ターニングポイント その9‐黒竜の兄弟‐
人間の骨格を保っていたノアの体は服を引きちぎり、巨大化しながら竜の骨格へと変化した。肌も、人間の柔らかな肌は消え、黒く光沢のある鱗を纏っている。
変化を終えたノアの体は、雷竜より小柄ではあるけれど、それでも人間にとってはとても大きな黒竜に変わっていた。
「きっ、きゃぁぁぁぁぁ!」
どこからか女性の悲鳴が聞こえてきた。
竜が突然増えた、というより人間だと思っていた相手が突如として竜に変わったことに、皆戸惑いを隠せない様子だった。
リーシャが黒竜の姿になったノアの事を見上げていると、一瞬目が合った。ノアは何か言いたそうな目をしていたけれどすぐに視線を逸らし、雷竜へ飛びかかって行ってしまった。
黒竜は火竜や雷竜とは違い、特化した魔法は持ち合わせていない。代わりに、他の竜よりも身体能力が優れている。
ノアはそんな強力な腕や尾の力で雷竜を殴り始めた。
雷竜はノアが突然姿を変えて襲い掛かかってきた事に驚いたようで、攻撃に対応しきれず全身にノアからの攻撃を受け続けた。
けれど、雷竜もそのまま大人しくやられているわけもなかった。
雷竜は体勢を立て直すと電気の息吹や魔法でノアの攻撃に応戦し始め、いつの間にか形勢が逆転していた。今ではノアの攻撃はほとんど通っていない。ノアの苦しそうな息遣いからも、かなり不利な状況に陥っているのは明らかだった。
そんな2匹の戦いは、もはや人間が手を出せるような次元の戦いではなくなっていた。下手に攻撃を仕掛ければ、ただでは済まないだろう。
「リーシャ! 兄貴を援護してやってくれ! 魔法を使う竜相手じゃ、兄貴の分が悪すぎる」
「え? あっ、う、うん!」
戦いに見入っていたリーシャはルシアの声に驚き、何も考えず咄嗟に返事をしてしまっていた。
今ノアの手助けをすれば竜との繋がりを疑われ、さらには禁を犯したとして投獄される可能性が非常に高い。いつもならばそのようなリスクは避け、別の方法を考えるところだ。
けれど今は考える時間などない。あの雷竜を倒すことを優先しなければこの部隊が危険だと判断し、自分の身の心配は心の奥にしまい込んだ。
リーシャは残り少なくなった魔力を振り絞りノアに身体強化の魔法をかけた。そして、ノアを狙う雷竜の攻撃を魔法で相殺していく。
それでも力の差は埋まらず、ノアは押されていた。
2匹の竜の戦いを前に、手は出そうとする者はいなかった。ラディウスでさえ二の足を踏んでいる。
これ以上の援護は期待できそうにはない。
リーシャは1人、懸命にノアの援護を続けた。
「……リーシャ。もういい」
「え?」
ギリギリの魔力で魔法を連射するリーシャの肩に、ルシアがそっと手を置いた。ルシアの方を見るとその視線は、まっすぐ2匹の竜の方を向いていた。
いったい何をしようとしているのか、リーシャにはわからなかった。
「エリアルのこと、頼んだ」
「ルシア?」
リーシャの呼びかけにルシアは答えることなく、戦闘を続ける2匹の竜の方へ足を進めた。
「待って! 危ないからそっち行っちゃダメ‼」
リーシャは止めようと腕をつかんだ。けれどルシアにその手を振り払われてしまった。
ルシアは激しくぶつかり合う2匹の竜の方へさらに近づいていくと、ノアを見上げ声を張り上げた。
「兄貴‼ 俺も手伝う‼」
ルシアの体はノアの返答を待たず、みるみるうちに大きな黒竜の姿へと変わっていった。
そして完全にノアと同じ姿になると、戦っている2匹の方へ飛び出し、ノアと共に戦い始めた。
さすが兄弟というべきなのだろう。
ノアが雷竜をよろめかせると、体勢を立て直される前にルシアがすかさず強烈な一撃を放つ。ルシアが押され気味になっても、自身でどうにか僅かな隙を作り、その隙にノアが一撃を放ち、危機を好機に変える。
言葉を交わさず繰り広げられている2匹の見事な連携に、ついに雷竜も押されはじめた。動きには焦りが見えている。
そんな戦況の中、一瞬だけ雷竜の意識が完全にノアの方へ向く瞬間が訪れた。
ルシアは不意に訪れたその隙を突き、雷竜の首へと嚙みついた。
さすがの雷竜も、力に特化した黒竜の噛みつきをすぐには振りほどけず、もがき苦しんだ。
雷竜は魔法を発動して拘束から逃れようとするけれど、それをノアが許すはずがなかった。
ノアはすかさず体へ噛みつき、強烈な顎の力を使って雷竜の魔法の発動を妨害した。
さらに噛みついた勢いで雷竜は地に倒れ、ノアとルシアの2匹は立ち上がらせてはなるものかと全力で地面に抑え込んだ。
動きを封じたことで力を込めやすくなったルシアは、雷竜の首に噛みつく力を強めていった。
雷竜は怒りと痛みで絶叫し、大暴れをしていたけれど、結局2匹の拘束から逃れることはかなわなかった。叫ぶ声は徐々に小さくなり、ついには呼吸が途絶え、瞳からは生命の光が失われた。
