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風の吹いた町  作者: 紀遥
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風と駅

駅に風が吹いた。この地は内陸の盆地であり周りは高い山に囲まれている、その山の標高も高いためか日の出は遅く日の入りは早い、そして高い自然の壁に阻まれ海から流れてくる風は弱く、まるで風呂桶の水のように空気の塊がそこにあった。そこから流れる風は純粋に町そのものを空気として滞留し運んで来る。この土地で唯一風が通る道であるのが隣町まで繋がっている電車の駅とその横を通る道だった。個人的なことで私は駅が好きでもあり嫌いでもある。町の匂いが香る駅の好き嫌いはこの町の住民である私にとってはこの生まれ故郷が好きでも嫌いでもあるわけだ。難しい理解しがたいことを言おう。町がなんとなくわかる気がしていた。それが一つの優越感と同時に劣等感を感じさせ私が主体となれる唯一の場所だった。

私の父方の祖父は鉄道会社の元職員で私がまだよちよち歩きもままならない時からその駅に良く連れて行ってくれた。そんな小さな時の記憶があるのかと言えば私の鼻が覚えているのか、祖父がそう言っていたのか、なんとなく私がそう思うとしか言いようがなかった。もしかしたらもっと小さい時、まだ嗅覚が発達しきらない時にこの駅にいたかもしれない、そう思わせるほど私はこの場所を気に入っており良く電車にも乗らずに駅の構内に設置されたベンチに腰掛け、時間が過ぎるのを待った。そしてお腹がすけば家に帰り、ご飯を食べ、風呂に入り、就寝する。そんな毎日を繰り返していた。

 私のこの行動に祖父を除き家族は不審がっていたが、私のことを熱心な鉄道マニアかなにかと思いそれ以上は詮索しなかった。祖父は自分と同じように電車に興味を持ってくれていると喜んでくれたが、学校の放課後に友達と遊ばずに駅ばかりに向かっていくのを最後の時には心配していただろう。

 私の祖父が死んだ葬式の後、仏の乗った霊柩車は町の葬儀屋の火葬場で焼かれることとなった。私は葬儀の会場から霊柩車を見送った後、駅に向かって走り出した。私が普段見せない気迫で走り出したものだから、家族は私が悲しみに耐え切れず逃げ出したとでも思ったのであろう。その日は雲一つない風の流れが見えそうなほど暑く湿った日であった。私は不格好に喪服を揺らしながら駅に向かっていた。いつものように改札を抜けた。片田舎の駅は無人で料金を払わなくても自由に出入りができた。私は構内の階段を登り、上りの電車が来るホームに駆け降りた。そしていつも座るベンチに腰掛け、目の前で手を合わせた。指と指が触れ合い、私は目を瞑った。時間が進むのを待った。もう夕暮れが近く町から風が吹いてきた。

 突然、涙が出てきた。あまり気分の良いものではなかった。それは不快だとか悲しいからだとかじゃなかった。風になったはずの祖父は町の火葬場から駅を通り線路に吹いていった。もう二度と感じることができない死者の風はまだその時は言語化することはできず。私はただ自らの脳裏に焼き付けた。涙は私の頬を流れ続けた。


 祖父の亡くなった日から数年が立った。駅のベンチで私はいつものように街を眺めながら時間が過ぎるのに身をまかせていた。高校生にもなっていつまでも駅で時間を無為にするのを家族は良く思っておらず、祖父が亡くなったこともあり、そのことを両親は声には出さないが隠そうともしなくなった。しかし、そうやって私が回りくどく責められることが逆に私を家に居ずらくし駅に向かわせた。私としてはもうこの駅で「無益」に時間を過ごすことができなくなる日が近づいているからこそ、この時間が自分にとっては大切なものであった。私はため息をついた。私の前で電車か止まり、人の乗り降りの後、ドアが閉まり、電車は動いていった。電車は見えなくなった。

 少し毛色の違う匂いを持った弱い風が私の鼻孔をくすぐった。それは人工的で、町の風からはしない甘い匂いであった。最近になってわかった、ある時間の電車から一筋の弱い流れが私にその匂いを感じさせることを。目の前で制服を着た女が颯爽と歩き去って行った。その制服には見覚えがあった。この駅からいくつか行った駅の近くの高校で私の通っている高校より品や頭の良い学校だということだった。このあたりから通う生徒なら高校受験したか中学受験か、少なくとも私はその女に心当たりが無かった。

