3-1 フィリスと組む
フィリスによって設定されたセデイト禁止期間が過ぎ、ルウィッセ帰りのリンディのやる気がクールダウンした頃、今度はサンドラからの御達しが入った。
「しばらく、フィリスを助手に使ってくれる?」
「はぁ? なんで?」
基本的に単独行動のセデイターへ、またも助手の話だ。
「セデイト研修ね、フィリスの。もちろん、人件費なし。むしろ、協力費が少し出る。今回は正式な研修で、名誉ある初回だよ」
魔法省勤めのフィリスは給料をもらっているので、その点でリンディが気を遣うことはない。ティアのときは、手当てを払わないでいいということになってはいたものの、ただ働きさせているような気分になり、結局、相応の取り分を払っていた。
「名誉は別にいいけど……」もしかして、助手を何らかの形で制度化する方向なのだろうか? 少々引っかかる……。でも、初回ってのは悪い気はしないな……面倒じゃなければ。「あたしは、何かするの?」
「リンディは、フィリスの能力を存分に活用すればいいだけ。ヒーラーがセデイトの現場に立ち会って、セデイターと連携する研修なんでね」
優秀なヒーラーであり、支援魔法と防御魔法に長けているフィリスは、リンディの不得意分野を完璧に補ってくれる存在だ。
「それはありがたいけど……」
「なにか気になることでも?」
「フィリスって、現場経験は……どのくらいあるんだろ?」
どちらかというと、病院勤めの医者という印象だ。
「そうだねぇ……まぁ、それなりに修羅場をくぐってる……と、言っておこうか」
「修羅場? ……なにか知ってる?」
「その辺は本人に聞いて。話すかはわからないけどね」
「なに? サンディには話した……?」自分には話さず、サンドラには話したのなら、ちょっと気分が悪いが……たぶん、そうではない。「……じゃなくて、調べたんだ」
「ご明察」
「怖いな……何でも調べる」
上司が部下の過去を勝手に調べたことがわかり、言葉とは裏腹、なんだかリンディはほっとした。
「わたしが調査したってことは黙っててよ」
なかなかに、ずうずうしい要望だ。
「……そんな無駄な努力はしないよ」
「どういう意味?」
「そもそも、そんなこと聞かないってこと」
リンディは、人が話したがらないことをわざわざ聞き出そうとはしないタイプだ。聞くと気を回さなきゃならなくなるから面倒だと考えている――逆に、聞けばそれなりに気を遣う性格だともいえる。よって、当人が自分から話す分には、聞き流すようなことはない。その点は、サンドラも心得ている。
「そうかもね」
「でも……もし、あたしがその『修羅場』についてフィリスに聞いたら、その情報の出所がどこか、すぐ思い当たるね。それはもう、サンディしかいない」
「もしかして、友だち少ないの?」
「うるさいな」まぁ、多くはないけど。「……そういうことじゃなく、サンディがどういう人間かフィリスも知ってるってことよ」
「どういう人間?」
反射的に聞いてしまった本人。
「言わせたいの?」
「いや……いい」
いいことを聞かされないのは確かだ。
「ほめようと思ってたんだけど」
「あ、そう? ほめてほめて」
サンドラは手招きする。
「……なんか、やる気なくすな……まぁ、いいや。『謀略家』」
「それを言うなら、『知略家』とか『策士』とか……」
「『抜け目ない』」
「ほめてるか、微妙だな……他には?」
「『ずる賢い』」
すでにほめていない。
「なんか、もういい」
やはり聞かないほうがよかった。
「えーと、それで……」
「まだあるわけ?」
うんざり顔の謀略家だが、その続きではなく、リンディは話を変える。
「あたしとフィリスがいない間、ユーカの相手は誰がするの?」
異世界人が身元を明かすような墓穴を掘らないように、これまでもできるだけ単独行動をさせないようにしている。
「ああ、そのことね……わたしがする。恋バナもできる」……あえて言った。少なくとも、外へ出るコンビよりはマシなはず。その点、ナユカ本人から御墨付きを得ている。「あと、ミレットね」
「ミレットねぇ……」結界除去の仕事で、初期に結界破壊士と少しだけ組んでいた……。その場に居合わせなかったため、そのペアがどんな感じなのか想像がつかない。「他は?」
「あとは、ターシャ」
「げ。それは危険でしょ」
リンディの苦手な相手。
「なんでよ?」
聞きつつも、この反応は課長の想定内。
「ユーカをあのセクハラ科学者の餌食にしたいわけ?」
「そんなことしないでしょ」
「はぁ? 見たじゃん、あの検査のとき……」
「ユーカの魔法耐性検査のとき?」魔法無効化能力を確認したときだ。サンドラもその場にいた。「なんかしたっけ?」
