ターニングポイント 穏やかな夜
「ただいまぁ」
返事が返ってくるはずのない家の中に、リーシャの声が響いた。
もうこの家に戻ってこられないかもしれないと半ばあきらめていたため、こうして「ただいま」と言って戻ってくることができたことに、リーシャは心からほっとしていた。
数か月前の1人でただなんとなく暮らしていた頃のリーシャはこの家の事は、「住めなくなるならまた探せばいいか」程度にしか思っていなかった。魔法を暴走させ、吹き飛ばしてしまう可能性も頭に入れ、受け入れていた。
けれど、ノアやルシア、エリアルと生活するようになり、これまでなんとも思っていなかった物に少しずつ執着心が芽生え、今では失うことなど考えられなくなっていた。
こんな事態になって、その変化にやっと気が付いたのだった。
リーシャは帰るや否や食卓の椅子にドサッと腰を下ろした。
「疲れたぁぁぁぁ! ……で、3人とも。結果的にはいい方に転んだだから良かったけど、何で来たの? 隠れててって言ったのに」
リーシャは机に頬を張り付け、3兄弟の事を見ながら言った。
力の抜けたリーシャの反対側にある椅子に座ろうとしていたノアが当然のように言葉を返した。
「いつまで隠れていろとは言われていなかったが」
「いや、まぁ、言ってなかったけどさぁ……見つかったらまずいって話してたんだから……そこは……」
「俺たちの育ての親は無鉄砲な奴だ。そんな親に育てられた俺たちがそれを察したとして、素直に聞くと思うか?」
「それは……」
おそらくノアは日ごろの愚痴を込みで言っている。
心当たりがありすぎ、言い返しようのないリーシャは口を閉じた。
言い返せないことが悔しくてリーシャが眉間に皺を寄せていると、目の前のテーブルの上にお茶の入ったカップが置かれた。ルシアが4つのカップにお茶を注ぎ、それぞれの前に置いているところだった。
そしてリーシャの正面の椅子に座ると、上機嫌で口を開いた。
「でもさ、よかったじゃねぇか。これで安心して、堂々と王都に出入りできるんだ。まあ、今までも堂々と出入りしてたけど。けど、今度は何にも隠したりする必要もないし、今までより気持ち楽じゃね?」
リーシャは首を横へ振った。現状はそう簡単なものではないのだ。
「まだ安心はできないよ。国王様に認められたとはいっても、王都の人たちが受け入れてくれるかどうかっていうのとはまた別問題だから。いきなり襲われるなんてことは無いと思うけど、大半の人に距離置かれるのは間違いないと思う。それって嫌じゃない? 私は嫌なんだけど……」
リーシャは周りから拒絶されたり腫れ物に触るような扱いをされたりする事を恐れている。
嫌だとは思っていても、ノアたちだけではなく自分までその対象にされる可能性は非常に高い。
おそらくその辺りも、あの抜かりのないフェンリルがうまく手を回してくれるのだろうけれど、負の感情はそう簡単に消えてくれるものではない。目の当たりにしたことのあるリーシャは、十分にそれを理解していた。
そんなリーシャの苦悩をよくわかっていないエリアルは、自分なりにリーシャを励まそうと精一杯に言った。
「大丈夫だよ! リーシャねぇちゃんとも、すぐにこうやってお話できるようになれたんだから! きっと他の人ともすぐに仲良くなれるよ!」
「うーん。すぐには無理かなぁ」
「えー、なんで?」
「たとえば……エリアルはこの前の竜と戦った後、別の竜が仲よくしようよっていきなり言ってきたら仲良くできる?」
エリアルは何故その話が出てきたのだろうと言いたげに、きょとんとしていた。そして、その思わぬ質問に真剣に考え始めた。
「んー……どうだろ。その竜も、ねぇちゃんのこといじめてくるんじゃないかって思っちゃうかも。すぐに仲良しは難しいかなぁ」
「でしょ? 王都の人たちも、ずっと竜は怖い生き物って思ってたんだから、エリアルたちが悪いことしてなくても怖いって思っちゃうんだよ」
「そっかぁ……」
エリアルは俯いた。
もし犬のように耳と尻尾が生えていれば、耳は下を向き、尻尾も垂れ下がっていただろう。
落ち着いた様子でカップに口をつけていたノアがエリアルへと視線を映した。
「すぐには無理だろうが、何とかなるだろう」
「ねぇちゃんとはすぐ仲良しになれたのにね」
「リーシャが早々に俺たちを受け入れられたのは、こいつが変わり者だった。それだけだ」
思わぬ悪口にリーシャは慌てて反論した。
「何それ⁉ ひどくない⁉ っていうか信じてくれって必死だったから信じてあげたのに‼」
リーシャには自分が変わり者だという自覚は一応ある。自覚はあれども、自分以外から指摘されるのは不快なのだ。
そんな荒ぶるリーシャの気を逸らそうと、ルシアが話に割って入った。
「まぁまぁ、落ち着けよ。それよりさぁ、俺、腹減ってきんだけど。夕飯にしねえ?」
