始まりの予兆 その9‐始まりの日‐
「チクショー‼ 手加減されてこれじゃあ、俺の完敗かぁぁぁぁ」
ツタに巻かれて身動きが取れなくなっているフェンリルが嘆きの声を上げた。
リーシャはツタに手を置き、魔力を注ぎ込んだ。すると急激に成長を促されたツタは色が茶色く変化し、風化して粉々になった。
「フェンリルも、気が済んだ?」
「ああ。まあ、思惑は外れちまったけど」
「思惑?」
「ぶつかり合えば、分かり合えるんじゃねぇかと」
「……ちょっとそれは……ないかな」
たったそれだけの理由で、殺されるかもしれない危険を冒したのかと、リーシャは呆れた目でフェンリルへと視線を落とした。
力の差を見せつけられたはずなのに、一切動じる様子はない。むしろ清々しいような表情だった。
「まっ、殺されなかっただけ良しとするか」
フェンリルは伏せたまま動かないシャノウに近づくとしゃがみ込み、視線を近づけた。
シャノウの方も、フェンリルを襲うのは完全に諦めたようで、大人しく視線を合わせた。
「なぁ、シャノウ。俺はさ、あんたら竜と争いたくねぇんだ。そりゃあさ、攻めて来られたらさすがにやり返しはするけどさ。けど、あんたら竜とは話をする手段ができた。互いに折り合いつけて共存する道を選びたいんだが、どうしたらいい?」
「グルルルルルル……」
「? なんて言ったんだ?」
シャノウは人間を憎んでいる。そのためフェンリルの問いかけには無視を決め込みそうなものなのだけれど、意外にも何か答えを返していた。
けれど、当然その言葉はフェンリルに伝わるわけはない。
フェンリルは眉をひそめ、どうしたものかと悩んでいた。
「うーん……あっ!」
ふと顔を上げるとノアと視線が合い、途端に表情を明るくした。
瞬時にノアは嫌な予感がしたのだろう。とても嫌そうな顔になった。
「こっちを向くな」
「なあノア、今シャノウがなんて言ったかわかるか?」
「……ああ」
「なら、悪いんだけどさ、こいつが言った事を訳してくれねぇか?」
「なんで俺が、おまえのために、わざわざそんなことを、しなければいけないんだ!」
「なんだよ、いーじゃねぇかそんぐらいよぉ」
ノアが完全拒否の態度をとると、フェンリルはどうしたものかと考え始めた。そして何か思いついたのか、視線をノアの方へと向けた。
「……1周回ってリーシャのためになるって言ったらどうだ?」
「なんだと?」
話に食いついたノアに手ごたえを感じたのだろう。フェンリルは悪だくみを始めたかのように片方の口角を上げた。
「今後竜が絡んでくるような案件があれば、必ずリーシャの力が必要になる。お前が今ここで協力してくれれば、もしかしたらここでのシャノウとのやりとりで、人と竜がわかり合える糸口が見つかるかもしれない。そうすればリーシャも俺ら騎士団に連れ回される機会が早々に減る。悪い話じゃねぇんじゃないか?」
フェンリルは勝ち誇ったような口調で言った。リーシャを出しに使えば必ず動くと確信しているらしい。それはその通りなのだけれど、急に出しに使われたリーシャとしてはあまりいい気はしなかった。
結局ノアはフェンリルの思惑通りに観念したようで、舌打ちをすると諦めたかのように溜息をついた。
「お前たち人間は自分たちの都合が悪くなるとそうやって逃れようとするのだな、だそうだ」
「ありがとな、ノア。つーか、もしかして今までの話、全部聞こえてたのか?」
ノアはシャノウの唸り声を上げる度に人の言葉へと訳し始めた。
「ああ。全て。この娘とは魔力の相性がいいのか、多少の事ならば娘の魔力を使って干渉できる」
そう訳したノアはシャノウを睨みつけた。リーシャの魔力を勝手に使用していたことが気に入らなかったのだろう。そんな威嚇にもシャノウは何食わぬ顔だった。
リーシャも自分の魔力が勝手に使われていたことなど全く気がついていなかったためシャノウの告白に驚いた。
