始まりの予兆 その4‐竜の被害‐
ノアたちのデータ採取は滞りなく進められた。その様子をリーシャは同じ部屋の端で見学していた。
ただ血液採取をする際、エリアルが向けられた針を嫌がり、竜の姿に戻って暴れるというアクシデントが起こってしまった。
暴れたエリアルがいくらかの機材を破壊してしまい、それにはリーシャもひゅんとした。
けれど、アルベルトが修理費は王都が持つと言ってくれたので胸を撫で下ろした。さすがのリーシャもこんな特殊な物を弁償できる自信はない。
機器からピーッという音がすると、グリードがエリアルの頭に付けられた器具を取り外した。
「今日お願いしたかった事は以上です。お疲れさまでした」
「やったぁ! 終わったぁぁぁぁ!」
エリアルは両手を目一杯伸ばしながら喜んだ。
データをとっている間、エリアルはずっと緊張して固まっていた。その緊張感から解放され、今のエリアルの顔は緩みきっている。
「エリアル、お疲れ様」
「ねぇちゃん!」
エリアルは近寄ったリーシャの胸元めがけて飛び込んだ。そのまま背中に手を回し、ギュッとリーシャの事を抱きしめる。
周りには所長や2人の王子たちもいて全員がリーシャとエリアルの事を見ていた。
「ちょっ、ちょっと! こんなところで、やめてよ」
「いーやーだー! いっぱい我慢したんだから、もうちょっとこのままでいさせてよぉぉ!」
恥ずかしくなったリーシャは引き離そうとするけれど、逆に離れまいとするエリアルの腕には力がこもり、余計に抜け出せなくなってしまった。
そんな攻防戦を続けていると、エリアルの襟に向かって腕が伸びてきた。それはノアの腕だった。
「リーシャ、力を抜け」
「う、うん」
言われた通りに力を抜くと、エリアルの抱きしめる力も弱くなった。
と、同時にノアが掴んでいたエリアルの襟を持ち上げた。見事にエリアルはリーシャから引き剝がされ、吊り下げられているような状態になった。
「いつも言っているだろう。こういう事は家でやれと」
「うぅ……でもぉ」
「話が進まないだろ」
「ごめんなさい……」
ノアに強めの口調で諭され、エリアルはシュンとなった。床に下ろされ、不満そうにはするものの大人しくノアの横で直立していた。
話に決着がつくと、書類を確認していたグリードが口を開いた。
「先ほどノアさんから依頼された件ですが、結果が出ましたよ。やはり以前運ばれてきた黒竜はノアさんたちの母親とみて間違いないでしょう」
「……そうか」
平静を装っているようだけれど、明らかに声に張りがなかった。わずかに残る母親の思い出を辿っているのかもしれない。
結果的にノアたちの母竜を手に掛けてしまったリーシャには、かける言葉は見つからなかった。
ノアはいったん目を閉じ、再び開いた。その瞳からは不思議なことに悲しみや戸惑いは消えていた。
「ありがとうございました。これでリーシャと天秤にかけられるようなものは無くなりました」
「ほんとにいいの? 私がノアたちのお母さん……」
耐えきれず心の内を言葉にしようとしたリーシャの口を、ノアは人差し指で抑えた。そして、口元が柔らかい弧を描いた。
「気持ちの整理はついていると言っただろう?」
そう言って指を放すと、リーシャの頭を優しく撫でた。こんなことをされてはノアの言葉を信じるしかない。
リーシャは大人しくノアの思いを受け入れたのだった。
「おーい。そっちの話は済んだかぁ? 俺らも用事あんの忘れんなよ?」
退屈そうな声が部屋に響いた。
ノアの事で頭がいっぱいになっていて、リーシャはフェンリルとアルベルトの事をすっかりと忘れていた。
「ごめん。で、フェンリルたちの用事って?」
「あーっと、ここじゃちょっとな」
フェンリルはグリードに向けて口を開いた。
「モンハメルド。悪いけど部屋を1つかしてもらえないか? 人払いも頼む」
「わかりました。第3応接室が近くにありますのでそちらへ。この階への立ち入り自体を封鎖しておきます」
「わるいな。助かる。おい、行くぞ」
