3-3 直前ミーティング
「これが、セデイト対象者二人分の情報」
視聴覚ブースでの研修直前ミーティングで、サンドラはデータクリスタルをリンディに差し出す。
「あー、なんか決まってるって言ってたね……」
受け取るセデイター。それなら、当日じゃなくて、昨日のミーティングで出せばいいものを……まぁ、きっと研修上の規定だの何だのがあるんだろうなー。そういう面倒なことを聞かされるのは間違いなく面倒だから、聞かないけど。……そして、そういう面倒なことを説明したくない課長は、聞かれなくて助かった。
「リンディへの指名依頼で、フィリスの研修ノルマ二人分。他の人には取られないからやりやすいでしょ?」
「まぁ、そうだけど……どっからそんなものを……」
「とあるルートから」
「怪しい」
リンディにフィリスが追随。
「なにか、よからぬ手段を……」
「リンディはともかく、フィリスまでそんなことを言う?」サンドラはナユカに近寄り、その肩に手を置く。「もう信じてくれるのは、ユーカだけだよ」
「そ……う、ですね……あはは」
ナユカの笑いは引きつっている……。よからぬ手段かどうかはさて置き、何らかの強引な手を使ったのだろうとは思う。
「で、今度はどんな悪事を?」
リンディの直截的な質問自体を、サンドラは否定。
「悪事じゃない。近いうちにわかる」
「わかるんですか? そんなおおっぴらに?」
驚くフィリスに、課長は抑えた声で反応。
「別にいいじゃない。まずいことじゃないし」
「あ? そう……そうですよね。失礼しました」
この部下が失礼なことを前提としていたのが、よくわかる。
「こんなことなら、便宜なんて図らなければよかった。わたしは悲しい」
わざとらしく嘆く課長の隣に付け、その肩にリンディが手を置く。
「悪行は悲しいもんだよ」
「それじゃ、返してもらおうかな」
渡したデータを受け取るべく、開いた手を伸ばすサンドラ。
「あー、いや……せっかくだから……」離れて、にっこり微笑むセデイター。「ね?」
「なにが『ね?』だよ、まったく。これでそっちも共犯だからね」
これは、課長の自白……。リンディ、フィリス、ナユカがそれぞれ反応する。
「え? マジ?」
「そんな……やっぱり……」
「本当に……」
そんな三人に、サンドラが確認。
「あのさ……冗談ってわかるよね?」
リンディ、フィリス、ナユカが順番に答える。
「わかんなかった」
「ですよね……」
「よかった……」
相変わらず、リンディは見も蓋もない。フィリスは自分とリンディのどっちに同意したんだ? けっこうずるいな、こいつは……。ほっとしているナユカは、冗談だと思わなかったと……。サンドラは結論する。
「ったく、どいつもこいつも……」失礼なやつらだ。結局、自分に対してこういう見方をするのは……。「みんなリンディが悪い」
「なんであたしが……」
当然、本人は言いがかりと見做すが……。
「それはそうです」
フィリスに続き、ナユカも……。
「間違いないです」
「裏切りってこういうもんなんだね……」
リンディが敗北したところで、サンドラが締める。
「そんなわけで……」どんなわけだ? 自分に突っ込みたい……が、とにかく先に進める。「その二人のうち、できれば、ランクの低いほうからセデイトするように。わかった?」
課長がセデイターと研修中の助手に視線を向けると、それぞれ了承する。
「はいはい」
「わかりました」
「それじゃ、ま……」実務はリンディに任せるとして……。「報告は忘れずにね、フィリス」
「心得ています。必ず連絡を入れます」
「それは、頼もしいね」ナユカの様子を知るためだろうな……。「研修の間は、ユーカはわたしのうちで過ごすから」
「筋トレで死なないでね」
リンディのナユカへの冗談に、フィリスが凍り付く……。
「え……」
「まぁ、わたしに任せて。きっちりトレーニングするから」
サンドラ自らの申し出に、トレーニング好きのナユカは嬉々とする。
「はい。よろしくお願いします」
この筋トレ好きたちがペアを組むと……健康管理者には悪夢だ。こちらは冗談ではなく、本当に……。
「あ、あの……ほどほどにお願いしますね。くれぐれも怪我などさせないように……」
「わかってるよ。ほどほどでしょ」
しまった! この筋肉姉さんの「ほどほど」は、決して「ほどほど」ではないはず。
