ターニングポイント その8‐竜の怒り‐
翼を落とされた雷竜は、当然のごとく怒り狂った。
尾や爪による物理的な攻撃に、電気系統の息吹の攻撃。
雷竜は何としてでもラディウスとリーシャの2人を消し去ろうと、無我夢中で攻撃を放ち続けていた。
ラディウスは竜の猛攻が始まると同時に魔力を消費して動けなくなったリーシャを脇に抱え、そのまま襲い来る攻撃の嵐をかわし続けた。
ラディウスの避ける動きに合わせてリーシャの体は振り回され、抱えられ心地は痛かったり苦しかったりで最悪だった。
けれど自分で攻撃をかわす必要がなかったおかげで魔力の回復に専念でき、威力の弱い攻撃魔法であれば難なく発動できそうな程度には魔力を回復できた。
「ラディウス。もう離してくれて大丈夫。だいぶ魔力回復したから」
「え? もう? 早すぎないかい?」
「そう? まだ弱めの魔法なら使えるって程度だけど……」
リーシャは口を尖らせた。今の自分がたいした戦力にならないことを自己申告しなければならない状態なのがもどかしい。
けれど、リーシャにとってもどかしい申告でも、ラディウスには驚くべきことだった。
ラディウスはこれまでに魔力を限界まで使い切ってしまった魔法使いを何人か見たことがある。どの記憶に残る魔法使いたちも、動き回れるようになるまでに少なくとも30分程度は時間を要していた。
それなのにリーシャは、彼らよりも圧倒的に短い時間で動けると言い出し、あまつさえ魔法を使えるとまで言う。
ラディウスは、攻撃をかわす間にリーシャの顔をちらりと一瞬見た。
リーシャの言った通り魔力は回復していたとしても、顔には疲労の色が残っている。
ラディウスは視線を雷竜へ戻すと、口元に弧を描いた。
「もう少しこのままで」
「え⁉ なんで⁉」
リーシャは予想していなかった返事に驚き、ラディウスの顔を見上げた。良いことを聞いたとでも言いたげな顔をしているだけで、疑問の答えを返してはくれない。
ラディウスの謎の笑顔と、動けるようになった人間を抱えて攻撃を避け続けるという謎の選択は、リーシャの頭を大混乱させた。
「ちょ、待ってって! ねぇ、放してってばぁぁぁぁ‼」
そんな叫びなどお構いなしに、ラディウスはそのままリーシャを守りながら雷竜の攻撃をかわし続けた。
見事なまでに攻撃をかわし続けるラディウスの動きが、段々と鈍くなっていることをリーシャは抱えられながら感じ始めていた。
心配になって見上げた先にある顔は、隠そうとはしているようだけれど焦りが見え隠れしている。ラディウスは本来抱える必要のない余計な荷物を抱えて動き回っているのだ。体力の消費が激しいのは当たり前だ。
いい加減に放してもらわないと。このままじゃ、ラディウスがもたない。
リーシャがそう思い、口を開きかけた時。雷竜の猛攻による騒音が響く中に、どこからか大きな声が上がった。
「いたぞー!」
その声だけでなく、何人もの人が遠くでざわめく声も聞こえてくる。声の主たちはリーシャとラディウスの方へと近づいているようだ。
多くの人間の気配がする方へリーシャが首を回すと、連合軍の人間がこの戦場へと駆けてくる姿が見えた。
「うおっ! すげえ! こいつら2人で片翼落としてやがる!」
「これは俺たちがいなくても勝てるんじゃねぇか⁉」
集まってくる人々は、まだ竜が暴れているにもかかわらずそれぞれで感嘆の声を上げ始めた。
大きなダメージは切り落とした片翼分しか与えられていないとはいえ、リーシャとラディウスの2人だけでそのダメージを与えたのだ。味方にいる強者の存在に気が緩んでいるのだろう。
ラディウスは連合軍の他の人間がこの場に到着した事を確認すると、リーシャを地面へ下ろした。そしてリーシャに一瞬視線を向けて笑いかけると、何も言わずに再び1人で雷竜に向かって行ってしまった。
