風と青年と私
「ふ~、おいしかったね」
私はそう言ってから立ち上がり、目の前の西村を無視して店を出ようとした。彼女は立ち上がる私を止めようと手を出してきた。がテーブルが邪魔をした。西村の手は空気を掴んだ。
「ちょっと待ちなさい。逃げる気」
私は若干の怒りが沸いた。眉がピクリと動き私は西村を見下ろした。彼女は私の言葉を待っていた。だが怒り、私の発言の内容によってはもう一方の手に握ったコップを投げつけられるのではと冷や冷やした。
「今日は疲れたから・・・また今度ゆっくり」
私は努めて言い訳を考えようとしたが、自然とこの言葉が出てきた。西村はむっとしたまま私の言葉に考え込んだ。そして視線が不意に動き私の横の壁を見た。私は思い当たることがあり視線を動かさなかった。
「明日ね、明日の夕方、駅前集合。ごちそうさまでした~」
彼女はそう言ってから立ち上がり私と店員に向かいお辞儀をしたあと足早に店を出ていった。店員の声も同時に響いた。私は一人残された。口は開いたままだがお冷をコップに注いで震える手でコップを持ち、一気に飲み干した。
その後私は会計を済ませてから、店を出た。高くついたが、祖母の気前の良さがうかがえた。この時期にはお祭り分も考慮してか多めにもらえる。私はポケットにそのまま残りのお金を入れた。私は何とか心を落ち着けようと駅に向かおうとしたが、口から出まかせだったが言霊のせいか本当に疲れを感じ、さらに体調の悪さを感じた。熱中症かと思えてきた。私は家を目指した。帰りの道では西村もおそらくこの辺りに住んでいるはずだから、見つけたら許さないつもりであった。具体的に何をするは考えられなかった。それほどに意識もぼんやりとしていた。私は家に付き夕飯がいらないことを申告してからベットにつくまでをあまり記憶していなかった。私は眠りについた。眠りにつく瞬間に私は悟った。夢を見ると、そう言えるほど気持ち悪く、同時にある種の快感があった。
私の目の前で光が瞬いた。私はその光に手を前で交差し防いだ。その時に隣に人がいることが分かった。駅員の帽子を被り、姿勢よく目の前で走る電車を見ている。私の視線に気が付いたのかこちらを見てきた。そして微笑み、首から下げた笛を吹いた。高く聞きなれた音と共に空間が歪んだ。だが私たちの座るベンチはそのままに周りが変化していった。絶え間なくライトをともした電車が行きかうはまるで星空のように美しかったが後ろから太陽が上がり二人の影を線路上に長く長く伸ばした。そして短くなっていった。青年は笛を吹くのを止めた。それと共に空間の歪みは止まり、ベンチは放り出され着地した。あたりは昼の駅であった。
「うおっ」
私は思わず声を漏らした。青年はまた笑い、こちらを向いた。
「また、会ったね。困ったなぁ」
そう言ってさわやかに祖父の面影がある青年は笑った。私はこの踏んだり蹴ったりの状況に不満を表しため息をついた。
「こっちのセリフだよ!!・・・ったくここは何なんだよ。おとお前は何なんだよ」
私は青年に体を乗り出して聞いた。体はまだだるさが残っていた。青年は驚いたように体を引いた。そして頷きながら私の体を手で制して座らせた。そして少しだけ体を屈めて手を組んだ。最初の一言目は穏やかな音であり、私はその言葉に青年がこれから真面目に話すことを察した。私は生唾を飲みこんでから横にいる青年を目玉を動かして見た。
「どこから話せばいいか・・・長くなるなぁ」
青年は私を一瞥していった。
「ここは終点であり起点・・・始点かなぁ」
青年は考えているのか首を傾けた。
「私は・・・誰なんだろう・・・」
演技しているように自身に驚いたあと口角を上げた。
「長い間ここにいた。だからもっと話すべきことがあるはずなんだがなぁ」
また考え込んだ。自身の額に人差し指を押し付けた。
「そうだ。君に伝えたいことがあったんだよ・・・風の件だよ」
青年は思いついたのか指を額から外して前後に揺らした。そしてその指を私の顔の前に向けた。
「君にとっては今日になるのかなぁ・・・女性にあっただろう」
青年は伺うようにして眉を動かした。