「いえ、かなり手加減してください……というより、思いっきり手を抜いてください。できるだけ、負荷のかからないように……」
過保護な医師へ、異を唱える異世界からのトレーニー。
「それじゃトレーニングにならないよ」
「でも、怪我したら……」
いぶとく心配しすぎる医者を、トレーナーがさえぎる。
「大丈夫だよ、骨折るようなことはさせないから」
「じゃあ、骨を折る手前まではやるんだね、おーこわ」
リンディの軽口は、フィリスに火をつける。
「絶対駄目!」
「こっちのが怖い……」
ひるんだリンディを尻目に、サンドラがフィリスを諭す。
「あのさ、トレーニングはわたしが専門なんだよ。無理なことはさせないから、信頼してくれない?」
「そうですよね……そうします……」
頭ではそうすべきだとわかっているはずの健康管理責任者だが、なかなか納得がいかないらしい……。サンドラは、ここはもう一度、すでに確認してあったことを言っておく
「オイシャノ医師だけじゃなく、チェ=グーとか、フロリンデルさんの店もあるし……」
「フローラさん!」
つい声を上げたのは、リンディ。フローラ=フロリンデル店長は、ハーブなどの充実した健康食品店を営んでおり、彼女のお気に入り。また、ハキン=チェ=グーは、サンドラも秘かに利用しているマッサージ店のマスター。それを隠しているのは、リンディにからかわれそうだから。たぶん、年齢がらみで……。
「なにかあった場合は、すぐ連絡するからさ」
それで、ナユカを置いていくことに納得したはずだった。上司から改めて言われ、フィリスは落ち着きを取り戻す。
「はい……お願いします」
「フィリスも、そろそろユーカの頑丈さを認識するべきだよね」
リンディの発言には、ナユカも同意する。
「正直、わたしも、この世界の人よりも丈夫だと思います」
憶測だが、怪我をすぐに魔法で治している人たちよりも、自然治癒を基本としてきた自分のほうが、そもそもの治癒力が高いのではないだろうか……。
「ふーん。言ってくれるじゃないの」
これは、比べてはいけない人。
「サンドラさんには負けますけど、リンディさんには勝ちます」
異世界人に断言された人は……。
「あぁーら、そぅおー?」
まったく納得いかない。
「リンディには、フィリスだって勝つでしょ。もしかしたら、ミレットも格闘ではリンディに勝つかも」
筋肉姉さんのこのランク付けは、いくらなんでも聞き流すわけにはいかないセデイター。
「ほぅおぉ……なめられたもんだ。あたしはこれでも戦闘職だよ」
「保健医療系ですよね、正式には」
訂正はフィリスから。カテゴリーとしてはそちらになる。戦闘になることはあっても、純粋に戦闘系ではない。
「やっぱ、そうなんですね」それはともかく、なんだか、趣旨が変わってきた。でも、気になるから聞いておこう……。ナユカが尋ねるのは、もちろん、この場で格闘最強の人へ。「ミレットさんって強いんですか?」
「サンディより強いよ」なぜか代わって答えたリンディが、課長を指差す。「よく、怒られてるの見るでしょ?」
「それはそうですが……」
もはや体の話ですらない……とはいえ、秘書から注意を受けている課長の姿は、同意したナユカのみならず、フィリスもよく目にする。
「見ますねぇ……不本意ながら」
課長の権威はなさそう……。しかし、本人もそれを希求してはいない。
「ごめんね、しょーもなくて」
「気にしないで。みんな最初からわかってることだし」サンドラの肩に手を置いてから、ナユカとフィリスに同意を求めるリンディ。「ね?」
「あ、いえ……」
「まぁ……その……」
冗談のはずなのに口ごもる九課所属の部下たちに、上司は苦笑い。
「そこは否定するとこでしょ?」
「あ、そうです……」あわてるフィリス。「そうでした」
そして、ナユカ。
「……ですよねぇ」
調子いい小娘たちに、サンドラは複雑な気分。
「……ま、いいけどね」
「そんなわけで、ミレット最強なわけさ」
戦闘職もどきがそう締めるのであれば、武器専門家は返す刀で……。
「で、リンディは最弱」
こうなる。本人は声低く返す。
「……あのな」
「というわけで、ミーティングは終わり。そのデータは二人で見てね、ここ使っていいから」セデイターに反論を許す隙もなく、早口で言い置くと、サンドラはゆっくり席を立つ。「それじゃ、出ましょう、ユーカ」
「あ、はい」続いて立ち上がり、ナユカはリンディとフィリスに微笑む。「では、また後で」