GoodBye Tokyo
(1)
「どうぞ、あの子のことを話して」
彼女は俯きながら、そう呟いた。
その言葉にはたくさんの感情がこもっていたから、僕の心は押しつぶされそうになってしまった。
「……分かった。君に話そう」
幾千もの夜景の光が、僕たちを照らす。まるで世界に僕と彼女しかいないみたいだった。
だけど今はそんなロマンに浸る余裕は無かった。このストーリーを話すのには、色々な勇気と覚悟が必要だからだ。
僕は彼女の顔を眺めながら、ゆっくりと、口を開いた。
話すのはあの頃の物語。若かりし日の、桃色の記憶。宝物のような思い出。
「僕の口から東京タワーが出たのは十五歳の頃の話だ」
(2)
いや、本当に突然だった。
真っ赤な鉄骨と、真っ白な鉄骨が、突然口からドバドバ出てきて、それが目の前でガシガシ組み立てられていって東京タワーになったのだ。
たぶん三万本くらい吐き出した。それぞれに僕がさっき食べたユーリンチーの断片が付いてて、なんか小汚い。
あまりに突然のことに僕はむせながら呆然としてしまった。一体どういうことなんだこれは。
「アッハッハ。なんて顔をしてるのさ」
東京タワーが僕に語りかけてきた。333メートル上空から語りかけてきた。
「いやあ、あの、これって一体なんなんでしょうか……」
自分の口から出てきた存在なのに、思わず敬語を使ってしまった。
「あらアンタ、あのトンビから何も聞いてないの」
あのトンビと聞いて、僕は先日海老名の駅前で倒れてたあのトンビのことを思い出した。
そのトンビは貧乏で腹を空かせて地上に落ちてきてしまったと言ったので、哀れに思った僕は自分の家に連れて帰って、チャーハンを沢山食べさせてやったのだ。
「貴方は命の恩人です、お礼にどうぞこれを」と食べ終わったトンビはそう言って、自分の口ばしの一部をもいで僕に渡してくれた。
「トンビの口ばしを食べて願いを念じれば、その願いが口から出てくるのです、ぜひお使いください」そう言って彼はもがくように空に飛び立った
僕は半信半疑だったが、とりあえず珍しい食材が手に入ったと思ってさっきその肉をソースに加えたユーリンチーを作って食べたのだ。
それが原因でこの東京タワーが出てきたというのか。なんたることだ。
「思い出したかい。アンタの願いがアタシを生み出したのさ、ねえ霜山」
彼女は嬉しそうに僕の名前を言った。喜んでいるのか、赤い鉄骨はさらに赤くなっていた
僕は困り果ててしまった。
●
確かに僕は将来大金持ちになって、東京タワーと結婚したいという夢を掲げていた。
僕は五歳の頃に初めて東京タワーを見た時から、あの凛とした空気を持ちつつも圧倒的なスケールを放つその姿に、メロメロになってしまっていたのだ。
しかし僕の家は神奈川県海老名市の端っこにある小さな中華料理屋。高級な存在である彼女に見合う男になるには相当な努力が必要だった。
世界一の料理人になって金持ちになって東京タワーとお付き合いする。そんな願望を抱きながら、十五歳の僕は日々料理の修行に励んでいたのである。
僕は口から出てきた目の前の圧倒的存在を見上げた。
「ほらどうなのさ。憧れの存在が目の前にいるってのは。嬉しいかい。興奮するかい」
見た目は東京タワーそのものだった。美人で背も高くスタイルも良い。
しかし本物の東京タワーはこんな下品な喋り方はしない。こんな風にガハガハ笑わない。本物はもっとおしとやかで、崇高な女性なのだ
やっぱりこの女は、僕が作り上げた偽物の東京タワーなのだ。
「どうした霜山。アンタはアタイを好きにして良いんだ。ほら、いつも妄想しているあーんなことやこーんなことをしてみたらどうなのさ」
そう言って彼女はいやらしく腰をくねりだした。その腰振りの反動で鉄骨が吹っ飛び、隣のビルに突き刺さった。
「やめてください。東京タワーはそんなふしだらな女じゃないんです。もっと彼女は崇高で高級で雅やかな存在なんですよ」
「アッハッハ、けどそう言うアンタの頭の中の東京タワーは、いつもこんなんだよ。アタシはアンタの思考に忠実な存在なのさ」
