ターニングポイント その16‐友人‐
リーシャたちが玉座の間から廊下へ出ると、扉は音を立てながら閉じられた。端が遥か彼方に見えるような廊下にはリーシャとシルバー、ノアたち3兄弟、それと眼鏡の使用人だけが立っている。
気を張る必要がなくなったリーシャの体は、緊張の糸がプツンと切れたかのようにへなへなとその場に崩れ落ちていった。
「きっ、緊張したぁぁぁぁ……」
数十分前から味わい続けていた緊張感は、リーシャがこれまで味わった中で一番の緊張感だった。強敵だった雷竜との戦いですらも比ではなく、疲労感も半端なものではなかった。
救いがあったとするならば、国王が優しそうな人柄だった事だ。
もし国王様が威圧の強い人だったら、緊張しすぎてあの場でひっくり返ってたかも。
リーシャは密かに心の内で冗談めかし、そう思った。
シルバーが、なかなか立ち上がろうとしないリーシャに手を差し出した。
「おい、こんなところで座り込んでんじゃねぇぞ」
「へへ……ありがと」
掴んだその手は少し湿っぽかった。
シルバーもリーシャと同じように緊張していたのだろう。ノアたちのことがバレさえしなければ、彼がこんな思いをすることもなかっただろうにと、また申し訳なく思えてきた。
当の本人はというとこの件は過ぎたこととでも思っているようで、ケロッとした表情をしてリーシャの手を引き、立ち上がらせた。
「とりあえず、最良の結果ってことでいいんだよな?」
「うん。国王様が心の広い方で助かった……あとは、フェンリル王子のおかげかな。国王様に口添えしてくれてたみたいだから」
「へぇ、意外だな。こういう面倒ごとには首突っ込まないタイプだと思ってたんだが。第2王子には感謝しねぇとな」
直後、背後で2つの空間を遮断していた扉が、リーシャたちとは反対側の空間から勢いよく開かれた。
「もっと感謝してくれてもいいんだぜ?」
「あ?」
声のする方へと顔を向けたシルバーは目を見張った。
リーシャも釣られるように扉の方を向くと、得意げな表情をした人物が立っていた。
「フェンリル王子⁉」
「よっ!」
そこにはたった今話題になっていたフェンリルが立っていた。
突然の登場に一瞬理解が追い付かなかったのかシルバーは立ち尽くしていた。けれどすぐに自分の目の前にいる人物の地位を思い出したかのように、慌てて頭を下げた。
「あーいいよいいよ、そんなことしなくて」
フェンリルはうんざりしたように畏まるシルバーに向かって言った。
目の前にいるのはそんな砕けた感じの話しやすそうな相手にもかかわらず、エリアルはフェンリルを見た途端、ルシアの後ろへ隠れてしまった。玉座の間で発せられた王子の大声に驚き、怯え、警戒してしまったのかもしれない。
エリアルに距離を置かれていることに気が付いたフェンリルは困った顔をした。
「さっきは大声出して悪かったな。レイモンド……あーっと、怒ってた騎士隊長はさ、この前竜に友人を何人も焼き殺されちまってさ。もともと竜嫌いではあったんだが、さらに拍車かかっちまって。頭に血が上ってたみたいだし、あれくらい言わないと止まらねぇと思ったからさ」
フェンリルはエリアルに近づいていった。エリアルはビクッと体を震わせ、動けずにルシアの後ろで固まっていた。
フェンリルが手を上げると、叩かれるとでも思ったのか目をギュッと瞑った。
上げられた手はゆっくりとエリアルの頭の上へ置かれ、右へ左へと優しく頭の上を動いた。
「びっくりさせて悪かったな」
されたのはたったそれだけ。
それだけのことなのに、エリアルはフェンリルを怖い人ではないと認識したのか、気持ちよさそうに大人しく頭を撫でられていた。
フェンリルは警戒が解かれたとわかるとエリアルを撫でる手を止め、得意げに片方の口角を上げてリーシャの事を見た。
「んで、リーシャ。言っただろ? お咎め無しになるって」
とは言われたものの、実質お咎め無にはなっていない。
しばらくの間は今目の前にいる王子兼騎士団長のフェンリル王子に従って遠征に付き合わなければならないのだ。
「何言ってるんですか。無しになんてなってないですよ。ちゃんと罰は貰いました」
「あんなのお前にとったら無いも等しいだろ? どーせしょっちゅう魔物討伐に行って、やること変わんねぇんだし。金にも困ってない。そうだろ?」
「……どこからそんな一庶民の情報仕入れてるんですか」
「ふっ。王子の権力と情報網舐めんなよ」
フェンリルは今日1番のドヤ顔で言った。
そのやりとりを見ていたノアたち3兄弟はリーシャと親しげに話す、この軽そうな人間を怪しむような目で見ていた。
先ほど国王の横に立っていたのを見てはいたけれど、どんな人物なのかよくはわかっていないのかもしれない。
国王と同じように偉い人間なのか、それとも付き従う人間なのか。そして、自分たちにとって敵、もとい恋敵なのか。