リーシャは何故ラディウスに笑いかけられたのかよくわからず呆然とした。けれどすぐにそんな場合ではなかった事を思い出した。
今はまだ雷竜の片翼を落としただけ。気を抜いても良い場面ではない。
リーシャは先ほどのラディウスからの視線は、連合軍の指揮を執ってほしいという意味合いだったのかもしれないと勝手に思う事にした。
「喜ぶのは後にしてください! まだ片翼を落としただけなんです! 危険な状態に変わりはありません!」
そう訴えかけると、集まって来ていた者たちはハッとし、リーシャの事を見た。
リーシャの必死な表情を見て危機的状況は去っていないのだと気づいたようで、皆表情を引き締めた。
「そっ、そうだ、彼女の言う通りだ! 皆、ラディウスに続くんだ! あの竜を討伐するぞ‼」
「おおおお‼」
連合軍のリーダーである男性が声を上げると、各々雷竜に向かって行った。
剣や槍の使い手たちは巨体目掛け突撃し、魔法使いたちは直接魔法で雷竜を攻撃したり、突撃していった者たちのサポートに回ったり、それぞれの役割に徹した。
時間が経つほどに戦いの激しさは増していった。
ただ、人間側からの攻撃は全くと言っていいほどに雷竜にダメージを与えられずにいる。
直撃したと思っても硬い鱗に守られている竜には大した痛みにもならないようで、よろめきすらしない。これほどまでにダメージになっていないとなると、片翼を切り落とせたのが不思議なくらいだった。
対する人々の顔には焦りや疲労から苦痛の色が浮かんでいる。死者は出ていないものの、軍は壊滅に近い状態になっていた。
そんな中でもラディウスは1人雷竜に地道にダメージを与え続けていた。現状では彼の剣術があの竜への唯一の対抗手段だ。
リーシャもできる限りの魔法でラディウスを援護し続けている。けれどもともと底をつきかけた魔力量だ。またいつ立っていられなくなるかわからない。
この戦況を変える一手が欲しい……
このままでは先に連合軍が力尽きてしまいそうな状況に、リーシャはそう思わずにはいられなかった。
「リーシャ!」
後方からリーシャを呼ぶ声がした。声につられて振り返ると、ノアたち兄弟とシルバー、レインが走って向かってくる姿が見えた。
「ノア! ルシア! エリアル!」
「ねぇちゃーん」
エリアルが我先にと全力で走り出した。けれど、その横をいとも簡単にルシアが追い抜き、リーシャを抱きしめた。
思ってもみなかった相手からの抱擁に、リーシャは戸惑った。
「ちょっ、えっ? な、なに⁉」
「よかった……無事で、ほんとよかった……」
相当心配していたようで、ルシアのリーシャを抱きしめる腕の力がさらに強くなった。
「そう簡単にやられるほど、やわじゃないって」
「それは知ってるけど……それでも心配だったんだ」
そっとルシアの手が頬に添えられた。
視線の先にある顔は心配そうな顔をしていた。けれど、リーシャの事を見つめる瞳は熱をはらんでいる。そして、その顔は少しずつリーシャの顔へと近づけられた。
リーシャはどうしていいかわからなかった。
近づいてくる顔に見とれ、無意識にルシアのその行動を受け入れていた。頭がぼーっとする中、まるでこうするのが当たり前なのだというように。
「おーい、ラブシーンは時と場合を選んでからしろよー」
シルバーの声でリーシャは現実に引き戻された。
周辺を見渡すと、数人の視線が自分たちに向いていた。ノアとエリアルも仏頂面でリーシャたちの事を見ている。
それに気がついたリーシャはルシアを押しのけ、無意識に呟いた。
「ちがっ……え? なんで、私……」
今の自分の行動を他人に見られていたと思うと、顔から火が出そうだった。
恥ずかしさが限界まで達すると熱を帯びた頬を両手で包み、誰もいない方へと顔を背けた。
リーシャの頭の中は再び大混乱に見舞われた。
