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透明人間

作者: 三寺慎矢

 人は人と繋がっていかなくては生きていけないらしい。

 これは私が、この春ついに理解したこと。

 たった数回の失敗でまともな会話をしたことのない人間すら敵となり、他者に嫌われていることが生きる上での前提となる。そして、そんな環境に身を置くうちにおかしくなる。思考が読まれているかもしれないと怯え、自分の存在すらここにあってはいけないもののような気がしてきて、挙げ句の果てには息をすることにさえ罪悪感を抱いてしまうようになった。そして、それと同時に他者の笑い声が聞こえるだけで自分のことを噂しているのではないか、不快感を与えてしまったのではないかと不安と恐怖に襲われる。幻聴かもしれないと思いさらに自己嫌悪に陥る。

 それが毎日という日々の中だった。私は何もしたくなかった。

 本当は学校なんて辞めてしまいたかった。

 行きたくなかった。

 でも、それは許されない。

 学校へ行きたくない。そう言った途端、母親は不機嫌になり怒った。テレビの向こう側を見るときは今時はいろいろな形があるのよねとか言って同情してわかったふりしてるところを見ているからか、少し可笑しくなって笑いそうになった。滑稽だな。

 母親は怖くはないけれど、罪悪感もないけれど、すごく面倒だった。学校の恐怖から逃れられたとしてもそうしたら次は家の中での居心地の悪さが待っている。結局最終的に辿り着くのところは変わらない。そう思うと説得の努力をする意味が感じられないから、学校に行ったほうがマシだと思えてくる。ある意味、学校に行けてるところだけ見たら母親は正しいのかもしれない。

 もういっそのこと息をせず、誰にも見えない透明人間になれたらいいのに。

 そもそも存在ごと他者から忘れられ認識されなければ良いのに。

 いつもそう思う。

 そうすれば他者を気遣う必要なんてないし、何も苦しいことはないから。


 ある日、私は「要らない人」と言われた。

 多分、傷ついたはずだった。でも、なんだか正直に言ってもらえてスッとしたところもあった。また、感動していた。

 そうだ、私は不要な何もできない人間だ。そして、今まで他者のことをたくさんたくさん考えてきたけれどそれは必要のないことだったのだろう。全ては無駄だったのだ。

 だから、これからは自由に私らしく、私を尊重できる。それこそが私のするべきことだったのかもしれない。

 私は他者にはっきりとした悪意を向けられたのが初めてだった。

 どんなに褒められても嬉しさを感じることはできないのにどうしてだろうか。

 要らないという言葉に対して私は異常なほどの喜びを感じた。勇気をもらった。

「ありがとう。」

 要らない。そう言った人に私は穏やかに微笑んだ。

 そして、スッと席を立つ。胸ポケットにメモを入れるとそのままベランダにゆっくりと静かに自然に歩いていく。

“やっと機がきた“

 みんなはポカンとしていた。

 私がベランダに着いたときやっと気がついたのか、立ち上がる人が何人かいた。

 でも、もう遅い。

 私たちは立ち上がった何人かの人にもそうでない人にも向けて笑った。

「私に機会を与えてくれてありがとう。すべきことを行くべき方向を示してくれてありがとう。この機会が無駄になりませんように。」

 そう言って、ふんわりと空気の中に身を任せた。

 私は今、私の意思によって動いている。誰の目も声も気にせずに生きている。

 そう思うととても心地が良かった。多分今、私はたくさんの幸福感に満ちている。


 目が覚めるとそこは病院だった。

 母親が泣き叫んでいた。

 あーあ。生きちゃった。

 これは一種の賭けなのだ。成功すれば私の好奇心が満たされ、失敗すればめんどくさいことになる。まあ、クラスメイトはどんな心理状態なのか、果たしてあの心に傷を負わせることができたのかを知ることはできるがそれでもその好奇心は微々たるもので面倒なことに対する感情を超えることは到底できない。