「彼女はいい匂いがする・・・闊達で魅力的だ。暴風のようだね」
青年が手を降ろしてから言った。私は内心焦っていた。自分のほかにそう思う人が居ることに恥ずかしい気持ちが沸いた。
「でも・・・それは厄災の兆候だ。彼女に危険が迫っている。おや・・・もう時間だ、気を付けて帰りなさい」
青年はそう言ってから立ち上がり、歩き出した。私は呆然とベンチに座っていた。青年が歩き出すと時間が早く進み太陽はいつの間にか隠れ、空には星空が広がっていた。青年が向かった先には四角い皮の鞄が置かれてあり電灯に照らされて、艶があるのが分かった。青年は鞄を拾った。そして踵を音を立ててそろえてから指であらぬ方向を指した。そして笛を吹いた。電車が青年の背中からやってきた。やはりこの前と同じようにして青年は線路に落ちようと足を伸ばしていた。
「僕はどうしたらいい、、、教えてくれ」
私はベンチちから立ち上がり青年に向けて叫んだ。青年はこちらにゆっくりと顔を向けた。
「生き物を大切に・・・犬も歩けば棒にあたるものだ。じゃあ」
そう言って青年はすとんと線路に落ちていった。電車の光が私に接近していくほどに光が強く、私の光彩を刺激した。
私は起きた。以前とは違い、周りのことを確認する余裕は無かった。ただ散乱した布団をかき集めてから頭をうずめ、考え込んだ。記憶を遡るが青年は何も答えてはいないことに気が付いた。歯ぎしりをしてこれが夢であってくれと思いたかったが、それ以上に青年の言葉に私は焦燥を覚えた。西村はどこかおかしかった。だからこそ青年の言葉が真に思えた。犬も歩けば棒に当たる。行動すれば災厄にみまわれる。ただ行動しろとも捉えられる。私は布団を投げ捨てて時刻を確認した。デジタル時計は正確に時間を刻み、丁度日が落ちる時刻であった。開け放たれていたカーテンから月の光が私を照らした。空気は夏そのもので気だるげな感覚に包まれる。私の中で諦めの前兆が生まれた。言葉を並べれば、合理化でき、私は普段通りに駅に行き、祭りを楽しめるだろう。だが今回の西村との出会いは、夢の中での出会いは、今日の約束は、すべて棒にあたるような衝撃が私にあったのも事実であった。風が窓の隙間から流れてきた。眼をつむってから私はその小さな流れを感じた。ふと私はきっと戻れはしない日常を感じた。遠くで音が鳴っていた。町に似つかわしくない音が聞こえたように思えた。
ドン、ドドン、カッ、ドン、ピ~~~~、ドドン、ドン、ドン・・・
太鼓や金楽器、笛の音、騒がしい喧噪、それが一体混雑となって何度も繰り返し、私の聴覚を刺激した。私はそれを聴いていた。頭に浮かぶ情景に私は酩酊した。まだ小さかった頃、和服姿の祖父も隣にいた。駅の中、ベンチに座り、りんご飴を片手に一本道を見ていた。いつもはすかっらかんの電車から様々なひとが流れ出し、道に流れていった。道の両端に屋台が並び、その上を提灯が照らしていた。神輿がいくつも奥の寺を目指して進んでいった。人の声が良く聞こえた。老若男女いつもよりみんな声が大きい。顔がよく見えた。そして駅に吹き込む風が色々なものを運んで来る。きっと祖父に聞いたはずだ。たわいもない子供の思いつくようなたわいもない言葉だった。年を経ると一人私は駅にいた。
「あぁ・・・」
私は呟いた。そして窓の方を見た。この酩酊を私は味わいたいと思った。西村は知っているのか、この風を、甘い香りのする彼女はあの感覚を知っているのか気になった。きっと毎年どこかにいたのだろう彼女と私は出会えた。すると私は復帰して着地するべき日常を探すべきだろうと思えた。惰性にも駅に行っていたのか私は今更ながら気が付いた。
私は起き上がり、押し入れを開いた。奥の方に手を伸ばし、懐かしい肌触りを感じた。私は引っ張り出した。私のものでは無い和服が私の手にあった。私はそれを着た。帯を締めて、小さな巾着袋にお金を入れた。それから家を出た。家の中には母親が居たが、私を見て驚いた様子であった。
「行ってきます」
そう言ってから昨日買った革靴を履いた。しっくりとこなかったが気にするほどでもなかった。私は駅を目指した。