ターニングポイント その12‐王子様の意図‐
リーシャは、挨拶に来たというだけなのならば、すぐに立ち去ってほしいと思った。
王宮という本来なら縁遠い場所にいるというだけでも緊張で疲れてしまっているのに、その上フェンリルのノリにあてられ続けては参ってしまうこと間違いなしだ。
けれど、フェンリルは挨拶以外にも用事があったようで、立ち去る気配はない。話も終わらなかった。
「にしても、やっぱ残念だなぁ。もっと美人で胸もデカかったら正室にしてやったのにな」
フェンリルは頬杖を突きニカッとリーシャに笑いかけた。
冗談で言っているのか、本気で言っているのかわからない。
そんな事よりも、自分の口から出た言葉が相手を不快にさせる言葉だと気が付いていないのだろうか。リーシャとしてはいろいろと言いたい事があり、眉間に皺を寄せた。
けれどそれを指摘したのは、リーシャではなかった。
「フェンリル様! 女性に向かってそのようなことを言ってはなりません! ですから……」
「あーはいはい。俺が悪うございましたって」
このようなことが日常茶飯事で日々小言を言われ続けているのか、フェンリルは聞き飽きたという具合に言い放った。
失礼極まりない発言をするこのフェンリルという王子からは、王子の威厳というものが全く感じられない。この国の行く末は大丈夫なのか心配だ。
とは思ったものの、彼が国王を継ぐというわけではないようなので無用な心配なのだろう。
使用人の小言を振り切ったフェンリルは再びリーシャに意識を向けた。
「まあ、今はほんとに挨拶しに来ただけだ。今後遠征出る時には同行してもらうと思うから、そんときはよろしく頼むな」
「え? フェンリル様も……」
「様?」
不意に出た言葉に、フェンリルは不満の色を示した。
他よりもこういった礼儀にうるさそうな眼鏡の使用人もいる手前、「フェンリル」と呼ぶのは気が引ける。けれどフェンリルがわざわざ指摘してくるという事は、絶対にそう呼ばせようとしているということだ。
どうしようと躊躇いながら、眼鏡の使用人の方を見た。
使用人は呆れたような顔をしている。この様子だと注意されることはなさそうだ。なので、リーシャは話を進めるためにフェンリルの望むように呼ぶ事にした。
「えーっと、フェンリルも遠征へ行かれることがあるんですか?」
「おう。俺はこんな狭い城で書類と向き合うような玉じゃねぇからな。戦いでも何でもいいから、外に出る方が性に合ってんだよ。お前が手伝ってくれれば遠征の効率が上がるし、何より騎士たちの生存率も上がる。俺は、騎士たちを誰もかけることなくこの王都に帰ってこさせたいんだ。あいつらにも待ってる家族がいるからな」
リーシャは驚いた。
王族であるフェンリル王子が自ら望んで騎士と遠征に出ているとは思っていなかった。それに、彼の力強い真っ直ぐな瞳からは、騎士たちを思っていることがありありと感じ取れた。
王宮に仕える騎士の仕事は、王都の防衛、国の視察、民の救援など国の維持にかかわる対人間の仕事が多い。
その他にも、ギルドに送られるクエストの一部を請け負っていたりもする。ただし、国内の事案で難易度の高い、緊急性の要するものに限られている。そのせいで、時に実力に見合わない舞台に駆り出され、命を落とす者も多いそうだ。
リーシャはそんな話は聞かされたくなかった。
騎士団の仕事はギルドの仲間とのパーティを組んだ時とは違い、上下関係がはっきりしているため上に立つ人間の指示が絶対。自由が利きにくいのだ。リーシャはそんな自由に動き回れない戦場には立ちたくはなかった。
それなのに、そんな上に立つ人間の思いを聞かされてしまったら、断れるわけがない。
「でも……」
情だけではどうしようもない事態というものもある。
今リーシャがここにいる理由を知らずに言っているのだろうか。おそらく今のリーシャの立ち位置ではフェンリルの思いは叶えられないだろう。
リーシャが今王宮にいるのは、売買や飼育を禁じられている魔物、もとい竜を飼育していたからだ。これからの国王との謁見の際に、罪に問われることになるだろう。
さすがに死刑はないはずだけれど、国外追放の可能性は十分にあり得る。