それならば恥ずかしい!僕がいつもベッドの上で行う妄想が、333メートルのスケールで具現化されてるなんて。
僕は叫びそうになりながら、彼女に言った。
「お願いです。呼び出してしまって本当に申し訳ないけど、また僕の体内に戻ってくれませんか。このままじゃあまりにも恥ずかしすぎます」
彼女はショックを受けたのか、鉄骨を五本ほど町に落とした。そして真面目な顔になって言った。
「無理なお願いだね。一度呼び出したものは、もう元には戻らないのさ。たった一つの方法を除いてね」
「それはどんな方法ですかそれは?教えてください」
「アタシをまた、アンタの口の中に収めるんだ。つまり霜山、アンタがアタシの体を食べるのさ」
「君を、食べる」
「そう、アタシはこう見えてアンタと同じ肉の塊で出来ているんだ。だから私の一部をアンタが取り込めば元通りって訳」
そう聞いて僕は早速彼女に噛みついた。しかし想像以上に彼女の肉体は硬く、その上どうしようもなく鉄臭いのでとても食べられそうになかった。
「アッハッハ。生のままではとても食えやいないよ。諦めてアンタは一生アタシと過ごすのさ」
なんてことだ。調理が必用だというのか。しかし今の僕には、こんなハードな食材を調理する技術はない!
絶望した。しかし将来の夢のことを思い出し、諦めずに彼女に向かった。
「今に見ていてください!僕は絶対アンタを美味しく頂きます」
「やれるものならやってみな。霜山クン」
東京タワーの偽物は鉄骨を揺らしながらけらけら笑った。街中は鉄骨まみれになった。
僕は困っタワーという思いで頭をかいた。
(3)
「おうおう、お前あんな綺麗な姉ちゃんと付き合ってるなんて、隅に置けねえな」
「そうそう、お母さん本当にビックリだわ」
あれから一週間経った。僕の口から出た東京タワーを、両親は新しくできた恋人だと思い込んでいるみたいだ。
「やめてくれよ、彼女とはただの知り合いだよ」
僕はチャーハンを作りながら否定した。
「霜山、あとランチセット三つお願い!」
「はーい了解です」
とりあえず偽物東京タワーは僕の家の中華料理屋に居候することになった。
両親たちは彼女を気前よく受け入れてくれて、家の天井を全てとっぱらってまで彼女を迎え入れてくれた。気前が良すぎる。
「へい看板娘!今日もかわいいね!」
「張り切ってるね看板娘!今日もデカイね色々と!」
店員として働いていると常連のおじさんからのウケがとても良かった。お客さんの数は倍近く増えた。
確かに彼女は東京タワーのように美しい。看板娘と言うよりは看板をかけられる娘と言ったほうが正しいけど。
「おっ、かわいいだって!おじさん嬉しいこと言ってくれるじゃない!好きなだけアタシの体に触れなさい!」
そう言うと彼女のあちらこちらにおじさんがしがみついて彼女を撫で回すのだ。金属を擦る音が街中に響くので、不快な気分になる。
違う、東京タワーはそんなに軽い女じゃない。誰にも触れられない、崇高な存在であるべきなんだ。尻軽な東京タワーだなんて、僕は認めない。早く彼女を調理しなくてはならない。
まずはどうやって肉全体に一気に火を通すのかが問題だ。それを考えなければ……。
「うおーい看板娘ちゃん!ラーメンのドンブリに鉄骨入ってたんだけど!」
「あらあそうなのかい!でもアタシの一部だから問題ないだろう!」
「それもそうか!いただきます!」
常連の川口さんはそう言って鉄骨に噛み付き、歯を全部吹き飛ばした。こうして海老名市の中年男性は全員歯を失ってしまった。
「あの、偽物東京タワーさん。ドジして料理に鉄骨入れるのいい加減やめてください」
「悪いね霜山!でもごらんよ、みんな笑って許してくれるよ!気前も良いしアンタの料理もウマいし、いい街だねここは!」
おじさんたちと彼女は笑いながら街中に鉄骨を落とした。偽物東京タワーはすっかりこの街が気に入ってしまったらしい。その笑顔を見ると、彼女を僕の中に戻そうという思いが少し揺らいでしまうのだ。
●
「どうしても霜山は、アタシを好きになってくれないのかい」
