ターニングポイント その10‐使者‐
ノアたち兄弟の正体がバレてしまったあの日、リーシャは1週間かけて馬で進んだアイズリークまでの道のりを、ノアの背に乗り空を渡って1日で帰ってきた。
あれから10日。
リーシャはある“迎え”を懸念していた。
その“迎え”は今のところ来てはいないけれど、このまま来ないなんてことはないだろう。
“迎え”がいつ来るのか。
少しでもそれが頭をよぎると、リーシャは憂鬱で仕方なくなった。来てしまったら覚悟を決めるしかない。
リーシャがエリアルと一緒に昼食の支度をしていると出入り口の扉が開き、ルシアが家の中へと入ってきた。
「ただいま」
「おかえり、ルシア。何してたの?」
「スコッチにこれからの事いろいろと相談してたんだよ。そしたら結界張れるっつうから、頼んで張ってもらった」
「そう。スコッチさん、そんなことができたんだ」
家の前の池に長年住んでいる、巨大なナマズのような魔物のスコッチ。
魔物なだけあって特殊な魔法が使えるようだ。
もしかすればリーシャも頑張れば結界魔法を扱えるようになるかもしれない。そうすればリーシャたちから“迎え”を遠ざけることもできるかもしれない。
けれど、今のリーシャにはそんな悠長なことをしている余裕はない。スコッチの助けがとてもありがたかった。
リーシャは作業の手を止めた。
「けど、このままずっと人を近づけさせないなんてことはできないだろうし……はあ……いつ騎士団に捕まることになることか……」
リーシャが不安に思っていた“迎え”とは、禁じられている魔物の飼育、もとい竜の飼育をしていた“リーシャを捕らえに来るであろう騎士団”のことだ。ここまで来てしまえば腹をくくるしかない。
さすがにリーシャが処刑になる事はないだろうけれど、ノアたち兄弟の方は殺処分、なんて判決が下る可能性が無きにしも非ず。それを避ける方法がないか、リーシャは日々悩み続けていた。
スコッチの結界がいつまで迎えを阻んでくれるか。その間に悩みの種は解消されるか。それが今抱えている1番の問題だ。
「スコッチさん、どんな結界張ったって言ってた?」
「んーと、とりあえずは、しばらくの間外の人間がこの家周辺に簡単に辿り着けないようにしてるらしい。池より大きい規模の結界はうまく使えないから、今張ってる結界も外とは完全に切り離しきれてはないって言ってた。だからなんかの拍子に入ってくるリスクがあるんだとさ」
リーシャは難しい顔をした。
今スコッチが張っているという結界はおそらく外部からの侵入者を彷徨わせるような仕組みの結界なのだろう。そして、外部と結界内が繋がっているとなると、運のいい人間であれば彷徨っているという感覚もなくここまで辿り着ける事もあるかもしれない。
「そう……じゃあ、猶予はあまりないって考えてた方がいいかもね」
「ああ。まあ、そういう事だからさ、王都から来るやつらが結界内に入る前に、これからどうするか考えとこうぜ」
「うん、そうだね。じゃあ、お昼ご飯食べながらみんなで話そっか」
「だな」
リーシャは再び料理の手を動かした。
ルシアと話している間もエリアルが手を動かし続けてくれていたこともあり、あっという間に昼食は出来上がった。
食べるのが大好きなエリアルは、最近では自分が美味しい物を食べるための料理に目覚めたらしく、手際が良く、リーシャよりも味付けが上手くなっていた。
それぞれ席に着き料理に手を伸ばし始めると、ノアがリーシャに質問を投げかけた。
「リーシャ、お前はこの地を離れるという選択肢はあるのか?」
「最悪の場合はね。覚悟はしてる」
「それならば、俺たちをこの家から追い出すという選択肢は?」
ノアの目は真剣だった。冗談でも「ある」などと答えればノアの冷ややかな怒りを目一杯浴びることになるだろう。
そう思ったリーシャも真剣にノアの問いに答えた。
「そんな気は無いよ。っていうより、私が別々の道を歩こうって言っても許してはくれないでしょ?」
「ふん。よくわかっているじゃないか」
ノアはリーシャの回答に満足そうな顔をした。
リーシャ希望は、この兄弟たちとこの家で暮らし続ける事。
ノアたちと散り散りになるのも嫌だけれど、長年住み続けている家もそう簡単に手放したくはなかった。
もし家を手放さなければならなくなった場合、荷物が多いため移動の準備にかなり手間取ってしまう。だからといって大切な本などを置いていくなんてことはしたくなかった。
となると、今後の予定は初めから決まっているも同然だ。
「とりあえずは様子見るしかないかなぁ。王都にはもう行けないけど、誰も来ないようならこの家で暮らし続けたいし。もし王都から使者が来たら、国王様を説得してノアたちを認めてもらう。うまくいく可能性はかなり低いけど。ダメだったらどうにかして逃げ出して、みんなでここを離れる……っていうのが私の希望なんだけど、どう?」
