池の主? その2‐召喚の指輪‐
スコッチが池の底に潜ってから数分。
リーシャとルシアとエリアルは池の側でスコッチが浮上するのを待った。
リーシャはこの間、家の中からタオルを持って来てエリアルの体を拭き上げ、脱ぎ捨てられた服を着させようと奮闘していた。
池の底から巨大な魚影が見え始め、彼は水しぶきを上げて再び顔を出した。
「ふぅぅー。いやー、久々に水面と池の底を往復するのは疲れるよねぇ」
「何年も動いてなかったらのならそれは疲れますよね。それで、さっき言ってたアレっていったい」
スコッチはヒレを差し出した。そこに何かが引っ掛かっている。
「これこれ。私のヒレにひっかかってる物、取ってみておくれよ」
手に取ってみるとそれは小さな指輪だった。
リーシャはそれをいろんな角度から眺めてみた。
金属のような部分には文字のようなものが細かく刻まれ、緑色の輝く石がはめられた指輪だ。
「こっこれ‼」
以前図書館で見た、古い魔道具に関する文献に載っていたものに酷似していた。
ルシアがリーシャの手元を覗き込んだ。
「何だよそれ。何なのかわかったのか?」
その言葉で、リーシャは勢いよくルシアの方を向いた。
「知らないの⁉」
「いや、知るわけないだろ……」
迫り寄るリーシャの顔にルシアは頬を赤くし、体を仰け反らせた。
リーシャは興奮して語り始めた。
「これはね、カルディスの指輪っていって、召喚獣を呼び出せる珍しい魔道具なの」
「召喚獣?」
「召喚獣って言うのは、この魔道具の中に封じ込められてる魔物の事。で、この召喚の魔道具は世界に3つしか存在してなくて、それぞれに違う召喚獣が宿ってるんだって。そしてその全部が500年くらい前の戦争で行方不明になったって言われてるの」
「へぇー」
ルシアは再びカルディスの指輪を凝視した。
リーシャも指輪を見つめ、目を輝かせている。
「それがこんなところにあるなんて」
ただの伝説で、本当は存在しない魔道具とまで言われている指輪が今自分の手の中にある。湧き上がる興奮がそう簡単に収まるわけがなかった。
ルシアはリーシャの手から指輪をつまみ取るとまじまじと眺めた。
「けどさ、言われてるってだけなんだろ? ほんとにそんなのが出てくんのか? そもそもこれがリーシャの知ってる物と本当に同じ物とも限らないだろ」
「本物よ、きっと!」
リーシャはもっと近くで指輪を観察したくて仕方なくて、ルシアに向かって返してと手を差し出した。
ルシアはその手の上に指輪を置いた。
本物かどうか疑っているルシアとは対照的に、エリアルもリーシャ同様興味津々のようで目を輝かせていた。
「じゃあさじゃあさ、その中の魔物、呼び出してみようよ!」
「そうだね。どんな召喚獣が出てくるかな」
リーシャは右手の中指に指輪をつけると、魔力を流し始めた。
その場にいた全員に緊張が走った。
けれどカルディスの指輪に変化は見られない。
さらにしばらくして、エリアルがこの場の沈黙を破った。
「出てこないねぇ」
魔道具について書かれた文献には、カルディスの指輪の効力につては書かれてあったけれど、発動の方法については書かれていなかった。
火や水などの属性に関わる魔法を使いたい場合、魔力自体に火や水のといった属性を持たせ、杖などの魔道具で具現化させる。
属性に関係のないそれ以外の魔法は、何の属性も持たせていない魔力を流すだけで魔道具に込められた効果を発動できる。
リーシャは召喚という魔法は属性に関係なさそうな魔法だと考えたため、無属性の魔力を流し続けていた。
「魔力を流すだけじゃダメなのかな……」
必要なのは属性を持つ魔力なのか、はたまた特殊な方法があるのか。魔道具に詳しいわけではないリーシャには、そこまでの事はわからなかった。
「まぁ、その前に本物かどうかが怪しいけどな」
ルシアは偽物ではないかと完全に疑っているようだ。
確かに、効果を発動できないという事は偽物である可能性は捨てきれない。文献の絵や説明と同じではあっても、ただ模倣して作られたものかもしれない。
けれど、こんなにも小さく繊細な模様が彫られている物が偽物であるとはリーシャには思えなかった。
「本物だと思うんだけどなぁ。なんかの拍子に使えるようになるかもしれないし、とりあえずこのまま指につけとこ」
リーシャは、指輪を指にはめて見つめた。
本物か偽物かという事は置いておいたとしても、この指輪は凝った造りをしていて、かといって派手ではなく美しい。
何よりリーシャは、はめ込まれた石にどことなく魅きつけられるような感じがしていた。
おしゃれを二の次にしていたリーシャですら、この石は見とれてしまうほど恐ろしく美しい緑をしている。偽物であってもそれなりの価値のあるものではないのだろうか。
リーシャはふと思った。
こんな高価そうな指輪、何の対価もなしにもらってもいいのかな?