それに関してはノアたちが受け入れられなければ自分から出ていくつもりなので問題はない。
これまで同種の罪に問われた者の中には未だ幽閉されている者もいると聞く。
騎士団に同行できるような立場ではなくなる可能性が非常に高いのだ。
リーシャが俯いていると、フェンリルは罰せられる事を不安がっているとでも思ったのだろう。励ますようにリーシャの背を叩きながら言った。
「なんも心配することはねぇよ。お前は間違いなくお咎めなしになるからな」
フェンリルは妙に自信満々な笑みを浮かべていた。
この男性の立ち振る舞いは、どう見ても人を裁けるような立場の人間のものではない。
リーシャは怪しみながらフェンリルの事を見た。
「なんでそう言い切れるんですか? 私の処分を決めるのは国王様なんですよね?」
「だとしてもさ。別にリーシャ、お前は反乱を起こそうとしてたわけでも、私腹を肥やそうとしてたわけでもねぇんだろ? それに竜のこともちゃんと手懐けて、仲良く暮らしてるときた。もはやお前たちは貴重な戦力って言っても過言じゃねぇ。そんな奴を牢にぶち込んだり、国から追い出すなんてするわけねぇだろ。竜共々この国にとどめさせる方が得策だ」
「でも、あの子たちは……もう私のところにはいませんよ?」
フェンリル王子はリーシャの目をじっと見つめた。真意を探ろうとしているようだ。
バレないようにしないと。フェンリル王子が友好的だからと言って、国王様が許してくれる保障なんてないんだから。認めてもらえなかったら、ノアたちに危険が及ぶかもしれない。平常心、平常心……
ノアとルシアが本来の姿に戻れば優に逃げ切れるだろう。けれど、はたして彼らがリーシャを置いて逃げるかどうか。
リーシャが捕えられれば、助けるために王都に乗り込んでくるかもしれない。そうなればきっとノアたちも、この王都も大きな傷を負うことになる。
リーシャは嘘が悟られないよう、平然を装った。
じっと見つめてきていたフェンリルの目が細められた。途端にリーシャの心臓が大きく飛び跳ねた。
「……嘘だな」
「えっ……?」
「竜はあんたの元を離れたりしてない。さっきシルバーっていう男から、黒竜はお前にご執心だって話を聞いたばっかだしな。隠そうとはしてたみたいだが、同時にバレないかって考えてただろ? 目が動揺してた」
「……」
リーシャは簡単に嘘が見破られた事でさらに動揺し、何も返すことができなかった。
再びリーシャが俯くと、今日交わした会話の中で1番優し気な声音がフェンリルの方から聞こえてきた。
「そんな心配しなくても大丈夫だって」
フェンリルは耳を貸せとリーシャに指で合図を送った。
「なんですか?」
「いいから」
リーシャは大人しくフェンリル王子の口元に耳を近づけた。
「いいか。親父がもし処罰について悩んでいるような態度をとったら必ず、“処罰されるんだったら全力で全員ぶちのめして国外に逃げる“って言え。遠巻きでも直接でもいい。そしたらお咎めなしは確定だ。種はちゃんと蒔いといてやったから」
フェンリルは、使用人に聞こえないようにリーシャへ伝えた。
種って……いったいこの王子、何をやらかしてきたんだろう……
フェンリルは悪戯を楽しんでいる少年のようにニヤついていた。
近づいていた距離を戻し椅子に座り直すと、フェンリルはリーシャが考えていた疑問の答えを口に出し始めた。
「実はさ、さっきあんたをこの国から逃がさないために、王室に入れちまった方がいいんじゃないかって親父に打診しに行ったんだけどさ……」
「はぁ⁉ なんてことを打診しに行ってるんですか⁉」
想定外の内容だったせいで、リーシャは焦りを顕わにしてフェンリルの言葉を遮った。
話を遮られたにもかかわらず、フェンリルは気を悪くすることなく続けた。むしろリーシャを慌てさせられたことを面白がっているようだった。
「まぁまぁ、話聞けって。んでさ、ちょうど居合わせたシルバーとかいう男に、竜に国をめちゃくちゃにされちまうからそれはやめとけ、って言われちまったんだ。嫉妬した竜が暴れ出すってな。だから無理やりっていうのはまずいと思って、諦めはしたんだ」
「無理やり以前に、そもそも貴族でもない人間を王家に入れるなんて無理ですよ……」
