7-4 ナユカが合流
「三人いるといいよねぇ……休めて」
セデイターは、昨日とは場所を変えて、通路全体の中間地点である、男湯と女湯を隔てるそれぞれの仕切りの間で待ち伏せ中。背中合わせで両側の監視に一人ずつ当たるため、三人いれば一人は休める。今は当事者であるマスターと助手が担当しているが、本来は何もさせないのはずのナユカを、リンディはきっちり組み込むつもりらしい。
「確認しておきますけど、ユーカは『見学』ですよ」
異論のあるフィリスが仕切りの陰から視線を向けているのは、女湯のほう。男湯側ではなくそちらを選んだのは、助手本人だ。おそらく、監視が覗きに移行するような誘惑に曝され続けるのは、しんどいということなのだろう。さすがにミイラ取りがミイラになるようなことはないにしても、ストレスで冷静さを失うようなことがあっては困る。
そもそも、昨日セデイターが、監視中の身をしっかりと隠せるこの場所を選ばずに、女湯側の中間地点にしたのは、助手を妙に刺激しないようにするためでもあった。はたしてフィリスのイケメン筋肉好きがどの程度なのか、いまだにリンディは測りかねている。
「わたしはやりたいですけど」
こちら、別系統の筋肉好きであるナユカは、ふたりの側面にて、建物側、すなわち壁側を背にしている。
「本人もそう言ってるし、いいんじゃない?」
リンディとしては、三人目が欲しい。何事もなければ、おとといのアマミエルのように、風呂桶の嵐に襲われることはないはず。
「でも……」
渋る健康管理責任者に、マスターが一押し。
「昨日みたいなことになってもいいの?」
「ユーカ、お願い」
助手の変わり身、早し。言われたほうは戸惑う。
「え? あ、うん」ここは、リンディに聞く。「昨日、なにかあったんですか?」
「昨日は冷えたからね」
さすがに、このほのめかしだけではわからない。
「は?」
「自然現象に抗うのは大変なんだよ」
さらなる暗示。
「……えーと……それはつまり……」異世界人にはまだわからない単語があるが……悟った。「まさか!」
うなずくリンディ。
「そう」
「そう……」
ナユカから哀れみの目を向けられたフィリス。
「勝ったからね!」
「あ」勝利を聞かされ、胸を撫で下ろす。「……よかった」
「負けるもんですか!」
気合の入った否定が、辛勝だったことを示唆している。
「勝ち鬨の声を上げるのは、そのくらいにしてね」
口に指を当てているマスターにたしなめられ、助手はトーンを落とす。
「すみません。でも、今日は対策してきました」
「対策?」
異世界人が想起するのは魔法。では、魔導士は……。
「オムツ?」
冗談に、フィリスが声を荒げる。
「違います!」
「声、声」
今度はナユカから注意され、ボリュームを絞る。
「あ。ごめんなさい」
また興奮されても困るので、まじめに答えるマスター。
「簡易トイレとか……」女性には極めて使いにくい。もしかしたらオムツのほうがいいかも……。「まぁ、そんなもんなくても……どうせ人なんて来ないし、その辺の茂みでしちゃえば……」
「それは……」
ナユカが否定か肯定か疑問形か決断する前に、フィリスが即刻否定。
「しません!」音量が上がったのに自ら気づき、口を押さえる。「……逆に聞きますけど、マスターはその辺でするんですか?」
「するわけないでしょうが」
素気無く否定。
「……じゃあ、そういうときはどうするんですか?」
絡み気味のフィリス。美人は出さないとでも言うのかよ……。もちろんそんなことはなく……。
「トイレに行く」
当然だ。しかし、助手は答えに不満。
「はぁ? なんですか、それは」
「それは……」冗談でトイレの説明をしようと思ってやめた。また声を張り上げられても、責任者として困る。「仕方ないじゃない」
「それじゃ、昨日のわたしの苦闘と苦悶はなんだったんですか?」
「まぁ……経験値?」無駄……とは言わないでおく……慈悲で。「……そもそも、限界なら行っていいって言ったでしょ?」
「だから、限界までがんばって……」
フィリスの言い分に、まじめなナユカがくすっと笑う。