どうやら兄弟たちもリーシャと同じ考えだったよで、ルシアとエリアルは頷いた。
「そうだな。俺もこの家を離れるのは嫌だな」
「僕も嫌だ!」
結局話し合いは、“王都からの使者が来るまでいつも通りの生活をする”ということに落ち着いた。
ただ、この結論は問題を先延ばしにしただけ。
そのせいでリーシャの不安は日に日に増していくことになるのだった。
時は流れ、結論を出してから1週間——
その間はスコッチが張ってくれた結界のおかげもあってか、リーシャのもとを訪れる人間は誰もいなかった。
元々訪れる人などいないため、日常通りと言えば日常通り。リーシャたちはこれまでのように、周辺の森で狩りをして食料を確保しながら生活していた。
このまま何事もなく日常は過ぎていくように思われたけれど、その時は一刻一刻と近づいていた。
コンコンーー
家の外から扉を叩く音がした。
この時リーシャは、教えを乞いにリーシャの部屋へやって来ていたルシアに魔法の理論について教えているところだった。
訪問者が来たことに気が付くと、リーシャは手に持っていた本をそっと台の上に置いた。
「ついに来ちゃったか……」
スコッチが発動した結界を突破してわざわざここまで来たということは、訪問者は先日の件にかかわる王都の人間だろう。
ただ迷い込んだだけの人間という可能性もあるにはある。けれどこの森の中を彷徨う人間なんてそうはいない。
リーシャは扉をたたく音にいつも通り対応しようと立ち上がったルシアを制止し、外にいる人間に届くように声を出した。
「少し待ってください。すぐ行きますから」
今度はできるだけ小さな声でルシアに話しかけた。
「ルシア、ノアとエリアルを連れて地下に行って。あそこなら押し入られてもそうそう見つからないと思うから」
「俺らも一緒にいた方がよくないか?」
リーシャは首を横に振った。
「ここに来た人がどんな命令をされてるかわからない以上、今は隠れてた方がいいと思う。人間の私ならいきなり殺されるってことはないだろうけど、竜だってことがバレてるルシアたちは何されるかわからないから」
「けど……」
「大丈夫、私を信じて。それに早く出ないと、ノアかエリアルがドアを開けて取り返しのつかないことになるかもしれないから」
ルシアは納得できていない顔をしていたけれど、大人しくリーシャの言葉に頷いた。
おそらくエリアルの名前を出したことが最後の一押しだったのだろう。
万が一エリアルが王都からの使者を出迎えてしまった時、その場を乗り切れないかもしれないと心配しての判断だろう。でなければ世話を焼きたがる心配性のルシアが、リーシャ1人に危険を押し付ける案をこうも簡単に納得はしないはずだ。
「わかった。けどこれだけは守ってくれ……絶対に死んだりするなよ」
「大丈夫! たぶん」
リーシャは自信満々に、親指だけを立て、握りしめた右手をルシアに向けた。
「たぶんって、リーシャ……」
「大丈夫だって。よっぽどのことがない限りは死んだりしないから」
「……ったく、わかったよ」
何を言っても無駄だと悟ったらしい。
ルシアは急いでノアとエリアルにリーシャからの指示を伝え、地下への階段を下った。
地下への入口は床に作られている。
リーシャはルシアたちが地下への入口を潜るのを見届けると、扉を閉め、カーペットで扉を隠した。踏んだ時に違和感が出ないように、魔法で扉の板を硬化するという小細工もした。
これで大丈夫。
ノアたちを隠しきれると確信したリーシャは、家の出入り口の扉を開けた。
「お待たせしました」
扉を開けた先にいたのは想像通り、王都の騎士の制服を纏った7人の人間だった。
彼らの真剣な表情が、彼らの訪ねて来た理由もリーシャの想像通りであると物語っている。
扉を叩いたであろう、1番先頭にいる騎士の男性が口を開いた。
「何をしていらっしゃったのですか?」
「すみません。魔法の研究をしてたので。いろいろ危ない物を引っ張り出してたので、それを片付けてたんです」
「本当に? 誰かが訪ねて来ただけで、これほど時間をかけて片付けをする必要などないのでは? 迎え入れるとなった時に片づければよいと思うのですが。何か知られては困るものを隠そうとしていたのでは?」
やはりそう簡単に誤魔化されてはくれなかった。
けれど、リーシャはそれも織り込み済みで言い訳を考えていた。
「いえ。押し入られて家が木端微塵、なんてこともありえるものもあったので。昔似たようなことがありましたし」
リーシャは信憑性が増すように困った顔をしてみせた。
