第六章・赤い色
一年近く放置してしまって申し訳ないです!
どちらがホンモノかなんて、そんなのどっちでもよかったの
「ねえフォルン?狂気と憎悪。この世界は、そんな恐ろしいものでできてるんだよ」
いつだったか、エレールは私にそう言った。
ストレートに長い真っ白な髪、綺麗で澄んだ瞳、そして何よりも―――私が異形な力を持ってしまった化物だということを忘れさせてくれる、その美しい笑顔。
彼女にとって私は親友で、私にとってもまた、彼女は親友だった。
今思えば、本当はもっと歪んだ関係だったのかもしれない。
それでも、私にとってかけがえのない人だった。
とても大切な――――仲間だった気がする。
「いつかさ、こんな戦乱が終わる日がきちゃうといいよね」
「無理でしょう。私たちこそが、その狂気と憎悪の化身みたいなモノなんだから」
「それもそうだねえ。でも、私とフォルンとジョーカーくん、それに博士とあの子たちとで…ずっと平和な毎日が続けばいいなあって思って」
「…………」
屈託のない笑顔で、私には眩しすぎる程の笑顔で、彼女はそう言った。
本当は何を思っているのか私にはわからなくても、別によかったんだ。
エレールよりも他の誰よりも、私こそが願ってはいけないこのシアワセを、私自身は無意識のうちに願ってしまっていた。
このシアワセが、ずっと続けばいいと思った。
誰にも邪魔されることのない、終わりのない幸せが。
でも、同時に私は知っていた。
この世界に―――永遠なんてものは存在しないということを。
1.
「くそっ…なんで、どうして破れないんだよっ!!」
とある建造物の前。
僕は力任せに見えない壁を叩くが、透明な結界はそんなことお構いなしに静かに揺れるだけだった。それだけに破れる気配など微塵もなく、衝撃で僕の拳から血が流れ落ちる。
「もうやめとけよ…結界の主は、余程お前を中に入れたくないんだろうぜ」
「結界の主って…《あいつ》じゃないか!じゃあ、なんで!!」
取り乱す僕に、カインは思い切り僕の頬に爪を立てた。
結構痛かった。
「ったく、少しは落ち着けっつーの!どうでもいい時だけてめえは無駄に冷静じゃねえか!静かに気配を探ってみろ!もう一つあんだろがっ!」
言われ、僕は俯く。静かに灰色の瞳を閉じると、僕自身の中に確かに《あいつ》以外の気が流れ込んできた。瞬間僕は口を押さえ、息を飲む。
「………っ、う」
凄まじい程の殺意と狂気とが入り混じった《気》。それらは空気とともに僕の中を一瞬で支配したかと思うと、僕は胃の中身が逆流しそうなのを必死に抑えるので精一杯だった。
フォルン・レギリット。
あの人か…!
「…………僕の出る幕じゃない、ってことか」
「どうやらそのようですね」
かつん、と僕の背後に靴音が響いた。
落ち着き払った、しかし少しだけトーンの高い声が続けて笑う。
「何だァ?このガキ…」
言って、カインは僕の肩から飛び降りた。金と赤紫の両目を訝しげに細め、静かに殺気を放つ。
《あいつ》の結界はひとまず置いておくとして、僕は溜め息交じりにその声の主を振り返った。
「悪いですねー、なんか邪魔しちゃったみたいで。でもアリスさんにこの結界に誰も近つ゛かせるなって頼まれてますから」
そこには、どこか余裕のある笑みを浮かべた少年がいた。たとえるなら、それは物語の中のチェシャ猫のようだった。微かにそよぐ風に流れるようにして揺れたのは、漆黒の長衣――――――――王都、レインベルクの紋。
「ふふ、」
「……何が、おかしい」
静かに、僕はチェシャ猫のような少年を一瞥した。
「別に?ただ、必死だなぁと思っただけですよ」
「誰が?」
「あなたが」
「何に対して?」
ふつふつと、僕の中で苛立ちが積もっていくのがわかった。
わかっているのに。冷静さを欠いてしまったら、相手の思う壺だということは。
「必死なんですね―――――アリスさんに」
目の前の少年が言い終える刹那には、僕はすでに動いていた。否、動いてしまっていた。カインの制止の声が聞こえたが、次の瞬間に愚かにも僕はそれが罠だということに気付く。僕は頭に血を上らせてしまったことを激しく後悔することになった。
「……っ!?」
動かない。
動けない。
視線は少年を睨んだまま、僕の周囲には紫色の何かがゆらりと舞うのが視界に入った。異常なくらいに紫色のそれらは、無数の蝶たちだった。僕の全身に纏わり付くかのように、蝶たちは舞う。
「っどうした!エインセルッ!!」
カインは毛を逆立てながら叫ぶ。
そんなことなどは気にも留めずに、少年は静かに歩を進めた。余裕の笑みで、チェシャ猫のような笑みで、ゆっくりと僕に近つ゛いてくる。
「なぜなんですか?どうしてなんですか?なーんで皆さんがそんなに必死なのか、僕にはわからないのですけど」
心底不思議だ、とまた呟く。
苛苛する。なぜだかはわからないけれど、よくわからないが、噛みあわないのだ。
こいつ……!
