第三章・異形たちの集う夜
パソコンが壊れてて更新遅れました!待っててくれた方には申し訳ないっス!
それは、兎の皮を被っただけの狼。
1.
「――――――――――え?」
気が付くと、綜威は元居た道に立っていた。さっき起きた出来事は総て現実だと実感があるのに、まるで今までスクリーンに映し出された映像をただ見せられていたかのような感覚に捕らわれている。隣でジェノンが不思議そうに綜威の顔を覗き込んだ。
「どうしたんです?さっきからぼーっとして」
「…………」
(「ありがとう―――それにごめんなさい。巻き込んでしまって」)
「…………」
思い出す。
どこか切なそうで、寂しそうな―――あの少女を。
確かにあの時感じた。彼女は誰よりも、ずっと重いものを背負っているのだと。それこそ、このセカイなんかよりも重いものを。
でももう本当に後戻りはできなくなった。いや、最初から、実はこうなるように廻っていたのかもしれない。
それでも、私自身が選び取れば―――――それは選択になる。
「ジェノンさん」
「はい?」
「さっきの出店、いちごショート売ってましたよね。買いに行きましょう」
「はい♪お腹すいてきましたもんね」
たとえそこに―――――どんな結果が待っていたとしても。
※
「ケッ、相変わらず忌々しい魔力を撒き散らしやがるぜ」
あくびをしながら、カインは悪態をつく。左肩に乗っかっているこの生意気な黒猫を横目で見ながらも僕は静かに歩を進めていた。
僕たちが今進んでいる廊下は、この先の夜会へと繋がっている。気が進まないせいか、思った以上に足取りは重い。本当は進みたくないんだ。僕はこの先に――――足を踏み入れたくない。
でもそんなこと、階級が『兵』如きの僕では抵抗のしようがなかった。
「…………」
ただただ、長い廊下が続く。血よりも深い赤のカーペットが薄暗い廊下を彩り、この先で行われる魔女夜会へと僕たちを誘っていた。僕も、師匠も、カインでさえも沈黙を保ったまま、静かに歩を進める。それぞれ思うところがあるのだろう―――――僕だって、ただずっと。
「ヘマすんなよ」
「わかってますよ」
静かに前だけを見据え、師匠は呟くように言った。僕もすぐにそっけなく返す。
進んでいくにつれて僕たちの視界に入るのは、古びたような、しかしずっしりと重い威厳を持った巨大な扉。
思わず息を飲んでしまう。無意識のうちに、身体が重くなっていく。わかっている。しっかりしなければならないことぐらい。でもこの先に、この扉の奥に待っているのは――――!
「行くぞ」
酷く遠くに、師匠の声が響いた気がした。
そして酷くゆっくりと、扉が開いていく。
「『兵』エインセル。ただいま到着いたしました」
「『鎖』召喚師ジョーカー。ただいま到着いたしました」
それぞれ階級と名を告げて、僕たちは扉の向こう側へと足を踏み入れた。かすかに俯く僕の視界にいっぱいに広がる大広間には、たくさんの――――夜会に集まった魔女たち。
そして大広間の奥には階級の差を見せ付けるかのように僕を見下ろす、黒い鉤爪の総帥三名。
ああ早く、ここから出たい。
「ようこそ―――異形たちの集う夜会へ」
2.