それに後から追及されても困らないよう、まるっきりの嘘は言っていない。少しだけ大げさに言ったけれど、以前魔道具を狙った賊に押し入られて火事になりかけたのは本当の事だ。
騎士の男性は完全に信じたわけではないだろう。怪しむような目をしていた。
けれど一応はリーシャの言い分を信じる態度をとる事にしたらしい。少しだけ表情が柔らかくなった。
「そうですか。では本題なのですが、あなたは我々がここに来た理由はおわかりですね?」
「まぁ……一応」
リーシャはしょぼくれたような態度で言った。もちろんこれは自分を守るための演技だ。
「竜は?」
「あれから身の危険を感じて出て行ったみたいです。私をここへ送り届けてくれた後、気づいたらいなくなってました。もしかしたら、まだ森の中にいるかもしれませんけど」
「家の中を改めさせていただいてよろしいですか?」
「はい、もちろん」
騎士たちは家の中に入り、各部屋の扉を開けていく。
その間、リーシャは普段ノアたちと食事をしている部屋で、騎士の1人に見張られながら家探しが終わるのを待った。
リーシャの部屋にある、開けられたくはないクローゼットの扉までも開けられる音がした。
ただ、目的がノアたちの発見だったため、人影のないクローゼットはただ開けられただけで、すぐに扉は閉められたようだ。リーシャは内心ほっとした。
ノアたちのいる地下への入口は隠し扉になっている。
こんな小屋のような家に隠し扉なんてものがあるとは誰も想像していないようで、地下への扉の傍を騎士たちが何度も通りすぎる気配がしたけれど、見つかりそうな気配はない。
リーシャは騎士たちが家探しをしている間ひたすら考えた。
この後、たぶん私はお城へ連れて行かれる。それからが勝負……けど、どうやってノアたちの存在を国王に認めてもらえばいいんだろう……
なかなか出ない答えを求めて考えているうちに、騎士たちは家の中をあらかた調べ終わってしまったようだ。
黒竜はこの家にいないと納得したようで、リーシャのいる部屋に6人が集まって来た。
「どうやら本当のようですね」
「だから言ったじゃないですか。出て行ったって」
「それではこの辺り一帯の捜索を行っても構いませんか?」
「ええ、もちろん。森を焼いたりしない範囲でお願いします」
「心得ております。では、あなたは国王様の元へ赴いていただきたいのですが、今からでもよろしいですか?」
リーシャの顔にうっすらと汗がにじんだ。
やっぱり、そうなるよね。
予想はしていたけれど、実際にそれが決定すると、緊張で心臓の鼓動が早くなった。
意思確認をしているようにみせてはいるけれど、これは絶対の言葉。「嫌です」や「待ってください」と言っても聞き入れてもらえるわけはない。場合によってリーシャ自身の立場に悪影響を与えるだろう。
リーシャは頷いた。
「問題ありません」
「この件はまだ国民には伝わらないように伏せてあります。ご安心してください」
何を安心すればいいのか、騎士の言葉の真意はリーシャにはよく分からなかった。もしかすると、リーシャが他人の視線を集めてしまうことを好んでいないと知っていての発言なのかもしれない。
リーシャは騎士3人に誘導され家の外へ出ると、王都のある方角へと足を進めた。
すると、少し家から離れた場所に騎士たちが乗って来たであろう馬が待機していた。馬車も1台とめてある。
こんなところに停めているのは、馬で近づいたら音で感づかれ、逃げられると思ったからかもしれない。
騎士の1人から馬車に乗るよう促され、リーシャは大人しく馬車へ乗り込んだ。
「このまま王宮に向かいます。大丈夫だとは思いますが、くれぐれも暴れたりしないでくださいね」
「は、はあ」
リーシャの口から間の抜けたような声が出た。
さすがに逃げようとは思ってないんだけど……
そう思いはしたけれど、口には出さなかった。それはただの事務的な発言だろうから。
扉が閉められると、すぐに馬車は動き出した。
これからどうなるのか。
それはリーシャの対応にかかっている。緊張して心臓の鼓動がいつもより早くなっているような気がした。
リーシャは不安がのしかかる中、馬車に揺られながら王宮へと向かった。
お読みいただきありがとうございます。
ターニングポイントも後半に入ってきました。リーシャたちは国王様に認めてもらえるのか、それとも逃げて追手の届かないところで暮らすようになるのか……どうなることでしょう。
次回更新についてですが、もしかしたら次の日曜を待たず更新するかもしれません。ただ、絶対にしますとは言い切れないので期待はしないでください。(期待する人なんているのだろうか……)
でわ、また次回!