「エインセル、落ち着け!これはただの幻術だッ!」
そのカインの言葉に、僕の中で急激に温度が下がっていくのがわかった。
僕は出せる限りの力で唇を思い切り噛んだ。激痛とともに、生暖かい感覚が静かに流れる。身体の自由と視界が開けたと思った刹那、僕の周囲には最早紫色の蝶たちは存在していなかった。
「…なるほど。痛みで幻を破りましたか」
「僕としたことが、随分冷静さを失ってたみたいだ。助かったよ、カイン」
に、と僕は笑む。
一瞬だけ意外そうな表情を見せるも、少年も静かに笑んだ。
「宮廷魔術団、エレイン・レナージュ。行きますよ」
2.
時を同じくして、とある建物の上に二人の女は対峙していた。
一人は黒薔薇人形を従えた、《赤》の魔女であるアリス。
そしてもう一人は《炎》の魔女―――――フォルン・レギリット。
「…ねえ、覚えている?」
カツンと一歩、纏うドレスと同じ真っ赤な靴を響かせてフォルンは言った。ゆっくりと、フォルンは右手を上げる。
上げた右手からは、ゆらゆらと燃え上がる炎が。
「あの日、あの瞬間の出来事を――――貴女は憶えているかしら?」
あの日、フォルンにとって何もかもが失われた日。
思い出す。
追憶する。
フォルンにとって最も大切だった親友――――エレールのことを。
「私はっ!!一瞬たりとも忘れたことなんてなかったわ!!エレールのこと、そして貴女のこともね…アリス!!!」
叫ぶ。
フォルンは、まるでタクトを振るかのように右手を振った。
同時にアリスの横で控えていた黒薔薇人形も動く。激しい音とともに、大きく束になった漆黒の茨たちと狂ったような炎とがぶつかりあった。
ぎらぎらと、フォルンの憎しみに染まった深紅の瞳は真っ直ぐに前を見据える。
「忘れるわけがないじゃないですか。忘れられるはず―――――ありません」
ぱらぱらと音を立てて、フォルンの炎を受けきった茨たちが崩れ落ちる。そのことによって、フォルンとアリスとの瞳が交差した。
ぎり、とフォルンは唇を噛む。
「…赦さないわよ、絶対に。灰すら残らないくらいに焼き尽くしてやるわ!」
その荒げた声に答えるかのように、わっと漆黒の茨たちが地面から突き出て、物凄い勢いで大きく広がる。まるで動物のように、一斉にそれらはフォルンに向かった。
しかしフォルンは凄まじい殺意だった。炎もフォルンの殺意に呼応するように大きくうねり、まるで巨大な龍であるかに見える。
お互い準備が整った瞬間から、目にも止まらない速さの攻防は開始されていた。
茨と炎が、互いの洗練された魔力と魔力のぶつかりあい。
力は拮抗していて、何度も何度も真っ赤な火花が散る。結界を張っていなかったらきっと周囲への被害はかなりのものになっていたに違いない。しかしアリスが結界を張ったのは、周囲への被害の甚大さを考慮してのことではない。もちろんそれもあるだろうが、アリスはフォルンとの戦いに誰の邪魔もいれたくはなかったのだ。それは、何よりも自分を殺したがっているフォルンへの、こんなにも怒りと憎しみ、そしてエレールを失ってしまった悲しみをつくってしまったことへの、償いでもあった。
「…それでも、あたしは負けるわけには――――死ぬわけには、まだいかないんです」
悲しいほどに、歯車は噛みあいはじめて。
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