猫
こんにちは。
いつも拙作、「羊蹄に揺蕩う雲よ』をお読み頂いて、本当にありがとうございます!
ここまでのこの物語は、私の実体験とフィクションが、大体7:3〜8:2くらいのスペシャルなブレンドでお送りしておりました。入院の日々、病室の窓から見える風景や、カウンセリングの場面での自分の幼少期語りは割とそのまんまだったりしますが、それ以外の実態は、結構ファンタジーに包まれてます…糖尿病食に、ラーメンは出ないのですw
この先、ドンドンと「私」の過去に踏み込む描写が出てくると思います。真実とフィクションが入り混じったお話になると思いますが、知り合いが読んでも、「大体合ってる」くらいのブレンドを目指して頑張って参ります!
…ところで、私は筆を執り始めてまだ2ヶ月とちょっとの身でして、右も左も、東西南北も分からぬ若輩者故に、お読み頂いた方々に、お願いが御座います。
お読み頂けるだけでも感謝感激雨霰で、大変厚かましい限りですが、もしも頂けるようでしたら、ご感想など頂けますと大変、大変モチベーションが爆上がり致します。どんな些細な事でも結構です、ただまぁ、お叱りの程はお手柔らかに頂けますと幸いです!
長き前書きになってしまいましたが、どうぞよろしくお願いします。
久々のギターは、怠けて柔らかくなってしまった指の腹に適度な痛み、手首のダルさと引き換えに、心を軽くしてくれた。しかし、思い返せばギターの状態は、良いとは言えないものであった。本体は全体的にくすんでおり、弦は錆が目立つ、いわゆる腐った弦の状態で、指板に至っては張りっぱなしの弦の張力で、反ってしまっていた。
首を傾げながら弾いていましたよ、と岸田さんに指摘されたのは、久しぶりのギターに指が慣れていないからだと思ったが、どうやらギターの状態についても無意識に気にしていたらしい。次回、早速手入れや弦の張り替えについて提言してみようかな、と、自分の前向きな姿勢に少し驚いた。やはり音楽は、良い影響を私に与えてくれそうだと思いながら、ナースセンターを通りがかる。
通りがかりのナースセンターで、看護師さんに呼び止められた。どうやら今日の17時半、担当医の田嶋先生の診察があるらしい。そういえば、今朝方診察予定の連絡がなかった気がしていた。どうやら何か問題が起こったらしく、巡回の看護師さんが連絡を忘れてしまっていたらしい。快く了解し、自室へと向かった。
幾度か変わった自室だが、現在はちょうど角部屋にあたる位置に存在する。ドアを開け、2人部屋の左側へ続くカーテンを潜って帰室した。見慣れた物の配置を無意識に確認しながら、備え付けのテーブルに楽譜の入った袋を置く。ひと息ついて、愛用のプラスチックコップに麦茶を注ぎ、ひと息に飲み干しながら、椅子に座った。
少しだけ、周辺を観察する心的余裕を取り戻した私は、二杯目の麦茶を注ぎながら、目の前に広がる病室の窓からの景色を観察した。
南向きの窓から見える、真夏の14時半の空は、ギラギラとした太陽と突き抜けるような青空が眩しい。少し目線を下げると、これまた青々と繁る白樺の木が、わずかながらの木陰を提供してくれていた。その奥、約30メートル程には、住宅街が広がっており、手前には3階建てのアパートが数棟並んでいる。
意外と健常な人々の暮らしに近い距離にいた事を、改めて意識して少し驚いた。それと、私は毎年秋に、白樺の花粉にやられるアレルギー性鼻炎持ちであるので、今から少し恐怖してしまった。
そのとあるアパートの手前には、バンパーの壊れたトレーラーと、5名くらいの男女が難しい顔をして話し合っている様子が映る。そう言えばあのトレーラー、入院してからずっとあった気がするが、不法に放置されているのだろうか?