それをはっきりとさせたかったのか、ルシアがリーシャの肩を突いた。
「なぁ、リーシャ。こいつ誰? 国王の隣にいたやつだよな? 悪い奴じゃないみたいだけど、信用していい……」
「ちょっ、ちょっと、ルシア!」
どんな相手なのか知らないとはいえ、話もしたことのない初対面の王子に対するあまりにも無礼な物言いに、リーシャは慌てて言葉を遮った。
フェンリルはというとルシアの態度を咎めはせず、むしろ上機嫌に歯を見せて笑っていた。
「いいって、気にすんな。俺は王子だからとかそんなのどーでもいいし。つーか、気楽に来られた方が俺も楽だからな。そういや、こいつら3匹……3人? には名乗ってねぇな。俺は、フェンリル・ジュレル・ハイド・クレドニアム。この国の第2王子ってやつさ」
フェンリルが自己紹介すると、ルシアがひらめいたような顔をした。
「ああ! さっき国王って人がリーシャに騎士についてけとか言ってた時に出てきたヤツか! 俺はルシア。兄貴と同じ黒竜だ。よろしくな」
「おう、よろしく」
フェンリルが手を差し出し握手を求めると、ルシアも躊躇うことなく手を差しだした。
どちらも友好的な性格をしているからか、2人の間には身分や種族の壁などないように見えた。
するとルシアが空いている方の手を顎に当てながら、再び口を開いた。
「にしても、あんたの名前長いな。フェンリル……ジュース? あれ? なんつったっけ?」
ルシアが真剣にそんな事を言っている姿にフェンリルは一瞬だけポカンとしていた。けれどすぐにブッと噴き出し、声をあげて笑った。
名前を覚えてもらえていないというだけなのに、何が面白かったのだろうか。
リーシャにとっては面白いどころか、顔が真っ青になるような発言だった。けれどフェンリルにとっては好ましく思ったのだけは間違いようだ。
「ハハハ! いいな、お前。気に入った。俺のことは王子とか様なんかつけねぇで、フェンリルって呼んでくれ。覚えらんねぇなら、そこだけ覚えてればいいから」
「ああ、わかった。フェンリル」
「いいぜいいぜ、その砕けた態度! お前は変わってくれるなよ?」
「? よくわかんねぇけど、とりあえずわかった」
ルシアのことをよほどお気に召したらしい。フェンリルは「どっちだよ」と笑い叫びながら、楽しそうにルシアの背中をバシバシと叩いていた。
笑いが収まると、目尻に浮かんでいた雫を指で拭い、ルシアの背後にいるエリアルを覗き見た。
「で? お前はなんて名前だったっけ?」
「僕?」
「おう」
「僕はね、エリアルだよ!」
エリアルは自身の事を指差しながら、嬉しそうに言った。
フェンリルはエリアルの仕草を見て、本当に子供のようだと思ったのかもしれない。
背丈は低くはあるけれど、子供といえるほど小さくはない。ただ、先ほどの怯えようは青年の反応にも見えなかったようだ。
フェンリルは迷った様子を見せると、ルシアと話していた時よりも少し柔らかな声を出した。
「そっか、エリアルか。お前もフェンリルって呼んでくれていいからな」
「わかった! フェンリルのにぃちゃん!」
「!」
予想外の呼ばれ方に、フェンリルは驚いていたようだけれど、どこか嬉しそうにも見えた。
「にぃちゃんか。それもいいな。そうやって呼ばれたのもずいぶん昔の事だし、弟が増えたみたいだ」
「今はにぃちゃんじゃないの?」
「今はな、皆兄上とか兄様とか堅苦しい呼び方しかしてくれねぇんだよ」
「へー、じゃあこれからは僕がにぃちゃんって呼んであげるね」
「おう。いやー、実の弟たちより可愛げがあっていいな、お前。リーシャのとこはいいやつばかり揃ってて羨ましいかぎりだ」
フェンリルはまたエリアルの頭を撫でた。エリアルも嬉しそうにしている。
ひとしきり撫でまわすと、フェンリルはエリアルの頭に手を載せたままノアの事を見た。
「んで、あんたがノアだったよな」
「……」
ノアは何故か眉間に皺を寄せたまま、口を閉ざしていた。
「あれ? なんで不機嫌?」
「……どのような態度で接すればいいのかがわからない」
不機嫌というより、ただ単に困った顔だったらしい。声も気だるげだった。
先ほどレイモンドと口論になり、それを咎めてきた相手への態度。目上の存在。けれど、本人自身は敬われることを望んでいない。
ノアはそんな相手へどう接すればよいのか決めかねているようだ。
そんなノアを見たフェンリルは首を傾げた。
「なんか……お前さっきと雰囲気ちがくね? さっきはもっと、はきはきとしたさわやか美青年! みたいな感じだったような気がすんだけど」
「こっちが素だ。国王と話をしていた時の方がいいか?」
「ははっ。お前面白れぇな。ここまで変わるやつそうそういねぇだろ。いいよ素で。俺、畏まられるの嫌いなんだよ」
「……わかった」