ある日の夜、僕の部屋で彼女が言った。
「本物みたいにお高く止まってないし、いつだって霜山のそばにいてやれるし、鉄骨だって出し惜しみしない。いったい何が不満なんだい」
僕は布団にもぐりながら少し考えた。
確かに偽物とはいえ、彼女といる一ヶ月はとても楽しかった。
ひょうきんで人当たりのいい彼女はすっかり街の人気者になり、老若男女みんなが彼女を好きになっていた。
特に周りのビルたちが彼女に影響されて、どんどん階数を増やしてしまい、今じゃ200メートル以上の建物がズラリと並ぶ未来都市みたいな街になってしまった。
彼女と僕の関係を知るみんなは、羨ましい妬ましいと言ってくれる。
僕も、一人の友達として彼女と付き合うことは悪くないと思ってきている。
でもそうじゃないんだ。僕は悩みながら巨大な彼女に言った。
「君といることは、とても楽しい。でもそれじゃダメなんです。今の僕は、本物の東京タワーと婚約するために世界一の料理人を目指しているんです。
君で満足してしまったら、僕の目標が何も無くなってしまうのです。それはとても怖いんです。僕はもっと、強い自分に成長したいんです」
少し間が空いた後、偽物の東京タワーは参っタワーと言いたげな表情で息を吐いた。
「ハッハッハ。それは仕方ないね。けど、アンタのそういうところ好きだよ」
彼女は硬い体で僕を抱きしめてくれた。一瞬で寝違えそうだった。
僕はなんだか申し訳なくて、333メートル上空の彼女の顔を見上げられなかった。
(4)
「ですから、彼女は東京タワーの偽物で、別の生き物だと言っているでしょう」
暑い季節がやってきた日、東京都知事が海老名の僕の店に来ていた。
なんでも神奈川県に東京タワーがあることが意味分からなくて仕方ないので早く撤去してくれとのことだ。
最初は穏便に対応していたのだが、何度も同じ話を繰り返す都知事に苛立って、興奮して街中に響くくらいの声で反論していた。
「だってほら見てください!こんなに大きな東京タワーがありますか? こいつは紛れもなく偽物なんですよ!」
実際偽物東京タワーは僕のご飯を食べすぎて最初口から出てきた時よりも大きくなっていた。今は999メートルある。
「それにドジだしひょうきんだし料理が下手っぴだ。これ以上ない偽物ですよ。東京タワーとは似ても似つかない酷い偽物。それが彼女。分かりましたか」
それでも都知事は混乱しているのでその口の中に僕の回鍋肉をぶち込んでやったらウマすぎたのか失神してしまった。料理のスキルは格段に上がっている。
「そうだ!彼女は偽物!まがい物なんだ!偽物!偽物!偽物!」
気絶した都知事に向かって何度も偽物と口にした。
その時、周りを見渡してようやく気がついた。皆が僕を冷たい目で見ていることを。
父親も母親も、常連のおじさん達も、海老名市の人々も、巨大なビル達も、皆が僕を軽蔑するように見ていた。
「おいおい寛治、仕方がないとはいえ、彼女を偽物偽物ってデカい声で言いすぎだぞ」と父さん。
「そうよ、あの子はあの子でしかないのに、何度も偽物だと言ったら、傷つけてしまうわ」と母さん
「そうは、かのしょはひせものはんかしゃなみ!」と常連のおじさんたち。歯が無いので何言ってるか分からない。
「私たちは、彼女が東京タワーであろうとなかろうと、大切な友人だと思ってるの。まがい物なんかじゃないわ」と怒りを現わにしているビル達。
僕は恐る恐る偽物の東京タワーを見上げた。彼女は悲しんでいて、鉄骨が曲がるくらいうなだれていた。
「……いいよ、霜山の言いたいことは分かるよ。ただね、アタシは霜山の本物には絶対になれないんだね……」
彼女は泣きそうになりながら街に鉄骨を落とした。
僕はどういう言葉をかけたらいいのか分からず、傷つけてしまった彼女に触れることすら出来なかった。
沈黙が続いた後、都知事が起き上がり、これから東京で料理コンクールがあるからお前も参加しろと言って否応なしに僕をベンツに閉じ込めてしまった。