あまり思い出したくないリンディ。
「……だから、検査着を切ったり、一緒に着替えようとしたり、『セクシー』とかなんとか言ったり……」
「ただの冗談でしょ? 緊張をほぐすための」
「でもさぁ……」
そうかもしれないが……。
「そんなに気になる? ターシャ」
「そりゃ、まぁ……」
それには、恋バナ担当が食いつく。
「これはもう、恋というしかないね」
言われた意味が、リンディにはわからない。
「……ああ?」
「だから、好きなんでしょ? ターシャが」
「……をい!」
逆だろ。嫌いとまでは言わないが、その逆では決してない――間違いなく苦手だ。
「違うの? そこまで意識するってことは、やっぱり……」
どうでもよければ意識しないという見方に対し……。
「……それでよく恋バナとかいえるな」
リンディは呆れた。「嫌よ嫌よも好きのうち」のような見方はあるものの、たいていは嫌なものは嫌である。基本的に、やたらにいじってくる相手は苦手なタイプだ。
「なんだ、残念」
「残念ってなにさ」
「違うんなら、そんなに意識することないよね?」
「意識なんかしてないっての」
「それじゃ、ターシャもOKと」誘導成功。ほくそ笑む謀略家。「それから……」
その先を話し始めようとしたところへ、ノックの音が響いた。ここは九課内の例の小部屋―実質、密談部屋だ。……そして、フィリスの声。
「フィリスとユーカです。よろしいですか?」
九課課長はドアへ赴いて、自らふたりを招き入れる。
「どうぞ」
「失礼します」先に室内へ一歩踏み出すと、ヒーラーはセデイターを見つけた。「あ、リンディさん、こんにちは。もう聞きました?」
「うん、話は聞いた」
「それで……」
その場でフィリスが立ち止まったことで、後方の一名が渋滞しているので、サンドラが促す。
「進んで」
「あ、すみません」
先行が動き出し、リンディのほうへ。ようやくナユカは中へ入る。
「どんばらげ、リンディさん」
「な、なに?」
妙な音声を向けられた当人に続き、サンドラも聞き返す。
「なんだって?」
「く」
下を向いて息を詰めているフィリス……。
「あ、忘れてた。もう一度……」ナユカはリンディに近寄る。「ど・ん・ば・ら・げ。リンディさん」
ゆっくりした発音とともに異邦人が行ったのは、セレンディアの会釈と同時に、開いた右手のひらを相手に見せながら、右腕を内から外へ半回転させること。
「ぷ」
背を向けたフィリスから声が漏れてきた。見れば体が震えている。事態を理解したリンディが破顔する。
「いや……だから、なにそれ?」
「あ、やっぱり。本当だ」
微笑むナユカ。
「ほ……」言葉を出すため、サンドラは息を飲む。「本当って?」
「リンディさんが喜ぶって聞いて……」
「ぷはっ」噴出した後、フィリスの笑い声が響く。「あははははは」
「え?」
きょとんとするナユカの肩に、リンディが笑いながら手を置く。
「フィリスも人が悪いよねぇ……」
「え、それって……」
さしものお人好しも気づいた。
「担がれたね」
結論を告げたサンドラも笑っている。
「で、でも……わたし、じゃないです……ターシャさんが……くくっ」フィリスが一番受けている。知っていたがゆえに、笑いも止めがたい。「わたしは……黙っていただけで……ぷはっ」
「ターシャかぁ……たち悪いなぁ」
そう口にしつつも、いつもは彼女を非難しがちなリンディが、今回は喜んでいる。その点では、ターシャはナユカをだましたわけではないといえる……かもしれない。
「そうですか……なるほど」照れ隠しも兼ねて、平静を装う異世界人。「……笑いすぎの人がひとりいますね」
「くふぁっ……う、くぅ」当該人物は、笑いの一時停止に奮闘中。「……ご、ごめん……ずっと我慢してたから……ターシャさんのところから……くっ」
だまし始めのところから我慢していたのなら、笑いすぎるのも許容……しよう。ナユカは今、一段、大人になった……。
「仕方ないですね。では、本題に入りましょうか、サンドラさん」
「え? ああ、うん」自分で仕切り始めるとは……けっこう怒っているのかもしれない……。サンドラは頬に両手を当て、笑顔を素に戻した。「みんな席について」
座ったままだったリンディ以外は、適宜着席。フィリスは腰掛けて下を向いている。まだ笑いが収まらないのだろうか? 壺にはまると笑い上戸なのかもしれない。
「あとでもう一度やってね、ユーカ」
リンディのリクエストが、フィリスの記憶を呼び覚ます。
「ぷっ……く……」
「やりません」
リクエストは、本人により明白に却下された。
