2-2 デートを終えて
「で……どうだったんですか?」
恋バナ好きのナユカが、今日は九課に来たリンディにずいっと寄ってきた。
「……なにが?」
しらばっくれる。
「『デート』……」フィリスは、この言葉をあまり使いたくない。「ですよ」
その名のイベントは、一昨日、予定どおりに執り行われた。
「……じゃないけど」本人もそのワードを使いたくない。あくまでも「お食事会」である。ゆえに……。「ご飯食べて、ご飯の話をした」
予約の取れたお目当ての高級レストランにて。
「それから?」
イケメン好きには、そこが問題だ。すると、当人の答えは……。
「……帰って寝た」
「『寝た』ぁ?」不貞腐れるフィリス。「どういうことよ、それ」
信じがたく、ナユカが核心部分を確認する。
「……ルーヴェイさんも?」
「そうだよ」
あっさり肯定され、イケメン好きが天を仰ぐ。
「ああ……なんてこと……これだから美人は!」
「ほんとに……一緒に?」
まだ、ナユカには信じられない。この恋愛音痴な人が……。
「帰ったね。ふつうでしょ?」
さらっとした口調に、異世界人は若干のカルチャーショックを感じる。
「ふつう……そうなんだ……」
「お幸せに……リンディさん」
フィリスの声が、地の底から届いた。
「? あー、どうも」
「え? もう、そんな話?」
結婚? こっちではそんなに早い? ナユカには拙速に感じられる……。でも、それほど不自然でもないか……。
「よかったなぁ、すごく……」
夢見心地なリンディ。
「うわ……」
やっぱりすでに既成事実が……。それにしても、こんなにあからさまなのは、意外だ。この恋愛音痴はそういうタイプではないと、ナユカは思っていた。
「そうでしょうね、はいはい」
フィリスの返答は、ついにおざなりになった。もう何も聞こえない……聞きたくない……しばらく、声も発したくない……。そこへサンドラが現れる。
「ああ、リンディ。ご苦労さま」近寄って、その肩を軽く叩く。「あいつも納得したみたい。地獄へ赴くってさ」
「……それはご愁傷様で」
言葉に気が入っていない……。サンドラはルーヴェイが少し気の毒になった。
「逃げないんだから、ほめてやりなよ」
「そういう約束だから」
にべもない。
「つれないなぁ。またデートしたいってさ」
「それはない」
リンディの否定に、少し驚くナユカ。
「ないんですか?」
「ないよ」
もう一度、断言。
「夫婦でデートって……こっちではしないんでしょうか?」
それとも、「デート」とは言わないだけだろうか……。向こうでもそういう表現は一般的ではないし……。
「なんの話?」
サンドラには話が見えない。リンディも同様。
「さぁ?」
「また、しらばっくれて……」早々に口を開いたフィリスが、鼻で笑う。「結婚のことです」
やはり、サンドラにはさっぱりわからない。
「結婚? 誰が?」
「誰って……リンディさんですよ」その対象へ向き直るフィリス。「まだ言ってなかったんですか?」
「どういうこと?」
怪訝そうなリンディを、異邦人がまっすぐ見る。
「それって、ひどくないですか?」リンディとサンドラは昔からの……。「仲良しなのに……」
その後者はいまだ……。
「……話がつかめないんだけど」
「なんか、あたしが結婚する話みたい」
言い方が他人事の本人に、サンドラが尋ねる。
「はぁ? 誰と?」
「誰と?」
リンディは、ナユカとフィリスに視線を向ける。
「……ルーヴェイさん?」
口にはしたものの、ナユカはさすがにもう誤解に気づいた。サンドラに視線を戻すリンディ。
「らしい」
受けた視線を合わせる。
「初耳」
「あたしも」
当事者、完全否定。
「で、でも……ふたりは……その……関係を……」はっとするフィリス。「まさか、一夜だけの……」
「なんのこと?」
リンディに思い当たる節はまったくない。そこへ、サンドラが情報を追加。
「ルーヴェイは、帰ってきたけど?」
本人の家に。
「なんで知ってる?」
当事者として、聞くまでもないが……。
「監視つけといた」
課長がつけた監視は、実はティア。ややこしいので、今は明かさない。九課の外回りができるかのテストだったが、崇拝するマスターの「デート」監視だったため、かなりの自制が必要だったようだ。ルーヴェイが命拾いしたのは、奇跡かもしれない……。