僕はごめんねも行ってきますも言えずに、離れていく海老名と巨大な彼女を窓から見ていた。その日の事は今でも後悔している。
●
料理コンテストは八万人くらいの参加者がいたがちょちょいのちょいで優勝した。
東京の人たちは僕を神童だと崇めたが、僕の心には偽物の東京タワーの悲しそうな顔ばかりが浮かんでいた。
その心を映し出すかのように、関東全域で大雨が降り出した。僕は不安になって、授賞式の途中で会場を飛び出し、海老名まで走り出した。
とてもおかしな天気だった。嵐になりそうなくらい激しい雨が降ってるのに、雷が海老名市内でしか落ちていないと言うのだ。
背の高い建物が東京以上に密集しているせいだろうか。僕は彼女の身に何か起きてそうな気がして、大雨の中をひたすら走った。
果たしてその予感は的中した。
海老名の街に着くといつもと違う所がすぐに分かった。どこを見回しても、あのひょうきんな東京タワーの姿が見えないのだ。
その代わり、街の真ん中で大きな煙が上がっている。僕はそこに駆け寄った。
そこにいたのは、真っ黒に焼けた東京タワーだった。
僕が呆然としていると、周りのビルたちが叫び、泣き出した。
「彼女は私たちに落ちそうになった雷を、全部一人で受け止めてくれたの!彼女のおかげで、命を救われたの!」
すすり泣くビルと海老名市の人たち。あちこちで鉄骨がこぼれ落ちる音がする。
「……東京タワー、ねえ、起きてください東京タワー!」
僕は初めて、彼女を東京タワーと呼んだ。
「なんでこんなことをしてしまったんですか!ビル達を守ったって、君が死んでしまってはどうしようもないじゃないですか!」
焼け焦げた東京タワーは僕の顔を見ると、弱々しい声で言った。
「これでいいんだ……偽物はこうなるのが正しいのさ……さあ霜山、準備は出来たよ」
東京タワーはこの時を待ってタワーと言いたげな表情を僕に向けた。
「体に火は通った。後はアンタが調理して食べるだけさ……」
僕は泣いた。今までこの東京タワーと一緒にいた思い出が蘇り、その日々が全てかけがえの無いものだということにようやく気づいたのだ。
偽物なんかじゃない。本物なんだ。僕が一緒にいたいと求めていた東京タワーは、ずっと目の前にいたんだ!
「僕にとっての東京タワーは君だけなんだ!だからもう、自分を偽物だなんて言わないでくれ!僕が悪かったよ!」
すると彼女はにっこり笑って、そのまま動かなくなった。
僕は泣き叫んだ。そして涙ながらに包丁をふるい、彼女の999メートルの肉体を解体した。刃がとても入りやすい、最高の火加減だった。
あまりにもジューシーすぎて彼女から溢れる肉汁で海老名の街が沈んだ。試しに一口食べてみると、この世のものとは思えない絶品だった。
彼女の肉を食すと、僕の体内で東京タワーが蘇るような思いがして、僕はグシャグシャの顔をしながら東京タワーをガツガツ食べた。
飢えた海老名市の人たちも、泣きながら彼女の肉体にかじりついた。
「おいおい、歯あ、取れないじゃないか」
悲しすぎて美味しすぎて、僕と海老名市の人たちはこの日の事を永久に忘れることができなかった。
(5)
「これが僕の青春。口から東京タワーが出た話しさ」
僕の長い話を聞いた彼女は、黙って僕の顔を見下ろした。
「もう三十年もの前の話だよ。懐かしすぎて涙も出てこない」
「でもアナタは、今でも彼女のことが忘れられないのでしょう」
僕は黙って、うなずいた。
「だから私と結婚しても、アナタはどこかちぐはぐな思いを私に感じてしまうのね」
その通りだった。
「たとえ私が、本物の東京タワーであっても」
僕は、うなずいた。
あれから僕は、夢を絶対に成し遂げてやるんだと必死になり、料理の修行を重ね、この世の誰にも負けない世界一の料理人になった。
あの日の東京のコンテストに連続で優勝し、至るところにレストランを開き、世界中の人間に僕の料理を食べさせた。
多くの人間を僕の料理の虜にした。特に東京都知事とデヴィ夫人は破産してまで僕の料理を喰らい続けた。
そして死ぬほど稼いだ金で、僕は東京タワーを買収し、結婚した。
全てが理想の通りだった。