 数日の後、私がいつものようにベンチに座っていると声がかかってきた。それは緊張しているのか裏返っているようで高くそして耳に残る音であった。

「あの、すいません。何をされているんですか?・・・・・・」

町を眺めていた私の横にあの女が立っていた。私は自分の時間に浸っていたばかりに、虚を突かれ、飛び起きてしばらく静止してしまった。

「・・・・・・風を・・・・・・感じ・・・・・・」

 私は咄嗟に自分の口を押さえた。もし仮に喉にまで昇ってきた言葉を吐いたならまるで痛い人になってしまう。私は焦り、顔を自身の腕で隠すようにしてその場を立ち去った。女の顔を見ないようにして女の傍を走り去る時あの甘い匂いがした。やはりその匂いは今まで嗅いだことのない魅惑的な匂いであった。私は振り返ることなく走り、改札を抜け、電灯の光を避けるように裏の路地に逃げ込むように走った。

 

「ただいま」

 私は息を吐きながら小さな声でそう言って玄関から家に入った。玄関で靴を脱ぎ、二階にある自分の部屋に急いだ。一階の居間では祖母と母と妹がテレビを見ているのか笑い声がした。木造の階段は一歩ごとに軋み特徴的な音をたてた。居間から母の声がかかった。

「早いわね。ご飯はまだだから先にお風呂にしてね」

 私は返事をすることなく階段を上がり自分の部屋に入った。扉を閉め、鞄を机の横に置こうとした時過去の自分を呪った。鞄が無かった。私はどうするべきか考えた。駅まで戻って鞄をとるか、明日になって取りに行くか、勉強道具は学校にあるのでその必要もないか、どうするべきか数十分悩んだ挙句私はベットに横になって寝ることにした。もちろんそれは狸寝入りであってふて寝であった。現在の心拍数が高い状態では寝ることすらできない。私は明日いつも通りに駅に行って落とし物コーナーに自分の鞄があることを確認できる未来を思い描いて心を落ち着けることにした。私はあの女が良識に則った行動のできる人間か心配であったが自然とそうであるという思いが強くなっていった。根拠は無いが逆に自分に危害を加えんとする人間があのように丁寧に声を掛けてくるか、逆説的に考えれば何とか材料に出来た。そして無理に納得してベッドに横になっていた。

「たーだー今―帰りました」

 階下で声がした。父親の酒気の入った間の抜けた呑気な声であった。

「「エッ」」

 祖母と母と妹の驚いた声が聞こえてきた。私はうつ伏せになって枕をかぶるような形で耳を塞いだ。しばらく時間が経った。ゆっくりと確実に階段を上がる音が聞こえた。それは複数の音であり、きっと四人分の音であった。私の部屋で囁き声で一悶着あった後ノックの音が聞こえた。

「おーい。起きてるか。何かあったのか」

父の声だった。さっきの声よりもハキハキとした無駄に低い声だった。あの女と鞄の事よりもこのことの方が私には心配だった。両親は私の行動を一種の反抗期だと考えており、それだったらきつく言うのは逆効果だと考えている節があった。直接的には何も言わなかった。だが単に反抗らしい反抗でもないことが不安であったのだろう。急に私が早く帰ってきたことに驚き不審がっているようだった。

「ちょっと開けていいか聞いてみてよ」

「おいおい。男にはなぁ」

「聞いてみるだけじゃん」

私からしたら何故早く帰ることがこんなにも変なことなのか、どこかあきれる思いと共に小さな怒りがあった。私は枕の端と端を強く握りなおした。

「大丈夫だから、開けないで下さい」

 私はそう言って黙り込んだ。情けない声だったのか言った傍から私は自身の言葉を心の中で反芻した。

「わかった。わかった。」

「よし。解散、解散」

 父の声がした。そのあとぞろぞろと階段を下りていく音がした。でも最後まで扉の前に気配を感じて僕は静止したままであった。

「お風呂わいてるからね。あと夕飯の準備もできるから・・・・・・持ってこようか?」

 しばらくの沈黙の後、階段を下りる音が聞こえ、私は安堵した。


私はその日遅い時間になってお風呂に入った。ラップされて居間のテーブルに置かれた夕食をチンして食べた。食事をしながら今日の出来事を振り返った。あの匂いの女が声をかけてこなければいつも通りの時間を過ごせたのに、八つ当たりの感情が湧いてきては女から香った甘い匂いに言い難い感情を抱いた。その日はいつもより遅い就寝となった。