リーシャはフェンリルの突拍子のない発言の数々に項垂れた。
そして、今の会話で気がついた。
リーシャがこの部屋で待機させられていた原因は、シルバーが国王と謁見しているところにフェンリルが乱入したからのようだ。
「別に、俺だったら継承権低いから気にするほどの事でもねぇだろ。俺は国を守る力のためならなんだってする。さっきああは言ったけどよ、お前が望むなら側室にしたっていいんだ。何なら正妻でもかまわねぇし」
「……はい? あの、人の話聞いてました⁉」
フェンリルからの唐突な申し出に衝撃を受けすぎて、彼が言っている内容について詳しくは理解できいうちに咄嗟に反応してしまった。さっきというのは体形云々と言っていた事だろう。
そんな自由気ままなフェンリル王子に呆れた眼鏡の使用人の呆れた声が聞こえて来た。
「フェンリル様。お戯れはおやめください」
「なんでだよ。別に戯れで言ってるわけじゃねぇぞ? っていうか俺は元々結婚なんてする気はさらさらないし、しないといけないんなら都合のいい相手見繕った方がいいだろ。俺がこいつを貰っちまえば、こいつの力はこの国のもんだ。そうだろ?」
2人の会話はリーシャを置き去りにしてどんどん進んでいく。いつの間にか、妃教育という言葉を含んだ話にまで発展していた。
このままだと本当にフェンリルの妻という位置に納まってしまいそうな雰囲気だ。
「あのぉ、話を勝手に進められると困るんですけど……えっと、フェンリル……その話はお断りさせていただいてもいいでしょうか?」
リーシャのその返答に使用人は安堵したようだった。
継承権が低いとはいえ、王族であるフェンリルが貴族に必要な礼儀作法を学んでいない一般庶民、ましてやこれから裁かれようとしている人間を娶るというのはやはり無理がある。当然の反応だとリーシャも思った。
リーシャとしても人の注目を集め、魔法の研究を続けてそれを実践で使える機会を減らしてしまうような選択肢などリーシャはいらなかった。
ただこれまでの話でリーシャのフェンリルに対する評価は変わっていた。
一見いい加減に見えるフェンリルだけれど、その言動の裏には国を第一に考えている。彼も立派に王族としての務めを果たそうとしているのだ。考え方はいただけないけれど。
フェンリルは断られるのを承知だったというように、わざとらしく脱力してみせた。
「やっぱダメかぁ。ま、いいけど。あんたがこの国に残ってくれればそれで」
フェンリルはおもむろに立ち上がった。
「んじゃ、俺は行くな。親父たちがあんたを待ってるだろうし、これ以上引き留めとくわけにはいかねぇからな。じゃあな、また後で」
フェンリルは一方的に言いたいことを言い残すと、そのままスタスタと行ってしまった。
また後でって……?
リーシャが呆然とフェンリルが立ち去った後を眺めていると、何故か使用人が謝ってきた。
「申し訳ありません」
「え? 何がです?」
「フェンリル様のことです。失礼な言動を。それにあなた様を差し置いてあのような……困っておいででしたでしょう?」
「ああ、大丈夫ですよ。ああいうのは慣れてますし。それに、フェンリル王子が本気で言ってるわけじゃないのもわかってますから」
リーシャは苦笑いで答えた。
おそらく、フェンリルもリーシャが首を縦に振るとは思っていなかったはずだ。これで引き留められたらラッキー、くらいの感覚での言葉だろう。
眼鏡の使用人は安堵したように微笑んだ。
「そうですか。それでしたら、よかった。では、国王様がいらっしゃる玉座の間へご案内いたします」
「はい。お願いします」
ついにその時がやってきたと、リーシャは気を引き締めた。
自分の発言で今後の生活が決まる。今まで通りでいられるか、それとも逃げ続ける生活になるか。緊張がまとわりついてくる。
重く感じる足を動かし、リーシャは玉座の間へと向かった。
お読みいただきありがとうございます。
今のところ、頭の中にお話がある程度出来ているので今のところスラスラ書けています。とはいえ、次の更新はまた来週になると思います。前回と、今回分気合い入れすぎて疲れました。
けど、早くノアたちをリーシャの元へ送り届けてあげたい。出てこなさ過ぎて寂しいです。
でわ、また次回!