武闘大会 その1‐馬車の中にて‐
「何で私、こんなところでこんなものに乗ってるんだろ……」
項垂れるリーシャがいるのは揺れる馬車の中だった。この馬車はある場所に向かって移動を続けている。
馬車に乗っているのは、御者を合わせて9人。
リーシャの横に並んで椅子に座るノアたち3兄弟。そして、向かいの椅子には4人の男女が座っている。
外は見渡す限り一面の緑が広がっている。こんな狭い馬車の中であっても、そんな光景を眺められられれば清々しい気持ちになれること間違いない。
こんな気持ちでさえなければ、の話ではあるけれど。
リーシャはある事を受け入れることができず、文句を言い続けていた。
そんなリーシャに対し、向かいの席の左端に座るシルバーが口を開いた。
「いいかげん諦めろって。最終的にはお前も、武闘大会に出場するの了承しただろーが」
「それはそうだけど……けどそれは、シルバーが卑怯な手を使ってくるからじゃない」
「はぁ? 別に何も卑怯な事なんかしてないだろ。俺はただエリアルにどう思うか聞いただけだ。それのどこが卑怯なんだ?」
「あれは聞いたじゃなくて、言わせただった……もういいよ」
リーシャたちの乗る馬車が向かう先はファルニッタ共和国。
そこで行われる武闘大会にリーシャたち一行は参加することになっていた。
リーシャがずっと文句を言っている原因は、望んでいないにもかかわらずその武闘大会に出場しなければならなくなったからだった。
乗り気ではないのに、なぜ武闘大会に参加することになったのかというと1週間前の事――
この日、リーシャはエリアルと一緒に、買い物をするため王都に出向いていた。
賑やかな通りを歩いていると、突然背後から声をかけられた。
「おっ、リーシャ! ちょうど今から、お前の家に向かおうと思ってたんだ。ちょっと話があるから一緒にギルドまで来てくれねぇか?」
声をかけてきたのはおなじみのシルバー。と、その後ろには3人、ギルドでの顔見知りが立っていた。
「話? ここじゃダメなの?」
「いいから。来いって」
シルバーのことだ。何かまた面倒くさい話を持ってきたのだろうと直感でわかってはいた。
けれど、リーシャもシルバーにノアの指導も含め、いろいろと面倒なことを頼んでいる手前、何も聞かずに逃走するわけにもいかなかった。
「……わかった」
「わるいな」
リーシャは渋々ギルドまで連行される事になった。
ギルドに着くや否や、シルバーは頭を下げ、頭のところで両手を合わせてきた。
リーシャは何が起きているのかわからず、目を丸くした。
「なっ、何突然⁉」
「リーシャ頼む! 武闘大会に参加してくれ!」
シルバーは懇願するように言った。後ろの3人も頭を下げている。
この流れからいうと、3人も武闘大会の選手なのだろう。全員で来ているあたり、リーシャにその大会へ出場してほしいと本気で思っているようだ。
けれど、リーシャの中で返答は瞬時に決まっていた。
「嫌だ。みんな私がこういう目立つこと嫌いなの知ってるよね? だいたい、魔法使いが武闘大会に出場した事なんてないんでしょ? それなのになんで魔法しか使えない私が、わざわざ出なきゃいけないのよ」
武闘大会は各地のギルドから選抜された5人が1対1で戦い、先に3勝したギルドが勝者、というトーナメント式の団体戦である。
選抜される選手たちは主に剣や槍、体術使い。
魔法使いや弓使いなどの長距離戦を得意とする者は選ばれないのが普通である。
そんな中に1人、魔法しか使えない自分が出場するという事は好奇な目が向けれるだろうという事はわかりきっていたため、リーシャはこの大会には絶対に出場したくないのだった。
願いを一刀両断したにもかかわらず、シルバーは諦めなかった。
「そりゃあ、弓や魔法は攻撃態勢に入るのに時間がかかって1対1には向かないから出場できないってだけの話だろ? けどお前は違う。発動に大した時間もかからねぇし、近距離戦もできる」