「あー、やっぱり」
それは、リンディも予測していた。
「別に、あなたを見張ってたんじゃなくて、あいつが逃げないように、ね」
「……わかってるよ」
どっちもだろうな……。
「ちょっと、リンディさん!」
まだ、フィリスは納得していない。
「なに?」
「『寝た』って言ったでしょ?」
「寝たよ、自分の部屋で」
それに対し、ナユカが発言を掘り返す。
「一緒に帰ったんですよね? 『ふつう』に」
「一緒にお店を出たけど……ふつうに。それから、自分の部屋に帰った。あいつも」
リンディの返答に、フィリスはいらだちを隠し切れない。
「『よかった』って、のろけてたでしょうが!」
「のろけ? 変わった表現だねぇ。ふつう、料理に対しては使わないけど……」
食道楽にとっては、あくまでもお食事会。ゆえに、評価対象は料理。
「あー、なるほど……はいはい」
もう、ナユカはすべてを了解した。……食事がよかったわけね……気を揉んで損した。やはり食い気の人だった。なんか、ほっとした……。
「からかうなんて……ひどい……」
いじけるフィリスを、同居人が取り成す。
「いや、でも……こっちで勝手に勘違いしただけで……」
「そうだよ、まったく」
リンディは肩をすくめるが、ナユカには引っかかるものがある。
「でも、途中から気づきませんでした?」
「うん……まぁ……ね。めんどくさいから、ほっといた」
それだけではなく、多少は気を持たせた。
「ほら、やっぱりぃ」
すねるイケメン好き。
「なに? そんなにルーヴェイのこと、気に入ってるの? だったら、悪かったけど?」
「そうですよ」デート相手を斜に見てから、フィリスへ気遣わし気な視線を向けるナユカ。「ねぇ?」
しかし……。
「……それほどでもないかなぁ」
イケメン好きが真顔に戻った。すると……。
「……はぁ?」
同居人の顔は、険しく変貌。
「ただ、ちょっと……まぁ……」
言いにくそうなフィリスをナユカが促す。
「なに?」
「えーと……」
聞き手の耳元へ口を近づけたところ、黙っていたサンドラから声がかかる。
「耳打ち禁止」
ここまで聞かされて、ここから内緒はない――それは反則。……仕方なく、フィリスは耳から離れる。
「でも……リンディさんに怒られる……」
「怒らない、大丈夫」
否定したサンドラに突っ込むリンディ。
「なんで、代わって答える?」
「聞きたいでしょうが?」
「わかったよ……じゃ、怒らない」
本人の言質を取ったので、フィリスが口を開く。
「それじゃ……えーと……」一呼吸。「このリンディさんに先を越されると思ったら、納得いかなくて」
「あー、なるほど」
「そりゃそうだ」
ナユカ、サンドラは納得。
「……なにそれ?」
わからない当人は、怒りようもない。
「もう、天を呪うしか……」
フィリスは上方を見つめる……。たとえ天賦の才があっても、意識が低く、努力もしない人は、報われてほしくない……。ここでは、もちろん恋愛に関して。
「それは……」
そこまでではなくとも、わからないでもない。ゆえに、ナユカは肯定も否定も付けられず。
「まぁ……わたしは、もう相手が……」既婚者がその先を言う前に、発言内容を予期したフィリスから眼光が飛ぶ。「なんでもない」
「……何の話か全然わからない」
この美女にその方面で妙なやる気を出されたら、自分がとばっちりを受けそうだ。ヘタすると、全部持っていかれる……。そんな恐怖がフィリスを貫く。
「いいんです、それで……そのままで」
「ま、いいんじゃない? 当面は」
サンドラも同意。ただ、子ども扱いしているだけなので、その主旨は違う。
「……ですよね」
ナユカはといえば、さきほど誤解したときに自分が受けた衝撃を思うと、色気より食い気のリンディのほうがいいという結論に達した。
「……なんか、馬鹿にされてる気がする」
そんな恋愛音痴に、フィリスが微笑みかける。
「そんなことありません。むしろ、世界はバランスよくできていると実感しました」
「は?」
話の見えないリンディ。大げさすぎるフィリスに、サンドラは失笑。
「そこまで話を広げなくても」
「これ……話、かみ合ってるの?」