返事を待たず移動を始めたフェンリルを追って、リーシャたちも部屋を後にした。
応接室へと案内されると、ノアとエリアルは疲れが祟ってソファに座るとすぐにぐったりし始めた。
王子たちは反対のソファへ腰を下ろし、リーシャはノアとエリアルの間に腰を下ろした。
「それでは、私はいったん退室させていただきます」
グリードが姿を消すとアルベルトが筒状のケースの中から大きな1枚の紙を取り出した。
「まずはこちらをご覧ください」
テーブルの上に広げられたのはクレドニアム周辺の大きな地図だった。その地図には数多くの黒と赤のバツ印が付けられている。
横から覗き込んだエリアルが尋ねた。
「ねぇねぇ、これなぁに?」
「ここ最近の竜の目撃情報があった場所ですよ」
「ふーん。これって多いいの? なんかいっぱい書いてるけど」
「ええ。1年ほど前は竜を見たという報告があっても月に1,2回程度でした。さらに遡れば、数か月に1度あったかどうか。人間を襲ったという報告もありませんでした」
研究所に呼ばれ、このタイミングで王子2人から話があると言われていた時点で、リーシャには竜に関する話だろうと予測がついていた。
予想はしていたけれど、アルベルトの話を聞き、地図に記されたバツ印を見たことで、自分が考えていたよりも深刻な問題が近づいてきていると理解したリーシャは表情を曇らせた。
地図に記されたバツ印の数は黒と赤を合わせ、ゆうに100を超えているように見える。そしてそれはクレドニアム周りを避けた離れた場所に多く記されていた。
「この印の色の違いは? 被害が出たかどうか、とかですか?」
「そうです。黒は目撃されただけの地点、赤が実際に被害が出た地点です。被害状況までは書きわけてはいませんが、建造物を壊されただけの地域もあれば、多数の死者を出してしまった地域もあります」
赤いバツ印の数は5つ。
被害があったことを意味する赤の印がこの地図に初めて付けられたのが竜の目撃情報が多くなり始めたのと同じ1年前からだったとしても、それ以前と比べるとこの5ヵ所という数字は多すぎると言わざるを得ない。もしかするとここ1,2ヶ月というもっと短い期間のうちで起きた事かもしれない。
リーシャは現状をできるだけ正確に理解しようと、アルベルトに尋ねた。
「この地図の記録、最近のものって言われてましたけど、どれくらい前から取り始めたんですか? 1年前からってわけじゃないですよね?」
「ええ。記録は報告数が気になる程度に増え始めた頃からのものなので……そうですね……そちらの御兄弟たちの御母上が討伐された時期辺りだったはずです。そしてその頃よりも今の目撃頻度は格段に上がっています。週に2,3件といったところでしょうか。被害については御母上が農場を襲ったのが初め。それ以降の被害は半月前からのものです」
「半月で……4カ所……」
「ええ、そうです」
アルベルトは自身の膝に両肘をついて手を組んだ。そしてその手に額を押し付け、溜め息を漏らすと苦悩の声で続けた。
「今のところは、この国で実被害が起きている場所はこれが全てです。ですが、目撃情報はあくまでも王家まで上がってきたものだけなので、おそらくはもっと目撃されていると思われます」
「けど、そんな噂全然聞いたことないんですが。そんな短期間でそれほど襲われているなら、もっと噂になっていそうな気がするんですけど」
「それについては、今はまだ体制が取れていないので箝口令を敷いているのですよ。このまま噂が広まれば混乱を招くだけですので。とはいえ、そう隠しておけるようなことでもないので状況整理と今後の方針、対策が決まり次第公表するつもりです」
「そうなんですね」
箝口令を敷いていても、これほど大きな出来事ならば国が公表する前に噂が広まるのも時間の問題ではないかとも思われる。状況を整理しようにも、相手が相手なだけに情報が少なすぎて状況整理だけでも時間がかかるだろう。
あれ? じゃあなんで私はこの話聞かされてるの……?
