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第三話 歪んだ愛情

 

 机上に母さんの手作りいちごタルトと紅茶、フォークを並べる。いちごタルトはお店のものよりいちごの数が多く、とても美味しそうだ。甘い香りが部屋に漂う。


「いただきます」


 理歩は一口タルトを食べると、とろけそうな笑みをこぼした。晴れやかな彼女の笑顔を見た俺の心は理歩一色に染まる。


「美味しいです!とても!いつもこんなに美味しいケーキを作ってくださり、ありがとうございます。お陰様で毎日が幸せです!」


 理歩がいつも通り母さんを褒め称える。


「そんなこと言ってくれるなんてとても嬉しいわ!これからも頑張るわね。腕が鳴るわ」


 母さんは明るい声でそう言い、微笑みながらタルトに夢中な理歩を眺めていた。






 タルトを全て平らげた後、理歩を自分の部屋へと入れる。いつも二人で夕飯までの間、勉強するのだ。


 はじめは二人とも真剣に明日あるテストの勉強に取り組んでいた。しかし、理歩を意識してしまって全然集中出来ない。彼女も同じなのか、だんだんと手の動きがゆっくりになっている。


「ねぇ、怜、さっきの続きしよう?」


 そう言って理歩は赤く染まった唇を近づけてきた。


「ちょっと待ってくれ、理歩」


 後ずさると理歩は悲しそうに目線を一瞬下げ、そして黒い瞳で俺を捉える。


「俺、理歩のこと大好きだから、こんな密室で理歩と二人きりなんて、正直いつも耐えるので精一杯なんだ。」


「別に我慢しなくても良いのよ」


 理歩が不満そうに言葉を返す。どうしてそんな誘うような行動をとるのか、彼女の気持ちがつかめない。もう少し自分の魅力に自覚を持ってもらいたいものだ。男と二人きりで密室にいるというのに、危機感が足りなすぎる。今までは理歩は単なる友達だと必死に言い聞かせていたから大丈夫だったのであって、恋人になった今は全く理性を抑えられる気がしない。


 ほんのりと色づいた柔らかな頬につややかな髪、白い肌に黒いガラス玉のように美しい瞳、どこをとっても彼女は美しかった。つい胸の辺りにも視線がいってしまう。


 ああ、駄目だ。一回落ち着け、俺、深呼吸だ、深呼吸。


 一息つくと心の内を言葉にした。


「俺は、理歩が大好きだから、大事にしたい。理歩はそもそも男女が付き合う意味が分からないのだろう?それに俺が好きと言うよりは、俺に彼女が出来てケーキが食べられなくなるのが嫌だとか、告白されないように防壁にしたいだとか、そういう理由で付き合いはじめたんじゃないか。だから、俺のことがちゃんと好きになってからキスとかもしないと、理歩が後悔することになると思うよ」


「それは……単なる照れ隠しよ!そのくらい察して欲しいわ!」


 泣き出しそうな彼女の声に、言い過ぎたかと不安になる。


「私も怜が好きなの。ケーキは美味しいけど、それ以上に怜と過ごす時間が好きだから毎日ここに通っていたのよ。告白の話だって、わざわざ報告していたのは怜に嫉妬してもらいたかっただけなの。返事をすることが面倒なんて言ってしまったけれど、告白はとても緊張して勇気のいることだから、本当はそんなこと毛頭思ったことないのよ。逆に尊敬するわ。私にはずっと好きだという一言さえあなたに伝えられなかったのだもの」


「え、それって……」


「それに、先程だって後輩からあなたとホテルに行ったという話を聞いて、どう感じたか想像できる?この世の終わりだと思ったわ。私には怜しかいないの。あの包丁で私だって自害……いや、違うわ……あなたを殺すほどに苦しめてやろうかと一瞬考えてしまって……自分が怖かったわ」