窓の上から半ばまでは、天気や人々の暮らしがあった。また麦茶を一口含んで、今度は視線を下に下げてみる。
緑だ。目に痛いくらいの鮮烈な、夏の命を謳歌する様な、イネ科の雑草が天を衝かんと繁茂していた。雑草に隠れてしまっているが、その奥にはどうやら小川が流れているようだ。冷房の効いた部屋から出る元気はないが、いつかその側に行って覗いてみたいと思った。
ふと、その緑の波の中、ゆっくりと動く生物を発見した。
猫だ。
茶色のトラ猫だ。
ふと、こちらをチラリと流し目で見てきた。中々にふてぶてしい顔つきである。
そいつは、窓の左側からのっそのっそと小川の土手を歩き回り、やがてこちらに背を向けて、ゴロン、と横になった。
恐らく、この小川は彼、もしくは彼女の縄張りで、ゆっくりとネズミでも待ち構えに来たのであろう。私は、漸くこの一帯のナワバリのヌシの一瞥に与れたのか。
我が家にはかつて、犬と猫がいた事があったが、私は断然イヌ派であった。どうも私は猫にとって、構い過ぎる飼い主らしく、構っているとプイッとソッポを向かれる事が多かった。ツンデレは嫌いではないが、やはり構っても構ってもイヤな顔をしない犬が、私には相性が良かったようだ。
さて、窓の外の件の彼、もしくは彼女は、どういった性格の持ち主なのか。戯れに、しばらくの間観察でも続けてみようと思った。
猫の観察をしながら、私はスマートフォンでAliceの「遠くで汽笛を聞きながら」の歌詞とコードを検索し、それをノートに写す、写経の様な真似事をし始めた。先ほどのギターの作業療法で、急に歌いたくなった歌だ。どちらかと言うとピアノの方が合っている気もするが、ギターでも全く違和感もないし、間違いなく名曲だ。
最近の歌詞とコードを載せたサイトは、タップすると自動でゆっくり下に下がり、演奏に合わせて表示してくれるのだが、いかんせん文字が小さいので自分には合わなかった。私はド近眼と乱視が混ざって、割と視覚障害者手前くらいに目が悪いのだ。
文字を書くという事は、リハビリにも繋がるのでは無いかという、淡い期待もあった。自分を見つめ直すノートには、ミミズののたくった様な下手な時で書いていたが、歌詞はしっかり読めないと間違ってしまうので、自分的な他所行きの文字で書いて行った。件の猫は、ゴロンと横になって日光浴をしている。しかし暑いのか、すぐに木陰へと引き揚げて、また涼しくなったら陽射しの下へと戻る、という行動を繰り返している。
やはり野に生きるモノとしての本能なのか、自分を天日干しして、ノミやシラミと言った寄生虫の予防の為の行為なのだろう。コロコロと行動が変わる猫に癒されながら、私は歌詞の書き写しを進めた。
歌詞が3番に入る頃、猫は小川を西へ辿って何処かへと消えて行った。帰宅したのだろうか。私は、猫のコロコロ変わる行動から、心の中でコロ助と命名した。恐らく直接触れ合うことも無いだろうが、せめて目の合った仲だ、勝手に心の中で名前くらいつけてもバチはあたるまい。
それにしても、文字を書くという事は、こんなにも疲れる事であったろうか。最近ではほとんど自分の名前や、グチャグチャと思った事を書き出すくらいだが、しっかりと書く日本語というのは、意外と疲れるものだ。しょっちゅう休憩を入れ、放り投げそうになりながらも、コロ助や窓の外の放置トレーラーを巡るゴタゴタを観察しつつ、無事に書き上げた。どうやらトレーラーは、大人6人がかりで相談するも、結局撤去しないで終わるようであった。何の為の集まりだったのだろうか。
歌詞を書き写した後は、コードを書き写す。比較的簡単なコードなので、書き写しながらもきっと弾く時はすぐに弾けるだろうと思っていた。次回のギターが楽しみだ。
一通りの作業を終わらせて、後片付けを終わらせたところで、17時20分を回っていた。私は最低限の身嗜みを整えて、診察室へ向かった。
担当医の田島先生は、眼鏡にふくよかな体型、少し白髪の混じった50代の温厚な男性の先生だ。常に笑顔を絶やさない印象で、きっとこの笑顔でこれまで数多の患者を救って来たに違いないと思わせる貫禄があった。診察室の扉の向こうには、いつもと変わらない先生の姿がある。
さぁ、どうぞ、と促され、椅子へ掛ける。先生は目の前のパソコンの電子カルテを見ながら、私の最近の気分や出来事を聞いていく。これまで、全く自身の裡に囚われていたが、ようやっと少しだけ周りを見る余裕が出てきた気がする事や、例えば今日のギターや、コロ助の事などを、少しずつ、辿々しくも思った事を先生に伝えていった。いつもなら、私が話し出すまで時間がかかり、先生が根気強く待ってくれるというのが常であったがら今日はすぐに語り出した私に、先生も一瞬でも、驚いた様であった。
やがて、五郎先生の話に及び、彼との思い出話などを披露した。すると先生も、実は学会や研修などで会ったことがあって、治したい人がいるという志のある若い先生だなと好感を持っていたら、その治したい人が貴方だったとは、大変驚きました、と、エピソードを語ってくれた。
今後は、五郎先生のカウンセリングと、田嶋先生の診察を1日おきに交代でやっていくという事になった。薬も変わらず、夕食後の安定剤のみで様子をみる事とした。
診察が終わったのは30分後の18時で、ちょうど夕食の時間であった。病室への帰りがけに列へ並び、お盆を受け取って部屋へ帰る。今日はご飯、お吸い物、きんぴらごぼうに白身魚の焼き物であった。あっという間に平らげ、お盆を下げる。ナースステーションへ行き、夕方の薬を飲み、その足で洗面室で歯を磨いた。
部屋へ帰り、身の回りの片付けをしていると、スマートフォンが着信音を鳴らす。発信元の名前を見ると、「結城」とある。もう、26年来の友人の名前であった。