 私は億劫になった。きっと、私はこの後攻められる。

 命を大事にしろ。だとか、

 そんなに辛かったならそう教えてくれればよかったのに。だとか。


 そして、案の定そんなことを言われた。ありきたりなセリフ。そして、つまらない。

 それにそんなこと言われても困る。多分、私はあの状況が辛くてこんなことしたわけじゃない。あれをきっかけにこんなことをする人間だったら、もうとっくのとうにしている。

 私はただ幸せでいたかっただけだ。そして、その幸せを求め、追う勇気をあの時手に入れただけ。

 あのクラスメイトたちはその機会を私に作ってくれたにすぎなかった。

 命を軽んじているかいないかは正直わからないけれど、幸せよりも命を優先して生きていくことは私には難しい。自分が恵まれていることはなんとなくわかっているし、愛されていることも実感できたことはないものの知っている。それなのに幸せを追い求め身勝手な行動をしたことは、確かにわがままなのかもしれないけれど、だからと言ってせっかくの機会をドブに捨てたくはないという焦りを知らないふりして抑える余裕なんてなかった。

 だから仕方ない。そう思っている。

 他者を思うことと自分の欲。

 どっちかを優先すればもう片方は忘れ去ってしまう。

 そのアンバランスさが私の問題かもしれないけれど、直しようがない。

 唯一運だけはいいから頑丈で、ここまで存在してしまっている。

 私は一体いつまでこんな面倒で阿呆らしい愚かな悩みを抱えながら生きていかなければいけないのかと、憂鬱になった。


 空っぽな私へ


 あなたは空っぽです。何もありません。欲望は死後の世界を知ることだそうですが。この世界を全て知っているわけでもないのに烏滸がましいとは思いませんか。命の重さなんて全く理解していないでしょうに。それどころか何一つ本当に理解できていることなんてないのでしょうに。全く、愚かでしかない。救いようもない。

 あなたの笑顔はとても普通だ。でも、私はその笑顔が嘘だということを知っていますよ。底抜けに明るい性格。それを作り出していることくらい、すぐにわかります。本当に嘘つきで最低だなと思うけれど、愚かなあなたは仕方ないのでしょう。その愚かさゆえに表面に執着するあまり中身をどこかに落としてしまった。そして、それに気がついたときにはその中身について思い出すことすらできなかったのでしょう。だからあなたは表面だけだった作り物に中身の要素を付け足した。

 そして出来上がったのが今のあなたという奇妙な人間です。

 ああ、もちろん奇妙なというのは本心ですよ。何も理解できないからこその奇妙さなのでしょうか。そういえばあなた確かこういうこと言われると喜びますよね。ああ、安心してください。安心して喜んでください。私は別にあなたのご機嫌取りなんてしていない。あなたを喜ばせる必要なんて微塵もありません。

 確か褒められても嬉しくないとか言っていたようですがそれはただ信じることができないだけですよね。悪意ならほとんど完全に自分に向けられているのが本心だとわかるから嬉しかったのでしょう。そして、あなたはそれも理解しているのにさも分からないように、摩訶不思議なように語っていましたね。本当にくだらない人間だ。嘆かわしい。

 まあ、何も言いたいことがあったわけではなくてたまたま罵りたくなっただけなのでこの辺で。


 さようなら。


 私は透明人間だから知りたいことを知ることができる。

 あなたのことも全てわかる。

 そのまま簡単に見えてしまう。

 そんな私をあなたはどう思うのでしょうかね。


                                                          透明人間より           

 

 下駄箱の中のラブレター。

 怖かった。私が一番危惧していた思考を持つ誰かがやって来てしまったことに、心底怯えた。

 でも、それと同時に私が求めていた理想でもあるかもしれないと感じた。

 欲しいと思った。出会えたのが嬉しくて、少し存在してよかったと思えた。


 私の底抜けの欲望は留まることを知らない。透明人間は見えないけれど今度下駄箱にでも透明人間になる方法を聞く手紙を置いておこうと思った。もし透明人間になれたら、私は心の平穏を取り戻し、理想を知って、また普通に戻れるかもしれない。

 底抜けの欲望の奥の底には期待があった。


 もちろん、夢を語っていることはわかっている。

 結局私はただの普通の人間に過ぎない。

 透明人間になんてなれやしない。

 そんなことわかっているのにな。


読んでいただきありがとうございます。

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