ってしまうのは何故なのか。
(わからない事だらけ……)
そもそも『黒持ち』の迫害というのもわからない。迫害されてきたのに自分が王太子という立場に本当に立てるのだろうか。この兄という存在も、自分の事が邪魔なのではないのだろうか。
アデルハイトの心はモヤモヤしっぱなしである。
その後リオネルから勉強を見てもらっているとお茶会から戻ってきたリズとフロイドが帰ってきた。二人はとても綺麗な恰好をしていた。アデルハイトは初めて見るリズの新しい姿に心臓がキュンとしたが、どうしてなのかわからなかった。
* * *
慌てて転移し、お茶会に出ても可笑しくない恰好をするフロイド。急な帰宅に驚きつつも迅速に用意を整える侯爵家使用人たちの手を借りて、リズの隣に立っても見劣りしないであろう姿に整えられた。フロイドは侯爵家嫡男としてそれに相応しい姿だが、リオネルの言葉が本当ならこの姿でも自分はリズに相応しくないのではと、珍しくネガティブになる。勿論、そんなこと知る由もない使用人達は珍しくお茶会に参加するというフロイドを完璧に、それこそ全身全霊をかけて整えた。
使用人たちの頑張りのおかげで、迅速に用意を終えたフロイドは王城に転移をする。直接お茶会会場に転移すればすぐだが、直接転移は礼にかける。王妃様にあてられた専用の庭園にはそれこそ招待された人間しか足を踏み入れることは許されない為、一度〝北の塔〟近くに転移しそこから会場まで歩いて向かう。
心臓がドキドキと五月蝿い。逸る心を落ち着かせようとするが上手くいかず、結局は走ってお茶会会場まで向かっていた。そして、そこで見た最愛の人に釘付けとなったのだ。
髪を上げ、バレッタにはフロイドの目の色であるブルーダイヤモンドが使われている。リズの髪はいつもよりも艶やかで黒にアイスブルーが映えていた。それだけでも心奪われるというのに、化粧を施されたリズの頬は桜色に染められ健康的だ。何より艶やかな唇は薔薇色で目が離せない。
(女神だ……)
フロイドは再びリズに恋をした。自分の最愛で運命の人だと、再度思い知ったのだ。
その後の騒動でリズの魔術師の実力を知る事になるが、フロイドにとって不本意なのはリズが自分に相応しくないというあの令嬢の発言だった。控えめに言っても殺してやりたくなったが、リズは全く気にしていない。恐らくそれが当然だと思っている。
(私には、リズしかいらないのに……!)
この身を焼き尽くすかのような怒りを抑え、フロイドはリズと共に〝北の塔〟へと戻る。




