病室の朝
今年7月、北海道石狩地方は異常な高気温を伴う旱魃にばつに見舞われた。基幹産業たる農業の被害は大きく、特に葉物野菜の高騰は、家計へ大きな負担としてのしかかった。うだるような暑さはまるで、冷涼な北海道の気候に慣れ親しんだ道民へ、異常気象への警鐘を力一杯打ち鳴らす、大地の警告のように感じられた。
道民とその大地が苦しんでいる今日この頃、私は快適な冷房付きの病室で、穏やかに死の誘惑との静かなる戦いに勤しんでいるのであった。入院3か月と14日目、投薬やカウンセリング、診察などの手を尽くしたにも拘らず、一向に耳の奥から死へ誘う言葉ばかりが私の思考を覆いつくしている。10年以上の付き合いになるこの症状は、いつまで経っても私と慣れあうことなく、私の命を付け狙っているのだ。
精神病棟というと、厳重な施錠と色彩のない病室、というイメージが一般的であろうが、私が入院している病棟はほとんど施錠されておらず、自由に行き来ができる病室のあるエリアである。症状が軽く、世間から離れてゆっくり療養すれば改善することが見込まれる患者が入院する病室であるため、大きな自由が認められているのだ。
病室は2人部屋であり、入り口すぐに2手に分かれる壁がある。小さな音であればお互いに漏れることはないため、プライベートは確保されており、日常生活を送るには何一つ不自由がない。風呂やトイレは共用のスペースがあり、そこを皆で利用することとなる。広さは4畳ほど、机とベッド、クローゼットのある作りで、それぞれの部屋には少しずつ広さに違いが見られる。
入退院で患者の出入りが激しいため、同室の患者はよく変わっていく。最短で3日間の同室者であったこともある。病室によっては、同室者と趣味が合い、大いに盛り上がる病室もあるが、私はコミュニケーション能力には些か自信がないため、こちらから同室者へ話しかけることはなかった。
今朝は5時に起床、そこから耳の深奥の声と戦いつつ、さらにその上からイヤホンで音楽を被せて体操に勤しんだ私には、ほどよい空腹感が生まれていた。6時半には朝食を頂くのが、ここ2か月で定まった朝のルーティンとなっている。
起床時間は定まっているわけではなく、その時々、個々人の体調に合わせて起床できる。しかし朝食・昼食・夕食の時間は定まっており、各々がそれを意識し、規則正しい生活を送れるよう、乱れた時間感覚の矯正も兼ねているようだ。ここのところ、身体の調子はすこぶる快調、あとは心の体調が戻っていない私にとっては、三食すべてを規則正しく摂ることが、そこはかとなく精神に良い影響をもたらしていると感じられている。
朝食は現在、感染症対策として各個人の部屋に運び込まれることになっている。6時半に各部屋へ配膳し、8時半までに各自膳を下げるといった塩梅だ。今日もいつもと変わらぬ配膳員が、おはようございます、のあいさつとともに配膳をしてくれたため、私もおはようございます、と挨拶を返す。
お盆には、ご飯茶碗、主菜、副菜、汁物のお椀が載っている。配膳員を見送った後、早速それぞれの食器についている蓋を外し、本日の朝食を確かめる。
本日から今年の新米が出ますよ、というお知らせをもらっていたが、なるほどしっとりと粒立ちの良い、輝きすら放つ白米が眩しい。嬉しいことに、今日の味噌汁は私の大好物である、玉ねぎとジャガイモの味噌汁であったことが、なお食欲をそそる。本日の主菜はスペイン風オムレツのレタス添え、副菜はもやしとパプリカの酢の和え物か。栄養バランスを考えられたものであることが見て取れる。
今は一般人と同じくらいの体型に落ち着いたが、一時期は100kgを軽く超える巨漢であった私は、その暴食・暴飲の罪を、糖尿病という十字架を背負い贖う咎人でもある。最も、ここに入院する直前は物も食べられず、危うく餓死しかけた体験もしているため、血糖値はこの1年間で高低差の激しいジェットコースターであったが。
今日も食事にありつけることに感謝し、箸をつける。かつて仲間内ではフードファイターとして鳴らした食事スピードは、全く改善する様子もなく、ものの5分もしない間に平らげてしまった。毎度毎度反省はするのだが、こればかりはいつまで経っても治らなかった。
あっという間の朝食を終え、食膳を下げ終わった後には、少しベッドで横になることにしている。5分だけであるが、しかしこの穏やかな時間は、午前の診察に向けて、自分の心を落ち着かせるための時間として必要な時間である、と、相手もいないのに弁明する、自分の内心に少しばかり苦笑した。
はじめまして、カゼタと申します!
まず、この作品をお手に取って頂きまして、ありがとうございます。
文筆の世界には、まるで足を踏み入れたことのない素人ですが、某所にて、ひと月ほど前から書き始めた新人でございます。乱文・乱筆には寛容に、優しくご指摘を頂ければと思っておりますれば、もしもご感想など頂けますと、大変嬉しいです。
さて、こちらのお話は、私の実体験に、人名や団体名など少しフィクションを混ぜた物語になっております。というか、現在絶賛入院中の身の上でございます。
そのため、体調を見ながらの執筆になりますので、物語は牛歩の如き歩みとなります事を、お許しください。