「で……フィリスを助手にする件だけど……」課長は、セデイターに視線を向ける。「OK?」
「まだ期間を聞いてないけど?」
「あ、そっか。まだ言ってなかったっけ」
「そういう大事なことを忘れるようになったら、もう……」サンドラの眼光を感じ、リンディはそこでやめる。「それで?」
「期間は二週間で、共同で最低二件はセデイトしてほしいな。達成できなければ、一週間の延長あり」
「二件なんて楽勝」
近場で雑魚なら。見つけるのに手間がかかるだけ。
「一件はCランク以上でお願い」
「あ、そ。別に問題ない」
いつもやっているレベルだ。
「フィリスの安全は確保するように」
「承知」
「自分の身は守れますから、心配しないでください」
ようやく爆笑から復帰したフィリスの発言が意味するところは、リンディへの配慮か、それとも彼女自身のプライドか……。
「……心配はしないけど、指示には従ってもらうよ」
いちおう念押しした課長に、「研修生」がうなずく。
「はい、それはもちろん」
「さて、そういうわけなんだけど、受けてくれる?」
明確になったオファーを、リンディは受け入れる。
「いいよ。フィリスだしね」
ティアのように初対面の相手ではないし、面倒では……場合によってはなくはないが、前の助手に比べれば、ないに等しい……かな?
「よろしくお願いします、リンディさん」
新しい「助手」が改まって会釈したので、セデイターも返しておく。
「よろしく。ところで……」ナユカに視線を向けてから、サンドラのほうを見る。「やっぱりユーカが気になる」
「ふたりについていってもいいかな……と、わたしは思ってるんだけど……」
課長の私見は、医師によって即時却下。
「だめです」
「ほらね」
サンドラはフィリスを指差しつつリンディに視線を向けるが、口を挟むのは本人。
「なんでだめなの? わたしも行きたい」
異世界人は、健康管理責任者をまっすぐ見る。
「だってユーカは……」
「その先はいいよ、わかってるから」回復魔法が効かないから、怪我をしたら大変だ、ということ。制したリンディのみならず、何度も聞かされた。「他に理由はある?」
「それは……」フィリスは少し間を空ける。「ユーカには結界破壊の業務が……」
「あー、それは一段落ついた」今度は、課長が応答。そうやたらに公的機関の結界張り直し作業があるものではない――予算に基づく計画というものがある。実際、給料一年分くらいの働きはすでに終えたかもしれない。「それに、少し休ませたい。なにかと神経をすり減らしたと思うし」
結界の破壊そのものはナユカには楽でも、それが本人の体質によるものであることを隠す演技など、異世界人であることを悟られないようにするには、それなりの心労を伴う。その点では、リンディも同意。
「気分転換は必要だよね」
それが何をほのめかしているか、フィリスにもわかる。
「それなら、部屋で休んでいれば……」
「ひとりで?」
研修で同道する相手の指摘を、ナユカの同居人は無視できない。
「いえ……あ、ここに来れば……」
「それで気分転換できる?」
リンディは、異世界人を見る。
「それは……どうでしょう……?」
彼女の場合、体質上、端末が扱えないので、事務作業が十分にはできない。それは、なかなかのストレスだ。それならばと、サンドラが提案。
「じゃ、トレーニングでもしよっか」
「それはだめです。わたしがいません」
またもフィリスが即、却下。怪我をしたら、いったい誰が診る? セデイターはそこを突く。
「だったら、うちらについてくるしかないね。フィリスも一緒だし」
「う」
語るに落ちた健康管理者。先だって、ナユカがリンディの旅に同行するのをを許可したときは、行き先が優秀な上級医師かつリンディの姉ゆえに秘密を共有できる、ユリーシャのところだった。しかし、今回ここに残したら、傷病の治療を任せるのは、あのオイシャノ医師である。秘密保持に関しては信用できるものの、その能力は異世界人を任せるに当たって、信頼できるほどではない。
「チャンスだよ」
サンドラに耳打ちされたナユカが、フィリスを見つめる。
「ついて行ってもいい?」
「でも……」
逡巡するヒーラーに異世界人が一押しを加える。
「やっぱり、一番頼りになるのはフィリリンだし……」
「そお?」
医者に笑みが浮かぶ。そこへ、患者になるかもしれない者から決定的な一言。
「オイシャノ先生は男の人だから」
「あー、それはまずい」
いち早く反応したのはリンディ。医者は気にしなくても、患者は気にする。ここではナユカを診察できる女医は、フィリス以外にいない。