リーシャは王家に仕えているわけでもない、ただの国民だ。部外者に何故わざわざこんな情報を与えたのかという疑問が浮かんだ。
「そんな重要事項、何で私たちに聞かせるんでしょうか?」
リーシャが首をかしげていると、フェンリルが地図越しに机をトントンと叩いた。先ほどまでのお気楽な様子から打って変わった、気難しそうな顔をしている。
「お前、これ見てどう思う?」
「どうって……なんで私に聞くんで……聞くの?」
「簡単な事だろう。リーシャ、お前が誰よりも竜との接点を持ち、竜の事を理解しているからだ。ノアたちと生活を共にし、野生の竜とも接触し、会話までしている」
「それはそうだけど。フェンリルが知りたがってるような答えなんて私にはからないよ?」
「別に完璧な答えなんざ求めてねぇよ。ただ、俺たち王族は国を守るために現状を打開する方法を探らないとならない。が、悲しいことに何が起きてるのか全く分からない。だから何らかの情報を持っている可能性のあるリーシャ、お前に恥を忍んで頭を下げるんだ……頼む」
フェンリルは突然立ち上がると、本当に深々と頭を下げた。
あまりに突然の、予想外のその行動にリーシャも慌てて立ち上がった。
「フェンリル! 私なんかに頭下げたらダメだよ! 頭を上げて、協力するから」
「ありがとう」
上げられたフェンリルの笑顔は曇っていた。まるで自分のふがいなさに耐えているような表情だ。
いつも軽い人間のように振る舞ってはいるけれど、国のために恥を忍んで真剣に頭を下げるフェンリルに、リーシャは報いたいと思った。
ただ、それに報えるほどの物を自分が持っているのかという疑問はある。
そんな心配をしていると、突然フェンリルが眉を下げて弱々しく笑い始めた。
「つーかお前、今自分の事を私なんかっつったけど、城の中ではわりとお前、重要人物扱いになってるからな」
「えぇ⁉」
思いもよらない事実にリーシャは目を丸くした。
「そりゃそうだろ。お前だけでどんだけの戦力抱えてると思ってんだ。非常識レベルの魔法を使うお前が、竜を3匹も連れてんだぜ? 危険人物とか言われて暗殺されてもおかしくないくらいだぞ」
「うそ……」
リーシャの顔から血の気が引いた。まさかそこまで大ごとになっているとは全く思っていなかったのだ。
横で今の話を聞き、リーシャの危機だと感じ取ったノアとエリアルは咄嗟に身構えた。今にもフェンリルたちに襲い掛かりそうなまでの殺気を放っている。
2人のあまりの気迫にフェンリルも焦ったようだ。ノアたちのリーシャへの異常な執着をよく知っているからこそ、余計に危機を感じたのだろう。
フェンリルは慌ててノアを諭そうとしていた。
「待てって! そんなことはしねぇし、させねぇよ! 竜に対抗できる戦力をみすみす殺させるわけないだろう。お前らが何かしでかしてるわけでもねぇんだ」
ノアは一瞬疑わしそうな目を向けた。けれど最終的にはフェンリルの言葉を信用したしらしく、ソファへ座り直した。
「それならいい。リーシャに何かしようものなら覚悟しておけ」
「わかってるって」
一瞬にして張り詰めた空気が解けてリーシャはほっとした。
フェンリルも安堵の息をこぼした。そしてソファに座り直すと、改めてリーシャの事を見た。
「そういう対抗手段って意味もあって、リーシャ。お前に力を貸してほしい」
「わかった。けどあんまり期待しないでね。襲ってくる竜たちと接点があるわけじゃないから」
「ああ。わかってる。推測でもいい。違うと思ったら違うと言ってくれ」
「うん。それで、何を知りたいの?」
リーシャは座り直すと2人の王子の事を真っすぐと見た。
お読みいただきありがとうございます。
今回はいつもより会話がメインになっている気がします。竜の被害について矛盾が出ないように考えるのも大変でしたが、やはりどう説明させるかが1番難しかったです。伝わる文章になっているのかがとても心配。
次回更新は次の日曜を予定しています。
でわ、また次回!




