不審人物の正体 その2
長髪の青年はリーシャをじっと見つめたまま、なかなか口を開こうとはしなかった。こんな方法を言い出したのは彼だというのに。青年は何を言おうか考えているようだった。
リーシャがそんなふうに思っていると、やっと青年は話始めた。
「……ノアだ。弟2人は覚えていないようだが、俺はお前が俺たちを元居たところからここへ連れ去ってきたことを覚えている」
「……っ!」
“連れ去った”という言葉にリーシャの心臓が大きく跳ねた。
それは一番隠しておきたかったこと。
リーシャはノアと名のる青年を警戒した。
万が一本当に彼らが竜で、彼がノアだというならば、誘拐同然の事をしたリーシャにいつ襲い掛かってくるかわからない。
リーシャのそんな感情の変化に気づいたのか、その青年は小さく溜め息をついた。
「が、別に恨んではいないから安心しろ。そもそも殺意があるならとっくの昔に殺している」
ノアにはこの半年の間威嚇され続けてはきたけれど、傷つけようとはしてこなかった。殺そうと思えば寝込みを襲うこともできたはずだ。
安心したリーシャの体から力が抜けた。
「あんな態度だったからてっきり……」
「……恨んではいないが、俺はお前と過ごしたことがほとんどない。だから、お前が恥ずかしがるようなことは知らない」
「たしかに。私もノアとはどう接していいかわからなかったし……」
リーシャはノアが言ったある言葉が引っかかり、ハッとした。
「って、ちょっと待って! まさか3人ともわざと私を恥ずかしがらせるために言ってたの⁉」
ノアはフッと笑った。
少なくとも彼は本当にリーシャの反応を楽しんでいただけのようだ。
「べっつに恥ずかしがることないじゃん。聞いてるの僕たちしかいないんだからさっ」
エリアルと名乗る少年は満面の笑みだった。
リーシャを困らせようという考えなどなく、向けてくるのは好意しかない嬉しそうな目だ。ルシアもそんな気は無い様子だ。
リーシャは頭を抱えた。
「もーイヤ……感覚ズレすぎてて頭痛くなりそう。だいたい、こんな暴露大会なんてしなくったって、本当に竜だって言うなら元の姿に戻れば済む話じゃない」
なぜこんな簡単なことにすぐ気づけなかったのかと後悔にさいなまれた。そうすればこんなに恥ずかしい思いなどせずに済んでいたというのに。
このリーシャの言葉に反論したのはルシアを名乗る青年だった。
「それはそうなんだけどさ、残念なことに俺らどうやってこの姿になったのかわかんねぇから、戻り方もさっぱりで」
竜の姿になれないというのなら、彼らが誘拐犯であるという可能性は捨てきれない。
今まで暴露されたことだって、誘拐のめにリーシャの動向を調べた過程で得たのかもしれない。
それに、リーシャにはもう1つ引っかかる点があった。
「あなたたちとあの子たちは年齢が違うはずよ。あの子たちはまだ子供だけど、どう見ても……まぁ1人を除いてだけど、あなたたちは大人じゃない」
この家に迎え入れた黒竜の体は小さく、おそらく孵化して1年も経っていないはず。だから目の前にいる男たちとどう考えても年齢が合わない。
「体が小さいとはいえ、この半年で俺たちの体は十分成熟した。お前たち人間の基準で物事を考えるな」
ノアを名のる青年はそう言って立ち上がると、リーシャの側へと歩いてきた。そして、口を耳元へ近づけて囁いた。
「もう子を孕ませることだってできる。なんならお前で試してみるか?」
「っ……!」
「ククッ……いい反応だな」
近距離で恥ずかしげもなく囁かれた言葉にリーシャは耳がむずがゆくなり、思わず耳を抑えた。
けれど今の言動、リーシャにはノアらしからぬものに感じた。
彼が本当にノアだというのならこんなことを言うはずがない。ノアからは今まで距離を置かれてきたのだ。
「憎んでないとは聞いたけど、あっ、あなたは私を嫌ってたんじゃないの⁉」
「姿形の違いで、番う対象としては見られないと思っていたからな。それにお前は俺たちのことを子供扱いしていた。叶わない思いならば、初めから関わらなければいい。そう思って距離を置いていただけだ」
ノアらしき青年はリーシャの顎をクイっと持ち上げた。そのままリーシャの事をじっと目を見つめ続ける。
その目は吸い込まれそうなくらい真っ黒な瞳をしていた。
無表情に近い顔で見つめられ続けいたたまれなくなっていると、ふとノアの表情が緩んだような気がした。ほんの僅か、じっと見つめ返していなければわからないくらいの変化だ。
「番える可能性があるというのなら、これからはじっくりと俺達のことを教えて、溺れさせてやる」
そう言うとノアはそっと、ただ触れ合うだけの口づけをした。
リーシャは何をされたか一瞬わからなかった。けれど、ほんのわずかな時間で思考が追い付き、慌てて口を手で押さえた。
え? 今、キスされた?