アルドヘルムのオープンカフェ。
左手にはアップルティー、右手にはフォークを構えて体制は万全。もちろんテーブルの上には色とりどりのケーキが並んでいる。
「……なんというか、よく食べますねぇ」
少しだけ呆れた表情でジェノンは呟く。そんなジェノンには目もくれずに、綜威はたくさんのケーキを前にして表情をほころばせていた。
「ジェノンさんはいらないんですか?…ま、欲しいと言ってもあげませんけどね」
「…つれないですねぇ。以前エインセルさんに削られた魔力は大概回復したので、もう大量に食べる必要がなくなったんですよ♪」
とくにこれと言った興味も示さず、綜威は手近なケーキから手を付けはじめた。
「ジェノンさん」
「なんでしょう?」
静かにフォークを置くと、綜威は視線をジェノンに移した。
射抜くような透き通る青色が真っ直ぐに見つめる。
「私、実は以前《赤》の魔女に会ったことがあるんですよ」
その思いがけない発言に、ジェノンはきょとんとした表情を見せた。心なしか、右目にだけかけた眼鏡がずれ落ちているようにも見える。
「あ、《赤》の魔女に―――ですか?それは、どういう――――」
エインセルたちが属する《闇》の世界において、《赤》の魔女という存在はこの上なく大きい。具体的に何が、ではなく《絶対》という存在。もちろんジェノンも噂でだけは知っていたが、実際のところエインセルが何を目的として《赤》の魔女を探しているのかは知らなかった。
「10年くらい前ですかね…ある日、ひょっこり現れたんですよ」
「ひょっこりって…そんな気軽に現れるものなんですか…?」
ますます謎とばかりに首を傾げるジェノンに、綜威は微かに笑む。
「ですよね。しかも世界を――――救うだなんて。笑っちゃいますよ、ホント」
「…………」
言って、綜威は静かにカップに口を付けた。そしてどこか懐かしいような寂しそうな表情で遠くを見つめる綜威に、ジェノンはうっすらと闇紫の瞳を覗かせる。
「いつもにこにこして、どこからどう見ても普通の女の子でしたよ、あの子は。それでも、あんな少女でも《闇》の世界にその名を轟かせる《赤》の魔女。その名が、彼女自身が望んでいなかった名であっても」
「…綜威さん貴女は――――、一体どこまで彼ら《魔女》のことを知っているのですか?」
「…別に、知っているわけじゃありませんよ。何を知ったって、彼らの苦しみを本当の意味で理解することはできないってわかってますから」
生きているからこその、感じることのできる苦しみ。
こんな中途半端は不死とは違う、本物の実感。
そんな感覚は―――もうとっくの昔に麻痺してしまっていたはずなのに。
「化物に成り切れなかった人間――――それが《魔女》ですよ。最初から化物なのではなく、浮き上がった、どうしようもなく中途半端な存在。完全な化物ではないから、何かを大切に想う気持ちがあると同時に、それを壊し続けることに対して恐れと苦しみが入り混じってしまう――――」
コト、とカップを置く。
もう祭りの喧騒など耳に入らない。綜威は静かに、ただただ静かに《赤》の魔女のことを想っていた。
「最初から本物の化物ならば――――こんな痛みも感じないのに」
そんな綜威に、自分ではないどこ違う遠くを見つめる彼女に、ジェノンは焦りにも似た感覚を感じた。
消えてしまいそうだと、思った。
まるで景色に―――溶けてしまうんじゃないかと。
自分の前から―――いなくなってしまうんじゃないかと。
「ああ、ごめんなさい。ジェノンさんにはわからないですよね、こんな話」
そう言ってどこか自嘲するように笑う彼女に、不安を覚えた。
今彼女が謝った意味は―――自分が最初から、化物だからだろうか。
自分が彼女とは違う存在だから、お互い本当の意味では理解し合えない存在だから―――。
元人間で、人魚の呪いを受けた不老不死で、不死からの解放を願っていて―――自身を化物だと思い込もうとするけれど、しかし化物になりきれない彼女。
天界から追放されて、堕天使で、下界での暇つぶしに彼女と契約して、暇つぶしだったはずなのにいつの間にか彼女に惹かれていた自分。
でも私は―――本物の化物。
人の感情など、最初から理解できないようにできている自分。
彼女に惹かれているこの想いすらも―――ただの醜い独占欲や執着心でしかないのかもしれない。
それでも、たとえ理解しあうことができないのだとしても―――この私の想いだけは、本物であってほしい。
「ご安心下さい♪人に戻れる日が来ますよ―――エインセルさんの旅とは関係なく、これは貴女自身の物語なのですから♪」
その言葉に少しだけ表情がほころんだ綜威に、ジェノンの中の不安は既に消えていた。
「…だといいですね。じゃ、私はさっそくこの街の書庫をあさってきますから、このケーキ食べといてください」
「もうよろしいんですか?」
「ええ、夜会はとっくに始まってるでしょうから、リオンとミヤビ…あの子たちのこと頼みますね」
「え〜っ!子守ですかぁ〜〜っ!?」
「ぐだぐだ言わない」
くす、と笑んで綜威はジェノンの返事を待たずにその場を立ち去った。旅用の長衣姿が、溶けるように人ごみの中に紛れる。
「…………」
3.
