その獣は困惑していた。 4
たのしい? なんだこの気持ちは。
いや、そもそそもこの思考はいったい何なのだ。
あらためてその獣は、いま行っている狩りの合間のことを思い出す。
――この娘と対峙したとき、何を考えていた?
――空脚。気づけば、理解できるようになっていたあの言葉。
――大雑把にしかわからなかったあの力も、鮮明に感じるようになった。
――そして。
そしてなぜ、我はこやつに手心を加えておるのでだ!?
相手はただのサル。人族ぞ!?
この“焦る”という気持ちもそうだ。苛立ちが隠せぬ。
困惑するキマイラだったが、ふと、自身の体を乳白色の薄い膜が被っているいることに気づく。
なんだこれは。いつの間に……。
体を震わせても、それに合わせて動き我から離れようとしない。
人族と争っている間に鋭くなったこの感覚。使えるか…?
その膜状のものに集中してみるとどうやらそれらはどこからか流れてきているようだった。
その先をたどると、一つの小さな塊が離れた先にあり、そこから少しづつ流れているようだった。
それから流れる力は、集中すればするほど、温かさを感じる。
とても心地よい。
だが、本能が告げている。
それは危険だ。早く消さなければいけない、と。
一瞬の迷い。彼は本能の鳴らす警告の赴くままに行動した。
目で確認する。ソレがあるのは、少し前に壊した動く木の箱の中。
それを確認すると、ケモノは駆ける。
巨体も相まって箱への距離は瞬きの合間に縮まってく。
「さぁせルかあぁぁぁアアア!!」
そして、あと一歩といったところで背中に悪寒が。
後ろから驚異の速度で近づく存在の気配がした。
キマイラの体はとても特殊で獅子の頭とは別にもう一つ、頭と呼べる部位が存在する。
言わずもがな、尾となっている蛇頭だ。
蛇としての特性が備わったその特殊なしっぽは意識すれば、そちらの視点に変えることができる。
キマイラは考える間もなく、目の前から後ろへと意識そのものを映した。
一瞬の暗闇の後、視界が明ける。
先ほどまで見えていた木の箱はなく、あるのはあの人族と争った軌跡。
そして、黒い何かを纏った存在。
キマイラは察した。奴は紛れもなく先ほどの人族だと。
一体どこにそんな力が、やその禍々しいそれは何のなのかと考えたいことがいっぱいだが、確実なのはただ一つ。
ここで、つぶさなければならぬ。ただそれだけだった。
視認ののち、瞬時に意識を獅子へと戻したキマイラは最後の一歩として踏み出そうとした足を主軸に体を方向転換しその間口に火の魔力を集め、敵を眼前にとらえると火の息吹を繰り出した。
タメの少ない攻撃だが、殺るには十分——。
「ガルァァアッ」
切り裂いただと!?
キマイラはその驚愕すべき光景に固まるも、再度息吹を放たんとした時。
「ァアアアアアッ。フラァムリィアァ・ダウン、ティアゥゥゥゥゥゥゥ!!」
奴の持っていた獲物を狩るそれが、黒い何かに覆われた。
その黒いナニカを纏ったエモノを奴を振るった瞬間、それは衝撃波として我に向かってきたのだ。
アレは受けるとヤバい——そう直感が告げる。
それに従い、即座に体を捻り避けた……はずだった。
「ぐるぅっ!?」
ギリギリで避けたと思ったそれはすれ違いざま、意思を持つように黒いナニカは我に牙を向けてきたのだ。
棘となり、槍となり、大小様々なそれがキマイラの横っ腹を蜂の巣にせんと突き刺さる。
激しい痛みがキマイラを襲う。
かつてこれほどの攻撃を受けたことがあったかと。そう感じるほどの痛みを食いしばり、息吹を二度放つつ。
黒いそれは先ほどと同じように、火炎を一振りの元消し去る。
消えかけの炎の中、ゴウッと何かが振り下ろされた。
いつの間にか距離を詰めていたキマイラの剛腕がついに、人族のを捉えた。
「がはっ……!」
血塊を吐き、吹き飛ぶ。
その先は奇しくも木の箱の近くにあった岩だった。
激しく打ち付け声にならない声を上げ、地に伏せるアネモネ。
被っていた黒い衣はすでに消え、ピクリとも動かない。
しかしキマイラにはわかった。それがまだ生きていることが。
丁度いい、まとめて消してやろう。
キマイラは、大きく跳んだ。不気味なソレら、存在を消すために。右の前足にありったけの風を纏わせ鋭く鋭利な刃として。
そして、降りかからんとしたその時だった。
半壊した木の箱から、光があふれだす。
それはキマイラだけでなく周囲一帯を覆っていった。
「―――」
彼は、誰かの声を聴いた気がした。
アネモネは瞼を震わせるとゆっくりと開けた。
ぱちくりと瞬きしたその瞳には、茜色をした空が広がっていた。
ここはどこだろうか。一瞬考え意識を失う寸前――キマイラが馬車を襲う瞬間――までのことを思い出した。
妹は!? 体を起こそうとした瞬間体の中を何かが蹂躙している。そう思えるほどの痛みが彼女を襲う。
「っっっっっ!!!?!」
悶絶するアネモネ。その痛みの中彼女は悟る。
あぁ、自分はまたあの力に溺れたのか。
フゥーッ。フゥーッ。と痛みに耐えながら歯を食いしばる。
血の味がした。おそらく内蔵を痛めているのだろうと彼女が腹をさすったとき、あるはずの傷がないことに気づく。
それはキマイラとの戦闘で受けた傷だけではない。彼女が過去、魔物に不意を突かれ受けた小さいながらも深い傷。右の横腹にあったそれが無くなっているのだ。
何故。と思う彼女だったが痛みにその思考を奪われる。
のたうち回りしばらく。ようやく痛みから解放され、しかしいうことを聞かない体に鞭を打ち、馬車のあった場所をみる。
見つけた馬車は、上半分が無くなったままの状態だった。
つまり、馬車は無事だ。馬車は。
では妹は? 安堵しかけた彼女の体を冷たい何かが満たす。
もし、もし喰われていたら。
あの小さな体だ。きっと跡形も残ってない―――。
そう考えた瞬間。自身の中を燃えるような感情が満たそうとしていた。
心臓の鼓動が動きが早くなる。思わず強張ったことで再度体に痛みが走る。
そんな中、彼女は見た。
人の影を。
その影の先を見ようと視線を上げた彼女の瞳は、大きく見開かれる。
一人の男が、立っていた。
地べたを這いつくばっているせいか、より大きくみえる巨体。
夕日に染められた黄金の髪は長く、まるでヒヒイロカネのようにも見えるそれが棚引く。
そんな彼腕に、身に覚えのある頭髪が見えた。
間違いない、サニーだ。サニーは生きていた。
無事だったのか。あの男が救ってくれたのか。
ほっとした瞬間、目の前がかすむ。
安堵したせいか、緊張が溶けて疲れが押し寄せてくきたのだ。
意識が遠のいてく。
消えゆく意識。その中で彼女は一つの疑問を、思わず口にしてしまう。
何故、彼は何も着ていないのだろうか。




