青年3
気付けば森を超え、アネモネはついに目的地である山の中腹にたどり着いた。
「し、死ぬかと思った……」
空を文字通り駆ける青年の腕の中、ずっと叫んでいた少女の声は少し枯れていた。たまらず持ってきた袋の中に手を突っ込みまさぐると、銀色の筒を取り出す。
切れ込みが入っており、そこを少し動かすと上部がスライド。取り外したそれはカップとしての役割として使えるようだ。しかし喉の渇きが待てないとばかりに直接口をつけ、中に入っていた液体を
喉に流し込む。
入っていたのはオルニス国で貴族平民問わず愛飲されている麦茶。冷えておらずぬるくなったそれはしかし、彼女の喉を潤すのに十分な効果を発揮していた。
口の端から漏れ出すのも気にならない彼女は、一息もつかず飲み干す。
やっと落ち着いたのか、水筒から口を離し ふぅ と息をつく。
「あんなもので死ぬわけがなかろう」
そんな姿に呆れたような顔を向ける青年は馬鹿なのかとばかりに呟く。まるでスプーンで繰り抜いたような、しかし表面からはごつごつとした岩の露出した洞穴はほぼ無音に近い。必然的にアネモネの耳にも届いており
キッと睨む。
「あほか! あんな強引な移動方法聞いたこともないわっ。それに今のはただの例え……」
いや、しかしもし彼が何かの拍子に突き飛ばしたりしたら。結果を想像した少女はプルプルと体を震わせる。
そんなことするわけがないだろうと考えを読んだように告げる青年は、さて と言葉を続ける。
「ここが、目的の俺の住処だ」
「……ここが?」
そのままでは月光の届かない奥のほうまで見えないアネモネは暗視の魔法を自身にかけ辺りを見渡す。
何もない、武骨な空間。まるで人が住んでいたとは思えないそれは、むしろケモノが住んでいたといわれたほうがしっくりくるほどだった。
だが、先ほどもいったようにくりぬかれたような形は獣がしたにしては奇麗すぎる。
それはつまりここに一度人の手が加わったことを意味していた。
かつて鉄や銅、ルビーやサファイヤなどが鉱脈資源が豊富と言われたオルトロス廃鉱山の、採掘場の一つだった場所が、彼の住処らしい。
見れば、奥のほうは雪崩があったのか大岩が敷き詰められている。
こんな場所にサニーが。この男のことだ、ゴツゴツした岩の上に無造作に放ってるに違いない。
まだ2歳になってまもない妹のことを思い胸が締め付けられる。そんな彼女の目に——暗視により暗がりの場所でも僅かに色が見えやすい程度——不自然なものが目に入った。
葉の山——そうとしか言いようがないほどたくさんに盛られたそれがあった。
アネモネが近づくと、それは真ん中に向けて凹んでいることが分かる。
まさかと思い山の中央まで近寄ると、すやすやと眠るサニーがそこにいた。
「サニー……」
妹の姿をみて安堵を隠せないアネモネ。だが、ふと思い出す。
——— あやしてもあやしても泣き止まぬのだ。
そう、泣いていると言っていた。しかし今はどうか。寝ているではないか。
事態を重く見たアネモネは持ってきた袋に手を入れ一つの小瓶を取り出した。
中身は丸薬のようだが、その色は人の血のように赤黒い。
コルクを外すと数個あったうちの一粒を取り出し口に入れる。そして空になったとはずの水筒に手を出した。
彼女は水筒に不釣り合いな飾りだった青い石に軽く触れると、一瞬足が煌めいたかと思うと、コポポという音が水筒の中から聞こえてきた。
アネモネは水で満たされた水筒に口につける。
丸薬は飲み込んだ。後は効果が出るまでに——と考え始めた頃、キュウと彼女のお腹が鳴り出した。
そういえば、昼から今にかけて何も口にしていなかったな。
今から食事の準備を始めようかと袋から次々と道具を出す中、一人暇そうにこちらを見ている青年が目に写り、彼に話かける。
「すまない、一つ頼みがあるのだ」
「なんだ」
「妹を助けるためには肉が必要なのだ。この廃鉱山の近くには野ウサギやイノシシが多く生息していると情報があってな、今から狩ってきてもらえないだろうか」
そういわれた青年はしかし、鼻を引くつかせると不思議そうな顔をして答える。
「それの中にもあるだろ」
彼の視線は袋に向いている。確かにこの中には肉が数枚入っている。それは腐らせないために塩に漬けた干し肉だ。彼女はゆっくり首を振るとこう続ける。
「これはもしもの為に用意されていたものでな、なるべく消費したくないのだ。それに、新鮮なもののほうが良いであろう?」
この子の為なのだ。手を止め、懇願するように頼み込むアネモネ。そんな彼女に見つめられ居心地が悪くなったように肩を竦めると、それを了承し一人崖から飛び降りた。
◇
自分の住処である洞窟から飛び出した青年――もとい、キマイラは急降下するなかふと自身の失態に気づいた。
人族の言っていた『野ウサギ』や『イノシシ』とやらが何を指すのかわからずにでてしまった。ここらによく生息していると彼女は言っていたがどれがそれなのか、キマイラには全くわからないのだ。
確かに自身の支配しているともいえるテリトリー内には、小さき生物や、それより少し大きい獣が多数生息している。
それより大きな生物、例えば『時に二足で歩く毛むくじゃら』『小さき生物をよく狙う四足方向の素早い獣』などもたまに入ってくるが、腹を満たせばそそくさと自分の持ち場に帰って行ってしまう。
下手に長いしていればここの主に狩られてしまうと本能的に知っているからだ。
彼がここを縄張りとする前から肉が好きな連中は、すでに草原の栄養としてはるか昔に土に還っているが。
奴らの肉は総じて固く、臭かった。が、腹を満たすには十分で、一匹で事足りる時もしばしば。
あぁ、そういえばいつからあの肉を食っていないのだろうと考えていると、唸り声のような音が自身の腹から鳴り出した。
あぁ、そういえば元々あの二匹を食らうためだったというのに、いつの間にか我は人の姿となり、獲物だった人族を自身の住処に連れてきて。
あげく、奴らの分の食事まで取りに行かせられる始末。
一定何故なのか。彼は数刻前に起こった出来事を思い出す―――。




