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羊蹄に揺蕩う雲よ  作者: カゼタ
5/8

音楽に触れて

 翌朝、目が覚めたのは朝7時。一体何時間寝てしまったのか、身体中の関節と背中が痛い。おまけに少しだけ怠さもある。体温計は平熱を示しているため、やはり精神的な疲れであろうか。


 私はのろのろと朝の洗顔等の準備を済ませると、朝食を摂る。本日は食パンメインの洋風朝食のようだ。本来、朝はパン食が多かった私にとってはありがたい。我儘を言えば、クロワッサンや塩パンなど、もっと脂っ気と塩気のあるパンが好みだが。


 朝食を終えて、私は昨日のカウンセリングを思い出す。幼少期から抱えていた思いを、あのように一つにまとめて誰かに話すのは、実は初めての事であった。これまでもカウンセリングや先生との診察で、その欠片のような話をする事はあったものの、どうしても話が飛んでしまい、黙り込んでしまう事が多かった。しかし、その悔しさから書き溜めていたメモと、五郎先生という心許せる先生を前に、ようやく心の内に思っていた事を言葉にして伝えられた事に、希望を持てた気がするのであった。


 朝食後の思考を終えて、私は二日ぶりにジムへと向かい、汗をかく事にした。身体は元気であるため、やはり動かさねば夜、中々寝つきが悪くなってしまうのだ。手早くジャージに着替え、着替えを準備していると、中に積んでいた楽譜が数冊、パタパタと落下してきた。


 そう言えば、最近音楽に触れていない。この病棟には音楽室まであり、時間を決めて予約をすれば誰でも使えるきまりになっている。70年代フォークソングのギター弾き語りが趣味であった自分は、何冊かの楽譜を持ち込んで入院したが、精神的な余裕が音楽にまで振ることが出来ず、こうして楽譜は少し埃を被っていたのだった。昨日のカウンセリングでの小さな快挙は、自分に音楽への関心も、少し甦らせてくれたらしい。


 ああ、久々に弾き語りをしたいな、と思った。


 ジムで体を動かし、汗をシャワーで流した後、ナースセンターで音楽室の予約状況を確認すると、今日の午後2時から使用可能らしい。私は予約をお願いすると、しばらく溜まってしまった洗濯物の洗濯に取り掛かった。


 コインランドリー式の洗濯機は1台しかないため、時折順番待ちが発生する。今日は折良く洗濯機を確保できたため、手早く設定して自室へ戻る。洗濯機は脱水までしかやってくれないが、同じく乾燥機もコインランドリー式に用意されている。洗濯機・乾燥機も双方100円ずつかかり、それに洗剤も用意するとなると、意外と一度の洗濯には経費がかかるのだ。


 自室に戻ったら、洗濯が終わる40分後まで、少し片付けを行った。物は少ないとは言え、あまり整理整頓が得意ではない自分には、こうしてたまに纏まった整理整頓タイムが必要なのだ。ベッドや部屋の床などは、掃除担当の職員が各部屋2日おきにやってくれるため、専らクローゼットと机の中の整理が必要な作業となる。私は少しだけ気合を入れて、クローゼットの扉を開けるのだった。


 初めて足を踏み入れた音楽室は、ジムのさらに奥にある、人通りのほとんどない通路の奥に存在する。音に繊細な患者も抱える病院にとっては、常に騒音という問題と隣り合わせである音楽に対して、仕方のない妥協案であろう。広さは10畳ほどと、中々の広さである。きっと合唱などの練習もできるように考慮されているのかもしれない。防音壁と、4枚ほどの窓、奥の方にピアノと、ギターが2台立ててあった。どうやら弦がナイロンの、クラシックギターのようだ。ピアノの椅子には一人、作業療法士の女性が座って待っていた。


 クローゼットから取り出した数冊の楽譜は、全て70年代フォークソングに関連した楽譜である。これも両親の影響が色濃い嗜好であるが、「自分」を形成した大事な要素となりつつある。特にさだまさしの歌詞の世界には、その物語性のある小説のような世界に熱中したものだ。入院にも、必ず楽譜は持参していた。


 予約制を導入しているだけあって、当然のように利用者は私一人であるが、作業療法に当たるため、当然作業療法士が一人付く事になり、件のピアノの女性がその人のようだ。時間は20分との事であった。


 当たり障りのない、はじめまして、という挨拶にも、にこやかに答えてくれる、柔和で小柄な印象の方だ。


 40代ほどの岸田さんという作業療法士さんで、音楽療法士の資格も持っているらしい。簡単に、音楽室の利用上の諸注意を聴き、早速ギターを手に取る。


 半年以上ぶりに手に取るギターは、少し草臥れてキズが目立つが、綺麗に掃除され、弦も新しく張り替えられている状態のようだ。とある中学校で使われなくなったギターを引き取って、手入れをして使える状態にしたものだと、岸田さんが説明してくれた。


 G、D、C、などの、馴染みのコードを弾き鳴らす。うん、音は悪くない。腕は錆び付いているが。


 療法としては、ギターの基本から、北の国からを弾けるようになるまで、ゆっくりと弾くだけ、というのが方針だそうだ。


 私は持ち込んだ譜面と、弾き語りがしたいという希望を岸田さんに伝えたところ、特に問題はないため、認められた。


 精霊流し、秋桜、防波堤で見た景色、と言った曲を弾き語ってみた。やはり音楽は良い。少し、元気が出た。


 聴いていた岸田さんも褒めてくれた。今後は週に2回、毎回出る事にした。

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