「えっと俺を、殺すほどに苦しめる……?」


 意味が分からない。理歩が俺を好きだとか、殺すほどに苦しめようと思ったとか急に言われても頭が追いつかない。


「ええ。殺すように苦しめればあなたは私のことしか考えられなくなるでしょう?お願い、もう止めてってすがられるのを想像するとこの辺りがキュンとくるのよ」


 そう呟いた後、彼女は切ない表情で胸の辺りに手を置いた。この時、歪んだ感情を含んだ黒い瞳に初めて気がつき、自分の知らない理歩を前にして少し身震いする。


「……理歩は俺に苦しんで欲しいの?」


「別にそういうわけではないわ」


 彼女の歪んだ笑みが深まる。


「本当は怜を鳥みたいに、かごの中に閉じ込めておきたいの。どこにも逃げ出さないように鍵をかけて。そして、私のことだけを考えて欲しいの。自分でも最低な考えだって分かるわ」


 彼女は鞄を手に取り、何かを探しながら続ける。


「でも、抑えられないのよ。だから、私があなたを壊してしまう前に、怜が私を快楽の海に溺れさせてよ、ねぇ、でないと私、怜を……」


 苦しげに口角を上げ、無理して微笑みながら鞄から取り出したのは新品のナイフだった。唐突的な刃物の出現に戸惑うが、刃物を自分に向けられる状況には残念ながら慣れてしまっている。特にこの部屋ではそうだ。余り思い出したくない過去ではあるが。


 理歩が刃物で怪我をしないようにどう動けば良いか考える。こういうときは気を反らせるしかない。


 俺はすぐに理歩の唇に口づけした。その間に彼女の手からナイフを奪う。先ほど食べたいちごタルトの味が舌先に広がった。



 そっと離れ、ナイフを安全なところへ置こうと立ち上がりかけたとき、強引に肩を掴まれて押し倒された。


 その刹那、右手に痛みが走った。どうやらナイフの刃を強く握ってしまったらしい。


 彼女は俺の首元に手を伸ばした。


「どう?大好きな私に今にも首を絞められそうな状況だけど、どんな気持ちかしら?」


「……それは別に構わないけれど」


 右手が気になる。結構痛みが強いからもしかしたら傷が深いかもしれない。


 右手に意識が向かっていたことに気が付いたのか、理歩は俺の手をつかんだ。手のひらから血が流れ出ている。


「怜の血は美味しいわね」


「自分以外の人の血液なんて舐めるな、何か病気とかが感染したらどうするんだ」


 理歩は俺の言葉を無視して血を一滴も残さずに舐めとった後、消毒液を鞄から取り出し、切り傷を消毒してくれた。どうやら傷はそんなに深くないようだ。


「こんな綺麗な手に傷がついてしまったなんて……悲しいわ」


 俺の手のひらを見つめながら理歩が呟く。

「別に悲しくはないよ、傷なんて沢山あるから」


 そう言って俺はシャツの袖をまくり、親以外の誰にも見せたことのない腕を彼女の前に差し出した。


「え、これって……」


 目を見開いた理歩の視線は両腕にある何本もの傷跡に注がれていた。


「昔、精神が不安定な時代の母さんに、毎晩カッターで腕を切られていたんだ。だから痛みには強い方だよ。もしかしたら理歩がケーキを食べに来てくれていなかったら俺生きていないかもしれない……母さんに殺されていたかも」


「そう、なの……」


 理歩から笑みが消え失せ、それと引き換えに黒い瞳を潤ませる。


「ごめんなさい、怜。私、一体何をしていたのかしら……恨んで良いわよ。怜のお母さんとやっていること、変わらないわ」


 理歩は目を見開き、わなわなと震えながら何粒もの涙を流しながら、押し出すように声を出していた。


「別に責めているわけではなくて、慣れているから大丈夫だよって伝えようとしたんだけど……それに、この傷は俺がナイフの柄の部分をしっかりと持っていなかったからついたのであって、理歩のせいじゃないよ」