「まぁ、だいたい」話題の中心に、サンドラが答える。「……ともかく、リンディは今のままでいいってことよ。よかったじゃない」
「ま……まぁ、いいけど……」
「そのままのリンディさんで、いてくださいね」
微笑むナユカ……。その言い様は、以前、リンディが彼女に言ったものと同じ。それが逆に、自身に返ってきた……。釈然としないものの、これ以上続けられても居心地が悪いので、反論するのはやめておく。
「それで、デートは実のところ、どうだったんですか?」
フィリスが気になるのはそこだ。
「どうって……食事して、料理の話をして……」思い出したように付け加えるリンディ。「あ。デートじゃないからね」
お子ちゃまに合わせるサンドラ。
「『お食事会』ね、はいはい」
「内容もそれっぽいですね」
これは「お食事会」のほうが近い表現だと、ナユカも思う。しかし、フィリスはしぶとく追及の手を緩めない――まだ安心したわけではない。
「他には?」
「なんかあったっけ?」
お食事会の参加者は、食事のこと以外、あまり覚えていないらしい。
「同業者じゃないですか? それで盛り上がったり……うう……」
フィリスは勝手にダメージを受けている。
「あたし、食事のときは、仕事の話しないから」
そういう人でした……この食道楽は。さすがのイケメン好きも、ついに、詮索する気が失せた。
「ですよね……」
「そんなので納得するんだから、偉いよ、ルーヴェイは。わたしは見直した。リンディにはもったいない」
サンドラの評価に、フィリスは瞳を輝かせる。
「ですよね!」
「……」
失礼だなと思いつつも、面倒なのでリンディは黙ったまま。
「だから、店長に差し出すね」
いくら上司とはいえ、この落ちはひどい。イケメン好きは下を向いて歯を食いしばる。
「ぐぬ……」
そこへ、サンドラからのささやき。
「事が終わったら好きにして」
その「事」がどうなるのか、それは想像できない……ていうか、したくない。しかし、これは救いの言葉だ。フィリスが顔を上げる。
「いいんですか?」
「仲介はするから、ご自由に」
本人同士のことで、結果はサンドラの関知するところではない。……あとは自分でどうとでもしてくれ。ただ、あの店長の後なら、ルーヴェイもフィリスとのデートを快諾しそうではある。口直し、ならぬ、一種の浄化のようなものとして。
とはいえ、実は、これはサンドラにとって、あくまでもイケメンセデイターへの便宜であり、フィリスに向けてのものではない。というのも、ルーヴェイがそれで気をよくすれば、また店長との交渉に使えるかもしれないから。要は、フィリスをルーヴェイの当て駒にしようという策略――本人にその気がなければ部下そして友人への扱いとして問題あるだろうが、その当人が積極的なのだから問題なしと、九課課長は考える。そんな思惑を知ってか知らずか、喜ぶフィリス。
「やったぁ! がんばります!」
「なんかありそうだけどね……」
さすがに、付き合いが長いリンディには読めている。サンドラが善意だけでデートの仲介などするはずがない。ただ、フィリス相手にひどいことをさせるとは思わず、喜んでいる当人の心情に配慮して、それ以上は何も言わない。
「まぁ……がんばって……」
他方、異世界人はフィリスのイケメン中毒に少々あきれ気味。正確には、イケメン、マッチョ、紳士中毒だが、いまだにその心情がさっぱりわからない。リンディがまったくの恋愛音痴であることを鑑みると、この場でもっとも恋愛話ができそうなのが、既婚者である、この筋肉課長だけというのが、はなはだ残念だ。でも、もしかしたら、意外にもその方面に強いのかも……。そんな考えに耽るナユカの視線を、サンドラは察知。
「どうしたの?」
「あ、いえ……」躊躇しつつも、話題を振ってみる。「サンドラさんは、結婚してますよね……恋愛したんですよねぇ……」
「まぁ……」
本人が口にする前に、リンディが答える。
「そうなんだよね、ほんと。不思議でしょ?」
「いえ……」
ナユカの否定より先に、サンドラが抗議。
「不思議ってなにさ、失礼だな」
「あー、ごめん。メロメロだったんだよね? こんなんでけっこう乙女……」