だけど、現実はそう上手く行かなかった。
本物の東京タワーは理想通り才色兼備で雅やかで、でもその姿を見るたび、どうしても海老名の東京タワーと比べてしまう自分がいるのだ。
比べ用もない存在のハズなのに、僕の青春時代を培ってきた彼女の姿が頭から離れないのだ。
そしてそんな僕の気持ちに本物の東京タワーは気づき、酷くプライドを傷つけていた。
だから今日、僕をこうして踏みつけながら昔の東京タワーとの思い出話を語らせたのだ。彼女は怒るととても怖い。僕の心は本当に押しつぶされそうだ。
333メートル上空の彼女表情を地上から見上げる。とても怒っているのが分かったが、もう僕の心は決まっていた。
「ごめんね東京タワー。やっぱり僕は、昔の東京タワーのことが好きなんだ」
「そう、じゃあ、私とは別れるのね」
「うん」
「覚悟は出来ているのね」
「うん」
そう言うと東京タワーはロケットのように空を飛び、ゆっくり夜空に吸い込まれていった。
東京タワーの一族は夫婦の繋がりを重んじるので、もしも相手側の都合で離婚を切り出された場合は、その相手をタワーの先っちょにある尖った部分で刺し殺してもいいという家訓があった。
だから今こうして飛んでいった東京タワーは、この後逆さまに落ちてきて僕の脳天を突き刺しにくるのだ。
後悔はしていなかった。僕は僕の心に素直に従った。それで死ぬなら僕の人生は満足だった。
勢いよく落ちてくる東京タワーの姿が見えた。僕の命も残り数十秒だ。
ゆっくりその光景を眺めて、あの海老名の日々を思い返そうとした、その時だった。
おかしなことに気がついた。
僕の頭部に落っこちてくる東京タワー。
その先っぽに、既に何かがぶっ刺さっているのだ。
何だろうと思って目をこすって見てみた。
それは大量のトンビだった。
●
驚いた。どこまで高く飛んだのか。お嬢様は加減を知らないのだから。
そして同時に妙案を思いつく。
僕は口を大きく開け、海老名の東京タワーとの思い出を最大限に頭の中に浮かび上がらせた。
ひょうきんな彼女の笑い顔、ガサツな笑い方、よく鉄骨を料理に入れてしまうドジな所。言えなかった好きという言葉。
黄金の思い出で頭がいっぱいになった時、僕の口の中にトンビが入り込んだ。
口の中から大量の鉄骨か飛び出した。
その衝撃は本物の東京タワーの身体を余裕で押し返す程だった。
飛び出した白と赤の二色の鉄骨が、上空で混ざり合い形を作っていく。
ふと起き上がって街を見回すと、日本国民全員の口から鉄骨が飛び出しているのが見えた。
僕は三十年間料理に必ず東京タワーの肉を入れてきたから、それのせいだろう。
みんなが空を見上げて、鉄骨を吐き出していく。空中のそれはやがて形がはっきり浮かび、その巨体を東京の空に映し出した。
体が動き、目を開いた彼女は、こんなの奇跡ダワーと言いたげに僕を見た。
「……アタシ、あなたと一緒でいいの。本当にアタシを選んでくれるんだね!」
泣き出した彼女の顔をしっかり見つめて、僕は言った。
「もちろんです。あなたが大事だとようやく気づけたんですから」
僕たちは抱き合った。青春時代に触れ合えなかった分まで、彼女を抱きしめた。
ふと横を見ると、本物の東京タワーが怒りの眼差しを向けていた。うおうこれはマズイ。
「東京タワー!感動は後!帰りましょう!」
「まかせとけ!」
すると東京タワーはジョット機のように煙を噴出して飛び上がった。
その行先は言わなくても分かる。僕たちの故郷、海老名市だ。
「待て!ねえ、待ってよ!」
本物の東京タワーは僕たちに大量の鉄骨を飛ばしてきた。それに応じて僕たちも鉄骨をぶつけるものだから、東京の街に大量の鉄骨が降り注いでしまった。
大騒ぎになる東京を眺めながら、僕と東京タワーは、おかしくて笑い合ってしまった。
鉄のぶつかる轟音と、柔らかな笑い声が響く夜空。
言いたいことは色々あるけれど、とりあえずさようなら、憧れの町。グッバイトーキョー。
理想でないものが理想だった。本物じゃなかった君と、本物の未来を。
END