こんな状況なのに何してんの、私! いつもなら速攻で押し返してるのに! けど……抱きしめられるのは嫌じゃなかった……かも。むしろ安心できて、心地よかったような気もしたし。ずっとこうしていたいって……あの気持ちはいったい……
リーシャが感じたことのない感情に纏わりつかれて百面相をしていると、シルバーが声をかけてきた。
「現実見えたか?」
「うー、ごめん……」
「そうか。見えたんなら、次はアレをどうにかするぞ」
シルバーが指さす先には、連合軍と戦闘を繰り広げている雷竜の姿がある。
こんな状況下にもかかわらず、戦闘から意識が逸れてしまっていたことにリーシャは深く反省し、頭を抱えた。
「うん。やらかした分以上に頑張る。ノアたちは危ないからもっと下がってて。できれば何かの陰に隠れて」
ノアたち3兄弟は頷くと、討伐の邪魔にならない場所へ急いで下がった。
その3人の姿と、人を軽々と蹴散らしている雷竜の視線が合わさった。
雷竜は一瞬、何か驚くべきものでも見たかのように目を見開いた。そして突然辺り一帯をこれまで以上の力を込めた尾で薙ぎ払うと、リーシャたちの方を見て咆哮をあげた。
「グルァァァァァ‼」
後退していたノアたちがピタリと動きを止め、雷竜の方へ振り返った。エリアルは再び怯えてしまい、慌ててルシアの後ろへ隠れた。
雷竜は苛立つようにノアたちに向けて咆哮を放ち続けた。それをノアは黙ったまま睨みつけていたけれど、鬱陶しくなってきたようで「ちっ」と舌打ちをした。
「うるさい。俺たちが誰につこうと関係ないだろう」
その声は一番近くにいたリーシャにすら届かなかった声だった。それなのに雷竜の怒りは、ノアの言葉がまるで聞こえていたかのように、瞬時に増していた。怒りは電気の息吹に変えられ、ノアたちへ向けて放たれた。
3兄弟はその場を急いで飛びのいた。
「グルゥゥゥ。グルル……グゥァァァァ‼」
リーシャには、あの雷竜が何を叫んでいるのかはわからない。けれど、ノアたち兄弟の様子から、彼らを怒らせるような内容だったのは間違いないことはわかった。
さすがのノアですら頭にきているようだ。額に青筋が立っている。
リーシャは嫌な予感がした。
「……グルルルル……」
ノアの口から人ならざる声が聞こえてきた。
リーシャは驚いてノアの方を向いた。姿は人間のままだ。
ノアの近くにいた連合軍の人間も、竜のような唸り声が聞こえた事に驚き、揃ってノアの方を向いた。
「ど、どうしたの?」
「あの竜が俺たちのことを裏切り者だとか、聞くに堪えないことを喚き散らしているだけだ。フン、俺たちは仲間になった覚えなどないのだがな」
ノアは皮肉交じりの笑みをうかべ、リーシャにだけ届く声で言った。
冷静さを保とうとしているようだけれど、どうも様子がおかしい。
雷竜がさらに大きく口を広げた。
「グァァァァァァ‼」
その叫びを境に、ノアの周りの空気が変化した。殺気だったような気配に、魔法でも使ったかのような空気の流れ。
リーシャとルシア、エリアル、そしてシルバーにはノアの身に何が起ころうとしているのかがわかった。
「兄貴! 落ち着いてくれ!」
「ノアにぃちゃん、怒っちゃダメ!」
慌てたルシアとエリアルがノアを抑え込もうとするけれど、怒りの頂点を迎えたノアには届かなかった。
ノアは血走った眼で雷竜を睨みつけていた。
「誰であろうが、リーシャを貶めるような言葉を吐く輩は許さない……俺はお前を……消し去る‼」
カッと目を見開いたかと思うと、ノアの体は見る見るうちに姿形を変えていった。
お読みいただきありがとうございます。
この話以降が、この”ターニングポイント”の回で一番書きたかった物語になります。細かい部分を考えるのには頭を悩ませていますが、セリフだけはスラスラ書けています(笑)
あと話変わりますが、この話で雷竜が叫んでいる内容もちゃんと考えてますよ!
では、また次回!