第五話 ナイフを握る彼女
「おい、理歩、どうして……」
「外へ車を出す怜に気がついて、何か嫌な予感がしたのよ、そして怜のスマホのGPS辿ってついてきてみたら、案の定、これね」
「え、GPS!?」
「そう、こっそり怜の位置情報共有していたの。でもそんなこと今は関係ないわ……ねえ、そこのあなた」
理歩は握る異母兄の右手首を曲げる方向とは反対にひねる。
「いたたたたっ!」
「自分の不幸を他人に押しつけるなんて、醜い男ね」
「あんた、誰だよ」
「怜の彼女だけど?」
「は、何言ってんだ?怜の彼女はそこの女じゃ」
理歩は右手を振り上げ異母兄の左頬を叩く。
「彼女は私よ、怜もはっきりと言ってよね」
「……それは、理歩を異母兄に関わらせたくなくて」
「ふん、そう」
やばい、なんだか理歩の機嫌が悪い。それもそうか、こんな状況だしな。
「ねえ、あなた、不幸なのね、可哀想に。……そう言って慰めてもらいたいの?」
「いや、そういうわけじゃ」
「怜と仲良くなりたいのならそう素直に言えば良いのに」
「えっ」
「はっ?」
異母兄と俺の声が重なった。
「さっきの話を聞いていると自分の気持ちを分かって欲しいって聞こえたから、本当は怜に、いや、怜を通して怜のお父様に助けを求めたかったのでしょう?それならそうとはっきり伝えないと」
そんなわけが無い。今まで俺たちにこの男が何をしてきたのかを分かっているのだろうか。
「いや、理歩さすがにそれは違うだろう」
「本当に私の勝手な勘違いかしら??怜の異母兄さん?」
辺りがしんと静まる。異母兄は視線を左右へ動かし、そして俯いた。
「……ごめんなさい」
異母兄の声が響く。何かを悟った表情で地面に膝をつき、土下座をし始めた。
「本当に、ごめんなさい」
いきなり謝ってくる異母兄をみて呆気にとられる。
「僕、怜が羨ましかった。何でも手にしている怜が羨ましくて妬ましかった。小さい頃、一度だけ怜の父親が来て、僕と遊んでくれたんだ。単なるかくれんぼを一緒にしてくれただけなんだけど、すごい楽しくて幸せだった。だけど今となっては最悪な思い出だ。それ以降、人生に絶望した。自分は不幸せな人間だと悟った」
……この男はどの口でこんなことを言ってるんだろう。怒りを通り越して呆れてくる。
「だからって俺ならともかく、理歩や篠田さんにまで迷惑かけて良い理由にはならないぞ、演技はやめてくれ、気持ち悪い」
「分かってる。自分の不幸を他人のせいにしないと心が保てなかったんだ……僕だってこんな自分大嫌いだ、ただ、怜の父親が唯一の希望で光で、そして絶望のきっかけだった。怜の父親に会ったら、自分を変えられるんじゃないかって期待したけど、どうすれば会えるのか分からなかった。こういう方法でしか、自分の気持ちを表すことが出来ないんだ、許してくれ」
「許すか、そんなの誰が信じるか」
そんなにすぐに許せるほど、俺は心が広くない。
「だよな、やっぱり許さなくて良い」
「……だけどまあ、父さんには伝えとくよ、会いたがってたって、多分あってくれないだろうけど」
「そうか……すまなかった」
「だからもう二度とこの二人には手を出すなよ!」
「怜、ありがとう」
そういって異母兄はまるで子供のように泣き出した。
手に持っていた金色のハサミについている血を服の端で拭い、理歩へと渡す。
「篠田さん、もう大丈夫よ、怖かったわよね」
理歩がその金色のナイフを使って拘束を解いて篠田さんを解放した。着ていたパーカーを脱ぎ、そっと篠田さんにかけてあげている。
「出過ぎた真似をしてしまってごめんなさい、また先輩方にご迷惑をかけてしまって……」
目を真っ赤に腫らした篠田さんはそう何度も謝っていた。
「そんな自分のことを責めてはいけないわよ、篠田さんは悪くないのだから」
……結局俺は周りに救われてばかりだ。なんだか情けない。
「篠田さんありがとう。理歩も、ほんと助かった。俺、ちょっと異母兄のこと誤解してたみたいだ。二人とも関係ないのに巻き込んでしまってごめんね……」
「私から巻き込まれにいったので先輩が謝ることでは無いです!」
篠田さんが俯きがちにそう笑う。
「彼女なのに関係ないとは少し酷くないかしら?」
少しふてくされた笑みで理歩が後に続く。