「そうか、聞いてたのか。なら、そう思われても仕方ねぇな」
フェンリルはシャノウの返答に納得し、頷いた。
あまりのあっさりとした態度に毒気を抜かれたのか、シャノウも一瞬言葉に詰まった。けれど気を取り直し、すぐに不快感を表しているような低い音で鳴いた。
「……どうあっても、お前たち人間と分かり合える日など来るわけがない」
「それはどちらかの存在が消えるまで、もう止まる事はないってことか?」
「ガキどもの考えなど俺が知る由はないが、そうだろうな。お前らだって仲間を大勢殺されて、そう易々と許すことなどしないだろう?」
「そうか。そりゃそうだな」
リーシャもその通りだと思った。
人間の都合で住処を追われ、同族を殺され続けたのだ。今さら仲良くしましょうなど、虫が良すぎる。どうあっても人間と竜の衝突は避けられないのだろう。
フェンリルはさらに問いかけた。
「シャノウ、それはあんたもか?」
「聞くまでもない」
「だよな」
シャノウは毅然とした態度で鳴いた。
今は魔道具に捕らわれ、為す術もなく不本意にこの場にいる。もし解放される時が来たなら、きっとシャノウも人間に牙をむくのだろう。
シャノウはノアとルシアが力を合わせても抵抗できないほどの力を所持している。彼と対峙する時が来たら、自分はどう振る舞えばいいのか。リーシャは思い悩んだ。
フェンリルもシャノウはいずれ竜側に戻り敵同士になるのだとわかっているはずなのに、友人にかけるような明るい声でシャノウに語りかけた。
「けどさ、これは覚えといてくれるか? あんたら竜が望んでさせくれれば、少なくともこの国はあんたたちを受け入れる。できる限り望みをかなえたいと思っているからな。それと、シャノウ。あんたが望むなら、その指輪からあんたを解放する術を探す協力だって惜しまないつもりだ」
フェンリルが真っすぐにシャノウを見ると、シャノウは気まずそうに顔を逸らした
「グァウ……」
ノアはその言葉を訳しはしなかった。けれど、リーシャにはその鳴き声が、フェンリルのお気楽な態度に呆れてついた溜め息のように聞こえた。
コンコン、ガチャガチャーー……
突然部屋のドアのノブが乱雑に回された。また誰かが来たようだ。
「あれ? なんで開かねぇんだ?」
ドアノブをガチャガチャと回し続ける音に紛れて、ルシアの声が聞こえてきた。鍵をかけられた扉は開くはずもなく、今度はノックする音が聞こえ始めた。
「おーい。リーシャ、兄貴、エリアル。この部屋いんだよな? いたら開けてくれよー」
「えっ、もうそんな時間?」
魔道具技師の修行を終えたルシアがリーシャたちを迎えに来てしまったらしい。
初めに決めていた合流場所は王都の門に近い魔道具工房で、先に用が終わるだろうリーシャたちが迎えに行くという事になっていた。
けれど実際にはフェンリルとの話が思ったより長くなってしまったのと、フェンリルとシャノウの乱闘が始まった事によって、予想よりも大幅に解散時間が遅くなってしまっていた。
リーシャは扉を少しだけ開けてルシアの姿を確認した。部屋の外には状況を理解できていないルシアが不思議そうな顔をして立っていた。
「リーシャ、カギ閉めて何やって……」
「説明するから、とりあえず中入って」
「おっ、おう」
リーシャはルシアを招き入れると即座に鍵をかけた。
シャノウの存在をこれ以上広めるわけにはいかない。今広まれば、今後竜の被害の噂が広まった時、王都の人間たちに余計な不安を与えるだろう。ようやく解放されつつあった周りからの視線が、再び舞い戻ってくるかもしれない。
そしてなによりこの部屋の惨状についての説明を何も考えていないため、何があっても今ここで覗かれるわけにはいかなかった。
「で、リーシャ。カギ閉めて何し、て……うわっ! なんだこの部屋! ボロボロじゃねぇか! しかもシャノウのおっさん⁉ フェンリルまでボロボロじゃねーか‼」
