竜の茶会
リーシャはガルマイドから受けた傷を癒すため、この数日1人自室に籠り、療養していた。
自身が使える回復魔法で治療をしているのだけれど、リーシャは低級の回復魔法しか使えず、発動しても上手く魔力を操れないため、傷を治すのに時間がかかっていた。
攻撃系の魔法は得意だが、どうも回復系の魔法はいまひとつ上手く使えない。
回復魔法への関心が薄いことが起因しているとわかっているものの、練習しようという気になれないのだからどうしようもない。
寝込むリーシャを3兄弟たちは心底心配していた。ルシアも気遣い、リーシャのベッドへ潜り込むことを控えている。
そんな日が続く中、ノア、ルシア、エリアルの3人はテーブルを囲んで菓子をつまみ、茶を飲んで話をしていた。
「ねーねー。いつになったらねぇちゃんは、僕らのこと番って認めてくれるのかなぁ。人間の姿になってからねぇちゃん、僕が抱き着こうとしたら絶対に逃げるんだよ。さみしーよ」
エリアルは不貞腐れ、テーブルに頬を押し付けていた。
3人が集まって話すことといえば、だいたいリーシャにかかわること。端的に言うと、番として受け入れてもらえない事に対する愚痴り合いだ。
リーシャは異性に好意を向けられることに不慣れで、あからさまに抱き着こうとしたり、顔を近づけたりすると顔を赤くして逃げてしまう。
そういうあからさまな愛情表現には敏感に反応するのだ。けれど、好きだから何かしてやりたい、好きだから自分以外と楽しそうに話をしているのを見るのは嫌だ、こういった相手から向けられる感情を感じ取る事には疎かった。一応は理解しているはずなのに。
リーシャの心を手に入れるには、まずこれらの壁を何とかするしかない。
ルシアが菓子を口に運びながら言った。
「なら、がんばって元の姿に戻れるように、なれば、いいんじゃないか?」
「ああっ! ルシアにぃちゃんヒドイ‼ 僕が一生懸命頑張ってるの知ってるでしょ⁉ それでもうまくできないのに、これ以上どう頑張れって言うんだよ‼」
エリアルは両手の平をテーブルにバンと打ちつけ、叫んだ。
ノアは自身が体を変化させる術を身に着けた翌日に、ルシアとエリアルに擬態の仕方と解き方について教えた。
ルシアは少してこずりながらも、見事に擬態をコントロールする術を身に着けた。
対してエリアルは、数日経った今も練習を続けているが、人間の姿から元の姿へ戻る術を身に着けることはできないでいた。
「悪い悪い。兄ちゃんはエリアルができるようになるよう応援してるからな。頑張れー」
ルシアはたいして悪いと思ってはいない口ぶりで言った。これではエリアルの機嫌を損ねること間違いなしだろう。
「もう! 絶対悪いと思ってないでしょ!」
案の定エリアルはふてくされ、口がへの字になった。
放っておいてもいいけれど、後々面倒くさいことになりそうだと感じたノアは、フォローを入れることにした。
「無理をすることはない、エリアル。逃げるということは、リーシャはお前を人間の雄として意識しているという事のはずだ」
「うーん。でもでも、ねぇちゃんに好きになってもらうまで、ぎゅっとしてもらえないのは嫌だよ」
「竜の姿に戻ったところで無駄だ」
「? なんで?」
考えることなどせず、エリアルは大きく頭を傾げた。
弟には甘いノアは、嫌な顔をすることもなくエリアルの疑問に淡々と答えた。リーシャ相手だったら眉間にしわを寄せていたところだ。
「リーシャは既に俺たちの事を半分は人間だと意識しているはずだ。元の姿に戻ったところで人間の姿の俺たちが邪魔をして、これまで通りの反応を返す可能性は0に近い」
「それって、もうねぇちゃんにぎゅってしてもらえないってこと?」
「今のままではな。それに頻繁に戻っていては、今度は自分と違う種であるという概念が邪魔をして、俺たちに雄としての魅力を感じにくくなる可能性もある。このまま人間の姿でいたほうが番として受け入れやすいはずだ。だから急いで元の姿に戻る必要はない。暇な時に練習するくらいでちょうどいいだろう」
ノアの頭には、早く竜の姿に戻れるようになりたいとしつこく教えを求めてくるエリアルの姿が浮かんでいた。