フェンリルの申し出で、ノアは自分がどうあるべきか決めたようだ。わずかにだけれど、声もすっきりしたような感じだった。
フェンリルは、ノアに手を差し出した。握手を求められていると気が付いたノアはその手をとった。
「よろしくな、ノア」
「ああ、よろしく頼む」
ノアたちとフェンリルは完全に打ち解けられたようで、いつも何しているのかという他愛のない話や、竜の姿がどうのだとか色々と聞き合っていた。放っておいたらまだしばらく話を続けそうな勢いだ。
このまま長居をするわけにはいかないと思ったリーシャは、思い切って口を開いた。
「あの、それじゃ、私たちは帰りますね」
「もう帰んのか?」
「はい。用もないのに王宮をうろうろするわけにもいきませんし」
というのはほとんど口実だった。
正直なところ、王宮の雰囲気に疲れたため、早く家に帰って休みたかったリーシャだった。
「……送らせようか? 馬車を入り口前に呼ばせるけど」
「いえ、大丈夫です。ノアの竜の姿を見て慌てた街の人たちで、馬車が通れないような状態になってるかもしれませんし。それに、そこまでしてもらうのは気が引けるので」
「そうか」
「はい。それでは、私たちはこれで」
リーシャは軽く会釈をした。ノアたちもリーシャが動き出したのを見て、フェンリルに別れの挨拶をした。
「では、こちらへ」
存在を殺していた使用人は、リーシャの意を汲んだようで、5人を先導し始めた。
リーシャたちが使用人の後を追って出口へと向かっていると、フェンリルがを追いかけてきて、突然リーシャの肩を掴んだ。
「待ってくれ」
「? 何ですか?」
「あーっと、一応言っておきたいことがあるんだ。別に大したことではないんだが……」
フェンリルは真剣な面持ちだった。そして、申し訳なさそうに続けた。
「他の国の連中にもこいつらが竜だという事は知られちまってるから、もう隠し通すことはできない。だから、あえて親父からこいつらが竜であることを公表してもらう予定だ。調査の結果、人にあだなす存在ではなく、王都としても有能な戦力になるから王都の出入りを許可していた、恐れることはないってな」
「それは、助かります」
ノアたちの事は、たしかにここだけで片のつく話ではない。
考えは方人それぞれで、国王の公表で納得してくれる人もいれば、これまで通り竜を恐れたり嫌ったりする人もいるはずだ。むしろ、後者の方が多いだろう。フェンリルも同じように考えていたようだ。
フェンリルは続けた。
「そうは言ってもな、民のほとんどが竜は危険な存在だと認識しているし、その認識がすぐに変わることはないだろう。レイモンドみたいに親しい者が殺され、憎しみで根本的に受け入れられない者もいるはずだ。しばらくは間違いなく風当たりが強くなると思う。けど、へこたれんじゃねぇぞ? お前らを取り巻く環境もきっと少しずつ良くなるはずだし、俺もそうなるように俺も動くつもりだから」
「あっ、ありがとうございます!」
リーシャはフェンリルの心遣いがとても嬉しく、心からの笑みがこぼれた。王族に支援してもらえるのはとてもありがたいことだ。
フェンリルはリーシャの笑顔に満足したようで、自身もニッと笑っていた。
「よし! じゃ、エントランスまで送る」
「え、別にそこまでしなくても」
「俺がこいつらとまだ話してぇんだよ。いいだろ?」
「まぁ、そう言う事でしたら」
フェンリルは、使用人に案内は自分に任せ本来の仕事に戻るように言うと、宣言通り王宮の外へ着くまでの間ノアたち兄弟とあれこれ話をしていた。
またお城に来れるようなこと、あるかな?
リーシャはこの光景を最後にとまじまじ眺めながら歩いた。
王宮を出て、フェンリルに別れを告げると、リーシャと3兄弟はギルドには寄らず、このまま森の中の自宅へと帰ることにした。
シルバーとも城壁を出たところで別れる事になった。
「んじゃ、俺はギルドの方に顔を出してから帰る。気をつけて帰れよ」
「うん、また」
シルバーがそのまま立ち去ろうとすると、エリアルが手を振った。
「じゃーねー。シルバーのおじちゃん」
「誰がおじちゃんだ! 俺はまだ20代だ!」
シルバーは怒り気味にそれだけ言い残すと、ギルドへと向かって行った。
近くにいるのがノアたち兄弟だけになると、リーシャは先ほどまでの王宮での出来事が幻だったかのように感じられた。
途中で買い物でもして帰ろうかと思い立ったけれど、リーシャたちが家路につくと王都の街は案の定、ノアの来訪により大騒ぎになっていて、どこかに寄って帰る事は出来そうもない状態だった。
お読みいただきありがとうございます。
ターニングポイントの本編?は今回で終わりです。次回の後日談、というよりこの日の夜の話でターニングポイント編終了です。次回の後書きで、その次の話について軽くお伝えしようと思います。
でわ、また次回!