「それは……そうだけど……」
リーシャは剣などの武器が不慣れであるが、懐に潜り込まれても魔法をうまく使い、返り討ちにできる自信があった。
それに実は過去何度もギルドマスターから選手として参加してほしいと言われてもきた。
けれどいつも最終的に行きつく答えは変わらない。この一言に尽きる。
「目立ちたくない」
この王都でリーシャは、顔と名前を知らない者はいないと言えるほど有名になってしまった。けれどそれは王都だけでの話。
王都から離れた地域で活動しているわけではなく、活動するにしても名前を伏せて活動しているので、ここから離れた地域ではまだあまり知られていないはずだ。
エリアルたちの事もあるし……
変に悪目立ちしすぎて面倒なことに巻き込まれないためにも、これ以上名前を轟かせたくはなかった。
「そこを何とか頼む!」
断り続けるけれど、シルバーはしつこく食い下がってきた。もとより諦める気などないのだろう。
これまでこんなに大会への出場を願われたことは1度もなかったのに、なぜここまでこだわるのかリーシャには不思議だった。
「というか、なんで私? 他にも強い人たちはいっぱいいるじゃない。その人達に頼めば喜んで出てくれるんじゃないの?」
「今年こそは優勝したいんだよ。だからギルドマスターに無理言って、メンバーの選抜と説得、全部俺に任せてもらったんだからな」
「まあ、勝ちたいのはわかるけど……」
シルバーは何度も武闘大会の選手に選ばれ、出場している。けれど、いつも優勝の一歩手前で敗北し続けていた。
だからこそ、今年こそはと意気込んでいるのはわかる。けれど、それとリーシャが選手として出場するかどうかは別の話。巻き込まないでほしかった。
どうにかしてリーシャを武闘大会のメンバーに引き入れたいシルバーは、近くの椅子に座ってアイスを食べているエリアルに目をつけた。
「なぁ、そこの坊主! リーシャが勇敢に戦ってる姿見たいよな?」
「坊主じゃないもん! 僕はエリアルって名前があるんだから!」
エリアルは食べる手を止め、頬を膨らませた。
「わるいわるい。な、エリアル。リーシャが戦ってるとこ見たくねぇか?」
「うーん。リーシャねぇちゃんが危ないことするのは、僕はイヤ」
リーシャはエリアルの答えを聞いて、心の中でガッツポーズを決めた。
よく言った、エリアル!
エリアルたち3兄弟はリーシャのことを優先に考えてくれる。リーシャが望んでいない以上、エリアルを味方につけようとしても無駄なはずだ。
けれどシルバーは引いてはくれず、エリアルを落としにかかった。
「危なくねぇって! 相手は人間だし、そもそもこいつに勝てる奴なんかそうそういねぇんだからな! 考えてもみろ? 優勝したらお前の大好きなねぇちゃんが世界で一番強いんだって自慢できるんだぞ? あっ、あと見たいって言ってくれたら今度うまいもん食わせてやるから」
エリアルは目を輝かせた。
「ほんと? じゃあ見たい! 約束だよ?」
「ちょっとエリアル⁉」
この時のリーシャはまだ、エリアルが食べ物の誘惑に敗北してしまうと思っていなかった。
エリアルは期待の眼差しを向けた。
「ねぇちゃん」
「あの、エリアル?」
リーシャも一瞬食べ物で釣り返そうかと考えた。
「ねぇちゃんが頑張ってるところ、僕、見たいなぁ」
「うっ……」
すでに乗り気のエリアルを味方に引き戻せる気がしなかった。
エリアルは期待に満ちた目をしている。その期待は何に向いているのかはわからない。けれど、リーシャはこの期待を裏切るようなことができなかった。
リーシャはシルバーを睨みつけた。
「エリアルを仲間に引き込むなんてずるい‼」
「はっ。なんとでも言え。お前に参加してもらうためなら、俺はなんだってするからな」
シルバーの上からの態度に、リーシャは頬を引きつらせた。
こいつ……
