第五章・狂宴
崩れていく、音がする
1.
魔女夜会が開かれていた大広間から爆音が轟いたと同時に、アルドヘルムの中心に位置する静かなる教会にも異形同士の戦いが繰り広げられていた。
人々が祈りを捧げていた、美しく装飾が施された十字架は真っ二つ。机や椅子もまた、ただの木片へと化していた。
「―――――。」
対峙する二人。
一人は漆黒のゴシックロリータを纏って楽しそうに微笑み、一人は感情を押し殺したような瞳で目の前の少女を睨みつけていた。
ひうんひうんひうん―――と何かが周囲を飛び交うような音が教会を包む。
「ふーん。それ、何の糸なの?人間の肉眼程度では見えないのね」
「…………」
極細の糸が、ステンドグラス越しの月明かりからたまにきらりと光った。その見えない糸という糸は、二人だけの閉じられた空間にいたるところに張り巡らされている。
綜威は淡い青の瞳を細めて、じり、と少しだけ後ろに下がった。
「…名は綜威。でも偽名でホントウの名は違う。元人間の、人魚に呪いを受けた不老不死。ふーん…成ってしまってから300年、ずっと呪いを解く方法を探し続けてるんだ―――?」
「―――なんで、そんなこと」
思わず、綜威は不快そうに眉根を寄せた。
死神の少女・エリアは軽々と巨大な大鎌を持ち上げると、無邪気さを含んだ笑み。
「皮肉だね。神に仕えていながら神を信じていなかった巫女が―――出遭ってしまったのが最果てとも呼べる怪異・『人魚』だったなんて―――」
「…ッ!うるさいッ!!」
一気に糸を手繰り寄せると、綜威は思い切り左手を上げた。
ひうんひうんひうん―――という耳障りな音と同時に、見えない糸は一斉にエリアに襲い掛かかる。しかし触れたもの総てを細切れにしてしまうはずの糸たちはエリアには届かず、死神の大鎌になぎ払われた。
「私には視えるなあ。アナタが人魚に巻きつかれている姿が」
「…………っ!?」
「アナタ自身には視えないんでしょ?わかってはいても、どこかで怪異なんていう存在を否定し続けている。自分の中でなかったことにし続けていたら、それは確かにいないことになるから」
「…………」
「違う?ううん、違わないはずよ―――だって《赤》の魔女が描いた物語に則ったら、アナタは絶対に救われることはないもの」
ぎゅ、と綜威は拳を握り締めた。唇を噛み締め、ただただからかうような少女を見る。
「何かを得るには、何かを捨てなければならない―――そう、この場合は『犠牲』を。アナタは自身の願いを叶えるための生贄を、《海》の魔女に払う覚悟があるの?」
犠牲。
私自身の、願いを叶えるための――――。
でも、
でもそれは――――…!
「わからないわ。まだ違う方法が、他の道があるかもしれないし。それにいざとなったら―――私が《海》の魔女と決着をつければいいだけの話だもの」
顔を上げて、綜威はやわらかく微笑んだ。しかしその美しい青の瞳には、明確な殺意を煌かせて。
「ふーん…あくまでも、あの眷属たちと一緒にセカイを救いに行くってワケ?」
「さあね。ま、世界なんてモノは私にとってはどうでもいいんだけど」
でも《赤》の魔女には―――借りがある。
そして次の瞬間、閃光にも似たいくつもの糸が死神の周囲に死角なく襲い掛かった。
2.
祭りで賑わう人々の間を縫うように、二人の少年と少女はレンガ造りの道を歩いていた。
少年は自身の背丈には少し大きめな長衣を纏い、少女の方は旅用の外套を腰に巻いている。異常な程無表情な点を除けば、ただの子ども。しかしそんなリオンの背には、剣を納めたホルダーが携えてあった。
「…………」
さくさくとさくさくと音を立てながら、二人は祭りの明かりが照らし出す道を進む。手にはフォルンに買ってもらった、スコーンが大量に入っている紙袋がしっかりと握られていた。
「ねえリオン…お店、戻らないの?」
「…………」
フォルンに店に戻るように言われていたのにも関わらず真逆の方向へと歩を進め始めたリオンに、ミヤビはついていくしかなかった。その間にもちゃんとスコーンを消費し続ける二人の紙袋の中身は、だんだんなくなっていく。
「こっち、逆だよ…」
「…………」
「ねえ…」
「…………」
「ねえってばぁ………」
「…………」
さっきから何の反応も示してくれないリオンに話かけ続けるのは、ミヤビにとって正直つらいものがあった。
静かに、ミヤビの翡翠色の瞳がどんよりと沈んでいく。
「…………」
突然立ち止まったリオンの背に、ミヤビはそれを回避できずにぶつかった。後ずさりながらぶつけた鼻をおさえると、ミヤビは自分の背丈を少しだけ上回るリオンを見上げた。リオンは振り返らずに、か細い、しかし凛とした声を響かせる。
「この街を守ってた結界が破れた。」
ミヤビからは見えないが、リオンは相変わらずの無表情。祭りの喧騒の中感情を含めない澄んだ声が、染み渡るかのようにミヤビの耳に紡がれていく。
「けっかい?」
「…そう。だから、あっちは危ない。今のあなたじゃ、戦い方がわからないでしょ。」
「え、た、戦うの?ぼく??」
「違う。もし魔術師が襲ってきたら、わたしが戦う。」
どこまでも冷めていて、どこまでも淡白な―――黒曜石の瞳。