暴露を始めた口へと向かった強靭な手は、きっちりとそれをふさいだ。
「どこでそれを……もしかして、ユリーシャ?」
いきなり自分の口が手で押さえられた物理的衝撃によって、涙目となったリンディが、その状態のままこくこくとうなずく。
「サンドラさん!」
ヒーラーからの叫びで、我に返った筋肉姉さんは、その手を離す。
「あ、ごめん」
「ふう……」
リンディは息を吐いた。
「痛みます?」
その口周りを覗き込む医者。患者は、その辺りを軽くさすっている。
「どうってことない」
「課長! 自分の力というものを考えてください」
健康管理責任者から注意されてしまった……。しかし、今のもいちおう手加減はしている。ただ、あわてたため、ちょっと加減が甘かった……。筋肉は素直に従う。
「……以後、気をつけます」
「加減はちゃんとしてるでしょ。あたし、生きてるし……」してなきゃ、いすごと後ろへ吹っ飛ばされている。そして、顎を骨折……。食道楽には恐ろしい事態だ――幸いここには辣腕のヒーラーがいるが。「でも、そんなに照れるとは思わなかったよ」
「気にすることないじゃないですか! すばらしいですよ、そういうの!」
突然、異世界人が弾けた。
「え?」
驚いて視線を向けるサンドラと目を合わせ、ナユカは続ける。
「やっぱりそうじゃなきゃ、恋愛は!」
「あ。あー」戸惑いながら、上司はうなずく。「……うん」
「それに比べて、こっちのふたりは……」ナユカが視線を上から浴びせる。「まったく」
「あ?」
「え?」
なぜか矛先を向けられたリンディとフィリス。その理由は……端的かつ的を射る。
「片っ方は飯しか興味ないし、もう片っ方は外側だけ」
「そのとおりだね」
賛同の声が、サンドラから上がる。
「少しはサンドラさんを見習ったほうがいいです」
「……だってさ?」
ほめられた本人が、けなされた両者を見る。
「そう言われても……ご飯のほうが大切だし……」
「わたしも……やっぱり『イケメン、マッチョ、紳士』は外せなくて……」
再考なし。フィリスに関しては、自分ではどうにもならない部分もあるが……。
「こ、このふたりは……」
あきれるナユカ、そして、諦めるサンドラ。
「駄目だね、これは」
「わたしには、もう……」異世界人は、ぐっとためる。「サンドラさんしかいないみたいです」
これには、リンディが目を丸くする。
「え? 愛の告白? マジ?」
「『恋バナ』できるのが、ですっ」
こっちの「恋バナ」という単語は、異邦人はすでにきっちり覚えた。
「それなら他あたったほうが‥‥」
リンディの見解に、フィリスが同調。
「そうですよ、サンドラさんは年……」言及先からの鋭い眼光が刺さり、言い直す。「既婚者ですし……」
「代わりに、ミレット……は、話さないな。ルルーは……まだナユカとそんなに親しくないか」
リンディの思い当たるナユカの知人はこのくらい……。しかし、別枠がいた。
「ユリーシャさんとは、いろいろ話しました」
「あ、そうなんだ……いいなぁ……」
姉妹ではその方面の話はしないのだろうか……。まぁ、この妹では話が成立しそうにないが……ナユカにあんな姉がいたら、真っ先に話すだろう。
「でも、遠いですし……そうなると、サンドラさんしか……」
「『しか』、ね。はいはい」
本人は苦笑い。消去法によるご指名である。
「いえ……決して、サンドラさんが劣っているということではなく……」
「気を遣わないでいいよ」
自分でもその方面で優れているとは思わない。
「そうそう」
リンディが合いの手を入れてきた……。構わず、サンドラは続ける。
「わたしの得意分野じゃないから」
「だよね」
「話が参考になるか、わからないし」
「そのとおり」
「でも、この食い気より役に立つと思うから」
「うん、うん……あれ?」
食い気は己のことと気づいた。フィリスは傍らで大きくうなずく。
「それは、そうですよね」
「話したければいつでもどうぞ」
何にせよ、このふたりよりも自分のほうがふさわしいと、サンドラは確信している。ナユカもそれは同じ。
「はい。よろしくお願いします」
そんなわけで、異世界人の恋バナ相手は、武器なら何でも来いの筋肉姉さんになった……。九課はこの点において、明らかに人材不足であった。