「僕、今日はもう動きたくないよ。今から作るのめんどくさい」
エリアルは机の上に伏せて、立ち上がることを拒否した。
空はすでに暗闇が覆っている。いつもならもうすでに夕食は済ませている時間だ。
リーシャは空腹を自覚すると、いつも料理を担当しているエリアルの代わりに腰を上げた。
「じゃあ、私が簡単に作る。エリアルみたいには作れないけど、それでいい?」
「ん。じゃ、俺も手伝う」
リーシャが準備し始めると、ルシアが横に並んで手伝い始めた。
調理の手伝いをほとんどした事のないルシアにどこまで任せてよいかわからなかったため、リーシャはとりあえず火の番を任せることにした。
しかし焼くという事すら慣れない作業だったのか、ルシアは火の加減を見事に間違え、出来上がったものは炭。結果、夕食はさらに遅い時間になってしまった。
夕食後、4人は1対1のボードゲームをして過ごした。今日1日が慌ただしかったため、この有意義な時間に心が安らいだ。
戦績はノアの大勝利、と言えるだろう。他3人のうちの誰かがここから勝ち続けても、寝るまでに巻き返すことは不可能な状態だった。
リーシャの横に座っていたエリアルがうつらうつらと船を漕ぎ始めた。1日の終わりによく見る光景だ。
「エリアル眠いならベッド行こうね」
「……う、ん……」
エリアルはすでにほとんど意識を手放している。自分で行かせるのは無理そうだった。
ルシアも表面には出していなかっただけで、疲れで普段より早く睡魔に襲われているようだ。エリアルにつられたようで両手を上へ伸ばしながら大きなあくびをした。
「ふぁ……俺も眠くなってきたかも」
ルシアがつぶやいたすぐ後に、エリアルは完全に夢の中に意識を沈め、座ったままリーシャの肩へ寄りかかってしまった。これもよくある事だった。
「またぁ……ごめんルシア。エリアルを部屋まで運んでもらってもいい?」
「ん。わかった」
ルシアがエリアルを抱え上げようとしたところで、リーシャは服に何か違和感があるような気がした。何かに引っ張られているような感覚だ。
エリアルを抱え上げようとしたルシアの方にも何かが起きていたようだ。
「ん? おいエリアル、手ぇ離しな?」
眠るエリアルはリーシャの服を掴んでいた。ルシアが手を開かせようと試みるも、エリアルは思ったより強い力で掴んでいて離す気配はない。
「だめだ。1回起こさねぇと」
エリアルはまるで子供のように、気持ちよさそうにスヤスヤと眠っている。よだれまで垂らしながら熟睡中だ。
リーシャは兄弟の部屋に連れて行ってもらうのを諦める事にした。
「はぁ、もういいや。可哀想だから起こさなくていいよ。私も眠たいし。私のベッドに連れて行くから」
自室に戻ろうと、リーシャは椅子から立ち上がった。それと同時に、リーシャの言葉を聞いたルシアは慌てた。
「はぁ⁉ 一緒に寝るつもりかよ⁉」
「? そうだけど」
「ダメだ、ダメ! それならリーシャが俺らの部屋で寝ろ!」
ルシアは全力で首を左右に振っていた。
「はぁ? なんでそうなるのよ」
「そりゃ、エリアルだけ一緒に寝かせるわけにはいかないからだ」
「いいじゃない。こんな熟睡してるんだし」
ルシアの腕の中で眠るエリアルは、リーシャの服を離す様子はなく、傍で発せられる大声でも起きる気配もない。ただ、うるさいと言いたげに眠ったまま顔を歪めることはあった。
にもかかわらず、ルシアは頑なに主張を曲げることはせず、それなりの声量で反論を続けた。
「ダメだ! こいつはガキみたいな性格してるけど、体は俺らと同じ成熟した雄なんだ! 2人きりで寝かせられるわけないだろ!」
「……ついこの間まで人のベッドに勝手に潜りこんできてたのは誰よ……」
弟への嫉妬から言っているのはわかっている。
けれど自分のことを棚に上げで言っているのが引っ掛かり、リーシャはルシアをじっとっとした視線を送った。
ルシアは、そのことをすっかり頭の片隅に追いやっていたため、想定外の反撃に狼狽えていた。
「うっ。そ、れは……だっ、だとしてもダメだ! 暗い中、俺らの目の届かないところで2人きりになんてさせられない!」
何を言ってもダメだの一点張りのルシアの必死の抵抗は続いた。
リーシャはルシアとやりとりしているうちに、一度は眠気が退いたものの、徐々に再び眠気に襲われ始めた。
ぼんやりし始めて頭が回らなくなってきたリーシャは、仕方がないため盛大に溜め息をついた。
「もう、わかったから。私がそっちの部屋で寝れば文句ないの?」
「! ん。それでいい」
ルシアは満足のいく結果に、満面の笑みを見せた。
そんな2人のやり取りを、ノアは無言で見守っていたのだった。
夜中、リーシャは目を覚ました。
リーシャの両側にはルシアとエリアルが眠っている。ルシアとエリアルのベッドを繋ぎ合わせ、そこで3人で眠っていた。