ルシアは面倒見が良いため、教えを請えばとことん付き合うだろう。
だが、教えるという事に関しては苦手分野だ。そのため、圧倒的に教えることが上手いノアの方へ助けを求めにくるという事は、容易に想像できていた。
だからノアはエリアルを諭すように言ったのだった。
だが、ノアの丁寧な説明にもエリアルは首を傾げていた。
「うーん。ノアにぃちゃんの言ってる事、難しくてよくわかんない。けど、ノアにいちゃんがこのままでいたほうがいいって言うんなら、僕このままでいる。練習もこれからも続けてみる!」
「ああ、そうしろ」
うまくエリアルを丸め込むことができノアはほっとした。
「あっ。あとさ、この前ねぇちゃんと買い物行った時にねぇちゃんがいってたんだけどね、番って雄1匹と雌1匹でなるものだって言われたんだけど、そうなの?」
エリアルが菓子に手を伸ばしながら兄2人に聞くと、ルシアが口に入っていた物を飲み込んでから口を開いた。
「さあ? 俺はよくわかんねぇ。でも、リーシャが読んでる本に出てくる人間は確かにそんな感じではあるよな」
ルシアとエリアルは、3人そろってリーシャを番として迎えることができないことを知ると、「うーん」と唸りながら悩み始めた。
ノアもリーシャを兄弟のうちの誰かが独占することは望んでいない。自分たち3人のものにしようと考えていた。
ただ2人と違ったのは、その考えが人間の世界ではそれは受け入れ難い事だという事を理解した上で、そう望んでいたという事だ。
しばらく悩み続けた末、エリアルが眉を下げて不安気に呟いた。
「もしそうなら、僕たちどうすればいいんだろ……」
「そんな人間の一般論なんて、俺たちには関係ない」
エリアルが口にした問いの答えなど、とうの昔に出していたノアは即座に反応した。
「けどねぇちゃんは気にするみたいだよ。僕たちがよくてもねぇちゃんが嫌だって言うなら、無理やり番になってもらうのもどうかなって……あとね、好きな人が他の人と仲良くしてるの見るのは嫌じゃないのかって言われた」
たしかにその感情はノアの中にも確かに存在している。
自分だけがリーシャを存分に可愛がり、笑わせ、困らせ、幸福感で泣かせてやりたいとは思う。
だが、それは大切な兄弟たちを蹴落としてまでしたいことかといわれるとそうではない。リーシャへの愛情に引けを取らないくらい弟たちの事も大切に思っていた。
たかだかその程度の事でノアの考えは揺らぐことはなかった。
「お前はどう思うんだ? エリアル」
「僕は……ねぇちゃんのこと大好きだけど、ねぇちゃんの事取り合ってにぃちゃんたちと喧嘩はしたくないな。にぃちゃんたちの事も大好きなんだもん。それに喧嘩したって僕は勝てないだろうしさ……僕はねぇちゃんとにぃちゃんたちと4人でずっと暮らしてたいな」
「そうか。ルシアはどう思っている?」
気を抜いてノアとエリアルの話を聞いていたルシアは突然を話を振られ、驚いて体を小さく揺らした。
「おっ、俺?」
「ああ。お前はリーシャを独り占めしたいのか?」
「あーっと……思わなくもなくはないけど、やっぱ今のままの方がいいかな。兄貴は頼りになるからいてくれた方が安心だし、エリアルが出て行くようなことになったら心配過ぎて落ち着かないだろうしな」
2人の答えに満足したノアは口角を上げた。
「なら、何も問題ないだろう。俺たちがそれでいいと言っているんだ。人間の倫理なんて竜である俺たちの知ったことではない。あとはリーシャがそれを受け入れられるように接していけばいいだけの話しだ」
ノアは落ち着いた様子で、お茶の入ったカップに口をつけた。
早く俺たちに囚われ、逃れられなくなってしまえばいい。
カップの中身に映るノアの顔は珍しく柔らかな表情だった。
「ほんと兄貴って。なんでいつもそんなに達観してんの?」
「さあ。なんでだろうな」
ノアにはリーシャと番になることはできないからと関係を断とうとしていた時期もある。
けれどそう思いながらも、もしかしたらという可能性にかけ、こっそりと本を読んで様々な知識を身に着け、思考し続け、ともに生きるための基盤づくりをしてきた。
このことはノアだけの秘密。誰にも教えるつもりはない。
ノアは再び、ゆっくりとカップに口をつけた。