「二人ともありがとう。……異母兄、もうこんなことは二度とごめんだからな」
「ああ、分かってる」
泣き止みそうにない異母兄を置いて、理歩の運転で篠田さんを家へと送り、理歩の親がまだ帰ってきていないとのことだったので、それまで理歩の部屋で一緒に理歩の母親の帰りを待つことになった。今日起こったことは、理歩のお母さんには俺から説明するべきだと思ったためだ。俺の母さんには、理歩にたまたま会ったから、理歩と二人で話をするとメッセージで伝えておいた。母さんにも本当のことを伝えるべきなんだろうけど、母さんには異母兄の話は言わない方が良い。
「お邪魔します」
「とりあえず、首の傷を手当てしましょう」
異母兄につけられた首の傷は5センチほどで、ハサミの刃だったためか思っていたほど深くは無かった。これなら病院へ行かずとも治るだろう。理歩の手当をうけながら、どう母さんに説明しようかと考える。虫に刺されたみたいで、ひっかきすぎたとでもごまかすしか無さそうだ。
「よし、これで大丈夫そうだわ。痛みはどう?」
「ありがとう、少し痛いけど我慢出来る程度だ」
「そう、早く治るといいわね……それでは部屋に行きましょうか」
理歩の部屋に上がるのは滅多に無い。というか一度も無かった気がする。中はピンク色で統一された机や本棚が綺麗に立ち並び、整頓されていた。端には可愛らしいベットが置いてある。ふかふかしていて気持ちが良さそうだ。ふとそこですやすや眠っている理歩を想像仕掛けるが、その近くの壁をみて呆気にとられた。そこには沢山の写真が貼られていて、異様な空気を放っている。よくよくみれば全て俺の写真だった。小学生、中学生、高校生、大学生と順に時系列に花の形をした画鋲で壁に飾られている。
「いつも怜の姿を見ていないと、怜が足りなくて禁断症状に陥っちゃうから、こうやって写真を貼って心を沈ませているの。怜は嫌がるだろうなと思って部屋には入れたく無かったのだけれど、今日のあの光景をみてもうどうでも良くなってしまったわ」
「今日のあの光景……?」
「そう、あの光景よ」
不適な笑みで呟いた彼女の黒い瞳は暗く翳っていた。あの光景というのが何のことかよく分からず、どうしたのかと心配になって様子を伺う。
「初恋の人と結ばれる確率って低いのですってね。いつか私たちも別れるのかしら」
いつにもなく冷酷な表情で彼女は言葉を紡ぐ。
「いや、それは絶対にない」
理歩の瞳と視線を合わせて、そうはっきりと述べる。しかし、理歩は視線をそらせてぽつりと呟いた。
「口先だけでは何とでも言えるわよ……」
俺を信じてくれないのか、とすがりそうになるが堪える。人間、心変わりは珍しいことでは無いし、彼女が不安になるのも何となくだが分かる。
「今日、あの光景……篠田さんをかばっている怜をみて気がついてしまったの。永遠なんてあり得ないということに。ドアを開けたら篠田さんを抱きしめているのだもの。見間違いかしら。かばっているとは分かっていたけれど、心に来るものがあるわ」
理歩は怒りと悲しみを含んだ瞳で俺を見上げる。
「ごめん、確かにあの距離は近すぎた。誤解を与えても仕方ない」
「怜の部屋でさ、怜の左手に描いたハートはずっとつけられるものでは無いし、怜がつけてくれた私の首筋のキスの跡だって一週間後には全く残ってないでしょうね。怜がいつ、篠田さんに心変わりしてしまってもおかしくない。それなら、確実に一緒にいられる方法をとるべきだって思うの……」
そう言って理歩はベットの隣に設置されている棚の引き出しを開け、中から血のついたナイフを取り出した。先ほど俺の部屋で出した物と同じナイフだろうか。俺の血が固まってこびりついている。
空気に緊張が走り、冷や汗がたれ、一瞬彼女の姿が昔の母さんに重なった。怖くなって尻餅をつき、そのまま部屋の隅へと後ずさるが、ナイフをしっかりと右手に握った彼女は俺との距離を少しずつ縮めてくる。
「ねぇ、私と一緒に地獄に落ちましょうよ、怜。二人で死ねば永遠に私たちは結ばれるわ」
理歩は絶望に満ちた表情で見下ろしてくる。かつてこういう状況に陥ったことは何度もあった。相手は母さんだった。母さんも絶望の表情をしていた。