 理歩が泣いていると俺まで悲しくなってくる。


「いや、私のせいよ……それに慣れているなんて、そんな……怜、今ならまだ遅くないわ。やっぱり私と別れて」


 頬に涙を伝わせながら、苦しげに唇をかみ、言葉を吐き出している。



 ……ああ、そうか。


 理歩はどうやら俺のことが本当に好きみたいだ。


 好きだからこそ自分のことだけを考えて欲しい衝動に駆られ、首に手をかけた。好きだからこそ俺を傷つけたくなくて、別れて離れようとする。


「別れないよ」


 理歩を手放したくなんて無い。どんな理歩だって俺は受け入れる覚悟がある。


「一緒にいたらあなた、私に殺されるわよ……」


 翳った黒い瞳は俺を捉える。


「むしろ本望だよ」


「……本望?」


 俺は笑って答えた。きょとんとしている理歩も可愛い。彼女の考え方はどこか歪んでいるけれど、裏返してみればそれほどに俺が好きだということの証明であり、理歩に好かれて嬉しくない訳がない。


「殺されるというのも含めて理歩の愛情をすべて逃さず受け入れたいってことだよ」


 ……自分も相当歪んでいるな。


「理歩がさっき俺の首を絞めようとしたのは俺のことが好きすぎて、理歩のものにしたいっていう気持ちからきた行動でしょ?その、母さんのはさ、それとは全く違うんだ」


「どう違うのよ」


「母さんの場合は不倫した父親の血が半分入った俺を視界に入れるのが嫌だったんだ。この薄茶の髪以外は殆ど父さんとそっくりだからね……」


 理歩がはっとして俺の髪を撫でる。


「ということは、怜と腹違いのお兄さんも、怜のお父さん似だったのね」


「そう。それに離婚したくても俺がすでにお腹の中にいたせいで出来なくて、耐えられなかった母さんはストレスのはけ口に俺を使ったんだ。今は理歩のお陰で趣味が出来て優しい母さんになったけどね」


「……そうだったの」


 理歩は涙を袖で拭い、真剣な顔で話を聞き入っていた。


 しかし未だにおぼつかない表情をしている。ゆっくりと近づいてきた彼女に軽く抱きしめられた。


「辛かったわね」


 鈴のように綺麗な声が俺の心を癒やしてくれる。


「理歩、俺を好きにして良いよ。気が済むまで俺を傷つけたって良い。だから、俺をずっと好きでいて」


 何を言っているのだろう。自分で自分の言葉に驚く。


「本当に好きにして良いの……?」


「うん」


「それなら怜に私のものって印をつけても良いかしら……?」


「それってどういう意味……?」


「ボディステッチよ」


 そう呟くと理歩はライターと裁縫道具を鞄から取り出した。


「掌をだして」


 何が起こるのかと緊張しながら、言われたとおりに左手を差し出す。


 理歩は赤い糸を消毒液に浸し、針穴に通した。そして針をライターであぶる。


「ちょっと待って、針を使うの?」


「そうよ、ハートを怜の手のひらに刺しゅうしたいもの」


「針はだめだ。理歩が怪我してしまったらどうするんだ」


「針ぐらい大丈夫よ」


「理歩の手には絶対に傷をつけたくないんだ」


 そう強く言い放つと理歩は俯いた。


「……わかったわ。針はしまうわね」


 そう悲しそうに笑って出した裁縫セット諸々を鞄に戻した。


 ……ハートを手のひらに刺しゅうしたい、か……おしゃれ目的で皮膚に刺しゅうを施す人はいるらしいけれど、俺にハートは似合わないな。


 理歩は俺におしゃれをさせたいというよりは、きっと自分のものにしたいという衝動からくるものに違いない。


 ……針を使わない刺繍は何か無いだろうか……絵ならどうだろう。


 俺はあることを思いつき、提案する。


「この赤いペンを使ってハート、描いてほしいな」


「直ぐに消えちゃうわよ?インクなんて」


「消えたら何度も描き直しに来てよ、理歩にもっとたくさん会いたい」


 すると、彼女はにっこりと笑ってペンを手に取り、ハートを一つ描いた。ペン先が皮膚表面を滑るとき、少しくすぐったい。ハート一つでは物足りないのか、左手の指一本一本に波線を二本ずつ書き始めた。