今ここでシルバーの勧誘から上手く逃げ切れたとしても、今度は家に乗り込んできてノアとルシアも懐柔するつもりだと予想はついた。
「わかったわよ! 参加すればいいんでしょ‼」
「よっしゃあ! そうと決まればさっそく手続きしてくるぜ」
リーシャが折れると、シルバーは風のようにギルドマスターのところへ駆けて行った。リーシャの武闘大会への参加を伝えに行ったのだろう。
「はあぁぁぁぁぁぁ……」
リーシャは、その場で項垂れた。
「? どうしたの、ねぇちゃん?」
「ううん。なんでもないよ」
裏切ったエリアルはというと、リーシャの姿を見てきょとんとしていた。
時は戻り――
リーシャの向かいの椅子の右端に座っている女性が口を開いた。
「今さらなんですけど、リーシャさんのお隣に座られている方々はどなたなのですか? 馬車に乗った時からずっと気になっていて」
彼女はシアリー・フレグレット。華奢な体をしているけれど、こう見えても体術使いだ。
シアリーの問いにシルバーが答えた。
「こいつらはリーシャと同棲してる3兄弟だ。リーシャの両脇に座ってる、ちっさめのがエリアルで、その反対側のがルシア。んで、エリアルの隣に座ってるのがノアだ」
「あぁ、最近噂になってるご兄弟ですのね」
シアリーは思い出したというように、両手をパチンと体の前で合わせた。
「同棲じゃなくって同居って言ってよ……」
「そんな変わんねぇだろ。つーか、なんだよ、覇気がねぇな」
リーシャはシルバーの事を、眉間に皺を寄せて見つめた。
誰のせいだと思ってんのよ。
文句を言ってやろうかとも思ったけれど、実行には移さず溜め息をついた。言ったところで疲れるだけだと気付いたからだ。
「なぁ、リーシャ。同棲ってなんだ?」
この質問してきたのはルシアだ。
リーシャはルシアたちに対して恋愛感情を持っているわけではない。説明してしまえば話がややこしくなるのは目に見えている。
「ルシアは知らなくてもいいことだから忘れて……」
「そう言われるとさ、逆に知りたくなるんだけど」
再びシルバーの事を睨みつけた。
シルバーめ、余計なことを……ルシアにこれ以上変な知識がついたらどうしてくれんのよ。
視線の意味は分かっているのだろうけれど、シルバーは面白がっているようでニヤニヤとした顔をしていた。
仕方がないので、リーシャは部分的に省いて説明することにした。
「……一緒に住んでるってこと」
「それだけ?」
「それだけ。じゃ、この話はおしまい!」
ルシアはリーシャの誤魔化そうとしている態度に不思議そうにしていたけれど、それ以上追及してくることはなかった。
その事にほっとしていると、シアリーがルシアを見つめていることに気が付いた。リーシャはその視線が気になった。ルシアは気が付いていないようだ。
「あの、ルシアさんでしたっけ?」
「俺? 何か用か?」
「あのですね、ルシアさんはどのような女性が好みなのですか?」
「俺の? 好み??」
「ええ」
この馬車に乗っている、ルシアとエリアル以外の全員がシアリーの発した言葉の裏に隠された意味を察した。
シアリーはルシアに気があるらしい。普段のシアリーの話し方に比べると、どこか艶のあるような声音だった。よく見ると若干胸を寄せてアピールもしている。
そんなことなど知らないルシアは、考えることなくシアリーの質問に即答した。
「そりゃあリーシャ1択だな」
そう答えたルシアは、リーシャに笑いかけた。
「それ好みのタイプじゃない。質問に対する答えとしてはズレてるから」
「へ? 何が違うんだ?」
ルシアはなんでという様子で、きょとんとした。
「えーと、タイプって言うのは……例えば……」
苦戦しながらリーシャが説明していると、それをよそにシルバーがシアリーに向かって言った。
「シアリーよ、無理だ、無理。この3兄弟全員リーシャにお熱なんだ。お前の入る隙なんてねぇからやめとけ」