リーシャにとってはこれが異性との初めて口づけ。
恥ずかしさや、勝手に奪われた怒りが入り混じり、何を口に出していいかわからない心境になっていた。
「あーーーー‼ ノアにぃちゃんずるい‼」
「前に抜け駆けは無しだって言ったじゃねぇか‼」
その予想だにしていなかった行動は、他の2人も思ってもみなかった出来事だったらしい。2人は勢いよく立ち上がると抗議し始めた。
けれどノアが表情を変えることはなかった。
「それはお前たちが勝手に言っていただけの事だろう。それに先に抜け駆けしたのはお前たちの方だ。エリアル、お前はさっきリーシャと風呂に入ったと言ってなかったか?」
「うっ……」
「ルシア。お前は夜中に部屋を抜け出してこいつのベットに潜り込んでいただろ。気づいてないとでも思ったか?」
「ぐっ……」
言い訳のしようもない事実をぶつけられ、2人は黙り込んでしまった。
2人が大人しくなったところで、ノアはリーシャの方に向き直った。
「そういうことだ。現状は理解したか?」
「……」
「理解できないか? ならばわかりやすく言ってやる。お前が信じられないというのなら俺達を追い出そうが、息の根を止めようが好きにすればいい。その代わり、お前が探しているものは2度と戻っては来ない」
リーシャは迷っていた。
確かに彼らは共に過ごしていなければわからないことを知っていた。本当にあの竜たちが人に擬態したのかもしれない。
けれど彼らが言っていたことが全て本当だとするならば、すでに大人になったという彼らを引き留めてもいいものなのか。
「大人ってことは、本当ならもう独り立ちをして親元を離れる時期なの?」
この問いに答えたのはルシアだった。
「たぶんそうだろうな。自分が守るべき地を見つけねぇと、って感じがしてる」
あの竜の子供たちが巣立つ時期だったというのなら。彼らの言っていることがたとえ嘘でも本当だったとしても、この家に留めさせるようなことを言ってはいけないということだ。
どう言葉に出すのが最善なのか、リーシャなりに懸命に考えた。後ろ髪を引くようなことを言ってはいけない。
「……話は分かった。けど、やっぱりあなたたちを信用することはできない。出て行って。さすがにそのままの格好はまずいから、服は用意してあげる。それと、もしあなたたちが本当はあの子たちを攫った犯人だったのなら、絶対に見つけ出す。その時は容赦なんてしない」
もしここで彼らを認めるようなことを言えば、ここに留まってしまうかもしれない。
リーシャは親の代わりとして、あの小さな竜を独り立ちさせるために育ててきた。そのためにはどんな形であれ、たとえ嫌われるようなことを言ってしまったとしても、野生へと送り出さなければならない。
これは彼らから親を奪った者の、育てた親としての最後の仕事。たとえ次に会う時は対峙することになろうとも、その覚悟は最初からできている。
「わかった。お前はもう俺たちの親ではない。そういうことだな」
「……」
リーシャは無言で頷いた。
どんな表情をしているのか見るのが怖くて、リーシャは3人から目を逸らした。
「そういうことならば……」
「なっ⁉」
ノアに肩をつかまれ、床に押し付けられた。
一瞬、ついに彼らが悪人の本性を現したかとリーシャは焦った。けれど様子がどうも変だ。これ以上の事を何もしてこない。
ノアはリーシャを見下ろしながら宣言した。
「今日からここは俺たちの縄張りとする。俺たちが認めるもの以外にこの地に足を踏み入れさせるわけにはいかない」
その言葉で自身の何らかの危機を感じとったリーシャは、この場を離れなければと思い、もがいた。けれどノアに腹部に跨られているせいで起き上がれなかった。びくともしない。
そうこうしているうちに、ルシアとエリアルも側まで近づいてきていた。
「と、いうわけだからリーシャ。あんたは俺らの番候補ってことで。それならこれからも一緒にいられるからな」
「え?」
「僕、リーシャねぇちゃんにオスとして好きになってもらえるように頑張るね!」
「ええ?」
あまりに突然の出来事だったため、リーシャは驚きの表情が隠せなかった。
まさかこんなことになるなんて!
手荒なことをしてでもこの状況から抜け出そうと、リーシャはもがきながら手に魔力を集中させた。直接は当てないように風の魔法で威嚇して、ひるんだすきに逃げ出す。
しかし、その行動にルシアが気づいてしまった。優しく手を握られ、驚いたリーシャの魔力はバランスを崩して乱れ、散っていった。
ルシアはそのままリーシャの手を自分の口元へ近づけ、手の甲へ口づけをした。
「やめときなって。俺たちは別に、リーシャに危害を加えようなんてまったく思ってないんだ。もちろん、他の人間に対しても危害は加えない。まあ、リーシャとの生活を邪魔してこない限りだけどな」
「あっ、ルシアにぃちゃんずるい! 僕もねぇちゃんと手つなぐー」
両手を塞がれてしまったせいで威嚇のための魔法は使えなくなった。このまま魔法を使ってしまえば彼らに怪我をさせてしまう。かといって自分の上には大きな男が跨っていて、身動きも取れない。
いや、動けないのは抑えられているからではないのかもしれない。リーシャの覚悟など、とうの昔に崩れ去っていたのではないか。
そして察した。もう彼らを手に掛けることも自分が逃げ出すこともできないのだと。
リーシャの体から力が抜けたことに気付いたノアは、馬乗りのまま意地悪く笑って言った。
「今度は俺たちがお前のことを可愛がってやる」
次回分に予定しているのもちょっと長くなりそうなのでその1その2で分けて投稿します。2まで書いてから投稿するのでどれだけ時間がかかることか…
今後は竜たちがいろいろとやらかしてくると思います(笑)