駅でベンチに腰かけていた。私はいつものように町を眺めながら呼吸をした。そうしていて何十分か経った頃、隣の席から声がかかった。

「何をしている」

くたびれてはいるがつばの部分は鏡のように光る鉄道員の帽子を被った私と同じくらいの青年が立っていた。私はその青年をまじまじと見た。私は立ち上がり、青年と向かい合った。青年は私を不審者か何かと考えているのか肩から腕の筋肉と顔の表情は緊張していた。制服をきっちり来ているところからこの青年はこの駅の鉄道員だろうか、手には黒く四角い長方形の武骨な鞄を下げていた。

「ただ、座っていただけです」

私は普段から考えている使ったことの無い常套句を使った。あの時何故同じようにあの女に対して対応できなかったのか私は不思議でならなかった。そんなこともお構いなしに私の内心を写すかのように自分の手の平から汗が伝わり落ちた。突然身知らぬ人に話しかけられてうまく対応できるほうがおかしいはずだ。こんなことで動機が早くなるのは正常なはずだ。私が考えていると青年が喋り出した。

「・・・・・・嫌。別に、隣。座っていいか」

駅の構内にはベンチは一つしかなかった。構外となれば老人たちが社交場としている石造りのテーブルと椅子が沢山あるのが見えるのだが、構内となれば私の座っている木のベンチだけであった。

「・・・・・・どうぞ」

私は落ち着いて声を出した。私はベンチに座りなおしてから端にまで寄った。青年は私の隣に座った。しばらくの静寂があった。私はいつものように町のほうを見たが頭の中で隣に座る青年のことを探っていた。

「君は電車が好きなのかい」

青年は尋ねてきた。そして頭に被った帽子の唾を少しさわりまた黙った。

「別に好きではないよ」

私は正直に答えた。別にどうということは無かった。よく聞かれた答えなれた質問でさらに続く質問にも答えが用意されてあり、さらに言えば私の中では会話の終点も決まっていた。馬鹿らしいことだと私でも思うがこうすることが私の思考を占めていた。

「じゃあ、仲間だ」

青年は嬉しそうに言った。私は次に答える用意していた言葉を飲み込んだ。私には「仲間」という言葉の曖昧さに疑問を持った。

「何でだい、私と君が仲間だなんて」

私は青年にむけて気持ち前のめりに言った。青年は私のそんな様子に短く小さく笑って言った。

「君は知っているかね。この駅には風が吹いてくる」

「あぁ、当然知っている」

 青年は私の返事を待って次を話し始めた。私は「当然」という言葉にこの町の地理的条件から、多くの要因が風が吹くことの原因であるということも含めた。

「風は何を運んでいるか知ってる」

「知ってるよ。町の空気が流れてくる」

私は確認するように言った。だが

「そうだよ。よく解ってるじゃないか」

「ここに少し詳しいぐらいの人なら知ってることだよ」

青年は頷いた。私は物質的な空気の流れが確かであることは町の図書館の本で裏を取っていた。一時期に気になって調べたことが日々の自身の行動の基礎になったのか、その逆かはうやむやにしていた。

「何を感じる」

「感じる?・・・・・・この町の感じがなんとなく分かる?」

 普段なら素性の分からない輩に対して答える事は無いが、目の前の青年になら言っても問題ない気がした。私は質問されたことに疑問を持ちながらも答えた。誰にも言ったことのないことを私は夢の中の青年になら面と向かって言えるのか、自身のその判断に言った後に少しだけ後悔の念を生じさせた。私の言葉に青年は何か納得したように頷き、流れるように私の目の前で立ち上がった。私は青年を見上げた。青年は目深く帽子を被り直し

「ありがとう、話せてよかった」

そう言って後ろに一歩、二歩、三歩と下がり線路に天を仰ぎ見るようにして落ちた。私はどうすることもなくだたその様子をベンチに座り見ていた。丁度青年が線路に落ちた時、何処からともなく電車が通過した。私は立ち上がり腕を青年に向け伸ばした。私は助かるはずの無い青年に手を伸ばした。電車は煌めきをまとい私の目の前を走っていた。私の目は光に覆われた



 僕は起きた。


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