「DNAの二重らせん構造みたいで可愛いでしょう?」


 いまいち可愛さが良く分からなかったが、理歩の気が済めばそれで良い。彼女は鼻歌を歌いながらケーキを食べるときより自然な笑顔で赤い線を指に書いていく。


「理歩はマーキングしたくなるほど俺のことに夢中なんだね」


「マーキングだなんて、そんな……」


 顔を赤らめながら理歩はハートが描かれている部分に近づき、優しくキスを落とした。俺はじっとしていられなくなり、彼女を引き寄せて抱擁する。はちみつレモンのような彼女の香りを感じながら唇を首筋の柔らかな皮膚に近づけ、そっと腕を緩めた。


「はい、お返し」


「何、したのよ?」


「キスマークつけただけだよ」


「キスマーク……?」


「そう、理歩は俺のものだって印」


「……印」


 そう呟きながらぶわっと真っ赤になり、先ほど口づけた首筋を片手で撫で、嬉しそうに控えめに笑った。とても可愛くて見とれてしまう。


「理歩はいつから俺のことが好きなの?」


「高校辺りだったと思うわ。私、小四でここに引っ越してきたの、覚えているかしら……?それまで前の学校でいじめられていたの」



 ここへ引っ越してくる前、理歩の両親が離婚し、父親に捨てられた哀れな子という噂が広がったらしい。さらに異性に人気だった彼女はぶりっこというレッテルを貼られ、性格が腐っているから親に捨てられるのだと陰口を叩かれるようになった。物を壊しされたり、隠されたりするのは日常茶飯事だったという。


 勇気を振り絞って友達になろうと声をかけても女子にはぶりっこなら男子と話しなよ、と距離を取られる。男子にも話しかけてはみたものの、大抵の男子は関わりたくないとその場から逃げ出してしまうか、逆に告白してくるかの二択だったらしい。


 結局理歩は一人ぼっちで過ごしていた。


 想像以上に大変な過去歩んでいた彼女になんと声をかけようか迷う。


「怜にもいずれ告白されて関係が壊れてしまうだろうなって身構えていたのだけれど、一向に告白してこないからおかしな人だと感じていたわ」


 告白しなくて良かったと過去の俺をこっそり褒める。


 ……しかし、おかしな人とは聞き捨てならないな。神様に愛されたような完璧な美貌を持つ彼女にとっては告白してこない男子は異例なのか。


「俺も他の男子と同じだったけどな。小学生の頃から理歩のこと大好きだし。伝えていなかっただけで」


「そんなに前から私のこと好きだったの!?」


 綺麗な黒い瞳が更に大きく見開かれる。


「そうだったのね、なんだか嬉しいわ。怜は私と仲良くしてくれた上に、転校してきたばかりの私がクラスに馴染めるように色々と尽くしてくれた。お陰で女子から仲間はずれにされることは無かったわ。美優(みゆ)との関係が悪くなりそうなときも、間を取り持って助けてくれたわよね」


「ああ、そんなこともあったな」


 中学までは、理歩と美優と俺の三人でよく遊んでいた。美優だけ違う高校に進み、それ以来殆ど会っていない。元気にしているだろうか。


「怜がいたから今の私は笑えるのよ。怜がいなかったら今も人形のように無表情で、生きる意味を見いだせずにさまよっていたと思うわ。だから、本当にありがとう」


 恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、理歩はそっと俺に抱きついてきた。自然に頭に手が伸び、優しく撫でる。


「理歩だって母さんと俺を救ってくれた。ありがとう」


 そのまま長い間抱きしめたままだったが、満足したのか彼女は俺から離れ、曇りのない笑顔を見せた。


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