しかしその瞳はどこか、氷よりも冷たい殺意を宿しているようにも見えた。ざわざわと風が唸り、道に散らばっている砂埃が舞い上がる。
「魔女以外の魔力は1、2、3…5、か。そして結界を破ったのは、魔女の中でも飛びぬけた魔力を持つ―――誰?あの眷属のおにーさんと、とても似ている魔力…」
少し遠くで、爆発音が轟いたのが聞こえた。それは紛れもなくジョーカーの店の方からで、ミヤビはもしあの爆発に巻き込まれていたらと思うと、身体中が震え上がるのを感じた。
しかし爆発が起こった箇所から離れたのはいいものの―――二人の前には、新たな脅威が迫っていた。
「あれ~?な~んかおかしな魔力を感じると思ってきてみたら…お子ちゃまじゃない」
喧騒の中、よく通るかん高い声。被っていたフードを取ると女の見事な金髪が惜しげもなく晒される。そんなことなどどうでもよさそうに、リオンの黒曜石の瞳はいっぱいに見開かれていた。ただ一点目に入るのは―――女が纏う漆黒の長衣に施された、王都・レインベルクの紋。
「あれ?あれれれれ?ど~っかで見たことある顔だと思ったら~アンタ、シュゼットが殺し損ねた子ども?」
「――――っ!」
一瞬で、総てを理解する。
思い切り背のホルダーに収まっていた剣を掴むと、次の瞬間リオンは目にもとまらぬスピードで宮廷の女魔術師に切りかかった。
※
「…………っ、おい、エインセル………!!」
夜会の大広間へ繋がっていた真っ赤な廊下を駆け抜け、僕とカインは師匠の店に出た。店の中は灯りが付いておらず、かろうじて祭りの賑わいがこの静かな暗闇を照らし出している。
瞬間、大きな魔力を感じた。
全身が、震え上がる。鳥肌が立つような――――感覚。
僕がよく知っている―――魔力。
「――――――アリ、ス………?」
どうして、こんなところに―――?
3.
同時刻・次々と魔術師たちが放った戦火が上がる中、アリスは金と赤紫の両目を細めアルドヘルムの街並みを眺めていた。ついさっきまでは祭りの賑わいがあったその街は、既に宮廷魔術団と魔女たちの戦場と化している。
そしてこの戦いの火蓋を切って落としたのは――――他でもない、《赤》の魔女・アリス自身だった。
「…………」
音がする。
刃がぶつかり合う音
火が燃え広がる音
殺し合いの―――音だ
あたし自身が何よりも嫌った、何もかもが崩れていく音
そう、それはまるで――――。
「まるであの時のようね―――…そうは思わない?《赤》の魔女…いえ、今は《茨姫》と呼んだ方が正しいのかしら?」
ざわざわと、風が唸る。
真っ赤なドレスの上に羽織った漆黒の長衣をはためかせながら、女は不敵に笑んだ。
歩を進める度に揺れる長い三つ編みも、嬉しそうに細める瞳も、炎よりも深く、そして血よりも濃い真紅色。
《炎》の魔女・フォルン・レギリット。
火の悪魔をその身に宿した、元・魔術師の魔狩人。
「貴女でしょう?夜会の結界を破ったの。『鎖』の候補生だった貴女なら…『あのお方』のお気に入りだった貴女ならば、結界解除のパスワードを知っていてもおかしくはないものね」
「…………」
かつん、とフォルンはある程度の距離をおいて足を止めた。
フォルンとアリスの異形同士の瞳が、交差する。
「あたしは―――あなただけを待っていました。お久々ですね、フォルンさん」
「…光栄だわ、《茨姫》。私はあの時からずっと、この瞬間を夢見てきたのだから」
アリスは少しだけ、しかしフォルンには悟られない程度の一瞬、悲しそうな表情を見せた。外套に隠れて見えないが、微かに拳を握り、身体は僅かに震えている。
「本当にあたしと戦うつもりですか?フォルンさん…。あたしは、あなたとは―――」
「戦いたくない?でもダメよ。私は、貴女を殺す。これは―――決定事項よ」
「……どうしても、仕方ないんですね――――」
静かに、アリスは伏せていた顔を上げた。
迷いはない。
憂いもない。
必要なのは、何よりも強い殺意のみ。
夜空に翳すように、右手を上げる。そして謡うように、その唇から紡ぎだされる詩。
「<白を染めるのは滴る赤、それを呑み込むのは闇の漆黒、総ての旋律と狂宴を纏いしは、永久に闇の最下層に縛られた追憶者―――黒薔薇人形>!」
空気が軋み、アルドヘルムの街全体が唸りを上げる。
アリスのウェーブがかった黒髪とフォルンの深紅の三つ編みが、ゆっくりと巻き起こる風に揺れた。静かな地響きと共に現れた無数のそれらは、アリスにひざまずくかのように動きを止める。
「…闇の最下層に堕とされた悪魔を、その鋭い棘でもって縛り付ける…『黒薔薇人形』、か。あの黒猫と契約するためにこんなのも手なずけちゃうなんて…どうかしてるわね」
少しだけ呆れた声音で、フォルンは言った。
目の前に立ちふさがる茨とアリスに決して臆することなく、むしろ心の奥底でふつふつと湧き上がる闘争心に喜びすら感じる。
纏っていた長衣を脱ぎ捨てると、真っ赤なドレスが顔をのぞかせた。
やっと戦える
あの時からずっと願ってきたこの時が、やっと訪れたんだわ
もう絶対に―――私は後悔なんてしたくはない。
妖艶に、フォルンは笑む。
「さあ、殺し合いを始めましょう?」