「まじめだなぁ」
「だったら……『限界になる前』って言えばよかった? 医者なんだから、体によくないことはしないと思ったけど……」
マスターからの正論。
「ぐ……」
助手は痛いところを突かれた模様だが、さっきから気になっていることがあるナユカは、その精神的回復を待たずに尋ねる。
「それで、対策って?」
「……直前に用を足す、水分を摂らない、厚着」
気を静めているせいか、医師の言い方はぶっきらぼう。
「まぁ……そうだよね……」
待ち伏せをするのだから、言われなくても自発的にやるレベル――予想していた魔法でもなんでもない。その程度のことなら、魔法が効かない人間はすでに実行している。
「……だって、昨日は忘れたんだもん……言ってくれないんだもん」
すねる助手をなだめるマスター。
「あー、はいはい。あたしが悪かった。羽織るものはあたしも忘れたしね」
「そういうときって、魔法でどうにかならないんですか?」
異世界人の質問に、リンディが質問で返す。
「魔法で? どうするの?」
「あ? えー……」こっちに聞かれても……。「消しちゃうとか」
「体の中にあるものは、簡単には消えないよね?」
魔導士からの確認を受けた医師が答える。蒸発させることもできないので……。
「出すしかないですね……どこかから」
「口からとか……おえ」
暗黒系魔導士でも、これはイメージしたくない。
「あるいは、全身の毛穴から……一気に。どっちかやってみる?」
にこっと笑う医師……。どちらも悲惨だ。
「……わたしが間違ってました」
人体は、しかるべきところからしかるべきものが出るようにできている。それを捻じ曲げてはいけないと、ナユカは思った。
「そんな魔法ないけど」
にっこり笑うフィリス。もとより、この異世界人に魔法は効かない。
「新しい攻撃魔法だね。開発する?」
冗談に乗っかったセデイターに、助手が応じる。
「『攻撃』っていうより……ただの悪質な嫌がらせですね」
「そういう魔法イメージって、まともな神経じゃ作れないよね。想像するのも嫌」
魔法イメージが作れなければ、魔法を発動することはできない。
「でも、世の中には変態っていますから……」
作れる奴もいるだろうと言いたげな医師に、暗黒系魔導士が先回り。
「それでも、無理でしょ? イメージだけじゃ……」
魔法物理上、魔法にはならない。しかし、身体の専門家は嫌な考察を示す。
「理論的に可能かもしれません。医療用の魔法には、内蔵機能を促進させたり低下させたりする魔法があるんですが、系統としてはそれらの変わった応用になるでしょうか……」
「ちょっと待って」専門用語を噛み砕くリンディ。「たとえば、おなか壊させたりとかもできるわけ?」
「下す魔法はあります。解毒がうまくいかない場合などに使用します」
つまり、下剤だ……魔法の。
「あるんだ……」
異世界人としては、これをどう評価すべきか悩む……。魔法の下剤……もう夢もロマンもない。
「やな魔法だな……いきなり使われたら怖い」
戦闘職でもあるセデイターにとっては、そこが心配……。
「高度な魔法なので、人体について熟知していないと使えません。そして、生体には防御本能があるので、患者の体が必要な措置として受け入れないと効きません」医師として重要なのはそれらの点だが、戦闘職が気にするのは、こっちだろうな……。「さらに、こういった魔法は、麻痺や睡眠魔法と違って遠隔では効かず、被術者の患部付近に接触しなければ作用しません」
「そっか……」ひとまず安心したリンディ。「で、フィリスは使えるの?」
「はい」
「さすが上級医師」助手に向けて、マスターは身震いの振り。「逆らうとなにされるか……」
「心臓、止められちゃったりして」
ナユカにしてはきつい冗談だ……。それでも、フィリスはまじめに解説する。
「止めるのは生物の生存本能に反するから無理。ただ、多少の脈拍の上げ下げならできます」
「それなら、デート相手をドキドキさせられるね」