「ようこそ―――異形たちの集う夜へ」
僕と師匠が扉をくぐった瞬間から、沈黙が包んでいたはずの大広間が微かなざわつきを持ったのがわかった。『鎖』である師匠の存在というのもあるが、多分ほとんどの雑音が奏でるのは僕のことなんだろう。
僕が、《赤》の魔女である《あいつ》の眷属だから。
だから、噂する。
「…………」
こそこそと聞こえないように、僕の存在を気にしながらの話声。
ひそひそと聞こえないように、どこか悪意と非難の視線を投げかける彼ら。
息が詰まる。自分ひとりが責め立てられているような錯覚に陥る程に、焦りのような苛立ちが僕の感情を揺さぶっていく。
なるべく考えないようにしてる。それでも僕の中で渦巻く負の感情が、殺人衝動を急き立てていくんだ。
「…………っ、…」
目をつぶる。唇を噛んで、必死に殺意を抑える。
「…それでは、夜会を始めよう。議題は、長年議論し続けてきた《赤》の魔女の処分について」
総帥の一人が静かに告げる。それと同時に、ざわざわとしていた雑音も消えた。
そのことに僕は少しだけ安堵したが、総帥が言った《あいつ》の処分についてというコトバに鈍い痛みを感じた。
そう、黒い鉤爪にとって《あいつ》はクロード大戦を引き起こした犯罪者であり、とても強大な危険因子でしかない。でも、それがバルドウェイン博士になすりつけられた濡れ衣であると知っているのは、僕と師匠、それにカインだけだ。
「…………」
悔しい―――僕に、《あいつ》の無実を証明する力がないのが。
あの時に―――僕に力さえあれば、あんなことにはならなかったはずなのに。
「…………」
ここで繰り広げられる下衆な会話なんて僕の耳には全然入ってこなかったし、聞きたくもなかった。こんなモノを聞き続けていたら僕の頭が本当にどうにかなってしまう。
下らない下らない下らない――――!
※
アルドヘルム全体を見渡すことができる、一番高い建物の屋根。
ウェーブがかった黒髪を腰まで垂らし、漆黒の外套を纏った少女。それだけならどこにでもいる普通の少女なのだが、彼女には他の者にはない特別な瞳を持っていた。
それは金と赤紫の、オッドアイ。
「…………」
その大きな瞳は憂いを帯びていて、静かに街を見据えている。
そしてゆっくりと夜空に手をかざすと、少女は呟くように口を開いた。
「―――大丈夫。だってあたしには、やらなきゃならないことがあるから。その目的を達するまで、あたしはまだ倒れるわけにはいかないの―――」
誰にも聞こえない、誰にも届かない声。
自分の中にだけ溶け込んでいく、たった一人の少女の声。
「―――あたし自身の夢は、ずっと夢のままでいいから―――だからどうか、10年前の責任だけはあたしが―――」
夜風に乗って、少女の甘い声音は流されていく。
それは、まるで悲しみの鎮魂歌を奏でるかのように繊細で、儚い。
悲痛な想いが、重ねられて。しかしどこか―――慈しむ心も入り混じって。
あたしは―――赦されなくていい。
それでもいいよね、綜威ちゃん。
「<朱色の罪過、碧眼の罪人、彼方より来られたし虚無を散りばめる旅人、我が呪われし血をもってここに命ず――――……解き放て!>」
叫びにも似た少女の詩は、街の虚空に響き渡った。