2人に囲まれていたせいか体の内側が熱く、喉も渇いていた。
水を飲みに行くために立ち上がろうとしたときに、リーシャはエリアルに服を掴まれていたことをぼんやりと思い出した。
掴まれていた箇所を見ると、エリアルの手は離れていて体が自由になっている。
リーシャは、2人を起こさないようにそっと立ち上がり、ダイニングへと向かった。
廊下に出ると、行き先の部屋にうっすらと明かりが灯っていた。
ルシアとエリアルが眠っていたことは確認済みだ。
リーシャは明かりが点いている部屋の中を廊下から覗いてみた。
「ノア?」
「……起きたのか」
シンクの前に、ぼんやりとした目のノアが立っていた。かなり眠たい様子だ。
リーシャはノアに近づいた。
「何してるの?」
「水を飲みに来ただけだ」
「なんだ一緒か」
ノアは目的を達していたようで、手には洗った後の濡れたカップが握られていた。
リーシャは自分のカップを手に取ると水を入れ、口へ運んだ。熱く感じていた体にひんやりとした水が心地いい。
黙ってリーシャの行動を横で見ていたノアが口を開いた。
「……よかったな。今まで通りでいられて」
「何が?」
「家」
「ああ、うん。ダメだったらどうしようって焦ったよ。出て行かずに済んでよかったよね、ほんと」
リーシャは冗談めかすような苦笑をしながら言った。
リーシャの反応に何か思うところでもあったのか、ノアからの返事がないまま数秒が経った。
まさか立ったまま眠ったのだろうかと思ったリーシャが横を見ると、目は開いたままだった。
「……俺は国を追われた方がよかった」
「え? なんで?」
「そうすれば、お前を人間に奪われる心配がなくなる。人間から弾かれればお前は完全に俺たちのものだ。人の寄り付かない場所を見つけてそこで4人で暮らせば、お前を他の人間の目にさらさずに済むし、余計な思考を植え付けられずに済む」
ノアの独占欲丸出しの考えに、さすがの鈍いリーシャもゾッとしてしまった。それは眠気が一気に吹き飛ぶほどの衝撃だ。
自分の事を大事に思ってくれるのはありがたいけれど、行き過ぎた執着は恐怖でしかない。
「あ、あのぉ、ノアさん? さすがに、考え方が怖いよ」
「普通だろ。惚れた雌を他に取られたくないのは」
あながち間違ってはいないのだろうけれど、ノアが言うほどの事を考えるのは稀なのではないだろうかとリーシャは感じた。
「ねぇ、竜の兄弟ってみんなそんな風なの? 兄弟皆が同じ女の子の竜を好きになっちゃった時って」
ノアは眠そうな目をしながらも、眉をしかめた。
「ふん。俺が知るわけないだろう。その問いはお前と会う前に多くの他の竜と出会っていて、それを鮮明に覚えているのが前提の疑問だとは思わないか? お前は俺たちがここに連れて来られた時の姿を思い出してみろ」
「……ごめん」
リーシャは疑問が愚問だった事に気がつき額に指を当てた。ノアの方もそれ以降何もってはこない。
2人の間に流れる気まずい空気に耐えられなくなったリーシャが、この場から逃れるためにきりだした。
「私、自分の部屋に戻るね」
カップを簡単に洗い、立ち去ろうとした。
「リーシャ」
「何?」
振り向くと、突然今まで視界に入っていた光が遮られた。と、同時に唇に温かく柔らかいものが触れた。
リーシャは何が起こっているかわからず混乱し、立ち尽くした。
しばらくして唇に触れる何かが遠のく感覚がすると、徐々に戻ってきた明かりに照らされ、自分の顔から離れていくノアの顔が見えた。
リーシャは状況を理解した途端、慌てて口を押えた。
「なん、で……」
「……俺たちにとって、お前が全てなんだ。他の人間も竜もどうでもいい。兄弟とリーシャが居ればそれで。お前が誰と仲良くしようと目を瞑るが、俺たちから離れようとすることは許さない。何があろうとだ」
そう言い残すとノアはダイニングを立ち去り、向かった先からドアが閉じられる音がした。
リーシャは今起こったことが受け止められず、しばらくの間呆然としていた。去り際にノアが言った言葉も理解が追い付かないくらいに。
そしてしばらくして気が付いた。
あ、あれって、私、ファーストキスじゃなかったっけ⁉ 嘘でしょ⁉ ファーストキスがノアとだなんて‼ ……うぅ……でも、嫌ではなかった? ……かもしれない……
頭が回転し始めたリーシャは急激に恥ずかしくなり、その場にしゃがみこんでしばらくの間、悶え苦しんだのだった。
お読みいただきありがとうございます!
今回は後日談みたいなお話でした。次回からは以前書きたいなぁと呟いていたリーシャとシルバーが出会ったころのお話を何話かかけて更新します。3兄弟がほぼ出ないので、あまり長くなりすぎないようにはしようと思います。
では、また次回!