それを誤解した相手が自分のことを好きだと勘違いする……。いわゆる「つり橋効果」のようなものが得られるかもしれない。こちらの人にもそういう感覚はあるのだろうか……? 異世界人は興味が涌く。
「……」
黙ったままのフィリス……。ナユカは前言撤回する。
「あ、だめだよね……そういうのは……」
この世界でも、あちらと同様の医療倫理はあるはず。そして、こちらの医師は……。
「そっか……そういう使い方も……」
フィリスだった。リンディは呆れる。
「本気で使う気だ……この医者」
「ま、相手が承諾しないと無理ですから……実用性はないですね。せいぜい、恋人同士のプレイとかでしょうか」
肩をすくめる医師。うなずきながらリンディは納得。
「……ならよかった。それなら、彼氏のいないフィリスには使い道がないもんね」
痛恨の一撃に、ご本人の顔が暗転。
「……悪かったですねぇ」
声のトーンが地に落ちた。
「おかげで、医療倫理を踏み外さずに済む」
冗談めかしながらも、リンディの真意ではある。
「あー、はいはい。彼氏いなくてラッキー」
トーンは下がったまま。完全に不貞腐れている。
「彼氏のほうが?」
妙な魔法を使われなくてラッキーという意味での、さらなるジョークなのだが、完璧ボディの美人からその言葉を出されると、さすがにフィリスもカチンと来る。
「はあ? なんてこと言ってくれます? いくら冷静なわたしでも怒りますよ」
「冷静?」
つい繰り返してしまったナユカに、フィリスが視線を向ける。
「なにか?」
「なんでもないです」
早口で即時撤回。ナユカがとばっちりを受けたのを見て、リンディはフィリスを諭し始める。
「そんなに彼氏欲しい? それよりも、世の中にはたくさんの楽しみがあるでしょ?」
答えが予想できるが、いちおう聞いておくイケメン好き。
「……たとえば?」
「たとえば……魚介類なんて、ほんとバラエティに富んでるよねぇ。それに陸上の食材を加えれば、どれだけたくさんの楽しみが……」
「……」
予想でき過ぎていたフィリスは黙ったまま。声に出すのはナユカのほう。
「やっぱりそれですか……」
「なに? なんか間違ってる?」
声で察知した食道楽が、異世界人を見る。
「リンディさんは、楽しみなことが多くていいな……と」
「まーね」
しかし、これではフィリスを諭すことはできない。
「他、ないんですか?」
「他?」諭すべき相手に聞かれ、しばし考える。「……あたしの場合はそれだってことよ。人それぞれだから」
「それはそうですけど……」
イケメン好きに対し、リンディが「それぞれ」を提示する。
「あたしは食事で、ユーカは筋肉」
そういう言い方をされると……。断定された異邦人は異を唱える。
「別に『楽しみ』ってわけじゃ……」
「好きなんでしょ? 筋肉」
そこに興味ない人から直接的に聞かれると、答えづらい。なんだか、自分が変人のよう。
「……」
「鍛えるの楽しいんでしょ?」
言い直してきたので、即答するトレーニング好き。
「それはもちろん」
「なら、いいじゃない……見るだけより」その言葉の該当する対象が、覗き魔を待ち伏せしているこの場にいたことに、リンディは気づいた。「あ」
「見るだけではないです……」
おずおずと口にした助手を、マスターとしてなだめる。
「そ、そうだよね……はいはい。やっぱ鍛えるのも……」
しかし、その志向はフィリスにはなかった。
「できれば触りたい」
「うぉ」
虚を衝かれたリンディ……そして、鍛錬系筋肉志向の者。
「……そう来るとは」
「だから必要なんですよ、彼氏が……筋肉が!」
イケメンマッチョ紳士好きは、完全に居直った。
「わ、わかった。わかったから興奮しないで。待ち伏せ中だから」
とにかく落ち着かせようというマスターに、助手は素直に従う。
「……すみません」
「あたしが間違ってた……フィリスに関しては」
お手上げ。むしろ、さっさと彼氏でも作って落ち着いて欲しい。
「わかってくれましたか、マスター」
「ま、がんばってね」
とりあえずこう言っとけばいいや、という言葉を投げかけて事態を収拾したセデイターは、本来そうあるべき静かな待ち伏せを再開した。