対価と言ってもリーシャにはこの指輪に見合うような物など思いつかない。
リーシャはスコッチに問いかけた。
「これ、ほんとに貰ってもいいの?」
表情などわからないけれど、リーシャは今スコッチから笑顔を向けられているような気がしていた。
「ああ、いいよ。私が持っていてもどうしようもないからね。君に貰われた方がその指輪? も本望だろうからね」
「ありがと‼ スコッチさん大好き‼ 愛してる‼」
リーシャは指輪に魅入られてしまったのではないかと思えるほどに喜んでいた。
すると突然ルシアが声を荒らげた。
「ちょっと待て、リーシャ! お前、俺らには愛してるなんて言ったことないのに、何でぽっと出の魚には簡単に言っちまうんだよ‼」
今のルシアは、まるで威嚇しているイヌのようだった。
もちろん、別にスコッチのことを本気で愛しているから言ったというわけではない。
それはルシアもわかっているはずだ。
「その場のノリかな?」
「ノリでもなんでも俺ら以外にそんなこと言うんじゃねぇよ!」
よほど悔しかったらしく、なんとも表現し難い感情の矛先がスコッチの方へ向いた。
ルシアはスコッチに向けて指をさした。
「おい魚! 俺と勝負しろ! 俺が勝ったら二度とリーシャには近づくんじゃねぇ‼」
これまでに見たことが無いほどルシアはあらぶっていた。
リーシャは自分が本気で言ったわけではない言葉で、ここまでルシアが怒るとは思っていなかった。
敵意を向けられたスコッチはというと、あまり気にしていないようではっはっはと笑っていた。
「おーこわいこわい。この様子じゃ、何されるかわからないなぁ。襲われる前に私は退散しようかな」
ふざけたようにそれだけ言うと、スコッチは池の底へと消えて行った。
さすが長く生きている魔物とでもいうのだろうか。
あんな状態の相手に油に火を注ぐような言い方するなんて。肝が据わってるっていうかなんというか……
けれどもし戦ったとしても勝つのはおそらくスコッチだろう。
それをわかっていたからスコッチもあんな言い方をするのかもしれない。
「おい待て! 逃げるんじゃねぇぇぇぇ‼」
逃走したスコッチを追ってルシアは池に飛び込みそうな勢いだった。
たった今、謎の巨大な生物のスコッチと初対面したところ。本当に何がいるかわからないため、飛び込ませるのは危険だ。
リーシャはルシアの腕をつかんで引き留めた。
「待って! 危ないから飛び込んじゃダメ!」
「危なくねぇ! エリアルは無事に上がってきただろうが!」
頭に血が上って我を忘れてしまっているようだ。
いつものルシアなら、リーシャに向かってこんなに荒々しい言い方はしない。
「ルシアにぃちゃん、あんまりわがまま言ってるとリーシャねぇちゃんに嫌われちゃうよ?」
「お前に言われたくねぇよ、エリアル!」
ルシアはリーシャをじりじりと引きずりながら池へ近づいた。
リーシャは魔力には自信があるけれど、腕力は普通の女性の力しか持ち合わせていない。男性の力に勝てるわけがなかった。
どうしよう……そうだ! 身体強化の魔法を使えば!
家の扉がギーッと開く音がした。
「ぎゃーぎゃーとうるさい……」
今まで寝ていたようで、眠そうで不機嫌なノアが家から出てきた。
普段ならこんな状態のノアには絶対に話しかけたりはしない。けれど今は緊急事態だ。
「ノア! ルシアを止めて! スコッチさんを追って池に入ろうとしてるの!」
リーシャも焦り過ぎていて、いろいろとすっ飛ばした説明で助けを求めた。
「スコッチ? 誰だそれは……」
「ナマズの魔物! いいから止めて!」
全く状況が理解できていないけれど、ノアはリーシャの焦りからただ事ではないと感じ取ったようだ。
「仕方ない……」
ノアは速足でルシアの元までくると、ルシアの手をつかんだ。
「手を放せ」
「え、でも」
「いいから手を放せ」
「うん」
リーシャがルシアの腕から手を放すと、ノアはルシアの腕を瞬時に持ち直し、そのまま向きを変え、背負い投げで地面へと叩きつけた。
「……頭は冷えたか?」
「……ああ……いてて」
ルシアはゆっくりと起き上がった。
ノアも珍しく我を忘れた弟の姿に内心驚いていたのかもしれない。訝し気な表情をしていた。
「何があった?」
「リーシャが魚野郎に指輪を貰って、そいつに愛してるとか言うから頭に血が上って……」
「ほう……」
リーシャは寒気がした。ゆっくりノアの方へ目を向けると、冷たい視線が突き刺さった。
1番知られたらまずい相手に余計なことを知られてしまった気がした。ルシア以上にうるさい相手に。
「リーシャ。話がある。来い」
「はい……」
嫌とは言わせない凄みがあり、リーシャはそれ以外の言葉は出せなかった。怖くて目を合わせられない。
リーシャは大人しくノアの後を追って家の中に入った。
絶対にお説教される……
リーシャはダイニングにあるテーブルの椅子に座らされた。
そして向かいに座るノアから、相手の気持ちに鈍感だとか、気を持たせるようなことは冗談でもいうなだとか散々言われ続けることになったのだった。