「おわった……の……」
3匹の戦いを固唾をのんで見守っていたリーシャの口から、無意識に言葉がこぼれた。
戦いは終わったけれど、2匹が人の姿に戻る様子はなかった。ノアは黒竜の姿で目を閉じてその場で佇み、ルシアはどことなく気まずそうに眼を泳がせている。
竜へ戻る姿を大勢の人にさらしてしまったのだ。2人ともこのまま人間の姿に戻っても良いのか迷っているようだ。
辺りが静まり返る中、リーシャに向かって近づいて来る足音がし始めた。足音の主はレインだった。
「リーシャ……この竜……どういうこと?」
レインの落ち着き払ったような声が響いた。
この場にいるレインと同じように思っていた連合軍の人間は、一同にリーシャの方を見た。その視線に耐えられないと感じたリーシャは視線を逸らした。
こうなることは予想できていたはずなのに、ノアとルシアの戦う姿に見入ってしまい、どう振る舞えばいいのか全く考えていなかった。
「えっと、あの、その……」
リーシャはたじたじな返事をすることしかできなかった。
そんなリーシャの姿を見るのに耐えられなくなったエリアルは、庇うように両手を広げてリーシャの前に立った。
「ねぇちゃんをいじめないで! ねぇちゃんは何も悪いことしてないじゃん! にぃちゃんたちも、みんなを守りたいって思ったから元の姿に戻って戦ってくれたんだよ! 倒せたんだから、それで……」
「エリアル!」
「えっ? え? な、なに?」
リーシャはエリアルの失言に気がつき、慌てて言葉を遮った。
エリアルは気がつかないうちに、自分たちが竜であるということを認めてしまっていた。
リーシャも、始めから言い逃れはできないとわかってはいたけれど、どうフォローしていいかわからない状態に焦らずにはいられなかった。
エリアルは、リーシャがなぜ自分の名前を慌てた様子で呼んだのかがわからず、ずっとオロオロしていた。
そんな2人を見ていたレインは大きく息を吐きだした。
「やっぱり。そういうことだったんだね」
既に気づかれていたかもしれないという事実にリーシャは困惑の表情を浮かべた。
「やっぱりって、いつから……」
「ここに来る前に、疑わしい事があったんだ。竜の叫び声を聞いて、その叫びの意味を理解してたみたいだったから。それでもありえないことだと思おうとはしたんだ。けど……その兄弟の正体はやっぱり竜だった。リーシャは知ってたんだよね? そして……シルバーも……」
レインの言葉にリーシャはただただ俯いた。シルバーは眉間にしわを寄せ、レインの問いを否定しはなかったけれど、無言を貫いていた。
リーシャはどうすればいいか必死に考えた。
このまま素直に認めてしまえば、ノアたちが討伐対象にされてしまうかもしれない。だから安易には返事ができなかった。もしかしたら今ここで連合軍と衝突する羽目になるかもしれない。
リーシャはずっと俯いていたけれど、自分たちが回りから向けられている目がどんな目をしているのか、見なくてもわかったような気がした。
雷竜を倒したという歓迎の視線なんてものはそこにはないだろう。戸惑いや恐怖、裏切りだと言わんばかりの視線を向けられているに違いない。
リーシャは怖くて目を閉じた。
すると巨大な何かが、ドスンドスンと地面を揺らし始めた。
目を開けると、1匹の黒竜が地を揺らしながらリーシャの側へやってきていた。この竜はおそらくノアだ。もう1匹と比べると、どことなく体の線が細い。
黒竜は爪先でリーシャを摘み上げ、自身の掌に乗せた。
そして、人ならざる形の口から、人の言葉を発した。
「詮索は不要だ。俺たちにかまうな……エリアル」
「うん……」
ノアが手を地に近づけると、エリアルはその手の上によじ登った。
「おい、シルバー。お前はどうする。この場を離れたいなら連れて行ってやる」
「いや。さすがに事情を知ってるやつが全員この場を離れるわけにはいかねぇだろう。リーシャは前みたいな発作が出てるみたいだし、早く休ませてやってくれ」
ノアの掌の上で、リーシャは顔面蒼白になっていた。
武闘大会の一件での不安定な状態は、やっとのことで収まっていた。けれど、幼いころのトラウマ自体はそう簡単に克服することはできなかった。
「そうか」
ノアはそう言うと空へと飛び上がった。ルシアも、竜の姿のままシルバーに軽く会釈だけすると、後を追って空へと舞い上がる。
連合軍は未だ何が起こっているのか理解できずその場に立ち尽くした。
2匹と2人は、数日前に馬に乗ってきた道を辿り、自分たちの住処へと飛び去って行った。
お読みいただきありがとうございます!
バトルシーンの描写がくどくないかとか短すぎたかとか悩みものですが、どうだったでしょうか。これくらいでも大丈夫ならよいのですが……
キリがいいような感じはしますが、ターニングポイントのお話まだ続きます。
でわ、また次回!