「そうでした……」
現状で肝心なことを失念していた女医は反省モードだが、課長もそれに追随。
「最初から、それを言えばよかった」
「仕方ないよ」
意外にもリンディから気休めが来たので、一拍置いてサンドラが尋ねる。
「……なんで?」
「だって、気づかないでしょ? もう恥じらいなんかないから」
あっさりと言い切ってくれた。
「……ふーん」
サンドラから不穏な空気が漏れてきた……かどうかはわからないが、フィリスはなにかを察知した……ようだ。
「そ、それなら……わたしも忘れてたから……ないってことですよね、あは……あはは……」
引きつった笑いの傍らには、空気を読まないリンディ。
「フィリスは医者だから習慣的に忘れていたんだろうけど……サンディは違うよね……いろいろと」
「ほぉ」
サンドラの視線が、リンディに刺さる。
「旦那がいるし……年齢的にも、いまさらどこをどう見られてもっていうか……」
「ちょっと、リンディさん……そこまでに……」
ナユカの介入。しかし……。
「まぁ……あたしも忘れてたけどね、あはは」
こういう落ちがあるから言いたい放題だったわけ。それでも、サンドラは反撃の暴露。
「だいたい、ひとんちを素っ裸で徘徊するやつだからね」
「風呂上りに、ちょっとだけでしょ」
そんなリンディと入浴したときのことを、ナユカとフィリスは思い出す。
「そんなことを……」
「それは……まずいです……」
サンドラの旦那が悩殺されてしまう……夫婦仲の亀裂は必至。幸いにして、ふたりの懸念するようなことをするほど、リンディは天衣無縫ではない。
「だって、サンディだけだから」
「え? 別居中?」
フィリスがはっきりと口にしてしまったので、ナユカが気を回す。
「あ、そういうことは……」
「違う! 旦那がいないときだよ。まったくもう……どいつもこいつもそういう方向に……」
唯一の既婚者がご不満なので、ナユカはとりあえず合わせる。
「そうですよね……」
「すみません。リンディさんの影響を受けちゃって」
フィリスの言う「影響」というのは、次のようなことをよく言うため。
「いつもいないけど」
「あーもう、うるさいな」いない理由は、取材や外での作業など。そんなことはわかってからかってくるリンディに、サンドラは向き直る。「とにかく、まっぱ《・・・》で歩き回るのはやめなさい」
「だって、他じゃできないし」
自分の部屋を除けば。慣れからか、サンドラは過剰反応を起こさない。
「他でやられちゃ困る」
たとえ女湯でも。うちでやるのは、その反動なのだろうか……。
「……困りますよね」
ナユカもそれに同意。思い出すのは、自分よりもフィリスの反応。
「パニックになります」
本人がそれに近い状態になった。そこまでかはともかく、一騒動は起きそう。
「わかった、わかった。もう好きにして」サンドラお手上げ。「旦那がいないときなら、いいや」
そこへ、意外なところからの矢が飛んでくる。
「つまり、いつでもいいっていうこと……」
「ユーカ、残るってさ」
突然、サンドラから告げられ、フィリスは聞き返す。
「え?」
「あっ、あっ、冗談です」
ナユカはあわてた……。
「……みんなリンディが悪い」
不貞腐れるサンドラ。旦那との仲をからかい過ぎたと、リンディは少し反省。
「……わかったよ」誤解を与えたのなら……また本当のことを言ってやろう。「ほんとは『ラブラブ』だもんね」
「え」
静止した既婚者をそのままに、リンディはナユカとフィリスに念押しする。
「わかった?」
「いや、その表現はちょっと……」
本人からの異議。言ったほうは肩をすくめる。
「やっぱり照れるわけね、はいはい。……面倒だな」
「いいと思いますけど……だめなんですか?」
異世界人には、単語のニュアンスはよくわからない。
「わたしはいいと思うけど……」
フィリスの賛同を得た。
「だってよ?」
リンディの視線を受けたサンドラ。
「いや、でも……そういうのは、もっと若くないと……」
「自分で言ったよ」
いつもその辺をからかう……いや、からかおうとすると、怒るくせに……。恋愛音痴としては釈然としない。
「ラブラブ……いいなぁ……」
イケメン好きは、はまっている。
「わたしも……響きが好きです」
異邦人も気に入ったらしい。
「そお? まぁ……そう言うなら……」
ついに、本人も受け入れた。リンディは決を採る
「じゃ、それで決まり」
こうして、サンドラと旦那の関係は「ラブラブ」と決まった。それだけではなく、リンディがフィリスを一時的に助手とし、ナユカがそれに同行することに決まった……のだろうか?