「あらそうなの? 残念ね」
そう言うシアリーの目は全く諦めるつもりはないと語っていた。
奪う気満々で、まるで獲物を狙う肉食獣といったところだ。
シアリーのことを知らない人が彼女を見れば、間違いなく弱そう、守ってあげたいと思うはずだ。事実、彼女は特別力が強いわけでも、秘技を持っているわけでもない。
そんな彼女が武闘大会の選手として選ばれた大きな理由は、おそらく“諦めの悪さ”のはずだ。
もちろん、この大会に参加するためになりふり構わず手を回したという意味ではない。
どんなに不利な状況に置かれても諦めが悪く、持ち前の持久力と小回りの利く柔軟な体で相手の体力を削り、地道にダメージを与えていくことで幾度も危機的状況を覆してきた。
諦めの悪いシアリーは、ルシアを落とそうと動いてくるのではないだろうか。
うーん、それは面倒だから早々に諦めていただきたいんだけどなぁ。
以前からわかってはいたけれど、やはりルシアは女性からモテる容姿をしている。
これからもこういうことが何度もあるのかと思うと妙に晴れない気分になるリーシャだった。
「へぇ。初めてじゃない? そうやってリーシャのこと好きだって言ってる人。ね、ハンズ?」
彼はシュレイン・シルベルト。通称レイン。
複数の短剣を魔法で操るという特殊な戦い方をする細身の男性だ。
リーシャも同じように短剣を魔法で操ろうと思えばできる。けれどレインのように多数の剣を同時に動かすという芸当はできない。
「な、なんで俺に聞くんだよ、バカッ。知るわけねーだろ‼」
何故か赤面しながら悪態をついているのがハンズ・マーフィン。
体格にはあまり恵まれてはいないけれど、シルバーに負けず劣らずのパワーで相手をねじ伏せていくタイプの槍使いである。
シルバー、シアリー、ハンズ、レイン。そしてリーシャの5人が今回の武闘大会に参加する王都・クレドニアムの選抜メンバーだ。
そんな話をしていると、珍しく今まで大人しくしていたエリアルが、リーシャの袖を握りしめた。
「ねぇちゃん……」
「どうしたのエリアル?」
うつむくエリアルはなんとなく顔色が悪いように見える。
「僕……キモチワルイ……」
顔を上げたエリアルを見ると、口に手を当て今にも吐きそうな様子だ。
⁉ 大人しいと思ったら‼
慌ててリーシャは御者に聞こえるように叫んだ。
「すみませーん! 馬車停めてくださーい‼」
「どうかしたのか?」
「1人今にも吐きそうなんです‼」
「そりゃあ大変だ」
リーシャは馬車が止まると急いでエリアルを馬車から下ろした。
「大丈夫? 吐きそう?」
「なんか……口から出てきそう……」
少し離れた場所に川が見えた。
川の側の方が後始末をしやすく、水でひんやりした空気で気分がすっきりするかもしれない。
リーシャはエリアルの顔を覗き込んだ。
「あの川まで歩ける?」
「うん……」
リーシャはエリアルを支えながら川まで誘導した。フラフラしていて今にも座り込んでしまいそうだ。
たどり着くと同時にエリアルは両手を地面に付いた。
「うっぷ……」
「大丈夫?」
「ううん。まだキモチワルイ……うう……」
多少顔色は戻ったものの、つらそうなのは変わりない。
これは……しばらく馬車に乗れそうにないな……
リーシャがエリアルの背中をさすっていると、様子を見にシルバーがやってきた。
「こりゃ、しばらく移動は無理だな」
「うん」
「馬車に残ってる連中に一休みするって言っとくから、お前らはしばらくここでゆっくりしてろ」
「そうしてもらえると助かる」
シルバーは全員にその旨を伝えるため馬車に戻っていった。そして各々が自由に休息をとり始めた。
その間リーシャは唸るエリアルにつきっきりで、背中をさすっていた。
出発早々これじゃあ、この先思いやられる……
リーシャは溜め息をこぼした。
長い話になると思います。
何話構成になるかはまだ分かりません。