部屋の惨状が視界に入ったルシアは驚きの声を上げた。
「えーっと、シャノウさんとフェンリルが喧嘩をしまして」
「喧嘩っつー程生易しいもんでもなかったけどなぁ。俺この有様だし。つか、今更だけどルシア、お前いなかったんだな。何してたんだ?」
「えっ……」
ルシアがいないことに気がついていなかったフェンリルの発言に、この場にいた全員が困惑の声を漏らした。それをフェンリルが気にする様子はなかった。
ルシアは首の後ろに手を当て、苦笑した。
「……ほんとに今さらだな。話し始めてけっこう経つんじゃないのか?」
「聞いとかねえとならねぇ事が多くて気がつかなかった。悪いな」
「別にいいけどさ。俺、魔道具技師目指してて、今日修行つけてもらう約束してたんだよ。ストロネシアの親方に」
「へー、あのおっさんとこか。つーことは見込みあるんだな、お前」
「まっ、まあな」
ルシアは得意げに鼻の下を指でこすった。
そのルシアの態度に、ついさっきまでの異様な雰囲気は消え、あっという間に和らいでいた。
みんなで笑っていると、フェンリルが口を開いた。
「まっ、修行してたルシアがここに来たってことはだいぶ時間経ってんだろうし、今日はお開きにするか……なぁおい、リーシャ」
真剣な声で呼びかけられ、いったい何を言われるのだろうとリーシャの心臓がドクンと跳ねた。
「何?」
「わかってるとは思うが、これからの騎士団の任務のほとんどに同行してもらうことになると思う。これは依頼じゃなく命令だ。絶対来いよ?」
「うん……」
命令という言葉を聞いた直後リーシャが俯いたため、フェンリルは困り顔で笑った。
「俺もさ、お前の事が嫌いで命令なんてしてるわけじゃねーのはわかってくれよ? 前も言ったけど、俺はできる限り部下たちを死なせたくはないんだ。そのためにはお前の力が必要だから命令って形を使ってるだけだ。お前の事を信用しての命令だってことは忘れてくれるなよ?」
「うん」
フェンリルの屈託のない笑顔に対して、リーシャは力なく微笑んだ。
こんな表情をされてはリーシャもフェンリルの事を信じるしかなかった。
解散の話が出た後、リーシャたちは部屋の事を所長のグリードに謝り、研究所を後にした。研究所の前には馬車が停まっていて、フェンリルはその馬車に乗り込んだ。
「んじゃ、今日はありがとな」
「うん。こちらこそ。その……金銭面とか」
今回破壊してしまったものは、エリアルが壊した機材の弁償含めて全て王家持ちとなり、リーシャはほっとしていた。ただ申し訳なさがないわけではない。
破壊した物の補修代としてざっと出された見積もりの額は、リーシャが意識を失いかけるほどの額だった。
「あー、まあそこは気にすんな。もともと研究所は国が運営してる機関だし、協力を依頼したのもこっちだしな。それに部屋が大惨事になったのも俺が原因だし」
「ありがと」
「おう。じゃあ、またな。お前らも」
そう言うとフェンリルは馬車を出すように御者に命じ、王城へと戻って行った。あの性格のせいで忘れそうになるけれど、やはり王子は王子なのかと妙に不思議な気分になった。
王子の乗った馬車がはるか遠くに見えるようになると、リーシャはノアたちの方へ振り返った。
「じゃあ、私たちも帰ろう」
「うん!」
これから始まるであろう激動の日々に強い不安を感じながら、リーシャたちは帰路についたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
……100話です! まさかここまで続くとは。読んでいただいている方々のおかげでここまでやって来れました。とはいえ、終幕までまだだいぶあるのですが……
「始まりの兆し」編は今回で終わりです。次回から数話ほど小話を入れて、その次からまた本編に戻ります。
次回更新は次の日曜を予定しています。
でわ、また次回!