しかし、母さんと理歩の絶望には一つだけ違いがある。母さんの絶望は大半が異母兄への憎しみの感情が占めていた。だから異母兄にそっくりな俺への殺意を含んだ絶望だった。理歩のは、逆に多分俺への愛が行き過ぎた上の絶望だ。
……本当に理歩は俺の事を大切に思ってくれてるんだな。
ナイフの刃を向けられても恐怖はまるで感じなかった。別に理歩に殺されても良いとさえ思ってしまった。だけどそれで理歩が幸せを感じれるとは思えない。だから何としてでも理歩を止めなければならない。
「それじゃ駄目だ、理歩。俺はこの現実世界での永遠を信じたい。篠田さんに心変わりなんて死んでもするものか。俺は理歩としたいことが沢山あるんだ」
「したいこと……?」
「そう、色んな場所にお出かけしたいし、もっと理歩に触れたい。それにいずれは結婚して俺たちの子供育てたい。理歩はそういった未来を全て捨てて、今俺と心中したいのか?それが本当に望んでいることなのか?」
俺の言葉に彼女は唖然とし、動きを止める。呆然と立つ理歩を見上げながら、慎重に言葉を紡ぐ。
「理歩は永遠の繋がりにこだわるけど、永遠という確証がないからこそ、大好きだっていう気持ちやお互いを愛するという思いが輝くんだと思う」
「……永遠という確証?」
「そう。この確証の無い、不安定な繋がりを深めていこうとお互いを信じて助け合って共に歩むのが、俺たちの生きる意味な気がするんだ。それでも、どうしても理歩は俺と共に命を絶ちたいというのなら、受け入れるよ」
一筋の涙が自分の頬を伝った。俺の言葉を聞いた彼女はどう感じているだろうか。想像もつかない。理歩は表情を変えずに床に膝をつき、右手を緩めた。ナイフが床に音を立てて落ちる。
「このナイフ、昔、両親が離婚する前日にお父さんがくれたの」
「……そうだったのか」
「お父さんにはもう会えないと思うけれど、このナイフを身につけていれば、すぐそばでお父さんが守ってくれている気がして、頑張れたの」
「……うん」
「でももう大人なのだから一人で立ち上がらないといけないのよね。私も怜のお兄さんのこと悪く言えないわね、ああなってしまう気持ちは少し分かるのよ」
「そうだね……俺が理歩のお父さんの分も、理歩を守るよ、俺が理歩のナイフになって理歩を支える」
「本当に?信じても良いのかしら……」
「絶対に裏切ったりはしないから」
理歩が俺の頬に手を伸ばし、先ほど流れた涙の跡を拭った。理歩は綺麗な黒い瞳に涙を浮かべながら、俺をじっと見つめる。
「そうね……私は怜とこれから先、一緒にどんなときも支え合って生きていきたいわ。怜、大好き、愛してる」
そう告げた彼女は晴れやかに笑った。やっぱり理歩は笑った顔が一番だ。窓から刺す満月特有の光が彼女を照らす。綺麗な黒髪を手に取り、そっと口づけた後、理歩に焦点を戻し、笑みを返した。
「俺も愛してる、理歩。今日は助けに来てくれて本当にありがとう、もう二度と理歩を悲しませたり不安にさせたりしないと約束する。」
その後、家のチャイムが鳴るまで、ずっと理歩を抱きしめ続けた。……理歩や俺だけで無く、篠田さん、母さん、異母兄、そして俺の父親、それぞれが何かを失いながら生きている。失ったときに出来た空虚な場所を埋めようと、必死になって何かにすがる。そのポカリとあいた穴を隠そうと、手を伸ばした先にある凶器を握る。結局は他人を傷つけることで、心の痛みを忘れようとするのだ。しかし、傷つけた快感の後に襲うのは罪悪感と後悔である。人の心を救えるのは、同じく脆くて傷つきやすい人の心だけだ。
「怜、いちごタルト、今度は一緒に作って、怜のお母様にプレゼントするのはどうかしら!良い案だと思わない?」
「そうだな、もうすぐ母さん、誕生日だしな」
「沢山、作りましょう!怜のお母様の誕生日ですもの!」
「理歩がいちごタルトをお腹いっぱい食べたいだけだろ、思惑が丸見えだぞ」
「残念、少し違うわよ、いちごタルトを沢山作れば作るだけ、好きな人とその分長い時間、一緒にいれるなって思ったのよ、それくらい察してよね!」
床に転がった血のこびりついたナイフを彼女が再び握ることは無かった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
これにて完結です。